はてなキーワード: 「ハイ」とは
口調が弱いから行動しないのでしょうか?
ただ、「すること」と「したいこと」の優先順位が付けられない、発達障害なのかとも心配しています。
もしくは、脳の防御反応?『返事は「はい」でしょ!』と散々怒られ続けでもしたのか?
「話を受け流す」ことで脳を守っていた時の癖なのか?
そもそも、私と同じ暗黙のルールを共有していないだけ?
「ハイ」と言ったら、「絶対にやらなければならない」というルールになっていない?
自分に納得がいかないこと、したくないことには、「安易に返事はしない」となっていない?
口答えは全くできなかった環境で育った?もしくは、ルールが毎回曖昧だった?
ただ単に、面倒なだけ?
中学生だもんね。
「失礼します」
巫女装束の娘が増田家(四)新参家臣、増田典厩の部屋に入ってきた。
「あっ、も、もうしわけありません!」
巫女はあわてて飛び散った衣類を拾い集める。
典厩へ向けて高く突き上げた袴がUFOのように不規則な動きで揺れる。
娘を部屋に呼び戻し、目的の文書を持ちだしていたことを確認した増田典厩は言った。
「でかした。我が娘よ。御館様のため、歩き巫女として情報収集にあたるのぢゃ!!」
同様の娘が増田島中に散っているのだった。
前回
http://anond.hatelabo.jp/20160606192640
次回
http://anond.hatelabo.jp/20160609123450
中間報告
これはあくまで東京都区部を生活圏にしている自分から見て、という話なんだけども、
どうもここ数年、酔っぱらいにやさしい風潮が広まっているような気がしてならない。
というのも、電車の中でビールやチューハイの缶を袋で隠しながら飲んでいる人は前から多少はいたが、
近頃は会社帰りのリーマンが連れだってコンビニからビール缶を手に手に出てくる。
またメディアでは「昼呑み」やら「朝呑み」やらが取りざたされ、店先でもアピールに余念がない。
立ち飲み屋が世代問わず人気だったり、いわゆる「センベロ」という言葉を聞く機会も増えた気がする。
ふと「ハイボールの流行」がその流れに影響しているのではないか、と思った。
いつからだか具体的には思い出せないが、じわじわとハイボールが流行りはじめた。
自分の周りでも、最初の数杯はビール、あとはハイボールで、という人が増えた。
そして今や「流行り」ではなく「定番」として受け入れられている。
扱われ方としては、ビールの代わりにゴクゴクいける酒、という感じか。
しかし、このハイボールはウイスキー、つまりはハードリカーを割ったものだ。
ゴクゴク飲む酒として代表的なのはやはりビールだが、アルコール度数は5度前後のものが多いだろう。
一方、ハイボールはどうか。
それにもし、これを自宅でつくって飲むとなれば、
酔いが進むと同時に濃くなってゆくのも自然のこと(自分のことです)。
実際、サントリーが缶で売ってるハイボールは通常で7%、「濃いめ」と称するもので9%だったと思う。
15度前後の日本酒やワインをビール感覚で飲む日本人はそうそういない。
確かにハイボールはそれらと比べれば低い。
低いが、ジョッキとか、メガハイとかいうノリでゴクゴク飲んじゃってもいいような酒なんだろうか。
でも「酒離れ」にはなっていないのではないかと思う。
ハイボールの流行に関して、これもまた自分の感覚なんだけれども、
簡単な話、ハイボールがなぜ流行ったかというと「安くて強い」からだ。
あの地震の影響もあるかもしれない(時期的にも少し被っている気がする)。
そしてどうも最近、ある種の「諦念」が世の中に蔓延しているような気がしてならない。
これ以上がんばってもどうしようもない。報われない。あの頃とはもう違う。
それならせめて楽に(酔っぱらって)生きようじゃないか、という空気が。
しかしハイボールという酒が、その流れを加速させているような気がしないでもない。
水は低きに流れるという。なら酒はどうか。
もっとも、自分自身も他ならない(からこそこんな文章を書いてみた)。
そんな流れに流されまくって週末ともなれば昼から酒浸りになっている自分のような人間は、
ハイカーストのお歴々にひたすら搾られる側なんだろうな、とも思う。
といったことを考えながら通勤電車に乗っていたら、
「私らしく、なんてどうでもいいじゃない。」
何とも言えない気分になった。
いつだったかなぁ?クラブのウエイターやってた18くらいの時だったかなぁ?
その筋のあるお客さんに、何故か気にいられた。
と誘われて、サウナに行くことに。
そこは珍しく入れ墨OKの店なので、いつも繁盛している処。
「オウ、マッサージしてもらおか?」とお兄さん。
「ハイ」と僕。
「あー。エエ女に揉んでもらいたいのォ!」とがニヤけるその人。
「いらっしゃいませン♫どこ凝ってはるのン♫」
と、
語尾が 「ン♫」という感じで小娘チックさをアピールしてる。
「ヲイ!もっと若い女はおらんのんかい!オバハンやないかい!」と先輩。
「マァそー言わんとン♫」
そして渋々いいながらも結局揉んでもらってたら、
「あーソコソコ。オバちゃんウマイわぁ。あー気持ちええわぁ♫」
白旗を上げるお兄さん。
すると、小刻みにサササと「ハーーーーーイ♫」
と跪いて、「おビール どうぞン♫」お尺。
「やっぱりテクニックがうまいのう。また指名したるわな。ネエチャン♫」
ヤクザのお兄さんニッコリご満悦。
ブスでも愛らしさを忘れない。
気持よくしてあげてるのかと思ったら、
人生の場数踏んでるんだろうな凄いわぁとその時思った。
もう猛獣使いの域だね。
この「ン♪」がポイントww
この増田に「金の匂いに寄ってきてるわけじゃない」「コミュニケーション能力が上がったからもてだした」「状況が変われば評価は変わる」とか言っても慰めにはならないよ。
女が「条件」で相手を選別しているという事実が嫌だ
その「条件」が金でなかろうが、別の条件である限り同じなんだよ。例えば性格が良くて、そのことを好かれていたとしよう。ここだけ聞くと非常にまっとうに聞こえる。外見や豊かさで人を選ばない。立派だ。
でもちょっと待てよ。てことは性格が変わったらもうダメなのか、という。そして性格なんてちょっとしたことで変わるんだよ。ちょっと脳の血管が詰まって半身がしびれて、なんとか命が助かってもそこで性格が変わってしまう人がいる。突然猜疑心が強くなったり荒っぽくなったりなど、あちこちにある。認知症の老人を見たことがあれば知っていると思うが、若い頃どんなにいい人でも認知症を発症するとガラッと変わってしまう。単純な現実認知だけじゃなくそれに対する反応、つまり性格まで変わってしまう。
結婚式で牧師が言う「病めるときも健やかなるときも愛す」ことは並大抵のことではない。この牧師に「ハイ」と答えているものはウソをついているのだ。しかしそのウソに納得がいかない。ウソが嫌だ。そこに恋愛はないようだ。
では無条件で無償の愛を注げと元増田は言っているのか?
なんて気持ち悪い! 私はお前のママじゃない!
もちろんママじゃない。何かしてもらおうとは思わない。今までだって一人でやってきたし、一通りのことはできる。生活も心も、依存しようとは思わない。
ただ「ママじゃない」=「条件で選抜します」という女にお金を注ごうとも思わない。
でも、もしも、条件じゃなく自分を選んでいるということを感じさせてくれる女が一人でもいたら。たった一人でもいいから。その女のために全てのことをしたい。依存じゃなく、与えたい。別にママを求めてるわけじゃない。受けたい愛は「してもらう」という意味の愛じゃない。ただ「条件」ではない自分と一緒にいたいと思ってくれさえすればそれが全てなのだ。もちろん、たまたま自分が今「いい条件」みたいなものを持っていたら、それを捨てようとは思わない。むしろこの女のために使いたい。
しかし状況は、女性の行動原理が「条件による選別」以外の何でもないことを示しているようにしか思えない。そこには絶望があるだけだ。それが現実? く そ く ら え
あんた無条件の愛を受けられるほど魅力があるとでも思ってるの? ああ、「魅力」という「条件」ね。条件を満たせなくてすいませんね。
残念だね。俺はあんたのパパじゃない。条件を突きつけてくる女性だからって関係なく愛して、ATMになってお金という愛を注ぐほどお人よしじゃあない。あんたのパパはどんなにあんたがワガママ言っても、いつもお金を稼いできてお小遣いをたっぷりくれたんだろ? パパの下着と一緒に洗濯しないでって言ったでしょ!? それでももらうお小遣い。パパだから当然じゃん。そうだね。でも俺はあんたのパパじゃあない。こ れ も 現 実 の 側 面 。人口の男女比なんて大して変わらんのだから、どちらかが一方的に選ぶ側ってことはないはずだ。あんたなんかどうせもてないよ、と言ったとき、当然その言葉は自分にも降りかかってくる。そのとき感情的に自己肯定感を維持しようとすれば、残念でした自分はもてますよという思い込みを強く捏造し、過去の後悔と未来の不安を回避するのだろう。しかしそれでも残るわずかな不安!
しかし希望があるとすればあの話だね、フィクションだろうけどどっかの実業家が付き合ってる女に「事業に失敗して億の借金を背負うことになった。苦労をかけるかも知れないが結婚して欲しい」とプロポーズしたら断られたって話。実はその話はウソで、事業は順調で、数年後別の女性と結婚したという。その話を聞いて、別れた女性は「だますなんてひどい」と。
少なくともこの話には、「事業が失敗しても結婚してくれる女性」がいることが救いになっている。女性全般をdisっているのではない。それがわずかな希望なのだ。ひどい? こんなウソたいしたことじゃあない。だって条件で相手を選ばなければ、エイプリルフールにつく小さな嘘と何の差もないのだ。「重要なことについてウソをつかれた」と思うのは、あんたが「条件」を重要だと思っているからだろう。
少なくともある程度稼げるようになった男はみんな心にこの実業家がいる。
同年代の平均以上の収入があれば、同年代の平均以下の収入しかない自分と結婚してくれるのか知りたい、外見を認められたのであれば、事故でぐちゃぐちゃになった顔の自分とでも結婚してくれるのか知りたい、性格がいいというのであれば、突然性格が変わってしまったらどうなの?
ねえ、どうなの?
たとえば
こう考えると、マ行に濁点つけたものを「バ行」にすべきだったんじゃね?と思うことがあります。他にも「舞」「弥」「眉」「武」「亡」「望」「撲」とか、それほど少なくない。
ただし例外はあって
(ひょっとして「部屋」は常に「べや」と読む字だったのかもしれん)
マ行に濁音ができていれば、半濁音っていう文化は無かったんじゃないかと。
はてな界隈では女性性に魅力を感じている男女が多いように感じるけど私は女性性に魅力を感じた事など一度も無い。
封建的なド田舎の家庭に育った私にとって女性性とはいかに笑顔で家に尽くせるか以外の何物でもない。女子力是即ち労働力なのだ。
私の母はずっと私に「女の子はハイニコポンじゃなきゃだめだ」とか「お父さんは立てなきゃだめだ」みたいなことばかり言い続けてきた。
(注:ハイニコポンとは、何かを申し付けられたら「ハイ」=気持ちの良い返事、「ニコ」=笑顔、「ポン」=黙って実行、すること)
よくテレビにはおしゃれや菓子類、アイドル、恋愛体験なんかの話をしてきゃっきゃうふふする母子が出てくるけど、そんな話をしたことは20数年の人生において一度も無かったし、
物心ついた時点で父と母の間には多分恋愛感情なんか無かった。そんなもの労働の現場ではあるだけ邪魔だからだろう。
両親にあるのは家族という組織を維持しようとする規律だけ。母が父を立てろと言うのは慕っているからじゃなくて組織の統制のためだったのだと思う。
こう言ってはなんだけど父と母の関係は頭でっかちで頼りない仕官とそれに仕える鬼軍曹(現場を取り仕切る事実上のリーダー)によく似ていた。
で、女の私は下士官候補生としてずっと忙しない母を傍で見続けてきた。
存在感の無い父を立てて、兄の尻拭いをし、寝たきりの祖父母に献身的な介護をして・・・怖くて仕方なかった。
あと十年すれば自分の番になってしまうのかと思うと怖くて気持ちがどんどん重くなっていった。
少女時代というのがこの修羅場までの猶予期間だと言うならとても楽しむ気にはなれない。そもそも楽しみ方が分からない。
一切の無駄が無い環境で訓練され続けたせいか思春期を迎える頃にはすっかり女の子女の子したものへの興味がマイナスになっていた。
大人になった現在、母の教育を拒んで一人暮らししているけど女性的なものにはどうしても嫌なプレッシャーしか感じない。魅力や良さがさっぱり分からない。
この分ではどこで何をして暮らしても生きづらいままだと思うけど、どうしたらよいものか。
2008年6月8日千代田区外神田の中央通りで起きた事件について
http://ameblo.jp/momoi-ktkr/entry-10104915057.html
http://d.hatena.ne.jp/monaka/20080610/1213108509
社会に対して鬱屈した末、「死なばもろとも」のルサンチマンを抱えた男の破滅的衝動に巻き込まれる形で、たまたま秋葉原に遊びに来ていただけだったはずの人が7名も亡くなる惨事が起きた。
そして、子供の頃から自分の慣れ親しんだ場所が、こんな惨劇の舞台になったことに悲しみを覚え、桃井はるこは献花台に花を供えに行った。
だがそんな心境も、待ち受けていたマスコミにとっては格好の餌食でしかなく、モモーイは悲しみと「思いの伝わらなさ・もどかしさ」をさらに感じることになってしまった。
もっとも今回の大量殺傷事件のような事態が起きた場合、マスコミ関係者、とくにカメラマンなどは、ある意味「ハイ」な状態になっていることは想像がつく。その場合、「報道」という大義名分がそこにある事も手伝って、取材対象者やその周辺に対しては、勢い余って無作法だったり無遠慮な態度をとったりすることが多いのは、今やそれほど業界について詳しくない一般人さえもが知っていることである。
モモーイを悲しませたのは、献花台周辺に張り付くマスコミのカメラマンらが、『うわべだけしか追っていない』事実―この場合は『献花をしに来る関係者の図』という構図を撮ることのみしか考えていない―を、いやというほど感じさせたからだ。
話は少し違うが、増田は現在、観光カメラマンをやっている。よく観光地などで、風景をバックにしてプロらしき人が観光客の写真を撮っている光景を見ることがないだろうか? もっとも、自分が撮る写真がマスコミのそれと違うのは、「撮る場合は相手の承諾を得ること」と、「金銭が動く相手が、目の前に居る人であること」だ。そうそう、「撮影に際して相手からの要求があるか無いか」という点もだな。
そもそも、金銭が動く場合はなおさらだが、「まっとうな撮影」をしたいのであれば、基本的には被写体と撮影者の間に“信頼関係”を築くことが必要だ、と自分は思っている。
しかしながら、献花台の周辺にいたマスコミのカメラマンの態度に対し、モモーイは“撮る側と撮られる側の信頼関係”を感じる事ができなかった。その裏にはマスコミ側の人間の、あくまで「自分たちが解釈可能な範囲の文脈を報じる」(理解できないものはステレオタイプの文脈に押し込めてしまう)という、おごりとも取れる態度があったことは言うまでもない。
おりしも今回の事件では、電化製品に知識・理解が比較的ある人たちが集う街という特性もあってか、多くの一般人からのマスコミへの画像の提供があったり、またマスコミ以外でも個人で動画中継をしたりした人もいて、その都度「撮る側に倫理感覚はあるのか」といった問題も論じられたりした。
ただ、今回問題となった、献花台周辺での取材のような「緊急性の比較的薄い報道」については、やはり「被写体との信頼関係」を重視すべきなんじゃないのか、とは思う。
今日先輩に動かなすぎ、もう2ヶ月も経つんだからもっと動けと、気遣いに包まれた口調で遠まわし且つ婉曲的に注意された。こういうのは結構くる。
職種が職種だけに土日以外はほとんど暇で仕事は少ない。それでも多忙に駆られる時が来るわけで、そんな時は一日中どうでもいいような事ばかりしてたり、来た客とぺちゃくちゃ話してたりする周りのバイトを横目に、せっせと接客して受付して精算して走って怒鳴られて電話とって機械いじって・・・と必死に働いてる。しかしこの言われ様。もちろん平日は平日で客が0ではないから、その接客から店内の掃き掃除、窓拭き等の清掃、電話番他をしてる。
またその先輩の話によれば、他の先輩達もあの子は扱いづらい、大変だと言っていたらしい。その先輩達が誰だか性格には分からないが、ある程度察しはつく。その人たちには親近感を感じ、加えてとても親身にして貰っていただけに、なんだ、あれはそう取り繕ってただけなんだなと(よくありがちなパターンだが)気づき、また扱いづらいと思われていたことに気づきショック強。どこがそう思わせたんだろう。ショックだ。
またまたその上、自分の業務を放棄し、人に押し付けて延々とくだらない話を振ってくる同期の人と比較された挙句、ちょっとは見習ったらどう?と言われて更にショック強。そりゃあ自分だって四六時中働きアリみたいに動いてるわけじゃないが、誰が見ても地球がひっくり返ってもこの人より働いてるのは明確だと思ってたのに。ありえねえよ、ありえねえ。あんな丸投げするような人を見習えってか。ショックだ。
とてもとてもナイーブなゆえちょっと言われただけでも凹んでしまう軟弱者の自分だが、当然そう注意された後の仕事はメチャクチャ。仕事中ずっとジレンマ状態。そしてミス連発。頭真っ白。話すときもギクシャク。さらにそれが次のミスを生み悪循環。その注意の30分後くらいにちょっとおいでと呼ばれ、「いや別に怒ったわけじゃないから」とフォロー(?)を入れられ、また蒸し返され思い出す。しかし凹みすぎてる自分はどうにもならない上、ダブルで傷つく。心情が顔に出すぎで隠そうとしても隠し切れない。帰宅後は帰宅後でママンに「仕事はどう?慣れた?大変だろうけどがんばれ」と言われ、リアル涙目になる始末。
あーもーなんだかな、理不尽すぎる。特に親しかった先輩がそう思っていたのと、同期の人と比較されたのがザクッと来た。いつもクタクタで家に着いたら抜け殻のようになるほどバイトには神経使ってるというのに、働いてないように見られてたなんてな。馬鹿馬鹿しい、笑えるぜまったく。何度も言うようだけど、例え人一倍は言いすぎだとしても、人並み以上の仕事はしてるし、この点においては一切妥協できないが、動いてないなんてあまりにも理不尽で納得できない。酷いよ・・・。そういやその理由を聞けばよかったわ。あまりのショックにその理由を聞けず、違いますとも言えなかった。ああ、チキンだ・・・。
書いてて気づいた。自分働いてますアピール必死で気持ち悪すぎ。ただ人に「認められたい」が一心で「自己正当化」した挙句「逃げて」人から「同情されたい」だけ。きめえきめえ。別に深く考える必要ない、どうでもいいっつうの。でも結局なんだ、一つだけ分かる事は、ナイーブという名の実はひん曲がって腐ってる性格を持つひねくれ者だということだな。どうでもいいことをどうでもいいと考えられず処理できない。口では素直に「ハイ」と言っても、頭では受け付けない。いつまでもネチネチネチネチ考える。ただの陰湿だ、ガキだ、人間失格だ。こんな奴扱いづらくて当然だっつうのな。ばかみてえ。きもちわりい。嫌だねこういうの。
もう何書いてるかいみわかんねえが、でもやっぱ納得いかねえし、ショックだし、このイライラモヤモヤ感が払拭できねえ。とりあえず小さなことでもクヨクヨするこの腐った性格を変えたいわ。何かいい方法ないかね、マジで・・・。
今日先輩に動かなすぎ、もう2ヶ月も経つんだからもっと動けと、気遣いに包まれた口調で遠まわし且つ婉曲的に注意された。こういうのは結構くる。
職種が職種だけに土日以外はほとんど暇で仕事は少ない。それでも多忙に駆られる時が来るわけで、そんな時は一日中どうでもいいような事ばかりしてたり、来た客とぺちゃくちゃ話してたりする周りのバイトを横目に、せっせと接客して受付して精算して走って怒鳴られて電話とって機械いじって・・・と必死に働いてる。しかしこの言われ様。もちろん平日は平日で客が0ではないから、その接客から店内の掃き掃除、窓拭き等の清掃、電話番他をしてる。
またその先輩の話によれば、他の先輩達もあの子は扱いづらい、大変だと言っていたらしい。その先輩達が誰だか性格には分からないが、ある程度察しはつく。その人たちには親近感を感じ、加えてとても親身にして貰っていただけに、なんだ、あれはそう取り繕ってただけなんだなと(よくありがちなパターンだが)気づき、また扱いづらいと思われていたことに気づきショック強。どこがそう思わせたんだろう。ショックだ。
またまたその上、自分の業務を放棄し、人に押し付けて延々とくだらない話を振ってくる同期の人と比較された挙句、ちょっとは見習ったらどう?と言われて更にショック強。そりゃあ自分だって四六時中働きアリみたいに動いてるわけじゃないが、誰が見ても地球がひっくり返ってもこの人より働いてるのは明確だと思ってたのに。ありえねえよ、ありえねえ。あんな丸投げするような人を見習えってか。ショックだ。
とてもとてもナイーブなゆえちょっと言われただけでも凹んでしまう軟弱者の自分だが、当然そう注意された後の仕事はメチャクチャ。仕事中ずっとジレンマ状態。そしてミス連発。頭真っ白。話すときもギクシャク。さらにそれが次のミスを生み悪循環。その注意の30分後くらいにちょっとおいでと呼ばれ、「いや別に怒ったわけじゃないから」とフォロー(?)を入れられ、また蒸し返され思い出す。しかし凹みすぎてる自分はどうにもならない上、ダブルで傷つく。心情が顔に出すぎで隠そうとしても隠し切れない。帰宅後は帰宅後でママンに「仕事はどう?慣れた?大変だろうけどがんばれ」と言われ、リアル涙目になる始末。
あーもーなんだかな、理不尽すぎる。特に親しかった先輩がそう思っていたのと、同期の人と比較されたのがザクッと来た。いつもクタクタで家に着いたら抜け殻のようになるほどバイトには神経使ってるというのに、働いてないように見られてたなんてな。馬鹿馬鹿しい、笑えるぜまったく。何度も言うようだけど、例え人一倍は言いすぎだとしても、人並み以上の仕事はしてるし、この点においては一切妥協できないが、動いてないなんてあまりにも理不尽で納得できない。酷いよ・・・。そういやその理由を聞けばよかったわ。あまりのショックにその理由を聞けず、違いますとも言えなかった。ああ、チキンだ・・・。
書いてて気づいた。自分働いてますアピール必死で気持ち悪すぎ。ただ人に「認められたい」が一心で「自己正当化」した挙句「逃げて」人から「同情されたい」だけ。きめえきめえ。別に深く考える必要ない、どうでもいいっつうの。でも結局なんだ、一つだけ分かる事は、ナイーブという名の実はひん曲がって腐ってる性格を持つひねくれ者だということだな。どうでもいいことをどうでもいいと考えられず処理できない。口では素直に「ハイ」と言っても、頭では受け付けない。いつまでもネチネチネチネチ考える。ただの陰湿だ、ガキだ、人間失格だ。こんな奴扱いづらくて当然だっつうのな。ばかみてえ。きもちわりい。嫌だねこういうの。
もう何書いてるかいみわかんねえが、でもやっぱ納得いかねえし、ショックだし、このイライラモヤモヤ感が払拭できねえ。とりあえず小さなことでもクヨクヨするこの腐った性格を変えたいわ。何かいい方法ないかね、マジで・・・。