ゲーム・オブ・スローンズを一気見しているけれど事前に聞いていたイメージとは結構違うところがあるなー
ジェイミーって物語中ではサーセイの元に戻ってからの方が長いのね。
思っていたよりも二人で話している場面も多いしちゃんと愛し合ってるじゃんって印象なんだよなあ。
サーセイとの間に出来た子供達の事も案外ちゃんと子供として愛しているし、中でもミアセラが本当に可愛くて良い子だったので
こんなに可愛い娘が殺されたのに何食わぬ顔でブライエニーとくっつくとかないわーって思うんだけど。
アリアとハウンドの組み合わせも人気らしいしやっぱり初期の頃のイメージで固まってるファンが多いのかなあ
ブライエニーとの珍道中を通してジェイミーが成長したのは確かなんだろうけれど、やっぱりここは男女を超えた友情であって欲しかった
漫画『ルックバック』の一部表現が不適切だとされて変更された。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/shonenjump_plus/status/1422029631507427331
残念である。
表現が人を傷つける力と人を救う力は同一であり、分割することができないものだと私は考える。(救うなんて表現はおしつけがましいし、そもそも表現の価値は人を救う事とは限らないが、便宜上こう言う)
たとえ短期的には傷つける部分だけを削り救う部分は残すことに成功したように見えても、長い目で見れば、次の誰かの作品まで踏まえてみれば、傷つける力を弱める試みは必ず救う力までも弱めてしまう。
過去50年の間に許されなくなった表現はあるが、100年前200年前よりは許される表現は増えていて、だから私たちは色々な表現に心を動かされる現代にいる。
許されなくなった表現がもっと少なければ、もっと豊かな現代になっていただろう。
だからルックバックの表現が許されないとされたのは残念である。
このような表現への抑圧を問題視する立場から何ができるだろうか。
出版社であったり圧力団体であったり政党であったりに掛け合うこと、コロナを考慮した上でのデモを行う事など、社会運動や政治運動はもちろん有効である。
だがそれに付け加えることとして、表現活動をすることを私たちみなに望みたい。
たとえ不適切だとか不道徳だとか言われそうだと思っても、必要だと思った表現は盛り込んだ作品を作り、発表しよう。
抑圧された時に余裕があるならつっぱねればよいが、大変そうならしれっと取り下げてもいい。
叩かれても折れない覚悟なんて、たいていの人間は持てないし持つべきじゃない。思いついた表現を世の中に放り投げる気軽さ、見る前に跳ぶ思い切りさえあれば十分で、着地でミスろうが安全ネットにからまって笑われようが問題ない。
あなたの表現が誰かの目に入ったならば、それを取り下げようと蒔かれた種は消えない。
表現の自由への道は、自由を目指して倒れた作品たちの上に作られる。だから殺されたって価値がある。
そしてしばし休んだなら、また何かの名義で、何かの媒体で、作品を出せたら最高だ。
ようやく鎮火しそうなところにガソリンをぶっかけるような所業。
これで修正賛成派も修正反対派もますます過激化して議論にならなくなる。
分断が深まっただけじゃん。
小泉進次郎の『みなさん、実はプラスチックって、石油で出来てるんですよ』って話に似てるね。
ペットボトル飲料に入れてる飲み物でも、缶ジュースでも、どういう仕組みなのかね。鮮度保つよね。缶詰は、金属だけどなんで錆びないのかな。
柿の種でもクッキーなんかのお菓子の包装の袋の素材は、何よ?窒素ガス入れたり「食べれません」って言う乾燥剤の存在知らないの。
不思議だねー。