はてブでも出てるが
プロローグ:転移してきた俺君が異世界に生産革命(残業概念)を起こす
エピローグ:ブラック企業化した異世界で俺君が労働者に革命を起こされる
ってことだと思うよ
ウマ娘(初期)と今でコンセプトに大きな変化はない。
「美少女化した歴代のレジェンド競走馬をサクセスで育成し、勝利するとライブが見られる」
これは今でも共通してる。
でも初期ウマ娘を見て誰もが思ったのは「まったくっそつまらなそうな企画が始まったな……」だった。
まあそれもそのはずで、アニメパートはゼッケンをつけた体操着のネーチャン達がかけっこしてるだけで躍動感なんてなかったし、ゲームパートもプリンセスメーカーじみた「ギャルゲーにプレイングの余地をつけた」程度のモノだった。
3Dもノッペリとしていて、全体として間延びしたフワっとした作品だった。
これが「アイデアなんて誰にでも思いつく。無価値だ」と言ってる人間しかいない職場で作れる作品の限界だ。
だがここに
「育成とレースのランダム性を徹底的に増やして飽きさせないようにする」
「モブの数をコレでもかと増やした上でそれぞれに固有の顔と名前を与えることで世界観を肉付けする」
といったアイディアが加わることで、作品に芯と呼べる部分が出来ていく。
「アイディアを一つ思いつく」のは確かに誰でも出来るかも知れない。
だが「今あるアイディアに組み合わせるべき別のアイディアを思いつく」のは誰にでも出来ることじゃない。
そういうのは結局は既存のなにかの平行移動ではあるのだが、それだって「これにこれを組み合わせよう」と思いつける事自体がアイディアになる。
アイディア一つでたどり着けるような所にはせいぜい80点レベルのものぐらいしかない。
たとえばテトリスだって「ブロックを4つ繋げた物の中に、一つだけ真っ直ぐ4つにつながった棒があり、それを使うことでのみ最高得点が出せる」という要素がなければここまで流行らなかった。
完成品のテトリスをすでに知ってるからそんなの当たり前だと思ってしまうんだろうが、これはいくつかのハードルを超えた先にある立派なものなんだ。
大抵の……アイディアというものを軽んじる多くの人間にテトリスを作らせたら、ブロックの組み合わせから一本棒を抜いてしまう。
考えうるパターンの一つとして思いつくことが出来なかったり、思いつきはしたが例外に過ぎないと削除する。
また、「一度にたくさんのブロックを消すほど点が増える」という要素をそもそも考えなかったりする。
「4段同時に消したら点数が沢山入る」という話を聞いて「そりゃそうだよ。だって1段の4倍の点が入るんだもの」と考えてしまうのだ。
それどころか「4段分の点が一度に入るんだから、ボーナスなんて必要ないだろ?十分じゃないか」なんて口にしたりする。
そういった人間からは爆発的なブームを起こすようなテトリスは産まれない。
テトリスの根幹にあるのは「4段同時消しが出来たら凄い点数が入るけど、それを狙いすぎると難易度が跳ね上がる」ということなんだが、アイディアというものに大きな価値を見いださない人間はテトリスの本質を「ブロックを並べて消すもの」としか思ってない。
おちんぎんあげたい
半分以上経路不明だし、調べてないだけ。
最近、ひさしぶりに「働きたくない、隠遁したい」という気持ちが高まっている。
20代後半、地方出身・東京在住の独身。学生時代は「高等遊民になりたい」「不労所得で生活したい」「養われたい」と常々思っていたが、そんなことは思うだけで、社会からはみ出せないまま歯車になってしまった。
あれだけ常々思っていた「働きたくない」という気持ちは労働によって奪われた。目の前の仕事に忙殺されて、お布団の中で「きょうはお仕事行きたくないなあ」と思うことはあっても、強い気持ちで「働きたくない」と思うことはずいぶん減っていた。お賃金に飼い慣らされたというのもあると思う。
コロナ禍でほぼ在宅勤務になり、人に会わずにそこそこのんびりと働くことができるようになったからか、「働きたくないなあ」と思うことが増えた。
とはいえ生きるのにはお金がかかる。東京を離れてド田舎で隠遁しようにも、多少のお金は必要だ。
預金通帳の残高をじっと眺めて、計算する。それなりに切り詰めた生活をしたとしても、せいぜい十数年しか働かずに生きていくことができない。
十数年後というと40そこそこだ。まだ生きてるかもしれない親や親類に迷惑をかけてまで国に頼るのはしたくないし、そもそも国からは「働け」と言われるだろう。だからといって積極的に人生を終える勇気はないと思う。