具体的なコロナ対策が出てこないみたいな意見があるけど、じゃあ具体的な対策を示したら従うんかと。
どう考えても感染拡大を防ぐ一番の方法は喋らないこと。皆わかってるのにどうして喋るのやめずに、その口で文句を言うのだろう。
黙って飯を食えなんてのは当たり前で、いつでも喋らない。必要なことがあれば紙に書くかメッセージ送ったらいいだけ。
視覚障害者との会話はしょうがないけど、聴覚障害者にとっては喋らず紙なりスマホに書いて見せる社会の方がいいかもしれない。
テレビも言ったらいいんだよ、知り合いと喋るのやめて一人でテレビ見てテレビ相手に喋ればいいって。
感染拡大防止対策をもっと発信したらいい、みたいな意見もあるけど対策って基本的に変わらないわけで、同じメッセージを発信し続けても慣れちゃって頭に入ってこない。
最近ポリコレ界隈がうるさい。何を言ってもどんな表現をしても騒ぎ立てる人がいる。まともな反論もすべて謎の怒りで潰そうとしてくる。これはどこかで見たことのある光景だ。戦時中のファシスト国家によくあった光景だ。野球で「ストライク」は英語由来の適性言語であるから使ってはいけない、などと騒いでいた人達がいた。ポリコレ棒で叩いてくる人達はこれに似ている。そもそもポリコレという言葉自体がナチスやソ連において彼らの全体主義的な政治思想に反対する考えや反対派へつながる言葉への攻撃として使われてきたものだ。これらの集団や日本の敵性語を使ってはならないといった無限の言葉狩りがどのような結果を招いたのかは歴史を少し知っているものなら理解できそうなものだ。ポリコレ派は人の無知を笑うが本当の無知が自分達であることを理解する日は来るのだろうか。
本とかネットとかで美味しそうってなっても、材料いるやん。で肉とか、にんじんとか玉ねぎ買っても丸々は使わんでしょ?みんな三日四日で腐らずに管理するのすごくない?
🦸🏻♀️🦵🏻💪🏻どうかしら
「Y係長。相談があるんですけど」「ん」「すみません、ここではちょっと」「じゃああっち行こうか」
「…で、どうしたの?」「えっと、私、Y係長に教えてほしいことがあって…」「うん」
「私実は、〇〇したことないんです」「え、一度も?」「ハイ」「それは、まずいな」
「アハ、まずいですよね。だから、あの、私に教えてくれませんか、やり方」「俺が?まあいいけど…めんどくせぇな~」
「そんなこと言わないでくださいよ…Y係長なら上手そうだし、優しくしてくれると思って。私、Y係長から教わりたい。お願いします」
「しょうがねえなぁ。教えてやっか」
「ありがとうございます!よかったぁ」「で、いつにする?」「できれば今週金曜の仕事終わりとかいかがですか。ノー残業デーだし」
「ちょっとまって、手帳確認する…もしかしたら、出張で戻りが夕方過ぎるかもしれないけど、いい?」
「(ってことは絶対過ぎるな)大丈夫です。本当は大丈夫じゃないけど」「え?」「いや、なんでもないです。仕事やって待ってます」
「悪いね。場所どうする?」「んー、考えてなかったですけど、いい場所知ってますか?」
「わかんねえな、最近行ってないから」「ウラのビジネスホテルはいかがですか」「ああ、そうだね。近いし」
「予約しときます。ごはんってどうしますか」「じゃあ、最初にメシ食ってからにしよう。増田さん、車ないでしょ。俺送っていくから。メシ何食べたい?」
「ラーメン以外なら」「前、ラーメン食ってトイレ駆け込んでたよね笑」「いや、あれは、違うんです…」
「笑。金曜ね…(手帳にメモ)」「あの、何か持っていくものってあるんですか」「大丈夫」「分かりました。当日は、ご指導のほどよろしくお願いします」
🐼🐼🐼🐼🐼🐼
初音ミク以降、二次創作ゆるゆるの空気感が増えていったように思いますけれども、大前提として「著作者が一番えらい」ことには変わらないですからね。法律的に。一番偉い著作者が好きなように決めるものであって、著作者以外はそれを尊重すべきなんですよね空気がどうであれ。それが、その二次創作UGC当たり前の空気によって圧倒されてしまってる。
でも今回は著作者サイドの中の、出版社と原作者間の権利関係もあるんで複雑そうですが・・。
似たような軋轢は、それこそ初音ミク界隈(ボカロ界隈)にもありまして。ボカロに歌わせたオリジナル曲の作曲家が、歌い手によるいわゆる「歌ってみた」をされて原作よりも再生数を伸ばしたりする。まさに二次創作なんですが。あるいはリスペクトのない二次創作をされたりして、それに苦言を呈して、ボカロ側と歌い手側とでバトルが勃発したりする。いまは「歌い手」が「VTuber」になって同じようにちょっとしたイザコザが発生したりもします。