以前、羽田の国際線ターミナルから浜松町までのモノレールに乗っていた時、英語で「これで終点まで行ける(´・ω・` )?」って言われて紙の切符みせられて、大丈夫大丈夫( ^ω^)bって適当に返して多分降りれなかっただろうどこかの国のお兄さんゴメンな。ちゃんと精算できたかな。
ウシガエルっておいしい?
俺はダメ人間だ
どれもよくなりたいが、結果として全てダメ
それでも、30歳になって気づいたことがある
たぶん、普通の人は十代半ばぐらいで無意識に気づくのではないかと思うが、俺の場合は30年かかった
5歳ぐらいの時から母子家庭で、母親は極めてプライドが高かった
母親は何でも自分の力で何とかしようとしていたし、他人のことは何だかんだで道具としてしか見ていなかった
どうしようもない時だけ、実家の母親(俺から見た祖母)をあてにしていた
今思えば、母にはまともな友人がいない
引っ越しの手伝いで高そうなモノを盗むババア、末期がん患者にガンが治ると嘯いて浄水器を売りつけるゴミ女
学生時代に母に惚れていたという男、妻が居ながら退職金を前借して全て母に注ぎ込んでいた
(母はタバコを吸いギャンブルもしていたのでそれらに金は消えていた)
最後の男を挙げたことで気づいてもらえたと思うが、母は金を借りたうえでそれを返さない
まともな友人を作れるわけがなかった
母の周りにはヒトがいない
言うことを聞かなければ殴ってしつけていたが、俺が些細なことに怯えるようになってからやめたらしい
判断基準が「母が怒るかどうか」というところに集約されたまま、
小学校に上がるころには母がいないと何も判断できない人間に俺は無事育っていた
母は働きに出ていたし、世間に出しても恥ずかしくない息子に育てたいという気持ちが強かったのか
働きに出ている母親を家でひたすら待つとか、買い出しを頼まれた時に正確に金の勘定をするとかだ
職場にいる役立たずを馬鹿にしたり、同じ話ばかりする祖母を馬鹿にしたり、学歴コンプレックスの姪を馬鹿にしたり
常に母の側にいた俺は見事にそれを写された
結果として「運動が苦手で頭も性格も悪いのに他人のあらを探して見下すことだけは得意」な人間として俺は20歳を迎えることになった
俺は無能な息子として母の足を引っ張りつつ、母のファンネルとして彼女の生活を支えながら生きていた
断っておくが、母がすべて悪いと言いたいのではない
人を変えるのはなんだかんだで環境だ
大家族の末娘として、生まれてから母の愛情を独り占めして生きてきた女が独善的になるなというほうが難しいだろう
「頭がいい? 運動ができる? だからなんなの? わたし、お母さんに愛されてるけど」
こうなって当然だ
その女が一人で息子を育てたんだから、誰も彼女を責めることはできまい
女手一つで立派に息子を、ヒトをひとり育て上げたのだ。素晴らしい
それを返さなかったり浪費したりしても何とも思わない精神状況であったことだ
仕事を掛け持ちし、男に体を売ったり(肉体労働をまともにこなせる自信がなかった)もして稼いだけどそれでも金は足りなかった
人二人が共同生活して生活苦で自己破産したと他人から聞いたら俺なら正気を疑う
資金繰りに悪化したとか浪費癖が悪化したとかそんな話ではないのだ
細かい経緯は省くが、結局俺は過去に母のそばから離れていった二人の夫同様、彼女の元から逃げ出した
いや、逃げ出すことができた
「お前の生活状況はおかしい」と指摘してくれた常識的な青年のおかげだ
こないだ父親と会い、一緒に酒を飲むという息子らしい行為に打ち興じた時、
「面白くて美人だけどプライドばかり高くて難しい女」だったと母を語る父は、
買い物依存症と認知症を併発しつつある今の妻と添い遂げる覚悟らしい
「お前の母さんと別れた後、ずっと助けてくれた。これからは俺がちゃんと恩返ししないといけない」
いいよね、こういうの
人間いろいろあるけど、助け合わなきゃね
何年か一人暮らしを続けて思う
人間が生まれてから大人になるまでの間に必要なのは、最終的にその一点だろう
「自分で判断する」、それができなければ大人になったとは言えない
母の不幸は、それが当たり前なことすぎて教育しなければ根付かないものだと気づけなかったことだろう
きっと、ただそれだけのことなのだ
毒親がどうとか、子供が将来親の世話をするしないとか、そんなのは大事なことじゃない
ダメ人間だって親になりうるし、長い時間をかけて培われた信頼が介護という結果になって帰ってくることもあるかもしれない
血縁関係は、「どう育てるか」「どう親と接するか」の指針も方法も手段も何も教えてくれはしない
いつか母を恋しいとか母に恩返しをしようと思う日が来るまで、俺は実家に帰らないだろう
いつそんな日が来るのかは皆目わからない
一人で待つという状況に小さい頃から慣れていた俺は、誰かを恋しいと思ったことが一度もない
だけど、それでいいと思っている
30年かかったけど、気づけてよかった
やっと独り立ちできた気分だ