はてなキーワード: 広研とは
そりゃもう、アン・ルイスの「六本木心中」でしょ。おぎのめちゃん以前にアン・ルイス姐さんだよ。
大学の広告研究会がパー券売って、六本木のディスコでやるパーティーで一番盛り上がる曲。
頭数がそろわないときに、タダでいいから来てよって、パー券が回ってきてたから、よく知ってる。
そういうのと、ブルーハーツやナゴムレコード、トランスギャルなどが同時代ね。全くの異世界。
あたしは後者側で、友達の彼氏(KOか何かの広研の人)のつながりで
六本木のパーティーに頭数として動員されてた。というかタダ酒飲みに行ってた。
尾崎豊もチャゲアスなんかも同時代。あたしはどっちもろくに聞いたことない。ダサくって。
「若者の気分」として広く共有されてたのは、あとはサザンの「いとしのエリー」かな。
ある大学で学園祭の実行委員をしています。業務としてはいわゆる「広報」を担当していて、他大の学園祭もいろいろウォッチしています。(で、今回の話を見つけて、なんとなく調べてます)
今回の本筋とは関係ないですが、学生だった時以来一度も学園祭に行ってない、みたいな人は早稲田祭でも五月祭でも、どっかの大きな学園祭にもう一度行ってみるといいですよ。単に「来場者」としてまわる学園祭はめっちゃ面白いはずです。
学園祭に主体的に関わったことのある人でないと分からない、ビミョウな関係性についての知識です。
これは学園祭全体でみたらイレギュラーな状況です。ふつうミスコンを主催している大学祭実行委員会(東京大学駒場祭においては「駒場祭委員会」)は駒場祭のミスコンの運営に関与していません。つまり、駒場祭委員会にとって、形式は違えど、「ミスコン」というイベントは「サークルでやる牛串の模擬店」と形式上同様のはずです。(「参加団体」と「実行委員会」の関係、って言えば伝わるでしょうか。)
これを勘違いしてこの問題について論じることはいささか問題です。(百田尚樹氏が実行委員会の招聘により講演会を実施しようとした今年の一橋大学KODAIRA祭の事例と今回の問題は明らかに性質が異なります。)
歴史がある程度長い学園祭ならありふれたことですが、駒場祭も、徹底して学生の手のみによって運営されています。(駒場祭は今年で第68回目だそうです。68年前の大学の空気感、というものを考えれば、なんとなく理由は分かりそうです。ましてや東大ですし。)
学生主体の学園祭では、大学当局(多くは「学生課」「学生支援課」などの部署)は、施設などの使用などの限定的な部分でしか関与しないことが通例です。
これについても、少し社会的な認識と実際の状況の異なる場面です。おそらく駒場祭委員会にも「顧問」などは存在しないでしょう。
これは、広研が自らのTwitterアカウントで公表したものです。(https://twitter.com/utadvc_2017/status/931897374364000257)
駒場祭委員会の対学生用ウェブサイト(調べれば出てきますが、学内向けと思われるため、リンクの掲載は控えます。)にある資料を読む限り、「学生でないもの」の出演については駒場祭委員会への申請が必要であり、したがって、駒場祭委員会はこの事実について公表の前に知っていたと考えられます。
これは、三上悠亜氏が所属する事務所の代表である青木亮氏が、いわゆる「AV出演強要」問題で略式起訴されているため、当該女優の駒場祭への出演は、青木氏の被害女性たちへの配慮を欠いた行動である、と主張するものでした。「AV出演強要」問題については、論争的な部分も含めて、インターネット上に多くの資料が存在しているので言及しません。(「社会問題である」と主張している人間が一定数いる、ということだけ注意しておきます。)
「AV出演強要」問題についてのウェブサイト「AVメモ」管理人であるKAZE氏(https://twitter.com/yap00s)が、公開リプライ上で広研および駒場祭委員会に対して当該問題についての説明を求めました。広研・駒場祭委員会ともに返答しなかったため、ついで、東京大学当局に問い合わせをした旨、同アカウントにて報告しています。(こちらについても返答はなかったようです。)
ここでの不明点は、広研・駒場祭委員会に対してKAZE氏が電話等での連絡を試みたか、ですが、これに関しては、以降の行動等を踏まえると「あった」と考えるのが自然だと思います。
AV女優の出演、ということ自体が一般的には非常に過激な出来事で、AV強要問題との関連がなくても嫌悪感を持つ方はたくさんいると思います。
しかし、色々考えれば、許可する理由はわかります。駒場祭委員会の対学生資料を参照してみます。
前項で言及した、「『学生でないもの』の出演についての申請」は、資料中で「外部団体関連行為申請」と称されています。この申請にあたっての注意をよく読めば、この申請を参加団体に行わせている理由は主に「企業等の営利活動により学生の自主性が損なわれないようにする」ことにあるようです。
したがって、同申請の許可または不許可は、それにもとづいて行われると考えられます。
(同様の規制自体は多くの学園祭に存在します。企業からの協賛金などの額について報告させたり、講演会の資料を提出させたり、と方法は大学によって様々ですが。)
と、すると、「当該女優が社会的問題のある人物と深く関係しており、その人物は社会に出るべきでないのに、学園祭により活動の場を得てしまう」ということは申請の不許可事由になりえなかったのではないでしょうか。
「学生主体の学園祭」においては、実行委員会が学生の行為に対して規制をかける行為は非常に慎重に行われるのが通例です。これは、学園祭自体の存立過程が、非常に政治的色彩を帯びており、その過程で「表現の自由」というものが最も尊重されたことによります。
(「AV女優だから招聘を許さない」というのは別方向から見れば、「表現の自由」や「職業差別」上の問題になってしまいます。)
「学生主体の学園祭」において、学生と実行委員会の間の関係性が緊張している以上に、実行委員会と大学当局の間の関係は非常に複雑です。かつて、学園祭の実行委員会は大学自治の先鋒として大学当局と対立する立場でした。現在でもそうした立場を貫いている実行委員会はないでしょうが、かつてそうであったことは今なお重要なファクターです。
当局の担当者は、安全上の問題がある場合などを除いて、実行委員会が決定した事項に介入することが、(駒場祭においても)ないはずです。
実行委員会や大学当局は、今からでも出演を止めるべきなのか。これは非常に微妙な問題でしょう。まず、略式起訴された代表に雇用されているとはいえ、当該女優は犯罪を犯しているわけではありません。加えて、この出演が「広研の学生による、企画の自由の行使である」という認識が共有されてしまっていることが予想されますが、そうした認識のもとでは、出演を止めるのは妥当でない、と判断したくなります。
一方、この一連の事象が「駒場祭がAV女優を呼んだ」「東大がAV女優を呼んだ」と解釈される場合、それは駒場祭や東大の問題になってしまい、これは規制が妥当、ということになります。
この解釈は、実行委員をやっている人からすえば「主語をでかくとりすぎ」で、「広研がAV女優を呼んだ」と解釈するべきだと思いますが、社会一般の認識とはズレています。
学園祭という場所を提供してしまっている以上、当局や実行委員会も、少なくとも無関係ではいられないはずです。
私の大学の学園祭でも今後このような事態が起こらないとも限らないし、増田なら賢そうなコメントがもらえそうなので、意見を聞いてみたいです。
当たり前のことが言いたい。
まともな女子学生なら、インカレだのイベサーだのは、昔のスーフリのこともあるし警戒するはずだ。
でもチャラいのが好きなんだろう? イケメンが好きなんだろう? 慶応の育ちのいいのが好きなんだろう?
女子アナになりたいから、わざわざミスコンなんかに出てきたんだろう?
もちろん、男が圧倒的に悪いのは前提で、でも女もそんなのに好き好んで近づかなきゃいいのにと言いたい。
ところが、そういうのをちょっとでも口に出そうとすると、はいそれセカンドレイプ! と一蹴されるわけである。
広島県に藤田雄山という県知事がいた。土建屋の一族の出身で、今でも評価はあまりよくない。
米兵によるレイプ事件が起きた際、「朝の3時ごろまで、盛り場でうろうろしている未成年もどうかと思う」
という発言をやらかしたせいで、当時この人はずいぶん叩かれたようだ。
しかし、そこまで責められなきゃいけないことだろうか?
当たり前だが、夜中に盛り場をうろついている未成年はレイプしてよろしい、とは誰も言っていない。
未成年が真夜中に盛り場でうろついているという、わずか1%ほどの落ち度を指摘するだけで、
まるで全責任を負わせようとしているかのごとく非難されるのだ。これはいったいどういうことだろう。
まともな親なら、子供が遊びに行く時、「暗くなる前に帰ってきなさいよ」ぐらいは言うはずだ。
ところが、あるケースにおいて、その当たり前のことを言うのが許されなくなる。
若い女が被害者だった場合に限って、とにかくその女は何があろうと責めるべきではない、
というタテマエが突如として現れるのだ。
他ならこうはいかない。
中東で捕まった人がいた時には、自己責任だの税金の無駄だの散々言われたものだ。
首を切られてもバッシングがやまなかった。
殺人事件の被害者が、そうなるに至った経緯について、ことごとく晒されるということも珍しくない。
サラリーマン生活ですっかり忘れていたが今問題になっている広研に入っていた。
悪さはしなかった。それなりに規律があったので報道を見ていると正直違和感がある。
今は変わってしまったのかもしれない。あのころは楽しかった。多少派手な奴もいたが普通の学生の範疇だったと思う。
マスコミから写真を抜かれるのでFBからステータスを消せというローカルな連絡だけ来る。
特に電通はえぐい苛めの話をよく聞いた。だが、そのうち給料も上がって仕事も楽になる。辞めはしないんだろうなと思って聞いていた。あいつらはそれなりに勝ち組だった。
世の中の比率はわからないが、たいした数でもないサークルの同期はすでに二人自死している。心を壊して行方知れずになった奴もいる。
だが、生まれつきなのかなんなのかとんでもなくタフな奴もいる。普通に死ぬほど仕事して、実家の仕事手伝って、更に同期もまとめて、子供三人とか。
まあ、自分は第一線で働いている奴らからすると、取るに足りない仕事をしている。それしかできなかった。
格差が激しいのが空しくなりもう何年も誰とも会っていない。
最近分相応という言葉をよく考える。人間を生き物だと思う。晒されるプレッシャーに耐えられる奴だけが、場を与えられて、生き残っていくのだろう。