志摩市の海女の萌えキャラ騒動は個人的には全く興味がなかったので全然経緯とか追ってないんだけど、そういえば新潟県粟島の「泡姫ちゃん」ってゆるキャラが騒ぎになったよね。
一瞬ネットで大騒ぎになったけどすぐに下火になっちゃったから、検索するとその時の記事ばかりが出てくる。ちょうど2年前だったんですね。
もともと自治体の公式キャラじゃないから新潟県や粟島のサイトには載っていないし、温泉施設の公式サイトも無いようなので、まだ現役なのかどうかも分からない。
便りがないのは元気な証拠っていうけど、少なくとも表向き変な団体に目をつけられたりした気配もなさそうではあるけど。
誰か知ってる人いないかな。
元々のオタクたち(G'sの頃からの)から大変に評判の悪いアニメ以降からラブライブが世間的に爆発的に人気を集めたことから考えれば、元々のオタク向けのコンテンツをバッサリ捨てたことが商業的成功の理由ってことじゃあないかと思うんだけど。
要するに元祖ラブライブヲタに気を使って作ってたコンテンツは商業的に価値がなかったってことなんだからそのあたり謙虚に受け止めてもらいたいねえ。
(アテスウェ)
フランス語で「君の願いに(君の願いがかないますように)」という意味。
目上の人や初対面の人の時などは、「A vos souhaits(アヴォスウェ)(あなたの願いに、という意味)」と言う。
ちなみに二回くしゃみをした相手には、
「A tes amours ![発音:ア テ ザムーゥ”](恋愛が上手く行くように、という意味)」と言う。
言われたほうは決まって「Merci !(ありがとう!)」と返します。
ラブライブは企画発表当初(2010年当時)「これキャラが相互に被ってるだろ、もっと人数減らしてもいいんじゃね?」ってのは大概の奴が思ったはず。
勿論1学年3人x3ってことで9人か、ってのは即座にわかるとしても。
……自分は「G’sの企画なのになんで12人じゃねぇんだよ」と思ったけども。
犯罪被害に会ったが被害届を拒否(犯罪の事実自体は事細かに報告した)された。
ここまではよくある話で、
で、タイトルの件について。
大なり小なり負担を強いられる。
次に費用。
傷害治療費はもちろんだが、傷害を受けなくても
これが薬合わせて5千円前後でそれなりにかかる。
月に四回行けば2万だ。
社会人にとってストレスによる胃痛、不眠、体調不良は死活問題である。
自分の場合は親しい人間が似た被害に合っていたので抑えることができたが、
カウンセリングと投薬を受けずに居たらと思うと
ゾッとする。
俺は最初、
という気持ちでいた。と思っていた。
違うのだ。
「自分を軽んじた相手が憎い。
警察に行きたいが、
被害者ぶるのは恥ずかしいし惨めだ。
信じてくれるかもわからない。
あくまで傷ついていないふり、
内心ではかなり腹が立っていたし、悲しかったが
「お前が来るのが遅かった。捜査は乗り気じゃない。起訴も無理。相手を呼ぶから対面で謝罪してもらえ」
との対応。
同時に、国家の力がここまでなら、
要は証拠が残らなければ罰されないのだ。
要は警察が動かなければ罰されないのだ。
要はバレなきゃ罰されないのだ。
要はバレなきゃ犯罪はなかった事にできるし、
相手が虚偽の被害者をしているという事にもできる。
法律で許される範囲で被害を訴え国家の力による処罰を願い出ていた。
カウンセリングをしてもこの経験は一生引きずるし思い出しては苦しむだろう。
そもそもカウンセリング料も民事訴訟費も時間も被害者の自分が負担しなければならない。
時間も金がなければどうしたらいい?
それ以外に犯罪被害者が救われる道はない。
自分はそう思った。
相手が呑気に生きているという心的ストレスを取り除けるなら
これほど価値のある事はない」
と思っている。
もちろん法律を犯すのはよくない。
犯罪被害に会ったが被害届を拒否(犯罪の事実自体は事細かに報告した)された。
ここまではよくある話で、
で、タイトルの件について。
大なり小なり負担を強いられる。
次に費用。
傷害治療費はもちろんだが、傷害を受けなくても
これが薬合わせて5千円前後でそれなりにかかる。
月に四回行けば2万だ。
社会人にとってストレスによる胃痛、不眠、体調不良は死活問題である。
自分の場合は親しい人間が似た被害に合っていたので抑えることができたが、
カウンセリングと投薬を受けずに居たらと思うと
ゾッとする。
俺は最初、
という気持ちでいた。と思っていた。
違うのだ。
「自分を軽んじた相手が憎い。
警察に行きたいが、
被害者ぶるのは恥ずかしいし惨めだ。
信じてくれるかもわからない。
あくまで傷ついていないふり、
内心ではかなり腹が立っていたし、悲しかったが
「お前が来るのが遅かった。捜査は乗り気じゃない。起訴も無理。相手を呼ぶから対面で謝罪してもらえ」
との対応。
同時に、国家の力がここまでなら、
要は証拠が残らなければ罰されないのだ。
要は警察が動かなければ罰されないのだ。
要はバレなきゃ罰されないのだ。
要はバレなきゃ犯罪はなかった事にできるし、
相手が虚偽の被害者をしているという事にもできる。
法律で許される範囲で被害を訴え国家の力による処罰を願い出ていた。
カウンセリングをしてもこの経験は一生引きずるし思い出しては苦しむだろう。
そもそもカウンセリング料も民事訴訟費も時間も被害者の自分が負担しなければならない。
時間も金がなければどうしたらいい?
それ以外に犯罪被害者が救われる道はない。
自分はそう思った。
相手が呑気に生きているという心的ストレスを取り除けるなら
これほど価値のある事はない」
と思っている。
もちろん法律を犯すのはよくない。
それ、紙の小説の話でしょ?
こういう時、偉大な増田の先人は
「まともな人間なら普通に俺の言っていることが理解できるはずなんだが、たまたま俺がこれまで会った人間が全員バカだっただけ」
と説いてジレンマを解決した
とりあえず男オタっていう言い方はやめたほうがいいぞ。
ガンオタとか全くアイマスにもラブライブにも興味がなくてひらすら引きこもってガンプラの箱積み上げてるやつもいるし、
なにしろラブライブはオタクという定義からはみ出しそうなDQNも存在するから男オタという定義ではいささか主張が通らなくなる。
もっと限定的にアイマス信者とかラブライバーとかターゲットを絞って書くべき、
じゃないと内容が面白かったとしても反感を買う要素があれば☆の獲得は難しい。
バカ嫌いと賢しら嫌いがメタブで大乱闘スマッシュブラザーズ
ハーレクインはあれ50代とかのおばさんが読む本でっせ
よくわからんけどスパコンとかって要は戦艦大和みたいな一点豪華主義なんじゃないの?それよりはAWSみたいに安いハードをたくさんつかってクラウドでたくさんのコンピューターを動かしたほうが賢い選択なんじゃないの?
もしリアルで認められず、はてなでも誰も真意を読み取れない存在だとしたら、それはキミのほうが常軌を逸したキチガイという可能性が高まるんだけど。
子供がいる奴にとっては何も苦しくないが?
発達障害者の処世術 http://anond.hatelabo.jp/20151101094059
このコピペに結構反応があるようなので、自分なりに構築したもう少し詳しい処世術について書いてみたい。
ここは同じ。厳密に言うと、定型発達者の生き方を見習ってはいけないということ。
幸せそうに見える彼らと同質の生き方ができる解の存在を信じないこと。存在しないかもしれないから。
尖ったところ凹んだところに合わせて、オーダーメイドでより生きやすい形を模索しないといけない。
以下も自分の歪み方や歪みの大きさに合わせた戦略なので、他の人にどれだけ参考になるかはわからない。
対人関係は勘に任せて動くと必ず失敗する。
ただ、社会生活をしてるとどこかで避けられない交流を強制されるので、その時点で無策なのが一番まずい。
匿名で適度に炎上しておいたり、状況として許されそうな時はややリスキーな選択肢を取っておいた方が学習が捗る。
一部のこだわりの対象以外はどんどん忘れていくので全部メモしておく。
特に転んだ結果と把握したタブー、その対処法は確実に保存しておくこと。
自分の歪みに合わせたマニュアルは自分しか作れないので外の言説を鵜呑みにしないこと。
こだわりの対象に関連のある技術や知識が要求される職に就いて、能力如何で生存が決まるような業界に居着くこと。
間違っても人柄がどうのコミュニケーション能力がどうので命運が左右されるような業界を選んではいけない。
特にアスペの場合は瞬間的な話し言葉の送受信に欠陥がある場合が多く、これは定形発達者と同じ土俵で戦う際に著しい困難を伴う。
われわれに限った話ではないけど、発達障害者は特に、家族友人その他どんな相手にも本音を漏らすべきではない。
医療関係者は除く。元増田みたいにネットの掲示板(匿名に限る)で放言するならよい。
ただ、隠し続けた結果自分の本音が分からなくなるとアイデンティティが危うくなって混乱してくる。
抱えている障害の程度によるが、障害者レッテルを受け入れるかどうかは真剣に考えた方がいい。
障害を自称した時点で、対人関係の大部分はマウンティングされることが前提になるので周囲の善意に期待するしかなくなる。
流されていった先に安穏と暮らせる場があるならいいが、無かったら詰みである。
得意なこと以外は実年齢マイナス5歳ぐらいの相手と張り合うのが精一杯で、これは恐らくどうにもならない。
比較して自分の状況を確かめるのはいいにしても、追いつこうとして実現不可能な努力をし始めるとまずい。
指示助言を受けたら一度飲み込んで咀嚼して処理可能な形に変換してから実行すること。
彼らの実行可能領域と自分の実行可能領域は異なることを自覚すること。
何もかもまず批判的に受け取る。結果的にそれがお互いのためになる。当然この本音は外に出さない。
ろくなことにならない。例え同一ラベルの障害を持つ人を模範にしても上手く行かない。
定型のスタイルがベースで、発達障害者はそこからずれた生き物。
それぞれの発達障害者は三々五々に異なるベクトルでずれていて、同じずれ方をする確率は低い。
われわれの孤独はこのようにして生じているので、同質の何かとは滅多に巡り会えないのだと知るべき。