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はてなキーワード: 2006年とは

2008-09-14

http://d.hatena.ne.jp/sjs7/20080911/1221134623

君の過去を振り返り、出会わなければ良かった人がいるだろうか。いなければ幸運だ。

不運にも出会ってしまったとしたら、どうしたらいいのだろうか。

id:sjs7氏は 真性のネットストーカーから脅迫を受けるという、大変な災厄に見舞われた。

過去事情を知らない人は sjs7が軽率な発言をするからだと気安く言うが、ネットで発言したり、

オフ会大好きでよく参加する人ならば誰にでも起こりえることだ。

ネットストーカーは最初はねこをかぶっているから相手に気づかれない。

気がついた時は もう手遅れだ。

パソコンの画面越しに君に欲情し一方的に妄想をつのらせた不審者が 君の学校職場、自宅に

押し掛けたり、電話攻撃をしかけてくる恐怖を想像してみろ。

id:sjs7を非難している奴ら皆人でなしだ。それは 明日の君らの姿かもしれない。

問題の脅迫

http://d.hatena.ne.jp/syujisumeragi/20080911/1221132044

おそるべきスメラギのストーカーっぷり(本人?写真有)→

http://d.hatena.ne.jp/syujisumeragi/200603

ネットストーカー被害者これまでの経緯→

http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20060328/p1  

http://d.hatena.ne.jp/otsune/20060330/rir6   

id:syujisumeragiのダイアリ、2006年3月下旬

読んでもらえばわかるが、不審者は オフ会をハッテン場代わりに

好みの男を物色し、これぞと思った男につきまとう同性愛ストーカーだ。

sjs7もかねてから付け狙われていたのである。

エントリーに落ち度があったのではない。

不審者は言いがかりをつけるチャンスを狙っていたのだ。

はてな、は 悪質な不審者を野放しにしてよいのか?

サイト運営として、ユーザーに実害が及んでいる事案になんら対策もないのか?

ただの当事者同士の言い争いの次元ではなく、平穏な生活に暴徒がのりこもうと

脅迫を続けている現実を許すのか?

昨日、はてな、に id:syujisumeragiの件について報告し抗議した。

安全にはてなを楽しむために

id:syujisumeragiの件について はてなの対策を求めましょう。

問い合わせフォーム

http://www.hatena.ne.jp/faq/q?c=13

2008-09-11

バンナムのTOVの戦略はかなり無理してる気がする

「ひとつの転換期を迎えないといけないのかな」(郷田)――Xbox 360テイルズ オブ ヴェスペリア』の開発秘話

http://www.famitsu.com/game/news/1217975_1124.html

このとき、「国内ではまだ十分に普及していなかったXbox 360向けにソフトを作るとなると、販売本数に限界があるし、スタッフモチベーションを上げるのが難しい。どうしたらいいか?」と郷田氏は悩んだ。が、Xbox 360海外での好況を考慮すると、海外も含めて展開すればビジネスとして成功する」と皆を説得した

※太字部分は引用者によるもの

これ、かなーり無理してる気がする。

バンダイナムコゲームス、「テイルズ オブ」シリーズ

世界累計販売本数1,000万本を突破

http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20071211/tales.htm

株式会社バンダイナムコゲームスは、同社の「テイルズ オブ」シリーズの販売本数が、12月6日をもって、全世界累計で1,000万本突破したと発表した。地域ごとの販売本数比率は、日本国内87%、北米8%、欧州3%、アジア2%

※太字部分は引用者によるもの

過去作品の売り上げの9割弱が国内供給で占められているんだよね。つまり日本以外では12年間、20タイトル出して合計130万本しか売れてない状況下で「海外も含めて展開すれば」というのは説得材料としてはかなり厳しい気が。しかもそのうち200万本強が携帯機のリメイクだし。

http://www.famitsu.com/game/news/1217975_1124.html

テイルズ オブ ヴェスペリア』立ち上げの詳細ついて語ったのは樋口氏。まだプラットフォームが決まっていない当時、『テイルズ オブ ジ アビス』がビジネスとして好調だったため、社内で「次回作プレイステーション2で」という話になったという。

※太字部分は引用者によるもの

アビス」の発売日が2005年12月だから、これが好調な時期となれば2006年初頭を指すと思われるんだけれども、この頃の国内のXbox360の販売台数って10万台をやっと越えた程度だったはず。北米では既に150万台程度売れてたわけだけれども、あれだけ北米でも普及しきったPS2GCで出した8本の全世界累計販売本数は500万本弱で、そのうち大半が日本での販売なのを考えると、一タイトルあたりの国外での販売本数は好調とは言い難い数字だったはず。何を根拠に「ビジネスとして成功する」と樋口氏は確信に至ったのだろうか。よほど開発が低コストで済みそうだったのか、国内市場を諦めても補って余りある売り上げを国外で確保できる内容にする予定だったのか。もしその答えが例のDLC商法なのだとしたらちょっと悲しすぎる。

多分、業界内(特にバンナム内部で)この開発秘話を額面通りに受け取ってる人は少ないんじゃないだろうか。国内販売が売り上げの大半を占める自社の看板タイトルなのに、国内でも最も普及していないハードで出さざるを得なかった「何か」があったのではないかと邪推せずにはいられない。

テイルズシリーズファンサイトやってる身としては、こういう事を迂闊に自分のブログに書けないのは辛い。特にTOVはもっと売れてもいいはずなんだけど。

追記

テイルズ オブ ヴェスペリア特集 第二十一回

http://www.famitsu.com/blog/jamzy/2008/09/tov_021.html

写真右、ご存じ樋口さん。

基調講演もこのジャージ姿でやったった、と僕に言います。

ひどい!ガッチリスーツで行ったのにっ!!それはさておきw

「売れた数じゃないんですよ、TOVは。魂が伝われば良いんです。」

とこのパーティーから四次会の席でもずっと言ってました。

無理しすぎだろ…。

2008-09-10

つまるところ問題ないのか、もうだめぽなのか

帰宅途中NHKラジオ聞いてたら汚染米の話してて、そもそもなんでそんなお米輸入したのかという話してた。

で、農水省が言うには、輸入したのは2003年、保管してたら食品の安全基準が厳しくなって食用米として売れなくなったので

工業用として2006年に売っぱらったらしい。

でも、それって2003年頃は食用として通用する米だったって事だよね。

カビはどのタイミングで生えたのかよくわからないけど、少なくとも農薬に関しては輸入されたときから含まれていたわけで

今更こんな騒いだところで、すでに数年前まで普通に口に入れてたんじゃないかとかなんか思ったんだけど、その辺番組内で触れなかった。どうなんだ。

2008-09-02

公明党創価学会基礎知識2008

日本第3の政党であり自公連立政権を8年以上続けてきた公明党。そしてそれを支える創価学会。決してタブーではないはずなのに、この両者の歴史を語った本やサイトは少数。しかし有権者ならしっておくべき、必要最小限の知識をまとめてみました。

1ページ目 【創価学会の成立と発展】

創価学会の成立と迫害

創価学会は、昭和初期に教育者であった牧口常三郎が「創価教育学会」として創設したものが母体になっています。つまり、創価学会は当初、教育団体だったわけで、なんだか宗教ぽくない名前になっているのは、そのためです。

しかし牧口はその後、日蓮宗のなかの一宗派・日蓮正宗(しょうしゅう)と出会い感化され、その後次第に組織宗教化をすすめていきます(後述しますが、現在日蓮正宗創価学会関係はありません)。

そして牧口は「創価学会」の初代会長として、宗教団体としての創価学会の活動をはじめるわけですが、戦時中はこうした新興宗教などは徹底的に弾圧された時期で、創価学会もその例外ではありませんでした。

戦時中宗教弾圧は単に天皇制に背くものだけが対象ではありませんでした。むしろ天皇制原理主義のような宗教危険視されていました。宗教ではありませんが、やはり日蓮宗信者で、極端な天皇主義(天皇の他は万人平等)などを唱えた北一輝は、「2・26事件」の精神指導者として処刑されてしまうわけです。

いずれにせよ、政治実験を握り社会をすみずみまで統制しようとする軍部にとって「新興宗教」は邪魔存在以外の何者でもなく、強力な弾圧対象となったのでした。

このような世情のなか1943年に牧口ら学会幹部は逮捕起訴され、牧口は翌年に獄死します。この弾圧が、結果的に[天皇制ファシズム軍国主義反対→平和主義]という創価学会の主張を作ったと言っていいでしょう。このことは、今の創価学会公明党を知るうえでも重要なことです(新テロ対策特措法再可決に消極的なところなど)。

創価学会の発展

戦後民主化にともない、創価学会は復活します。その会長となったのが、牧口とともに捕らえられていた、戦前学会ナンバー2、戸田城聖でした。そして、彼のもとで、学会は飛躍的に発展することになります。

戸田は敗戦後学会組織の再建に努め1951年に2代会長に就任します。そのとき彼が呼び掛けたのが、「折伏(しゃくぶく)大行進」でした。

折伏というのはもともと日蓮宗の教義で、他宗派を攻撃し、人々を法華経に帰依させることをいいます。戸田は、まだまだ数百人しかいない学会を大きくするため、「75万世折伏」を実行するよう呼び掛けます。

とほうもないように見えた計画でしたが、戸田1958年に死去したときにはすでに百万世帯が学会に入っていました。東京五輪の年には公称5百万世帯です。

強引で悪評もたった(その後、学会自身も公的に反省することになる)「折伏」の姿勢が、学会拡大の1つの要因ではあるでしょう。しかしもう1つの要因は、高度成長につれて起こった日本人口構造の転換に求めることができます。

農村から若者たちが働くためにやってきて、都市が一気に過密化していったのが高度成長時代の、特に前半期の人口構造変化の特徴です。もっとも現代のように大学に入るために上京してくる若者たちと違って、就職のために上京してきた彼らには大学のような受け皿になるコミュニティがありません。

そんな彼らの孤独の中に入っていったのが創価学会と、もう1つは共産党でした。この両者が今でも都市を中心にした基盤を持っているのはこういった側面からも理解できます。いずれにせよ、こうして学会はそういった人々の「都市砂漠のなかのオアシス」となり、都会に流入していった人々をしっかり取り込んでいったのでした。

学会の国政進出はじまる

こうして創価学会に多数の会員が集まると、会長戸田はまず1955年統一地方選挙に候補を擁立、選挙活動を始めます。これで一定の成果をあげると、翌年の参院選にも参戦、学会推薦議員を3名当選させます。59年の参院選では当選は倍の6名へと急進しました。

これが後の公明党になるわけですが、なぜ戸田政治に活動の場をもとめたのでしょうか。1つの背景として、日蓮宗開祖日蓮もまた、政治に対する主張をしていった、そういう歴史的なものがあるでしょう。しかし、いくつもある日蓮宗諸団体のなかで、国会議員を自力で擁立したのは創価学会だけです。

2ページ目 【公明党の結党と田中派への接近】

社会的地位向上を狙った国政進出?

1955 年からの高度経済成長は、学会員たちにもとうぜん恩恵をもたらしました。豊かになった彼らとしては、次に社会的地位がほしいと思うわけです。学会員社会的地位の向上、それを示す手っ取り早い方法が「学会議員」を作ることだったのではないかとガイドは考えています。

折しも創価学会は特に左翼革新勢力から「折伏(しゃくぶく)大行進」に対する非難を浴びていた時期でもあります。左翼革新勢力が大きな力を持っていた時代、学会学会員社会的地位を向上させることは、そういう意味でも大きな目標だったのかもしれません。

いろいろ言われているように、戸田国立戒壇、要するに僧侶日蓮正宗の戒律を授ける場所を国に設けようとか、あるいは日蓮正宗の国教化とか、ここまでのことをどこまで「本気で」思っていたかどうかはわかりません(国立戒壇設置はしばらく主張するのですが)。

公明党誕生池田会長の就任

しかし戸田学会の政界進出がはじまった矢先に死去します。しかし、学会の政界進出はさらに続きます。1961年には公明政治連盟が設立され、さらに 1964年には公明党が結成されました。そして1967年衆院総選挙で25議席を獲得して第4政党としての勢力を誇るまでにいたるのです。

この間、会長池田大作に変わりました(1960年)。池田は、57年の参院選公職選挙法違反にあたる戸別訪問をするように学会員に指示したとされ、逮捕されていますが、下された司法判断は無罪判決でした。

この一連の出来事、特に投獄→信念を曲げず無罪獲得、というストーリーによって彼のカリスマ性が高まったことは否定できません。そのためなのか、彼はかなりの若さ頭角を現わすことになったのです。池田会長就任は実に32歳の時です。

そして公明党と学会はさらに勢いを増し、69年の総選挙では衆院議席を47議席にまで増やし、さらには雑誌『潮』『第三文明』を立ち上げたり、「民音民主音楽協会)」をつくってここを拠点に多数の芸能人を送りだしました。学校法人も作り、大学まで設立します。

こうして創価学会公明党は、その社会的地位の向上という目標を十二分に実現するのでした。

言論弾圧事件」と自民への接近

公明党の利害は自民党の、特に主要派閥である田中派との利害と一致し、連携が始まった。

しかし1969年公明党は1つの岐路を迎えます。それは、明治大学教授(当時)・藤原弘達が書いた『創価学会を斬る』の刊行を、公明党が妨害しようとして、逆に藤原に暴露された、いわゆる「言論弾圧事件」です。

このとき活躍したのが、当時自民党幹事長だった田中角栄です。このことは、その後のNHKの討論番組でも「よけいなおせっかいをしました」と事実上本当であることを認めています。

自民党は、1960年代を通じて絶対安定多数の議席を維持していましたが、実のところ得票率はゆるやかに低下していました(1960 年:41.9%→1969年:32.3%)。なかでも所得の高くない都市労働者市民たちの支持獲得はうまくいっていませんでした。彼らは、公明党共産党の強力な支持層でした(社会党の支持者は移ろいやすい「無党派層」のさきがけ的な人たちが多かったのです)。

さて、田中角栄は地方への「利益誘導政治を形作った人です。つまり、農村を基盤とした地方に、中央から予算などをつけることによって、地方を豊かにしていく。地方はその見返りに、田中派などの自民党議員に票を集める。今でも批判されているこの図式を確立したのが田中です。

もともと、学会員たちの多くは地方出身なわけで、彼らの生まれ故郷を豊かにしてくれる自民党田中派と、自身の都会での生活を豊かにしてくれる公明党とは結びつく存在になる。……こうして、いつのまにか田中派公明党学会関係が補完関係になり、親密さを増していた。それを明らかにすることになったのも田中が介入した「言論弾圧事件」だったといえるでしょう。

また1972年には、竹入義勝・公明党委員長首相となった田中の依頼を受けて訪中田中訪中日中国交正常化の地ならしを行っています。

学会公明党の「政教分離

さて、「事件」でバッシングされた公明党創価学会は、大きなショックを受けます。池田会長は「お詫び」をし、学会公明党のいわゆる「政経分離」を宣言・実行しますが、それでも公明党は72年総選挙議席を半数近くまで落とします。

もちろん公明党創価学会は「国立戒壇設置」なる政策を降ろさざるを得なくなり、池田の政界入りも閉ざされ、池田創価学会はこれ以降ひたすら、外部に対してはとにかく低姿勢で臨むようになります。実際、今日池田大作という人は雑誌などを見る限りでは極めて穏やかな宗教家です。

また、どういうわけか創価学会はライバルであった共産党との結びつきを強めます。いわゆる「創共10年協定」というもので、これは公明党幹部にとっても実に寝耳に水の話でした。

学会共産党支持基盤を奪い合うライバルであったわけですが、戦時中ファシズムの中でともに弾圧され構成員が獄中にあったという共通する過去も持っていたわけです。これに目をつけたのが作家松本清張で、彼は池田宮本顕治共産党委員長を引き合わせ、この学会共産党の「同盟」を実現させたのでした。

もっとも、自民接近を行っていた公明党はこれに反発。ここに「政教分離」をし自立しようとする公明党の姿があります。しかし、結局は学会の意向を無視することができませんでした。公明党学会なしには存在し得なかったからかもしれません。

また70年代は「革新の時代」といわれるほど革新勢力の力が強かった時代。公明党ではむしろ自分たちの軸足を「保守中道」から「革新中道」に移した方が得策、との考えが広がり、結局はこの協定を許すことになるのです。

結局、これで公明党イメージ向上に成功したのか、76年総選挙で失った議席をとりもどします。反面、共産党には余り効果がなかったらしく議席を落としています。

結局、この共闘は公明党には効果があったものの、共産党には特に利がなく、結局公明党顧問弁護士宮本委員長宅を盗聴した事件があり、もともと共産党が早くからこの協定を反故にしようとしたこともあったため、この協定は終わりを告げます。以後は現在に至るまで、公明党共産党は、逆に犬猿の仲になってしまっています。

3ページ目 【自公連立への道と創価学会

公明党与党

新進党を挟んでの公明党の分解と合流の流れ。実際には公明党新進党の前に短期間だけ「公明新党」が存在する。

1970年代末から1980年代初頭にかけて、社会党を中心とする、あるいは公明党を軸とする連合政権構想が浮上するようになりました。しかし、それが実現することはありませんでした。

1992 年、公明党民社党社会党議員総辞職願いまで出して反対したPKO協力法を支持、自民党への接近を図ります。平和主義をうたっていた公明党がこれに協力したのは、当時の自民党田中派の系譜を継ぐ竹下派であったからでしょうか(もっとも公明党がPKF(平和維持軍)参加に消極的だったため、2001年まで自衛隊のPKF参加はできないようになっていました)。

また1980年代から地方議会でも公明党都市部を中心に勢力を広げ、地方政治与党の一員として存在感を増すようにもなっていきます。こうして公明党連立政権は作らなかったものの、与党的な存在になっていったのです。

公明党与党化は、1988年に2人の公明党国会議員が受託収賄罪で逮捕起訴されたことにも現れています。与党的な位置にいるからこそ、このように収賄逮捕される国会議員も出てしまったといえます。

もっともこの不祥事には創価学会学会員もそうとう反発をしたようで、それが響いたのか、公明党国会勢力は1989年参院選では前回比1議席減、1990年衆院選では11議席減となっています。

公明党の連立参加と「新進党参加」

1993 年、総選挙自民党過半数割れすると、公明党は非自民・非共産連立政権である細川内閣に加わります。しかし、創価学会がこのあたりをどう考えていたか、詳しいことはわかりませんし、考える暇もなかったのかもしれません。それくらいこの連立政権は短期間で崩壊してしまいました。

その後、公明党小沢一郎らが中心になって設立された新進党に「参加」します(1994年)。カギカッコ付きで述べたのは、公明党の地方議員参議院議員1995年選挙で改選されない議員たちが別に「公明」という政党を作り、新進党に参加しなかったからです。

結果、学会員ら旧公明党支持者は、旧公明党以外の新進党議員を熱心に支持しませんでした。そして旧公明党勢力も自民党と敵対することに躊躇(ちゅうちょ)をしていました。そのため結局「公明」の新進党への合流が不可能になり、新進党は解党しました。

その後、旧公明党衆院議員は「新党平和」を、参院議員は「黎明クラブ」を経て「公明」に合流、やがて「新党平和」も合流し「新公明党」つまり現在公明党誕生することになります。

公明党誕生自公連立

新進党当時の公明勢力はバラバラになったこともあり、一部では路線対立や学会との距離などもできていたようですが、新しい公明党誕生により学会との距離も元通りになり、両者の間で自民との連携が確認されたようです。

こうして小渕内閣(小渕首相田中派を源流)のとき、公明党自民党と本格的に連携地域振興券の実現を成功させます。さらに自民・自由の連立政権に正式参加、自由党が連立離脱すると、(自由党の分派・保守党2003年まで連立政権に参加していましたが)事実上自公連立政権スタートすることになります。

そんななかで小泉政権が発足。公明党小泉ブームに乗りながら一方で社会保障などに力を入れ、特に年金改革ではその中心となり国民政権担当能力を見せつけています。そして今日まで連立与党として8年以上の実績を積み上げてきました。

しかし、公明党としてさらなる勢力拡大という路線をとる気配はありません。あくまでも現状維持。二大政党化していくなかで、公称800万世帯を誇る創価学会母体にして、政界のキャスティングボードを握ることに徹していこうとしているのでしょうか。

また先のページで述べた「地方:自民都心公明」という連携の図式も、大都市の地方出身者割合が減少していくことによって、徐々に変化せざるを得ないでしょう。そのようななか、とりあえずは新テロ対策特措法延長をめぐって、その衆院再可決による通過を「平和主義」の観点から渋る公明党の動きが注目されます。果たしてそれでも自公なのか、それとも離反なのか……。

これからの創価学会公明党

微妙になりはじめた自公連立公明党はどのように動き、創価学会はそれを支持するか……。

この間、創価学会会長だった池田1979年日蓮正宗との紛争の責任をとって辞任し、名誉会長に就任しています(2008年8月現在会長原田稔/日蓮正宗とはその後1990年に決別)。しかし、実際には今でも池田名誉会長創価学会の最高実力者であることは、さまざまな学会系の雑誌新聞などをみても明らかです。

政教分離」をした今、創価学会公明党のあくまで主要な支持母体の1つ。非学会員公明党公明党候補に投票することももちろんあります。言われているように学会、特に池田名誉会長の指示1つで党が動くのかどうか、実際のところそれはわかりません。

ただ言えることは、公明党にとって創価学会は頼みの綱、必要な存在だけれども、創価学会にとっての公明党はどうなのかということです。学会壮年部長読売新聞の取材に対して「公明党を基軸にしながらそれ以外でもいい議員さんは応援するという人物本位」ということを述べている(2006年4月29日号)ことは注目に値します。学会公明党以外の政党とも手を組む可能性を模索しているのかもしれません。

公明党はこれからも創価学会の支持をいかにとりつけるか、個々の国会議員学会員の支持をどのように得るかが課題となっていくのではないかというのがガイドの考えです。創価学会公明党なしでもやっていけるが、公明党創価学会なしにはやっていけないわけですから。

さて2008年池田名誉会長は80歳を迎えました。彼に後継者はいないといわれています。長男の池田博正・創価学会理事長がいますが、池田名誉会長や幹部は世襲に反対しているとも言われています。その一方で待望論もあるようですが……。

いずれにせよ現在創価学会組織力は一見「宗教官僚」ともいわれるほど強固なものとなっていますが、「その後」の創価学会は、そのままなのか、それとも急激に変化していくのでしょうか。その予想は非常に難解だといわざるをえません。

人名について一部敬称略とさせていただきました。

参考書籍サイト

SOKAnet:創価学会公式ホームページ http://www.sokanet.jp/sg/sn/index.html

2008-08-06

http://anond.hatelabo.jp/20080806182302

うーん、ちゃんと見ている人は見ているよ・・・。

2006年の事件発生直後に、既にこういう認識を持った官僚の方も居るわけで。

http://bewaad.sakura.ne.jp/20061018.html#p01

(まあ、このBlog主が理系文系出身かまでは存じ上げないのだけど、一般に官僚といえば文系の悪の権化・・・とみなす人が多いよね)

文系理系っていう区分で相手を叩くやり方が藁人形になっていないか、ということは文系理系の双方が真剣に考える必要があると思う。何でもかんでも敵視しなくたっていいと思うんだ。

まあそれはともかく、ネトウヨに誇りを持ってやっているつうのは結構な話だなあ(いや、嫌味とかでなくマジで)。

自分自身の誇りを汚さない対応の出来るネトウヨ尊敬するよ。たとえ意見が合わなかったとしても。

2008-08-05

ビジネスショウ廃れすぎ!!

http://anond.hatelabo.jp/20080805111614

ビビった。

ビジネスショー2008 7/16-18 3日間合計 10,750人@3500人

すごく関係ないレスでごめん。ここに反応した。

いくらなんでもビジネスショウで来場者数1万人は嘘だろ!とおもった。

桁間違いだろとおもった。

来場者数3500人のイベントビックサイトはないだろ!

ふつうに出店関係者だけで1万人いくだろ!?

・・・と、思ったのだがどうやら、本当のようだ。

http://bs.noma.or.jp/step/step.html

開催年度期間出展社来場者テーマ
2008年3日不明10,750人時代が求めるマネジメントの新創造
2007年3日134社31,110人u-ビジネス創発
2006年3日251社64,700人見える!未来戦略
2005年3日279社170,700人見える!未来戦略
2004年4日276社243,000人ビジネスルネッサンス??新しい価値創造の実現
2003年4日375社366,200人ビジネスソリューション??経営未来力の発信
2002年4日494社360,200人ブロードバンド時代に飛躍するビジネス社会
2001年4日600社390,900人21世紀 ― ITが創るビジネスと生活
2000年4日628社400,600人IT革命が拓くビジネス未来

2008年ホームページトップより引用


100社ぐらい出展してて日3200人とか1ブースあたり30人ぐらいの集客

つまりほとんどブースが自分で呼んだお客さんしかきてない。

ほんの数年前まで来場者数3、40万人なのに・・・。

130社でてて来場社数3万人・・・。

こりゃ・・・もうだめだろ。

ずっと5月にやってたイベントを7月にやりだしたからか??

それとも日本企業がそこまでヤバイのだろうか。

来場者数3万人って、ビジネスショウ50年まえの来場者数よりすくない!!

来場者数1万人って、出展者数が12社だったときの9000人とほぼ同等。

どんだけ集客に失敗してるんだ!!?

主催者かなんかがかわったのだろうか?

東京商工会議所のままだ・・・。

・・・。

商工会・・・。

うちの近く(都内)の商工会は脱退者数がすごい&新規加入がなくて、

確か半数を割ると行政の補助がでなくなるとかで割りそうだってんで必死こいてたけど・・・。

商工会の時代がひとつ終わったのだろうか。



あと、エスカレーターの話題。

ビックサイト以上の酷使をされているエスカレーターとしては東京駅中央線のところとかあるぞ。たぶん。

距離的にも長いし。

FF13開発にかかってる手間を考えてみた

とりあえず時系列で並べてみた。

2005年5月
SCEIが、PS3ソフト開発環境について複数の海外企業との提携を発表(プレスリリース)。
2005年10月
SCEI、PS3向け開発環境提供開始
2006年3月
「ゲームが開発できない」PS3の本当の問題【コラム】
そもそもプログラムを開発する上で必要なPS3用のコンパイラ最近まで提供されてこなかったのだ。
そこで、昨年11月から、「セル」の製造元であるIBM自体が、状況の改善のために、開発支援環境の提供に乗りだしてきた。「セル」向けに最適化されたコンパイラが今月からやっと提供される。
2006年5月
スクエニFF13プロジェクト発表(プレスリリース)。
2006年9月
東京ゲームショー2006にてトレーラー公開
2006年11月
PS3発売。
2008年7月
FF13海外ではXbox360版も発売決定
2009年3月
FF13体験版同梱のBDFF7AC発売予定
2009年9月
PS3FF13(日本語版のみ)発売予定。

スクエニが実際いつ頃からPS3用の開発環境を導入したのかについては不明だが、MGS4の古い情報からある程度「上限」を推測出来ると思う。開発環境提供開始の直前のニュースにこんなものがある(太字部分は引用者注)。

「東京ゲームショウ2005」コナミブースレポート 全世界初の「METAL GEAR SOLID 4 (仮)」実機映像を公開

映像に引き続き、PS3の開発機材を会場に持ち込みリアルタイムゲームを動かすという実演が行なわれたMGS4 (仮)」はまだまだ開発を始めたばかりで、開発中の物をそのまま持ってきたというイメージ的には前述のトレイラーの一部、銃を構えたスネークの部分を切り出したという感じ。リアルタイムで動かしているということを証明するために、スネークが銃を構えている場面で映像を止め、ズームインズームアウト、カメラワークの変更などを実行した。

正式提供開始一ヶ月前の時点で実機である程度作り込めているわけだから、SCEIFF13への期待度を勘案すれば、導入時期はMGS4とあまり変わらないと思われる。よって、FF13は開発環境導入から発売予定日まで最長でも5年未満と推測される(ついでに、一部で噂されてる「MGS4の開発費は70億円説」の真偽を判断する目安にもなるんじゃないかな)。

これが長いかどうかを判断する目安として、前作FF12の開発期間を調べてみる。ファミ通の攻略本によれば、インタビューに応じているスタッフの「プロジェクトへの参加時期」で最も古いものがディレクター二名の「2000年12月」だった。また、その翌月の「2001年1月」と紹介されているスタッフも複数名(いずれも技術的な分野を担当している人達)いるようなので、FF12プロジェクト開始時期は推定2000年12月前後、期間は約5年と推測される(FF12の発売日は2006年3月16日)。実はFF13と大差ない。

だが、期間だけ見れば同等でも、細かい事情を見ていくとFF12FF13では状況がかなり違う。FF12の場合、既にPS2は発売中なので当然ながら開発環境は整備済み、FF12プロジェクト開始時期(推定)時点で既に4本ほどソフトリリースしており、ノウハウもそれなりに蓄積されている状況だったはず。開発環境導入前後という、ノウハウに乏しい時期からプロジェクト開始して、それ自体の難度も非常に高いというFF13とは事情が大きく違う。おそらく導入後はノウハウ蓄積に結構な期間を費やしているはずで、実際、2006年10月のファミ通増刊号では、その時点でのFF13の進行状況は「13%」と明記されていた。それから約3年で残り87%を進めるとなると、実質的な開発期間は「推定5年」よりもかなり短いという見方も成り立つと思う。

とすれば、もしかしたらFF13FF12並みのボリュームは期待できないのかも知れない。また、海外ではXbox360版も出るとの事で、必然的にメディアDVD-ROMでも破綻しない程度の容量に抑えられているはず。同じジャンルであるロストオデッセイが4枚組なのを考えれば、少なくともこれを大幅に超えるような事は無いと思われる。。

まとめるとこんな感じか。

 FF12FF13MGS4
開発期間約5年5年未満約3年
プロジェクト開始時点での
開発ノウハウ
開発難度
容量DVD一枚(3.75GB)DVD四枚分(約30GB)以下?
BD一枚(47GB)

こうして見てみると、FF13開発にかかってる「手間」が見えてくるんじゃないかと思う。まあ、投入する人員の規模がFF12MGS4と桁違いなのであれば、これらの推測は当てにならないだろうけどね。スクエニは据え置き機向けの完全新作は聖剣伝説4(2006年12月発売)以降殆どリリースしてない(それ以降はFF12IZJB、FF11拡張ディスク、KH2FM+だけ)から、人的リソースを集中させている可能性もあるし、あるいは「大人の事情」で早めの発売予定を発表して、あとからズルズル延ばす作戦なのかも知れないけど(FF12も最初に発表した発売予定から2年近く延期してるし)。

2008-07-24

アートアニメオタが非オタ彼女に軽く紹介するための10本


インスパイヤ元 - アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本


まあ、どのくらいの数のアートアニメオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、

アートアニメオタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らないアートアニメ世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」

ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、アートアニメのことを紹介するために見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。

(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女アートアニメ布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)

あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴うような2時間アニメは避けたい。

できれば15分、長くても1時間にとどめたい。あと、いくらアートアニメ的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。映画好きが『くもとちゅうりっぷ(1939年)』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。

そういう感じ。

彼女の設定は

アートアニメ知識はいわゆる「テレビまんが」的なものを除けば、ジブリ劇場アニメ程度は見ている

サブカル度も低いが、頭はけっこう良い

という条件で。

まずは俺的に。出した順番は実質的には意味がない。

シンドバット七回目の航海(1958年)」レイ・ハリーハウゼン

まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「ハリーハウゼン以前」を濃縮しきっていて、「ハリーハウゼン以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。長さもちょうど良いし。

ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。

この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」試験としてはいいタスクだろうと思う。


チェブラーシカ1969年)」ロマン・カチャーノフ、「ウォレスとグルミット1986年)」ニック・パーク

アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなアニメ(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの

という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。「アートアニメオタとしてはこの二つは“映画”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。


「月世界旅行1902年)」ジョルジュ・メリエス

ある種のSFアニメオタが持ってる宇宙への憧憬と、JAXA監修のオタ的な考証へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもメリエスな

童貞的なださカッコよさ」を体現する科学者

童貞的に好みな造形」を体現する月人

の彼らをはじめとして、オタ好きのするキャラ世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。


「Powers of ten(1977年)」チャールズ&レイイームズ

たぶんこれを見た彼女は「椅子デザイナーだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。

この系譜の作品がその後続いていないこと、これがアメリカでは大人気になったこと、アメリカならCGになって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。


「笛吹き男(1985年)」イジー・バルタ

「やっぱりアニメ子供のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「話の話」、「頭山」でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるバルタの思いが好きだから。

断腸の思いで削りに削ってそれでも55分、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。

笛吹き男の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれがトルンカやゼマンだったらきっちり20分にしてしまうだろうとも思う。

なのに、各所に頭下げて迷惑かけて55分を作ってしまう、というあたり、どうしても「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえバルタがそういうキャラでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。


「ルシタニア号の沈没(1918年)」ウィンザー・マッケイ

今の若年層でマッケイ見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。

昭和よりも前の大正時代の段階で、ジャーナリズム哲学とかアニメ技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、こういうクオリティの作品が1枚1枚 紙で描かれて作られていたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくアートアニメ好きとしては不思議に誇らしいし、いわゆるセルとかCGで作られたアニメしか知らない彼女には見せてあげたいなと思う。


「部屋(1968年)」ヤン・シュワンクマイエル

ヤンの「目」あるいは「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。

「終わらない罠を毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、だからこそ『死刑執行中脱獄進行中』は「部屋」以外ではあり得なかったとも思う。

「何者かに仕組められた罠から逃れられない」というオタの感覚今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の源は「部屋」にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。


ストリート・オブ・クロコダイル1986年)」ブラザーズ・クエイ

これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。

こういう難解小説風味の内容をこういうかたちでアニメ化して、それが非オタに受け入れられるか、気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。


涼宮ハルヒの憂鬱2006年)」石原立也監督

9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。

ハリーハウゼンから始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降のアニメ時代の先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。

というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。


「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。ズビグニュー・リプチンスキの「タンゴ」が入ってないのはおかしい!とかね。

こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。


追記

http://anond.hatelabo.jp/20080724091420

ベストセラーは予約数0になる時点でブックオフに溢れてるしなあ。

図書館の書庫もいっぱいみたいで

有効な使い道ないかなぁ、って思って。

2006年の人気本」とかカテゴリで整理して陳列すれば

リサイクルできるかな

2008-07-20

自殺数の男女差

日本自殺者数について、男性のそれは女性の3倍とかよく言うけどさ。

日本の男女の27死因別死亡数の年次推移グラフhttp://www.tokyo-eiken.go.jp/SAGE/trends.pdf)を見てみると、大抵の死因では男性の方が死亡数が多いにも関わらず「心不全」は女性の方が多いんだよね。

グラフだと正確な数字が分かりにくいから数字で見ると、


全部がそうだとはもちろん言わないけれど、「心不全」っていうのは自殺みたいな外聞の悪い死因の時にそう記載されることが多い死因でしょ。特に女性の場合は自殺したという事実が隠蔽される場合が多いんじゃないかと思って(自殺するのにとる手段としても薬物が多いみたいだから首吊り飛び降りに比べて偽装しやすいと思う)、実際は自殺の男女比はそこまで差があるわけじゃないんじゃないかなーとふと思った。

実際うちの親戚で女性が2人程薬物自殺してるんだけど両方とも表向きは「心不全」ってことになってるんだよね。知り合いの男性で2人ほど自殺した人知ってるけどそっちは飛び降り首吊りで、「自殺」になってる。そのことからなんとなくそんな仮説を考えてたんだけど、実際にデータを見てみたので文章にしてみた。

http://anond.hatelabo.jp/20080720064005

2008-07-09

統計に見る日本結婚出産と、そして未来

最近は「統計局ホームページ/日本の統計」なんてのがありまして本当に便利な世の中になったものです。

タイトルの「日本統計」の通り、この中には日本のこれまでと現状、そして未来があります。

そんな中で、今増田でも話題の結婚出産について調べてみます。

といっても資料は「2-17 出生・死亡数と婚姻離婚件数」そのものなのですが。

この統計1955年から2006年までの52年間で、婚姻件数と出生数のピークは、それぞれ、72年の110万件と73年の209万人となる。これが第二次ベビーブームである。

この第二次ベビーブームを頂点に婚姻件数、出生数ともに急激に減少し、78年には婚姻件数79万件、83年には出生数151万人となる。

婚姻件数はその後、87年に70万件を僅かに切り、この50年で過去最低となるも、その後は持ち直し、01年の80万件など、過去30年間は70万件台で推移している。

これは、成長した第二次ベビーの影響であるが、ピークの頭はなく、後ろにならされた形となった。所謂、晩婚化である。

一方、出産数は87年の135万人の後も徐々に減り続け、92年に121万人まで減少する。所謂、DINKSの増加である。

その後、小康状態が続くが、出生数は第二次ベビーたちが30代となった00年頃から再び減少し始める。

ここで、世代別人口の推移について、「2-4 年齢各歳別人口」を基に考えてみる。本来は各年の年齢各歳別人口等を用いるべきだが、現在の年齢構成から、20代と30代の人口を推測する。

ここから見えてくるのが、この40年ほど、各歳あたり平均170万人前後で意外に安定していた事である。

しかし、これから先、20代30代は減少の一途であり、20年後には各歳あたり平均120万人まで落ち込む事が決定している。

「2-19 母の年齢階級別出生数と出生率」を見ても明らかな通り、出産のほとんどは20代から30代であり、子育ての主力である。

しかし、この数十年、婚姻件数は75万件前後、すなわち150万人程であり、年あたり約20万人前後が未婚のままである事がわかる。また、出生数と比べると、人口維持には年あたり50万人程足りない事がわかる。

そして、今後、出生率が大幅に増加しない限り、出生数の増加は見込めず、そして、それはさらに20年30年先の出世数の低下を意味する。

このように、少子化は20年前、バブルとともに増加したDINKSではじまり、失われた10年の晩婚化で確定した。これらの経済活動と少子化との関連は不明だが、もしかすると少子化バブル経済の申し子かもしれない。

もう、この子の成長を止める事はできないのだろうか。

大学生における準ひきこもり行動に関する考察

2年前の文だけど今の方がなんとなく需要ありそうだから「全文引用」しよう。少なくともこれを読んで救われた(自分を客観視でき、行動に移せた)人間が少なくともここに一人いるからな・・・

引用

樋口 康彦

大学生における準ひきこもり行動に関する考察キャンパスの孤立者について―(富山国際大学紀要2006年3月号)

http://www.tuins.ac.jp/jm/library/kiyou/2006kokusai-PDF/higuchi2.pdf

http://www13.atwiki.jp/syukatsu_sugoiyatsu/pages/29.html



目的

健康で、大学の成績も優秀であるし、車の免許も持っている。学校と家を往復するだけで夜遊びもしない真面目な子に育った。このままきっと社会人になって安定した人生を歩んでくれると、親は彼(彼女)の将来に希望を抱いてさえいる。しかし卒業を控えた時期になって初めて、親は自分の子のことをわかっていたようで、わかっていなかったことに気がつく。最終的に彼(彼女)は社会適応することができないのである。一見適応しているかのように見え、期待を抱かせるだけに始末が悪いと言える。

筆者がこの症候群に気づいたのは数年前、ある男子学生との関係からであった。彼は安定した仕事を持つ両親と、同じく正社員として働く兄がいる比較的恵まれた家庭でやや過保護に育てられていた。大学の成績も生活態度も良く、非社交的で孤立ぎみなことを除けば何の問題もない学生であると思っていた。しかし就職活動の時期になり、他の学生リクルートスーツに着替え、就職活動に汗を流す時期になっても、彼だけは全く活動を行わないのである。

就職活動の進行状況について問うと、決まって「今はインターネットとかで企業情報を集めています」と答える。

「他の学生はもう続々と内定を取り始めているがそのことについてはどう思う」

「はあ、危機感は感じますね…」

そんな会話を何度となく繰り返した。秋になり就職活動が終盤に入る。「もう、大手の会社は大体内定を出していて、もう小さな会社しか募集活動をしていないけど…」「はあ、危機感は感じますね…」いつもそのような会話の繰り返しであった。しかしこの時点ではさほど心配はしていなかった。「就職活動を何も行わず無職の身として卒業することはないだろう。いつか重い腰をあげるに違いない」と考えていたのである。

それから非常にショックな出来事があった。就職課からセミナー合同会社説明会等の連絡が教員にあり、それらは全てコピーした上で彼に手渡し、参加を促していた。多分その数は10 以上であったと思う。彼は受け取る時に「この会場は家の近くです。だから参加しやすいですね」とか「こんな大規模な説明会がT県でもあるんですね」などと言っていたので、筆者はてっきり参加しているものと思い込んでいた。しかし、後で問いただすと、ただ案内書を受け取っただけでひとつも参加していなかったということがわかったのである。

とにかく、どんなに励まそうと、焚きつけようと絶対に就職活動を行おうとはしなかった。それは極めて強い拒絶であった。筆者がそれ以上強く言わなかったのは、基本的に就職は本人の問題であることと、彼はとても繊細で傷つきやすく、また無業者としての卒業を前にして神経質になっていたからである。

また心配した両親が一度、筆者と大学就職課を訪ねて来たこともあった。確かに、性格的に就職活動やその後に続く職場生活は苦手だろうとは思っていたが、このように全く就職活動をしないという方法で対処するとは思ってもみないことであった。就職活動から、就職・自立というのは誰もが避けて通れない道だと考えていたからである。当然彼も、苦しみつつ自分なりに取り組むものと考えていた。

しかしある時、突然次のことを閃いたのである。「就職活動などできるわけがない。実は彼はひきこもりなのだ」大学にはきちんと来ており、単位もしっかり取れているので適応していると思い込んでいたのであるが、大学という誰とも関わらずに過ごして行ける環境の中で、偽りの適応を示していただけのことで、ライフスタイル本質ひきこもりと何ら変わりはない。中学高校のようにクラスが固定されている場では、仲間の輪に加われないことがプレッシャーになったり、いじめにあったりするが、大学ではそれがない。彼にとって大学への登校とは、毎回講演会映画に行くようなものであり、気軽にできていたのである。

ひきこもりの人でもコンビニには行けるという話をよく聞くが、そのように密で複雑な人間関係に巻き込まれる恐れのない場所になら出かけられるという点で、大学には来ることができているに過ぎない。夜遊び等せず真面目に大学に出てくるのも、遊びを知らず、また一緒に出歩く友人もいないことからそうせざるを得ないのである。つまり夜遊びさえできない。結局、強い非社会性・非社交性を持っているにもかかわらず大学という、学級もなく複雑な人間関係に煩わされることがない環境であるがゆえに、見せかけの適応をしていたに過ぎないのである。社会に出ていくことへのレディネスの不足は特殊な環境の中で隠されているだけなのだ。つまり社会と本格的に関わるには、あまりにも未熟だったのである。

ただ、真面目に大学に通い、単位もきちんと取れていることから、両親や、担当教員、そして本人も問題点に気づいていなかったのである。問題点とはすなわち、圧倒的な社会経験の不足の中で、人と関わることが苦手であるという欠点矯正されたわけではないことである。就職活動職場生活を送るに必要な社会的スキル等のレディネスが全く形成されておらず、その後の生活に適応できないということである。大学時代の彼は社会に参加しているようで参加していなかった。一応、家の外には出て行くものの、誰とも深い関わりを持つことはなくただ自分の世界の中で生きていただけである。病気かというとそうとまでは言えず、また表面上は今の環境適応しているかのように見え、大学生活の後半頃になってから問題が暴露されるという点で実に厄介である。こういった現象は純粋ひきこもりではないが実質はひきこもりに近いという点で準ひきこもり行動と言えると思う。

準ひきこもりは現代病の一種と言えるが、社会進出を控えた大事な4年間を、極めて自閉的かつ無為に過ごすのだから、社会性がほとんど身につかず、卒業しても会社での激務など到底できない。立ち直るのは難しくそのまま人生自体を無駄にしかねない。現代の大学生における、フリーター問題、ニート問題、離職率の高さの問題はマスコミ等で連日指摘されているが、その背景にある一つの大きな要因に、準ひきこもり症候群が隠されていることに気づいている人は少ないと思われる。一般に、非社会的行動は反社会的行動とは異なり、目立たないため見過ごされがちである。

大学教員なら誰もがその存在を知っているし、彼らがどのようなコースを辿るのかについても大体知っている。彼らは孤独大学生活を真面目に過ごし、結局は社会で活躍することができない。しかし大学時代、表面上は適応しているかのように見えることからその問題点について理論的に考察した研究は見当たらない。そこで、本論では大学生準ひきこもり行動について基本的な考察を進めて行くことにする。




準ひきこもり定義

一部の大学生が取る非社会的行動の一種である。大学には真面目に登校し、学業成績にも問題はない。また目立った問題行動はない。しかし、家族を除く他者との交流がほとんどなく、従って対人的な社会経験が不足している状態のこと。しかし本人や周囲の者は問題の存在にさほど気づいていない。就職活動社会人生活へのレディネスが形成されていないため、就職活動期もしくは卒業後に社会適応を起こす状態のこと。




通常のひきこもりとの違い

通常のひきこもりとの違いを、以下にまとめる。


ひきこもり
  • 20 代までに問題化する。
  • 6ヵ月以上自宅に引きこもって社会参加をしない。
  • 他の精神障害がその第一の原因とは考えにくい。
  • 周囲の人は問題に気づいている。
  • 本人は問題に気づいている。



準ひきこもり
  • 大学入学以前に問題化している。社会的に問題が顕在化するのは就職活動期もしくは大学卒業後である。
  • 大学には登校するものの、ほとんど社会参加をしない。他者との交流が極めて少ない。
  • 他の精神障害がその第一の原因とは考えにくい。
  • 周囲の人は問題に気づいている場合と、気づいていない場合がある。
  • 自分が準ひきこもりであることに気づき、悩んでいる場合もあるし、気づいていない場合もある。








準ひきこもり学生典型的なコース

準ひきこもりルーツはかなり昔にまで遡ることができる。小学・中学高校時代から人付き合いが苦手であり、不登校を経験していることが多い。その時期における社会経験の不足が準ひきこもりを作る基盤になっている。

大学に入学し、真面目に登校して単位もしっかり修得している。しかし、友人はほとんどおらず、ただ自宅と学校を往復しているだけである。従って対人関係の技術は未熟なままに置かれる。孤立していることを除けば、自分の妄想現実との間を行き来しつつ、割合に快適な大学生活を送る。自分の弱点である非社交性がつまびらかになることもなく、人格はないが相手をしてくれるもの(テレビパソコンコンピュータゲーム漫画アニメなど)を延々と楽しみ自閉傾向を強めつつも幸せな4年間を過ごす。ただし大学には登校していることから、やるべきことはやっているという気になり、純粋ひきこもりのように追い詰められ絶望的な気持ちになることは少ないし、危険な状態にいるということもない。キャンパスの孤立者として静かに暮らしていることが多い。特に4年生になり、卒業に必要な授業がゼミ程度になるとひきこもり傾向は一層強くなる。一般の水準からすると、かなり問題のある無為な大学生活を送っているが、本人はそのことに気づいていないことが多い。

就職活動をうまく行えない。知らない会社電話でアプローチしたり、OBOG訪問をしたり、初対面の人に自分を売りこんだりといったことは一番苦手である。

就職活動を途中でやめ大学卒業と同時にひきこもりに近い生活に陥る。もしくは就職できたとしても、回りの人とうまくやっていけないため早期退職に至り、ひきこもり生活に陥る。結局、大学生活とそれに続く長い歳月を社会にとっても自分にとっても無為に過ごし、健全社会人になることはほとんどできない。ただし、準ひきこもり大学生の全てが社会適応できなず、このコースを辿ると断言はできない。社会に出た後で、自分の世界と、社会一般との認識のずれに気づき、徐々に自分を変えて社会適応を果たす者も存在する。




準ひきこもり大学生の特徴準

ひきこもり学生は性格や行動パターンに共通性が多い。そこで(1)性格・行動的側面(2)知的(学習の)側面(3)社会的側面の3つに焦点を当ててそれぞれ見ていきたい。




(1)性格

■自分の力で自分の人生を切り拓いていくというたくましさに欠ける。準ひきこもり男子学生の方が多いように感じるが、社会で期待されている男性役割を身につけておらず、性役割の取得において葛藤が見られる。

社会経験の不足から、極めて自己中心的で視野の狭い考え方をする。

精神病ではない。現実との接点はある程度残っているし、善悪の区別はつくので犯罪を犯すようなこともない。むしろ他の学生よりも大人しくて真面目な部類に入る。

孤独に静かに大学生活を送っているケースが多いが、少し親しくなると甘えた非常識な言動、わがまま押し付けなど自己中心的言動を取ることがある。学生の間ではストーキングセクハラの常習者としてマークされていることもある。これは、本人にはそんなつもりはなくても、社会の標準がわかっていないことから、つい不適切な言動を取ってしまうことによる。

■謙虚で常識をわきまえており、周囲を悩ませないこともある。一口に準ひきこもりと言っても、異常性には違いがある。




(2)知的側面(学習)

■真面目で大学での成績も良い。どの授業にも真面目に出席している。

レポート卒論を書くというのは基本的に自分一人の世界での作業であるため、比較的得意である。




(3)社会的側面

無気力で、実際には人恋しいものの他者との関わりを避けようとする傾向が強い。クラブ活動アルバイトの類はしていないし、体育大会大学祭など学校行事にも参加しない。また、お祭りなどの地域行事にも参加しない。それから下宿をしている場合には、家族とのコミュニケーションさえ少ないため、準ひきこもり傾向を加速度的に強めて行くことがある。

アルバイトに関しては、過去にやったことはあったとしても現在はしていないことが多い。結局自分にとって居心地の良い世界(社会と関わらない自分だけの世界)に落ち着くことになる。つまりアルバイトでさえもできないというのが実情である。アルバイトに精を出す大学生というと否定的に見られがちだが、準ひきこもり大学生よりはましである。

人間関係をうまく行うことが苦手である。例えば、質問をしたり会話を続ける努力が少ない。ある意味で、孤立するのは必然と言える。

■友人が極めて少なく、いつも一人でいることが多い。他の学生から受け入れられず孤立しているという共通の境涯を絆にして同じ準ひきこもり学生(キャンパスの孤立者)と一緒にいることがある。また、恋人はいない。

■優しくしてくれる誰かに、甘え、強く寄りかかろうとし、その結果厳しく拒絶されて傷つくことがある。これは長年にわたる実質的ひきこもり生活のため、人との距離を適切に取るということができないために起きる。また学生からは相手にされないため、教師に対し辟易させるほどしつこく付きまとうことがある。

孤独感から他者(特に教師)の関心を引こうとする行動を取ることがある。教師にしつこくつきまとい悩ませていることも多い。一方、教師の側からすれば指導上の難しさがあってもなかなか周囲の理解を得られないということになる。ゼミなどを通じて深い付き合いをすると、明らかに他の学生とは違うとわかるのだが、付き合いのない教師には少々非社交的な感じではあるものの普通大学生に見えるためである。

若者らしい溌剌さ、元気の良さがなく、暗くよどんだ雰囲気を持つ。外見には自信のなさが滲み出ている。気軽に声をかけづらい独特の雰囲気を持っている。長年孤立していると、こうまでいびつになってしまうのかと驚嘆するほどである。

■全体的に見て、知的側面に比べて社会的側面が未熟である。




準ひきこもりの主な問題点

■自らの非社会性に対し、他者と触れ合うことで矯正を目指すのではなく、問題から逃げ出して、隠してしまっていることである。

青年期の発達課題を達成しておらず、場合によっては青年期以前の発達課題も達成していない。社会性の健全な発達のためには同世代の者との親密な交わりが不可欠である。しかし、準ひきこもりは、人付き合いをつらいこと苦しいこと、と捉えてしまっており、なるべく避けようとする。準ひきこもり学生は、親以外ではお店の店員などとの非人格的な接触をするのみであり、対人関係能力の発達には役に立たない。青年期の発達課題である(a)職業生活、結婚生活の準備、(b)親からの自立の準備、という観点から見ると極めて問題の多い環境に住んでいると言わざるを得ない。

■他の問題を併発しやすい。潔癖症など神経症的傾向を持っていることがある。




準ひきこもり学生の家庭の特徴

過保護で、親が甘い。子ども不登校歴がある場合、親は厳しく接するのではなく腫れ物に触るように接する。一方準ひきこもりは、親が自分を見捨てないことを見抜いている。不登校歴がある場合、そのことは証明済みである。親が厳しいことを言わないので、居心地の良い方に流されてしまうのである。

■比較的裕福な家庭が多い。お金のことで苦労した経験はないし、今後も切実な心配はない。

■親は大学に真面目に登校していることで安心している。不登校歴がある場合、毎日登校する姿を見てやっと立ち直ってくれたと一安心していることもある。あるいは、親は自分の子が非社交的であることに薄々気がつき、心のどこかでは卒業後に不安を抱いているものの何の対策も取っていないことが多い。




今後の課題

今後、準ひきこもりに関する様々なことを調べて対策を講じていかなければならない。まず最初に出現率について調べなければならないだろう。筆者の印象では、10 人に1人というほど高率ではないが20 人に1人というほど低率でもないといったところである。また女子学生より男子学生に多い。それから最近特に多く出現しているのはなぜなのかについても考察して行かなければならない。準ひきこもり不登校経験者が多いことは既に述べたが、不登校者は一般に学力の低いことが多い。しかし、大学全入時代を迎えたことにより低学力者でも大学生になれることが原因のひとつになっているのかもしれない。現在の多くの大学が、高校卒業時点で社会に通用せず、従って就職さえできない者の受け皿になっているという現実がある。

それから準ひきこもりになってしまう原因を探ることも重要である。おそらく家庭における問題と、大学生活以前にそうなりやすい性格的傾向を形成していたと考えられる。いずれにせよ社会経験の不足、社会的スキルの不足、孤立、それにともなう悪循環に原因を明らかにする鍵があるように思われる。

最後にもし準ひきこもりになってしまった場合、どう対策を取るのかについても今後考えて行かなければならないだろう。アルバイトボランティア活動、クラブ活動(サークル活動)、大学内の各種委員会などを通じて、仲間付き合い、参加意識、チームワークなどを体験することが防止策・対応策として有効であろう。もちろんこれらの活動は、強制するのではなく本人が自発的に取り組み、周囲の者がサポートするといった枠組で行われることが望ましい。しかし本人や周囲が問題に気づくのは大抵、卒業間近か卒業後であり、こういったことをして社会性を育てている時間的余裕がないことが多い。

筆者は調査を始めたばかりであり、彼らが今後どうなるのかについてはデータ不足のため正確には知らないが、いずれにせよ早期発見、早期対応が何より重要であろう。ちなみに、社会性を育てている時間的余裕がない時の就職先として、例えば、工場生産現場農業、造園業関係仕事が考えられるのではないだろうか。彼らに関わる人たちからは少々変人と見なされるかもしれないが、なんとかやっていけるかもしれない。それらの職場では弁舌の巧みさよりもまじめに取り組む粘り強さが評価されるからである。本来の能力からすると、ホワイトカラー関係仕事が十分可能であるが、社会性の方に大きな問題を抱えており、何らかの理由で急激に社会性・社交性が上昇しない限り、到底勤まらないであろう。本論の冒頭で紹介した学生に関しても、仮にもし就職活動または親のコネにより、何らかの企業就職できていたとしても結局は早期退職に至っていたと思われる。かなりレベルの進んだ準ひきこもりであり、民間企業での複雑な人間関係、営業活動などの激務には到底耐えられないからである。いずれにせよ新卒での就職を逃してしまった上、新たな就職活動職場での適応など、今後大変な苦労が予想される。

将来、社会適応するために、また人間としての尊厳を守り現実感を維持するためには大学生のうちに人と交わっておくことが大切である。社会適応するための力を身に付けることが不可欠であり、それをしない限り、根本的な解決には到らない。人生自体を台無しにしてしまうことも有り得るだろう。




参考文献

2008-07-03

http://anond.hatelabo.jp/20080703184023

いやいやだから。元資料では日本国ブログサービスの利用者が今年の時点で1700万人。

それに対して「LiveJournal」は単独ブログサービスの利用者が1600万人。

2006年日本ブログ利用者数は868万人。(参考:http://www.soumu.go.jp/s-news/2006/060413_2.html

それに対する米国ブログ利用者数(成人のみカウント)が1200万人。

SNSではあるけれどブログとして利用されていることの多いMySpaceの会員数は2億320万人。(参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/MySpace

http://anond.hatelabo.jp/20080703180609

2006年7月の時点での米国成人のブログ執筆者数は1200万人。(参考:http://www.metrics2.com/blog/2006/07/31/the_blogger_population_has_grown_to_12_million_ame.html

海外の「Livejournal」という1ブログサービス1999年オープン2004年12月時点で540万アカウント)は、現在は約1600万アカウントの会員を抱えている。(参考:http://www5f.biglobe.ne.jp/~taiz/aboutlj.html

海外ブロガーでとりあげられるのが日本でいうαブロガーだけという話。裾野は変わらん。

2008-06-25

希望の新時代

思えばあいつはいつも希望を持っていた。

1998年、あいつは2ちゃんねる希望を持っていた。

1999年インターネッツ希望を持っていた。

2000年国家希望を持っていた。

2001年フリーター希望を持っていた。

2002年小泉純一郎希望を持っていた。

2003年アキバ希望を持っていた。

2004年右翼希望を持っていた。

2005年ブログ希望を持っていた。

2006年Mixi希望を持っていた。

そして、今は戦争希望を持っている。

きっと戦争でも起これば、今度は平和希望を見出すに違いない。

2008-06-22

http://anond.hatelabo.jp/20080622011213

だからそういうこと書いちゃダメだってw

西暦2006年jkondoは少数の弟子と共に『グーグル教』のメッカである珪素谷へと向かった。本家本元が存する地で新たな布教活動を行うつもりであったのである。これには現地に居たumedamochioも全面的に協力し、『グーグル教』の使徒である聖chenを誘惑までした上での大掛かりなミッションであったが、谷の空っ風に吹きさらしになりながら(谷に雪は降らない)1年半もの間グーグル教皇シュミット7世にサインを求めたにも拘らず、終に教皇が現れることはなく、豪華な食堂で社員のふりをしてただ飯を食らうに終わった(バレーの屈辱)。仕方なく彼は日本に舞い戻り、お為ごかしのつもりか京都に教団を移して知らぬ顔を決め込んだ。珪素谷でいったい何があったのかjkondoは一切語らずその秘密を墓まで持って行った。このミッション信者の間ではなかったこととされ、長い間公然の秘密であった。

2008-06-20

1984年生まれの見た世界

幼稚園年長(1990年度)

記憶にある時事ニュースで最も古いものは幼稚園児代。

先生砂場で遊んでる自分たちに向かって

「海の向こうでは今『せんそう』(湾岸戦争)が起こってます。

なんで人は殺し合うんでしょうね・・・」

というようなことを言ったのがそれで、その時はとにかく

「遠くで何やらすごく恐ろしいことが起こってるんだ・・・。」

くらいにしか感じなかった。

あの先生がそうつぶやいた日の空は澄み渡ったきれいな青空で、

平和そのものの天気」と「遠くにあるおそろしいもの」がひどく対照的で違和感を感じた。

小学校低学年(1991-1992年度)

父はある日「すごいお土産だぞ」と、

灰色でかわいくて格好いい形をした機械を持ってきた。

パイロットウイングス

あの頃、飛行機を巧く操縦できる奴は神だと思った。

機体を傾け、緑の輪をくぐる。静かな着地。

教官のきつい言葉に、甘やかされていた俺はたじろいだ。

当然ながら一緒に買ったマリオばかりプレイしていた。

少し経ち、マリオカートぷよぷよを持った友達の家に皆が遊びに行くようになる。

スト2はみんな持ってた。↓R↑LYBXA。

子供らしく野球だの公園遊具だので遊ぶこともあったが、

おれらはもっぱら「ファミコン」。

プールや川で波動拳ソニックブームしたり春麗で興奮したり。

もう、昔何やってたなんてそのくらいしか思い出せない。

信号機を自在に操れる熊の親父とか。

小学校中学年(1993-1994年度)

クラスで元気のいい女子が「スナックがかっこいい」だの同級生を

ヤマタク」なんて略して呼んだりするのが流行ってた頃、

テレビでは米不足米不足うるさかった。

小3か小4の頃。そーりだいじんは

「名前の読みにくい徳川家康の子孫」や「眉毛ぼーぼーの爺さん」で、

なんとなく面白く感じていた気がする。

暗闇の中、ベッドから飛び起きて「何事か」と

あわてふためいてる映像ばかりテレビに映っていた頃、

向こうから一時的に「疎開」のような形で来た転校生

関西弁ペラペラ」なだけで人気者だった。

この頃の記憶は割とある。

バブルが・・・」「バブルのせいで・・・」と大人がよく言っていた。

バブルというのは何か「イベント」か「夢」か、

なんか今苦しんでる(ように大人が見える)原因のようなものなのかなあ、

漠然とした理解しかなかった。

バブルなんかよりも目先のジーンダイバーとか恐竜惑星の方が重要だった。

フルハウスとかアルフの方が大切だった。

横取り40万とか嘘つき四択とかヤングチームとかNGワードとかの方が

小学校中学年の俺らにとっては刺激的だった。

小6(1996年度)

自分で自分を褒めたいアトランタオリンピックはよくわからんまま終わった。

男子は全員ポケモン。「ミュウの出し方分かった・・・!!!」と、

どこかで聞いた情報を興奮気味に話す奴とか。

そんなものに皆が夢中の中、クラスの「最先端野郎」は

ペラペラキャラがラップするゲームをやっていてすごくおしゃれに見えた。

6年時、その「機械」を持っていること自体がある種のステータスだった。

田舎だったから特に。

余談だが、「1984年度」生まれは1991年=小1、1992年=小2、

と一の位が学年なので西暦を言われると何年生だったかがすぐ分かって便利。

中1(1997年度)

そして俺たちは人生の中で最もださく恥ずかしい時代を迎えた。

例のあれの時は「赤い実はじけた」中1だったが

「あんたと年が近いのにあんな残酷なことするなんてねえ・・・怖い時代だねえ」

なんてよく大人から言われた。一方おれらは、

ナイフで生きた屍を切り裂いたり脳天をショットガンで撃ち抜くことに夢中だった。

気が付けばクラス男子のほとんどがあの「うすっぺらでCDを入れて遊ぶ機械」を持っていた。

一時期、どこでも買えなくてイライラしていた。

中1の冬は原田笑顔にしびれた。彼らは本当に格好良かった。

中2(1998年度)

ドラエモン」が流行した。

一番強かった奴(モンスター系統図の完全な情報を持っている奴)は

「あいつんち、『インターネット』ができるらしいね」

と言われていて羨ましかった。学校では出来なかった。

ていうか誰もパソコンなんて持ってなかった。

グレイとかラルクとか、「なんとなく格好いい」ものが増えてきた。

中3(1999年度)

あの日までカウントダウンしておびえていた。

結局あの日(月)はなにもなかった。

地域振興券使わしてくれ使わしてくれとずっと言っていた。

卒業間近、学校で「インターネットPC)」の学習をするための教室が出来た。

OSは2000Proでメモリ256MB。

家のボロパソがメモリ64MBだったからか「超」最先端に感じた。

数回しかなった情報の授業中、

好きなバンドを検索すると掲示板のようなものが結果の上位に出てきたのでクリックした。

口汚く罵倒されていて身が震えて泣きそうになった。

ハンドルネームを誰もいれていないのが非常に不気味だった。

・・・社会的経済的な用語とはいえ、

ここまでの人生を「失われた10年」なんて言われた。

俺たちは何かを得たし、間違いなく楽しく生きていた。

高1(2000年度)

ミレニアムミレニアムうるさくなった。

高校は、全教室にネットの使えるパソコンが設置された。

部活が楽しすぎてゲームはほとんどやらなくなった。

進化を遂げた機械」は発売日に買ったが大学2年まで

ファンタビジョンしか持ってなかったのはいい思い出だ。

DVDプレイヤー代わりだったもん。

ミレニアムだの新世紀だので盛り上がっていたころからだ。

どこに行ってもカチカチやってる奴が増えたのは。

最初、ちらほらと増えていく「カチカチ病」に違和感を持っていたが

自分が感染するのに時間は掛からなかった。

田舎なのに、7??8割は所持していた様に思う。

auじゃないやつが心底羨ましかった。

小遣いが多かったのか料金親持ちだったのか知らんが、

docomoってだけで「裕福な家庭死ね」なんて思ったものだ。

高2(2001年度)

音楽家のような髪型のおっさんが総理大臣になっていて笑えた。

高2の運動会前日。遠くで何やらすごく恐ろしいことが起こってるようだった。

開会式でも全くふれなかったのが今思うと印象的だった。

CDを小さいデータに変換してパソコンにたくさん詰めこんで、

それをMDプレイヤーより小さい機械にたくさん詰めこめる」

ということを説明するのは当時、骨が折れた(今もあまり変わってない気がするが・・・w)。

マッキントッシュを作っている会社が白色でかわいくて格好いい形をした機械を世に出した。

全く流行らなかったし、説明しても誰も興味を持ってくれなかった。

MDの方が格好いい」「“えむぴーさん”だっけ?オタクくさいね」

なんて言われたり。俺は流行らないと思った。

パソコン音楽を取り込む」こと自体が一般人にとって非常に抵抗のある行為だという感覚は理解出来たから。

高3(2002年度)

W杯休み時間の談話室(テレビがある部屋)の盛り上がりがすごかった。

高校卒業してからゆとりだのなんだの言われ始めた。

その頃「ゆとり」という言葉は非常に美しく感じられた。

複素数を知らないこどもたち」

大1-大3(2003-2005年度)

大学文系学部だったが

常時接続が安く使える時代突入」+「工学部情報系学科の知人との出会い」で、

高校リア充だった自分が一気に地に落ちることとなった。

その知人は「本名出して私生活を晒しまくる」ウェブサービスを教えてくれた。

本名顔写真・所属している(していた)集団と私生活全部暴露。

変態か?」これが最初見たときの素直な感想

今でこそ「知人以外には非公開」が多いけど、

当時はとにかく誰も彼も晒しまくり。俺は使うのに気が引けた。

携帯さえあれば、とりあえずコミュニケーションには事欠かない。

そのころ「文中にやたらと下線が引いてあるブログ

を目にすることが多いのに気付いた(それまで気付いてなかっただけかもしれんが)。

シンプルで、どことなくおしゃれなデザインだが書いている内容は気持ち悪いものが多い気がした。

冴えない青年は綺麗な女性を助けて本になって皆に読まれた。

その頃大学内で「それっぽい」奴は「萌えってどういう意味?w」だの

「お前の時代来たぞw」とかからかわれていた。

そして街に、キャンパス内に、増えていく白い機械

ホリエモンだの球団再編だの買収だのヒルズだのセレブだの勝ち組だの負け組だの格差だの、

なんとなくカオス

いつの間に「無職」の状態を「ニートやってるんでw」なんて明るく言えるようになったんだろうか。

大4(2006年度)

就活は、売り手市場なんて実感はなかったが内定先は大手メーカー

ブラックを避ける」という消去法で選んだ。

社1(2007年度)

街はパカパカ開け閉めする機械であふれた。

家ではリモコンで遊ぶ奴が急増。

ファミ通の売上チャートを見て(10年前から毎週見てるが)頭がくらくらした。

他はサブプライムローンがどうこう、原油高がどうこう、環境が、民主党が、

安倍さんが、携帯小説が、もう、断片。

・・・食品会社に行った知人はえらくストレスを抱えている様子だった。

社2(2008年度)

最近中国あたりが色んな意味でアツイ。

相変わらずの原油高は鬱陶しい。台湾もなんか変。

そう言えばちょっと前は、遠くで何やらすごく恐ろしいことが起こっていたようだ。

傍観していた人がその動画を撮ってアップしたりそれが罵倒されたり。派遣がどうこう。

さいごに

俺はこんな感じだが、他の俺「たち」はどうか知らない。

俺は約150万人いる「1984年生まれ」の中の一人に過ぎない。

高校携帯を持ち、家ではPCを夜11時からネット繋ぎ

大学ではADSLになってブログだのmixiだのでどうでもいい自分語りをしていた人間だ。

そして今は匿名ブログはまっている

それだけだ。

2008-06-17

はてな過去に囚われすぎ

http://beta.g.hatena.ne.jp/sugio/20080525/p1

http://d.hatena.ne.jp/b4-tt/20080612/1213279183

 結局のところ、近藤社長過去成功体験と失敗体験に囚われすぎている。

 成功体験はてな最初期のこと。まだまだバグがたくさんあって、全然ダメダメサービスだったが、ユーザーの支えによりよりよいサービスに変化していった体験。

 失敗体験は住所登録事件。住所登録サービス使用の必須条件にして、ユーザーから大反発を受けた体験。

 成功体験は過度なユーザーへの信頼へと繋がり、後者ユーザーは不干渉を求めていると考えるようになった。別にどちらも悪いこっちゃないけど、それを極端に妄信してしまっていることが現在ユーザーからの不信に繋がってる。

 成功体験についちゃあ、ネット上では既にベンチャーなんていえない規模なんだから、その当時と同じ意識で運営しようなんてできるはずがない。1000万人のサービスを目指すなら、1000万人にあったサービスを提供しないと。近藤社長が目指す任天堂がどうしてあれだけ信頼されるかというと、いろんな伝説があるから(http://d.hatena.ne.jp/turkey_hate/20071102など参照)。

 失敗体験は近藤社長をはじめとした、はてなスタッフユーザーを理解していなかったことから起こった事件。どうやら近藤社長はそれをねじれたかたちで学んでしまったよう。このままでは同じ轍を踏むだけ。というか、踏みかけているか。

 シリコンバレーへ行こうが、京都に行こうがどうでもいいけれど、たびたびアンチはてな的な意見ブクマのトップにあがっていることははてなのこれまで以上の危機の印。おそらく社長が考えているよりも1000倍重大な事柄だし、ユーザーがこれだけ指摘してくれるのは最初期にユーザーサービスを立て直す手伝いをしてもらったとき以上にありがたいことだと思う。そこを本当に理解しないと、はてなに明日はないなぁ。

 

追記:一部訂正。おおまかな内容はいじってません。内容に関する過去jkondoコメントを関連URLとして下記に追記。

 jkondoインタビューまとめ:http://d.hatena.ne.jp/mohri/20060201/11388085132006年まで)

 成功体験http://japan.cnet.com/blog/kondo/2005/09/07/entry_post_12/

 失敗体験:http://japan.cnet.com/blog/kondo/2005/10/11/entry_post_15/

住所登録問題が2004年と結構昔だったことに吃驚。

 

2008-05-30

http://anond.hatelabo.jp/20080530190308

http://pr.yahoo.co.jp/release/2006/0425a.html

2006年段階で1日1000万件突破だって。

aucfanの詳細検索で目的は果たせそうな感じ。

いいところを教えてくれてありがとう

こういうサイトがあることを、クローラープログラムを作り終えてから初めて気付くあたりが自分の駄目なトコロなんだよな。

そりゃ貧乏にもなるわ。

2008-05-27

次世代ゲーム機の「寿命

ハードウェア的なものではなく、市場そのものが終息するまでの期間の話。

これについて詳しい人の意見を乞う。

参考までに、ここ最近ゲームハードの発売日一覧を(国・地域ごとに違う場合はその中でもっとも早い日付)。

任天堂
ゲームキューブ
2001年9月4日
Wii
2006年11月19日
DS/DSL
2004年11月21日/2006年3月2日
GBA
2001年3月21日
ソニー(SCEI)
PS2
2000年3月4日
PSP
2004年12月12日
PS3
2006年11月11日
マイクロソフト
Xbox
2001年11月15日
Xbox360
2005年11月22日

個人的に、Xbox360PS3は最低でも5年以上は続けるんじゃないかと思ってる。

そうでないと赤字回収出来ないし、その次のハードウェアの開発や立ち上げのコストのペイが出来ないんじゃないかな。

Wiiは…予測出来ない。というか、次のハードウェアコントローラってWiiとの互換性どうするんだろ…。

2008-05-23

マスメディアへの違和感 エロゲー議員問題について

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0805/23/news147.html

Itmediaに『「エロゲー人間性失う」 規制求め請願 円議員掲示板に批判数百件』という記事が載っていた。

民主党参院議員が、エロゲー青少年の心を破壊するから幼女誘拐事件が起きるって国会で主張してるんだってさ。

ま、何をアホなと思うが、それはどうでも良い。

気になるのは、その下に書かれているItmediaの捕捉情報だ。

警察庁のまとめによると、平成19年に摘発した児童虐待事件は前年比1%増の300件、わいせつ画像を撮影されるなどの児童ポルノ事件の被害に遭った児童(18歳未満)は同20.2%増の304人で、いずれも過去最悪になっている。アダルトアニメゲームとの関連性は不明だ。ネット上では児童ポルノなどの規制に関する議論がこれまでも数多くなされおり、今回の請願についても大きな反響を呼びそうだ。


これって、何か関係のないものを持ってきてはいないか?

というわけで調べてみたら、関係の疑わしいデータ、または全く関連性のないデータを「関連性は不明」と但し書きを書きつつ載せていることがわかった。

どんなに「関連性は不明」と書いても、同じ情報抱き合わせで提供されたら関連性があるように感じてしまう。

メディアによる刷り込みの常套手段と言えるし、卑怯な手段として非難されてしかるべきことだ。

僕はItmediaを信頼できるメディアだと思っているし、準児童ポルノにも果敢に異を唱えているところが好きなんだけど、こんな報道をされれば幻滅だ。

猛省を願いたい。

捕捉1:産経新聞の配信記事との指摘がありました。産経はあまり信頼していないですが、やっぱり猛省を願いたいと思います。

捕捉2:予想外に注目されて驚き。表現を加筆修正。

最初に書かれているこの記述について。

児童虐待事件は前年比1%増の300件

どう読んでも、「児童虐待」についての記述としか考えられない。

児童虐待って、子供に対する家庭内暴力で、あの母親とか内縁の夫とかが子供を虐める話でしょ?

どう考えても、エロゲー関係ないだろうと思う。

詳しい記事を調べてみた。

毎日新聞の記事

http://mainichi.jp/life/edu/news/20080221dde001040005000c.htmlでは、

児童虐待の被害児童315人の態様別では▽暴行、傷害などの身体虐待224人▽わいせつ行為など性的虐待69人▽育児の怠慢、拒否22人。年齢別では1歳未満が47人▽5歳児25人▽3歳児24人????など低年齢の児童の被害が目立っている。

虐待加害者被害者関係では、実母による犯罪が97人で最も多く、実父91人▽養・継父55人▽内縁の父46人など。


児童虐待」とは、簡単に言えば最近話題になっている親の折檻などを指す。

報告されている限り加害者も身内の人間であり、「児童に対する家庭内暴力」のデータである。

これを読んでみても、どうしてもエロゲーに毒された青少年が関連しているとは考えられない。

検挙件数が増えたものの死者は減少したことについて、同庁は「児童虐待社会的に知られるようになり被害通報が増える一方で、児童相談所などとの連携が強化され、対応が迅速になったためではないか」としている。


警視庁の分析もエロゲーなどまったく意識されていない。

やはり、この記事で「児童虐待が増加している」と捕捉するのは無理がある。

次に、この記述について

わいせつ画像を撮影されるなどの児童ポルノ事件の被害に遭った児童(18歳未満)は同20.2%増の304人


気になるのは、児童ポルノ被害者が18歳未満でくくられているということ。

議員の請願では、以下のような内容が発言されている。

美少女アダルトアニメ雑誌ゲームの製造・販売の規制法制定に関する請願」で、「街中に氾濫(はんらん)している美少女アダルトアニメ雑誌ゲームは、小学生少女イメージしているものが多く、このようなゲームに誘われた青少年の多くは知らず知らずのうちに心を破壊され、人間性を失っており、既に幼い少女が連れ去られ殺害される事件が起きている」と指摘。「幼い少女たちを危険に晒(さら)す社会をつくり出していることは明らかで、表現の自由以前の問題である。


ここで触れられているのは、「小学生少女」に対する性的虐待が問題だと言うこと。

世界的な風潮でも「児童ポルノ」問題で重要視されているのは12歳以下だから、この発言が「小学生少女」に限定されていることは問題ない。

そうなってくると、やはり児童ポルノのうち、小学生被害者がどのように推移しているかが気になる。

詳しいデータを探してみた。

http://www.en-ichi.org/pubs/thismonth/216-4infile.html

2000年から2007年児童ポルノ事件の検挙数と、被害児童の内訳が載っている。

問題となる小学生被害者数をみてみよう。

2005年 - 31人、 2006年 - 38人 2007年 - 33人

若干の増加?と言えるか微妙なところで、これだけのデータでは判断できない。

なにより前年比で減少しているし、「大幅に増加」という状態ではないということがわかる。

児童ポルノ被害者の増加分はほとんど12歳以上、というより女子高生。)

また、気になるのは、児童ポルノ事件の検挙数が、2006年から2007年にかけて減少していること。

被害児童は増加しているが、犯罪検挙数は減少している。

この減少についても、報道姿勢としては触れておくべきではないかと思われる。

それと、この統計が「検挙した事件」で露呈した事実であることもきちんと認識しなければならない。

警察が重点的に捜査活動を行えば検挙数は増えるし、被害者も増加する。

発覚していない被害者が実は大量に増加している可能性もある。

とにかく、実際の被害者の数ではないということ。

まとめると、このように言える。

児童虐待データは主に家庭内暴力

児童ポルノ被害者のうち、小学生被害者は大幅に増加しているとは言えず、前年比でも減少している。

この2点より、今回提示された補足情報は、円議員の「エロゲー小学生少女の性的虐待を助長している」という請願とは何ら関係がないと判断できる。


今回は、グーグルを使って5分ほど検索を行い、補足情報が妥当でないと判断した。

(文章を書くのにはずっと長い時間がかかったが。)

たった5分でわかる公開情報を調べもせず掲載するのは、報道としての責務を放棄していると私は思う。

この補足情報に対し、私は完全に記者エロゲーに対する悪意を感じた。

公正な情報を伝えるべき新聞報道において、唾棄すべき態度である。

ニュースにおいて記者の考え方は排除できないものだけれど、結論ありきで記事を書くことは止めて欲しいところだ。

http://anond.hatelabo.jp/20080523163206

べつに30代院生がいっぱいいないからって安心!!!!1とかならないしw

2006年1月のデータ

一橋大学大学院

院生:20代63.8%、30代28%(アンケート回答者

http://blog.goo.ne.jp/hit-jichikai/e/72c56b4be1d51451f0ae575b9a867fcf

2008年4月現在

広島大学

42名中30代3名(7%)

http://www.hiroshima-u.ac.jp/law/housei-system/p_307c0f.html

2004年度の統計結果

大学生

学部学生は250万6千人,大学院学生は24万4千人

http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/05011201/002/001.htm#1

まあ院生のうち30代が14%として計算すると、だいたい4万人。

はい、多かった。日本全国にたくさんいたねー。よかったねー。

ちなみに2005年3月の卒業者数は4大だけで55万2千人だって。

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2004/11/h1110-2.html

2008-05-17

DNA鑑定

DNA鑑定、5年以上前の未解決事件の切り札に 警察庁のデータベース軌道に乗る - MSN産経ニュース

 警察庁DNAデータベースには全国のDNA型資料が集まる。現場血液や皮膚片などから採取したDNA型は平成16年12月から、容疑者DNA型は17年9月から登録開始。今年2月末までに容疑者約2万人、現場資料約1万600件が登録され、計約2600事件の解決につながった。

 大阪府警では、少なくともDNA鑑定が捜査活用され始めた元年ごろ以降の重要犯罪の資料はすべて保管。当時は資料の量が足りずに鑑定不能だった事件でも、現在は髪の毛数センチなどわずかな資料で鑑定ができる。また、当初は数カ所の型が一致するかどうかを鑑定していたが、現在では10カ所以上を調べることができるなど、精度が飛躍的に向上している。

サッカー選手の場合、

2001年:下着泥棒発生→遺留物のDNAを保管。

2006年:侵入事件発生→容疑者DNAを採取、データベース化。

2008年2001年の遺留物を改めてデータベース登録→2006年の事件のDNAと一致。

っていうことかな?

2008-05-15

自分達のマイノリティーさを再確認してみた


参考資料

日本人口統計

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88

第1節 人口減少の概況

http://www.chusho.meti.go.jp/pamflet/hakusyo/h18/H18_hakusyo/h18/html/i3110000.html

統計ホームページ/労働力調査(速報)平成20年3月分結果の概要

http://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/tsuki/index.htm

参考資料:警察庁発表 自殺者数の統計

http://www.t-pec.co.jp/mental/2002-08-4.htm

図録▽フリーター数・ニート数の推移

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3450.html

インターネット白書2006

http://www.iajapan.org/iwp/

日本ネット人口は8000万人超、全人口の6割が利用--インターネット白書2007:マーケティング - CNET Japan

http://japan.cnet.com/marketing/story/0,3800080523,20350858,00.htm

インターネット白書2007」で見るインターネット現在(1)

http://internet.watch.impress.co.jp/cda/special/2007/07/03/16226.html

事業者別契約

http://www.tca.or.jp/japan/database/daisu/yymm/0701matu.html

図録▽パソコンインターネットの普及率の推移

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/6200.html

Windowsシェア減らす、快進撃のMac OS & Linuxに大きな勢い | パソコン | マイコミジャーナル

http://journal.mycom.co.jp/news/2008/02/05/045/index.html

世帯 - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E5%B8%AF

Yahoo!Googleより人気の日本、なぜと頭をひねる ?? @IT

http://www.atmarkit.co.jp/news/200606/14/yahoo.html

YouTube」の国内利用者が1,000万人を突破

http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2007/03/22/15150.html

ドワンゴ、「ニコニコ動画」利用者数が500万人突破 インターネット-最新ニュース:IT-PLUS

http://it.nikkei.co.jp/internet/news/index.aspx?n=NN001Y286%2021012008

ITmediaニュースブログ訪問者は1年で2倍の2000万超に 2chは990万人

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0511/29/news004.html

Yahoo! JAPAN - プレスルーム

http://pr.yahoo.co.jp/release/2006/0425a.html

japan.internet.com デイリーリサーチ - インターネット・ツール定期リサーチ(8):2006年4月7日――「RSS リーダー」利用率は14%

http://japan.internet.com/research/20060407/1.html

はてな、総ユーザー数40万人を突破 - はてなプレスリリース - 機能変更、お知らせなど

http://hatena.g.hatena.ne.jp/hatenapress/20060425/1145942577

はてなブックマークの裏側その後 - naoyaのはてなダイアリー

http://d.hatena.ne.jp/naoya/20061020/1161314770

気になる携帯サイト 制作者に聞く  1,000万ユーザーを超えた「モバゲータウン」の“今”

http://k-tai.impress.co.jp/cda/article/interview/39856.html

GREE - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/GREE

ビデオも手書きも「ウインク」も - さらに楽しくなったMSN Messenger 7.0 | パソコン | マイコミジャーナル

http://journal.mycom.co.jp/news/2005/04/07/001.html

利用者数トップは「 MSN メッセンジャー」(PDF)

http://csp.netratings.co.jp/nnr/PDF/0909_Release_J_final.pdf

【自主リサーチ調査結果】インターネット電話Skype等)に関する調査(上)??男性は国内利用、女性海外利用の傾向あり?? - 自主リサーチ調査結果 - Web2.0市場 - WebマーケティングイドWebマーケティング情報ポータルサイト

http://www.e-research.biz/profile/proweb20/003063.html

ITmediaニュースFirefoxが米独で勢力拡大。日本IEびいき?

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0505/13/news020.html

今、日本にはどこくらいのウェブサイトと、ウェブページがあるのでしょうか? ウェブサイトの数とウェブページの数のわかるサイトなど教えて下さい。.. - 人力検索はてな

http://q.hatena.ne.jp/1129046326

ハングルホームページ数、日本語の半分にも及ばず | Chosun Online | 朝鮮日報

http://www.chosunonline.com/article/20050321000002

日本語ブログ投稿数は世界第1位の37%--2006年第4四半期調査:ニュース - CNET Japan

http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20346610,00.htm

日本都市人口順位

http://www.tctv.ne.jp/mkim/geography/city_population_2001.htm

きっかけ

Browser.js m9っ`・ω・´)ネタです12:私が衝撃を受けた10の事柄 -大学生PC事情

http://browserjs.blog102.fc2.com/blog-entry-676.html

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