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2022-08-06

anond:20220806005642

今回の豪雨被災地人達鉄道に興味が無いと思う。

米坂線磐越西線復旧工事をするくらいなら、山形自動車道日東自動車道の片側2車線化を望んでいるのではないか

信じられないと思うなら、一度JR山形駅高速バス乗り場に来てみればいい。

仙台行きの高速バス乗り場は、平日でも満席状態で、鉄道なんか誰も乗らなくなっている。

2016-09-19

http://anond.hatelabo.jp/20160919143320

これって北海道民が「都道府県をペアにした時の〜」のネタからきたやつだろ?

俺のとはちょっと違うな。

新潟富山→米どころコンビ

新潟富山あんまつながりない。ていうかお互い興味ない。

しろ新潟福島とのつながりも捨てがたい。

戊辰戦争ときもそうだし、東日本大震災ではたくさんの避難者を受け入れていた。

から

福島新潟磐越西線コンビ

富山石川北陸新幹線コンビ

  

つかさ、余りを1県作るのが面白いところなのに3県作るって何事だよ

2011-05-20

行政は全疎開費用捻出できないなら、可能なところから対策を取れ

http://d.hatena.ne.jp/nanjou/20110515/1305416629

ガイガーカウンターで、郡山市の自宅や友人宅などの放射線量を計測。

>■郡山 自宅マンション

>屋内:0.1~0.2

ベランダ床表面:0.4~1.0

>■郡山 友人宅 戸建(木造

>屋内:0.1~0.8

>屋外:1.0~2.6

>庭の土表面:2.4~3.6

駐車場コンクリート表面:2.0~3.2

>ウッドデッキ表面:0.4~0.6(GWに洗浄済み)

>※単位はすべてマイクロシーベルト/時

ここの数値を参考にして、郡山市民の幼児リスク考察しましょう。

【ケースA】

屋外で3時間/日、木造屋内で21時間/日過ごすと仮定し、

計算木造屋内=0.8マイクロシーベルト/時、

屋外=2.6マイクロシーベルト/時と仮定。

(3×2.6+21×0.8)×365=8,979マイクロシーベルト/年

=9ミリシーベルト/年

【ケースB】

屋外で3時間/日、木造屋内で21時間/日過ごすと仮定し、

計算木造屋内=0.4マイクロシーベルト/時、

屋外=1.8マイクロシーベルト/時と仮定。

(3×1.8+21×0.4)×365=5,037マイクロシーベルト/年

=5ミリシーベルト/年

【ケースC】

屋外で3時間/日、RC屋内で21時間/日過ごすと仮定し、

計算上RC屋内=0.2マイクロシーベルト/時、

屋外=1.8マイクロシーベルト/時と仮定。

(3×1.8+21×0.2)×365=3,504マイクロシーベルト/年

=3.5ミリシーベルト/年

郡山市内でも、数百メートル離れると、線量が大幅に変わったりします。

仮にケースA、比較的「ホットスポット」の立地の木造住宅

ヨチヨチ歩きの2歳児がいる場合

単純計算で9ミリシーベルト/年の被曝です

2歳児の場合身長が低いので実際の線量が増加することも考えられますし、

また「土遊びをする」ので、内部被曝リスクもあります

こういう場合、ケースAで通常生活するのは、いささかリスクがあります

(因みに2歳児ですので、学校通ってませんから、今回の校庭土壌入替の影響は受けません)

であれば、郡山市地域において線量検査をし、比較的低汚染のスポット

ケースBの住居に転居すれば、リスクは約半分になります

ケースCのRCマンションに住めば、リスク3分の1になります

(ケースB、ケースCの家屋を行政が確保するなり、家賃補助するなりという次善策)

あるいは、「今の職場」と「乳幼児児童の安全」を両立させるため、

会津地方仮設住宅を設け、パパは磐越西線通勤する、という手法だって考えられます

中通りから全員疎開」という案もありますが、疎開費用の捻出が出来ないのであれば、

このように次善の策、三番目の策を皆で知恵を出すべき、ということを言いたいのです

2011-04-08

会津に行ってみた

会津観光旅行に行った。会津地方観光客が激減しているというニュース月曜日にみて、折よく暇だったため翌日朝一の電車に飛び乗り2泊3日の観光旅行、昨日7日夜東京の自宅に帰り着いた。せっかくなので、一観光客が見聞きした会津の現状や観光したうえで感じたことを書きたい。無計画性が災いし時間が足りず磐梯には行っていないので、会津若松喜多方のみの話となります

# # #

1.地震の被害

会津若松駅前の地下道が冠水、未だに復旧せず通行止めであったり、マンホールが隆起していたり、蔵の土壁が壊れていたりと、地盤のよい会津地方も少なからぬ被害を受けており、極一部の観光スポットが休業している。とは言えその数は少なくまた有名どころはたいてい営業しているし、会津内での交通インフラも問題ないので、観光への影響は少ない。

2.原発の直接的影響

大気中の放射線測定値についてはさすがに東京より高く毎時0.2マイクロシーベルトあたり(健康には問題のないレベルだが野菜や水からほとんど検出されていない。

http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/index_php/info_hazard/view.php

ちなみに、現地の某ラーメン屋に入ったら使用している野菜の原産地をしるす貼り紙があったんだけど、そのなかに福島産の文字がない。つまり暗に福島産は使ってないですよと言うアピールをしていて、なんかすごい切ない気持になった。

3.観光産業の現状

機会があればなるべく現地の人と話すようにしていたんだけど、異口同音さっぱりお客さんが来ないとのこと。前年比で95パーセント減と具体的に数字を挙げてくれた方もいた。これから景気は悪くなるだろうし、外国人観光客も減るだろうから地震前に戻るというのは何年たっても無理かもしれないが、さすがにこの減り方は異常事態。しかゴールデンウィークの予約もキャンセルが相次いでいるということもあり、その異常事態のおわりが見えないことが怖い。しばらく続くとバタバタとお店が倒れてしまうかもしれない。

4.今観光すべきなのか?

しかし、このような惨状を見聞きしながらも、会津を助けるために今すぐ観光すべしと人に強く勧める気に僕はなれない。理由はふたつ。今一番困っているのは被災民なのだから観光する暇と金があるならボランティアしろよ寄付しろよという正論がそのひとつ。そして会津地方は避難民を多く受け入れているというのがもうひとつの理由。関係ない所で自粛だの不謹慎だのと言うのはバカらしいが、さすがに避難民の目の前で呑気に観光と言うのは気がひける。じゃあどうすればいいのか? 現地の人にいろいろ話を聞いてみて思ったのは、今観光客が激減していることよりも、その異常事態のおわりが見えないというところに不安を感じている様子だった。ならば、被災者難民に配慮しつつ、会津人の不安を解消するには、この異常事態には終わりがあるんだよというメッセージを送ればいいのではないかと思う。それにはちょっと先、例えばゴールデンウィークホテルの予約を入れるというのがいいんじゃなかろうか。先が見えれば会津の人も安心すると思う。もちろんそこまで被災者難民に配慮する必要はないよと言う人は、空いている今が好機だと思うので、どんどん行った方がいい。じっくり見学ができるし、スタッフさんと話し込むことができるし、サービスしてくれる店もあったし、写真も撮りやすいし。酒造りはほとんど終わっており、桜はまだと言うことでオフシーズンなのが残念ではあるが。

5.アクセス

東北新幹線東北本線が運転見合わせで、東部鉄道だと時間がかかり、高速バスはキャパが少ないということを考えると、現状では車で行くのがベターかなという印象。車がなければバスにするか、新幹線東北本線の復旧待ち。郡山会津間を結ぶ磐越西線現在間引き運転中。まあゴールデンウィークまでには意地でも復旧するでしょう。

# # #

以下蛇足ガイドブックではそれほど注目されてないが印象に残ったところをいくつか、ご旅行のご参考までに。

A.さざえ堂(会津若松

平面六角形の木造二重螺旋建築。前々から見に行きたいと思っていたもので、今回会津旅行即断したのもこれがあったから。世界に類をみない奇妙な建築物でありながら、中を廻れるというのが魅力。ずいぶん痛んでいるが、昔から多くの人が入ったという証左であり、歴史の重みを感じる。10年くらい思いを熟成させかなりハードルが上がっていたが、それをはるかに上回る感銘を受けた。

B.長床(喜多方

新宮熊野神社の拝殿。イメージとしては木造パルテノン神殿(ただし規模は劣る)といった感じの、壁のない建物70年代解体修理復元工事をしており、建材は再利用しているものの建物自体は古くはない。しかし、中にのぼれるという魅力には抗しがたいものがある。また木造大鳥居も時代がついていていい。

C.甲斐本家階段喜多方

蔵座敷で有名な甲斐本家だけど、注目は売店のなかにある螺旋状の吊階段。彎曲した側桁が一枚で、しかも曲げたのではなく削り出したのだという贅沢なつくり。店主が話好きのおじさんで、面白い話が聞けた。

D.割烹田季野(会津若松

名物輪箱飯(わっぱめし)の元祖。値段は高いが当然のようにうまいカウンターの隣には、とある形をした黒塗りの木造が鎮座ましましている。珍妙なことに、その木造には色々な国の紙幣が貼ってあった。訊くと、賽銭感覚外国人観光客が貼っていったものらしい。ちなみに、2泊3日の旅行外国人を一人も見かけなかった。

2010-02-26

曇っている街


 大学時代親友とふたりで裏磐梯へ行った。

 大宮に集合して、東北本線郡山経由、磐越西線で磐梯へ。

 男ふたり。

 たしか青春18切符だった。

 大学ではいいことなくて、親友も沈んで電話で話す。

「なあ、18切符でどっかいかない?」

「え? いいけど、涼しいところがいいな。どっかある?」

 夏だった。

「裏磐梯とか、考えているんだけど」

 それを聞いたとたんに心が弾む。うきうきして鞄を探す。

「なあ、今からでれる?」

「当たり前じゃん」

 そうやって、大宮から東北本線に飛び乗って、ふたりで車窓をぼんやり眺めながら、算段する。途中下車できるから、喜多方まで行ってラーメン食うか、一応ガイドブック買ってきた、お、用意周到じゃん。

「なんか探しておいてよ、任せるよ」

 そういってぼくは車窓を流れる畑と建物を見る。送電線を見る。びゅんびゅんと遠ざかっていく東京をただ眺めていると、ふしぎと心が軽くなっていく。暗い薄曇りの街を飛び出して、陽が差す田舎がものすごい速度で流れていくのをただぼんやりと、片肘突いてペットボトルお茶を飲んでいると陽が差してくる。

「なんかさ、都会って暗いよね」

「あ? あー、ビル多いからな。このへん何もないから」

 そうか、太陽を遮るものがないからか。

 がたごとびゅんびゅんそれは実に爽快だった。

 それが始まりだったか、ぼくは何か暗く雲がわいてきたようなときには、いつも電車に飛び乗る。どこでもいいから場所を決めて、朝早く起きて電車に飛び乗る。それで、自分の住んでいる街から一時的に避難する。

 長距離列車はいつもご機嫌で、陽の差すところを突っ走る。

 東海道本線東北本線高崎本線、宇都宮本線。

 まばらな建物の中を、都会の私鉄に慣れた人間には驚くほどの距離を、あっという間に走ってしまう。

 片肘突いて、お茶を飲んで、音楽聞いて、小説読んで。

 それであっという間に目的地にたどり着く。

 新幹線はもっとすてきだ。

 宇都宮だろうが、高崎だろうが、三島だろうが、浜松だろうが、ぼくは新幹線に乗る機会があれば、それを逃さない。

 改札をくぐって、重厚なホームへ行けば、そこには八戸山形からの新幹線が滑り込む。スキー客やら、帰省客やら、馬鹿でっかい旅行かばんを抱えた飛行機組やらの間を抜けて、その広いシートに腰を下ろす。

 ベルが鳴って、滑るように新幹線は走り出す。

 ぐんぐんとした加速が始まり、街が遠ざかっていく。

 それが東京でも、品川でも、宇都宮でも、三島でもいい。

 通常ではあり得ない速度で、ビルびゅんびゅん駆け抜けていくのを見ているだけでいい。自然に心が弾み始め、爽快な気分になっていく。時速三百キロで移動するのは実に心が弾む。

 いやなことなんて、そのビルと一緒にどっかへいく。

 きっとこうなんだとぼくは思う。

 ぼくは長距離列車で、曇った自分の街を逃げ出し、陽の差す所へ行き、そして超高速で新しい自分の街へ帰ってくるんだって。行って帰ってくると、一皮脱皮した、別の街になっているだって。

 そう書いて気付く。

 やはり曇っていたのは、街じゃない、自分なんだ。

 
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