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はてなキーワード: 標準化とは

2010-05-01

Appleは善良な企業

http://jp.techcrunch.com/archives/20100430joe-hewitt-web-development/

アンチMSは聞くけど、アンチAppleは聞かない

MSは囲い込み戦略を、その決して洗練されていないソフトウェア品質から叩かれることがあるけど、

確かに、独自技術特許で固めることはしていなかったように思う。

現に、Ajaxテクノロジーは、基礎をIEの独自拡張から始め、firefoxなど他のブラウザの実装に発展してきた。

Adobe Flashも同じくユーザーに何一つ強制はしていない。

そして事実上今日の一般的なミドルウェアとして使われている。

そのFlashプラットホームを、Appleは否定しているものの、

では、代替となりえる技術Appleが開発して W3C標準化を求めるかというと

そんなことはしていない(HTML5Appleが推進していたのかどうかは知らないけど)

ただ、ネットをもっとオープンで誰もが自由に使えるものにしようとしている気がした。

Mecabがこれから iPhoneプラットホームで使えなくなる(広義)という話を聞いて

珍しくApple非難が一般デベロッパ・一般ユーザーからも出てきたな、と思ったところではたと気づいた。

iPod移行、Apple には Google よりもクリーンイメージ自分の中にあったのだ、と。

では Appleは善良な企業か、Google のように「悪いことはしない」という企業哲学に基づいた経営なのかというと

それは分からない。

Apple は善良な企業なんだろうか

2010-03-22

http://anond.hatelabo.jp/20100322191838

日本人労働生産性の低さ」でぐぐってみてるんだけど、例えば下記のようなものはどうだろうか。

http://samuraicolumn.blog109.fc2.com/blog-entry-13.html

形式主義とコミュニケーションの重視が効率を下げているという論だが。

あるいは「日本には海外展開を狙ってきた経緯から安売り指向が染み付いている」とする説もある。

http://plaza.rakuten.co.jp/initia/diary/200911280000/

「営業や事務職で標準化が行われていないため」

http://qa.mapion.co.jp/qa3454839.html

労働生産性の低さにビビるのはもうやめよう」 労働生産性の低さに助けられていると言いながら雇用を流動化せよという結論がおかしい

http://fukui.livedoor.biz/archives/2579369.html

ウソか本当か~「ニッポン労働生産性が低いのはサービス業が悪いから」』サービス業って例えば何だろう?範囲広すぎじゃない?

http://business.nikkeibp.co.jp/article/pba/20080619/162818/?P=1

日本は驚くほど低料金で高品質サービスを提供している」わかった!品質を下げて、料金を上げれば日本労働生産性の低さは改善する!・・・アレ?

http://d.hatena.ne.jp/dkfj/20091023/1256267965

2010-03-19

ttp://home.att.ne.jp/sigma/satoh/diary.html#20100310

標準化は他社には見せない技術、つまりブラックボックス化した技術とは組み合わさってはじめて儲けにつながります。GoogleAppleMicrosoft標準化をすすめる同時に、GoogleWeb検索を含むインフラ側を徹底的に隠していますし、Appleコンテンツ販売の部分は徹底的に隠しています。日本企業はこのあたりがお人好しというのか、前述のように標準化というと日本では非営利な崇高な作業と思っているのか、ブラックボックス化した技術をもたずに標準化をすすめるので、標準化がうまくいっても、儲かる部分がないということになります。

2010-03-16

能率と効率の違い

ttp://www.soubunshu.com/article/112989846.html

職人という言葉には総じて良いイメージがあります。「職人肌の人」と言えば、まじめに一つのことに対してコツコツと追求する人のことですから、私もそういう人が好きです。特に最近中国人には「眼高手低」(望みは高いが、実行力がない)のような人が多いので余計に職人への偏愛が高まります。

しかし、世の中の理屈には絶対的なものが存在しないのです。日本人が好む職人魂が日本産業をよくしてきたと考える私にはショッキングな話を耳にしました。あのトヨタ式の導入の第一人者である若松義人さんの話です。

先日、久しぶりに若松義人さんとランチしながら雑談しました。なんと彼は「トヨタ職人に頼らない。誰でも作れるようにするのがトヨタの強みだ」と言い切ったのです。

そういえばそうです。トヨタ自動車世界のトップメーカーになっている現在、その従業員も工場市場も殆ど日本以外にあります。名実共に日本発のグローバル企業日本の誇りですが、日本職人に頼ったら今日はあり得ないのです。

反対に衰退の一途を辿っているGM職人に頼っているそうです。単一の車を生産する工場が多く、その工場の中で単一の作業に特化した工員も多いそうです。結局良い時はいいのですが、変化が必要な時には対応が遅れてしまいます。

トヨタ工場では同じ生産ラインでも様々な車を生産することができます。また工員はなるべく多数の工程と作業を経験するように経営側が促しています。市場の変化に柔軟に対応できるようになるだけではなく、工員達が常に頭を使い、飽きないようにする工夫でもあるそうです。

職人」はなぜいけないか。この質問を若松さんにぶつけたたら面白い答えが返ってきました。「職人は能率を求めるが、経営は効率を求める」と。

私のような外国人がもちろん、多くの日本人も「能率」と「効率」の区別ははっきり付かないと思います。若松さんは「能率は職人能力部分最適化であるが、効率は経営能力全体最適化だ」と言い切りました。

若松さんが紹介してくださった広州トヨタの事例が面白いと思いました。広州トヨタの従業員の平均年齢は23歳です。当然皆、経験の浅い従業員ですが、生産ラインの直行率(完成車の合格率)は98%に達しているそうです。なんと日本工場でも96%にしかいかないので広州トヨタ世界一品質に到達していることになります。ちなみに倒産寸前のGM直行率は60%台です。

トヨタ改善についても知らない人はいませんが、どうもその改善の中身についてはかなり各企業勝手解釈しているようです。社員が自由に集まりそれぞれ自分改善を自慢する会社が多いと思いますが、トヨタ改善は作業の改善ではなく「標準」の改善だそうです。

トヨタ式においてはどんな作業にも必ず標準があり、どんな社員も必ずその標準に沿って仕事をするのです。改善とはその標準への改善であり、標準が変わった以上、誰が作業してもその標準を保証しなければなりません。作業毎、工程毎の標準が保証される仕組みがあるから、最終的な直行率が自然保証されるのです。

日本語の「標準」はなんとなく「マニュアル」、「不変」というイメージがありますが、若松さんの話を聞くとトヨタの標準とは時間軸において常に変化するものだと気付きます。

「営業、総務、サービス業など生産現場以外の経営においては標準化への理解と取り込みはもっと遅れている。開発、生産と営業が連携して標準化改善を進めないと企業競争力がますます落ちる」と若松さんは警告しています。

2010-03-13

当たったら面白いから予言しとく

まだあまり話題になっていないようだけど、とんでもない事態だと思う。

Apple社ユーザー自作のePub電子書籍もiBooksアプリで自由に閲覧できることを明らかに

http://hon.jp/news/1.0/0/1477/

EPUB(いーぱぶ)とは米国電子書籍標準化団体の1つであるInternational Digital Publishing Forum(IDPF)が普及促進するオープン電子書籍ファイルフォーマット規格。

http://ja.wikipedia.org/wiki/EPUB

単なるテキスト形式(XHTML)なので、形式さえ守れば誰でも書ける。

これが見本。

http://www.kobu.com/docs/epub/index.htm

DRMがかかっていない電子書籍の読み込みを許可したってことは、ePub形式が音楽で言うMP3にあたるものになるはずだ。

つまり近い将来、現在zipでばらまかれているような漫画などの出版物が、さらにキッツいことになる。

単なる画像の集合体で、解凍や閲覧ソフトインストールなどの敷居があったzipではなく、リーダーと標準仕様が出来てしまった場合、一般層に恐ろしい勢いで普及するはず。

iPadは単なる点火台でしかなく、数年後には3千円とかのレベル電子書籍リーダーがその辺のTSUTAYAなどで売っているような事態になるだろう。まさにmp3プレーヤーと同じ流れだ。

スキャナOCR(文字認識)→ePub形式にフォーマットを整え、配布出来る状態にするような一連の流れを自動化するソフトもあっという間に整うと思われる。

そして違法アップロードに対抗するために国内出版社電子書籍ガチガチDRMを掛け、消費者にそっぽを向かれる。

しかし結局DRMの掛けようがない紙による出版をやめるわけにもいかず、結局流出は止まらず、出版業自体が沈没して行く。

この辺は音楽CDと同じ流れ。

まさに破壊イノベーション

混乱Loverなら喜ぶのかもしれないが、本屋としては死刑宣告をされたようなもの。困ったもんだ。

生き残るには自らが破壊者側に回るしかないというのもなあ。

2010-03-08

ttp://ssig33.com/blog/2010-03-08-1.html

さらに問題な点として、日本では実質無職者はアパートを借りることが出来ない。制度設計が一度とにかく住みついた人に有利すぎるように設計されているので、得体の知れない人間を住まわせるというのは大家には非常にリスクとなる。

結果として失業給付を使い果たし、貯金を使い潰し、転職の為に転居しようにも部屋を借りることは出来ず、ジリ貧となって、かくして労働者の破滅が達成されるのであった。

という訳で「整理解雇四要件を緩和せよ!!!」というふうなのは一方的な話であって、その前提として

1. 企業の業務を標準化すべき

2. 労働組合を現代的に再編すべき

3. 職業訓練をより現実的に再編すべき

4. 借地借家法を改正して無職者でも部屋を借りられるようにすべき

というあたりが最低限としてあると思います。これらのことに触れずに「解雇規制を緩和せよ」と叫んでいる経営者は、単に楽して馘を切りたいだけのワガママちゃんと見ていいと思います。

じゃあこんなハードルクリアして日本が変わっていけるかというと、そんなことはまずないと思います。どんどん若い人はジリ貧になってくんじゃないでしょうか。

2010-02-23

太陽光のコストは7円/Kwhに下がる」の大嘘

http://sangyo.jp/ri/pv/pv2009/article/20090609.html

太陽光発電において、工事費は約3分の1を占める。

現状のコストが50円/Kwh程度なので、

その中で約16円/Kwhは工事費が占めることになる。

NEDOは「2030年には太陽光のコストは7円/Kwhに下がる」との

ロードマップを示しているが、仮にモジュールコストゼロ同然になったとしても、

電気工事店の施工手間」(要は人件費)は、さほど下がらない。

架台の標準化や施工工程標準化を進めたとしても、

工事費を下げるのは至難の業だ。

超楽観的シナリオで、モジュールはタダ同然、パワコンもタダ同然になったとしても、

「施工費が半分以下にならなければ」、太陽光発電のトータルコスト

7円/Kwhにはならない。

実際には、良くて15~20円/Kwh程度までしか、下がりようがないのでは

ないか?

唯一、家庭用太陽光ではなく「メガソーラー」にすれば、

施工コストが薄まるので、7円/Kwhの可能性は出てくるが、

そうなると、現状の「家庭用太陽光には手厚く、業務用太陽光には手薄」な

太陽光普及政策とは矛盾する。

太陽光普及の鍵は、シャープやQセルズが頑張ってコストダウンすることよりも、

工事店の合理化・効率化でしかないのだが、

それを指摘する声が少ないのはどういうことか?

http://blogs.yahoo.co.jp/hose_solar/18114497.html

でも似たような主張がされている。

2010-02-04

そして後ろから撃たれる

コンピューターは大好きだった。

学生の頃からサーバーとかプログラムをやってたおかげで、SIの会社に入社してからはちょっとしたヒーローだった。

寝る間も惜しんで働いて、案件を片っ端からざくざく片付けた。

元々スケジュールも厳しいので納期優先だ。みんなそれを望んでた。

適材適所に合わせて効果的な言語環境フレームワークライブラリを選んで組み合わせた。

ライブラリフレームワークバグがあれば自分で直した。OSS万歳だ。

本もばりばり読んだし、勉強会にもたくさん顔を出した。

結果を残してきたつもりだった。

これがSEの生きる道だと信じてた。

そうして何年かが過ぎて、案件の山が落ち着いてきたころに異変が起きた。

周りが一斉に今まで構築したシステム保守できないと言う。うわ。顔がマジで怖い。

遊び半分でシステムを作られても困ると言う。デザインパターンフレームワーク趣味ですか。そうですか。

一から十まで書いてあるドキュメントや、コードの中身も手取り足取り教えてくれないと無理らしい。

技術を自慢したいだけなんじゃないかとか言う。自慢するならもっと別の使ったのになあ。

いやー、さっぱりわかんないんですよねー。という声があちこちから聞こえてきた。

今までがんばってきたことがばからしく思えてきた。

当時彼らは何をしてたんだろうか?

技術を覚えることよりスパゲッティの山と格闘することがお望みか?

標準化?標準生産性?一体「標準」って誰のことだ?

自分が出来ない理由を他人に求めてるようにも思えたが、もう何も言わないことにした。

過労と後ろから撃たれたダメージ病院に通い、ひっそりと会社を辞めた。

今?もちろんコンピューターは好きだ。でもコードはかけなくなった。思考が5分と続かない。

良くできる今年卒業学生の皆さんへ。どうか出過ぎないように。

頼れる仲間無しで、絶対に一人で本気出してはダメ。絶対。

2010-01-16

さらば、わがチャイナ

ttp://japan.cnet.com/blog/kurosaka/2010/01/14/entry_27036492/

単に「Google先生vs.中国様」というアングルで盛り上がるのも十分楽しいのだが、考えすぎることを生業とする私はもう少し問題は複雑だと思っている。というのも、中国様の特殊性というのは、ネット周辺でも本件に限ったことではなく、またそもそもネット以前のあちこちで見られる代物だからだ。

 

たとえばネットに関して言えば、実は従来から下位層やセキュリティのあたりでは話題になっていた。先に触れた検閲もしかりだが、ドメイン名レイヤー2/3あたりのプロトコル設計、あるいはルーティング設計で結構好き勝手やっている、というのはよく知られたこと。最近ではIETFITU周りの標準化でも暴れており、その界隈では結構頭の痛い問題となっている。

 

またIPアドレス枯渇問題とIPv6移行問題でも、中国世界から見て悩ましいポジションにいる。放っておけばIPv4アドレス中国が全部飲み込んでしまうし、取引解禁がアナウンスされた昨今では、彼らが札束でこれを買いにくる可能性は否めない。特にクラスAの一部は伝統的に個人(あるいはそれに近い団体)が所有しているものがある。目の前に金額欄の真っ白な小切手が置かれた時、何が起きるかは定かではない。

 

このように、何でもアリの「オレ様エコノミー」である中国を相手にしたビジネスは、率直に言えばリスクが大きいわりに、リターンが少ないまま終わってしまうということである。実際Googleでさえもそうした状況にある。つまるところ、中国企業以外は魂でも売らない限り、中国相手にろくなビジネスはできない、ということなのかもしれない。

2010-01-11

ファクト - 思考実験

ありえる未来の話、中国世界覇権国となっているこれから50年後の世界インドだって凄い。その時日本は衰退しつつあって、才能ある若者皆中国でチャンスを掴むために移住していく。中国多民族国家になりつつある、特に経済特区地域に関してはそう。

日本人口構成、GDP国債比率、このままどうなるか。

よくある議論としては、民主党政権が1回あった後、自民党政権に戻る。(4年後とか?)そこで上げ潮議論が再度台頭して、というかグリーンな国?というか戦後そんな議論がずっとあったくせにいまだにそのまま。ということは、今後も変化はないのか。移民受け入れは合法・非合法共に関係なく進むと思われ。なので地域によっては住みづらい地域も出てきて治安も悪くはなるが、諸外国ほどではない。移民参政権が認められることで国政も大きく変化、日本もしぶしぶ他民族国家への道を歩むが、もはやその段階で国際的発言力や存在感はなく、中国アジア諸国をリードして、アフリカ(その頃の新勢力)と手を握って経済成長を引っ張りつつある。そんな中、新たな経済圏も生まれつつある?かつて先進国だった国々からドロップアウトした若者アフリカなどの国に移民して新たな生活圏を確立ゼロベースでやり直そうという動き、そこも長期的にみれば新たな勢力になりつつある。

ITはさらに革新が進み、人の移動なくして情報の移動性で世界はより小さく、フラットに。宇宙開発も進み、家一件分ぐらいの値段で宇宙に行くことも可能に、個人もいける。さらに長距離ロケットが開発されて、太陽系以外への進出も考えられるように。

世界中の人々が情報を手に入れるとどうなるのだろうか?より不幸になる?自分の現状を比較対象として考えてしまうから?経済的に(社会的ではなく)考えてしまうから?ここれから起こり得る医療革新科学革新寿命がさらに延びる、延命治療、癌を治す技術アルツハイマーを治す技術遺伝子を操作する技術不妊症を治す技術、融合が進んでいく世界文化、もしくは2つ以上の文化自分のものとして会得することが普通に、もしくはそういった若者の増加、多様性容認の高まり

お金は、貨幣デジタル化が進み、世界通貨の可能性が模索され、もはやヒト、カネ、モノ全てにおいてヒトだけが差別化要因になる。

というか現実貨幣はそのままなんだけど、google2014年仮想通貨制度を導入、それを使えばgoogleお金を預けるだけでどこにいても決算が簡単可能になる。巨大企業によってさらにフラット化が進む世界世界規模で勢力を伸ばす多国籍企業の勢いに追いつくために、ヨーロッパアメリカアジアアフリカと大きく4つに分けた地域で法制度確立が求められる。

こうなってくると、世界のどこに住むかは、どの気候や文化を好むかということになり、それ以外の制約はなくなる(google決済サービス給与も振り込まれ、google rent家賃も振り込めるのだから)

さて、そのgoogleに大きな脅威が現れる。それは革新するロボット技術であり、そもそも経済活動の根本である、ヒト、モノ、カネのヒトを省いてしまう可能性があった。経済活動において、自分で考えるAIを載せたロボットが登場し、ロボット労働をしてくれるのだ。しかもアフリカの振興企業の勢いもあり(中国企業もそれには手をやいていた)次々と価格破壊が起こるロボット市場。1月分ぐらいの給料自分ロボットが手に入るようになる。さらにはロボットOSのオープン化、規格標準化が行われ、ソフトウェアアップグレード(それも自動)で凄い勢いでロボット進化するようになる。身体の一部にロボットを組み込む人間も現れる。もはやここからはSF世界だけれども、その辺までは進む気がする。そこで落ちぶれた日本企業が再度注目される?アトム?笑

若い人々は比較的新しい文化を受け入れ易く、かつ自分たちの文化を形成し易いので、法制度経済圏などが確立していれば後は気候などで判断する。沖縄が人気になっており、多くの若者中国にも近い沖縄コミューンを作って暮らしている。沖縄日本経済特区となり、国際空港やITインフラが整備されている。物語は、そこから始まる。

2009-12-02

銘と命。

それこそ戦時中国家に逆らったら非国民と呼ばれた。(空襲釣りとかもってのほか・笑)

今でも社会市民として税金を納めない者は〜だとかで。「国家」では無く「社会」。

これぞ「標準化あるいは抽象化」であろう。グローバルスタンダードは物事を酷く抽象化する嫌いは有ると思う。

脱税総理鳩山真相は如何に?よりも、「カーチャンのおこづかい」にしては額がデカ過ぎる事が気になります。

エヴァンゲリオンでも作るんでしょうか?・笑)

今更ながら「国家」に注目が集まって来ているのは良い兆しだと思う。

しかしながら、その「国家」に裏切られたら、拠り所は有るのかい?というのが気になってならない。

戦争の香りがするのはその為だろう。

                      〜T/H

2009-11-28

HTMLを体系的に理解するための7仕様

はじめに

最近マークアップエンジニア志望の若者と話す機会が多いのだけれど、そこで気づかされるのは、彼らの中に過去HTML(特に90年代以前の仕様)を読んだことのあるという人が、驚くほど少ないことだ。

例えば「マーク・アンドリーセンをどう思う?」と聞くと、「アンドリーセンって誰ですか?」という答えが返ってくる。「ヨスケの独自要素で何が一番好き?」と聞くと、「見たことがありません」と言われてしまう。「ではきみは、昔のHTMLを見たことがあるの?」と聞くと、たいていが「とほほでやっていたものくらいなら……」という答えしか返ってこない。

今の若い人の間では、HTMLを体系的にとらえようという人は少ないようだ。見るのは専ら近年の話題仕様ばかりで、歴史を辿ってみたり、系譜をひもといて標準化団体ごと理解しようとする人はほとんどいない。

これは、ちょっと由々しき問題だと思わされた。HTMLは、もう長いこと(90年代の早い時期から)インターネット王者としてあらゆるWeb関連技術の上に君臨してきた。だから、Webを作ることを仕事にしたいなら、何をするにせよ避けて通ることはできない。

HTMLは、表・画像・フォーム・音楽デザインフレーム動画など、さまざまな分野においてその時代々々に達成された最新の成果を持ち寄るようにして作られてきたところがある。だから、HTMLを読まずして現代のインターネットは語れないと言ってもいいくらいだ。

もし何かクリエイティブなことをしたいのなら、HTMLを読むことは欠かせない。また、単に読むだけではなく、それを包括的・体系的にとらえることも必要だ。なぜなら、HTML包括的・体系的にとらえることによって、現代のインターネットそのものを、包括的・体系的にとらえられるようになるからだ。そしてそうなれば、Webを作ることの道理や筋道が理解でき、何かクリエイティブなことをする上で、大きな助けとなるからである。

そこでここでは、昔のHTMLをほとんど見たことがないという人や、あるいはHTMLそのものもあまり見ないという人のために、これを見ればHTMLを体系的に理解でき、現代インターネットの成り立ちや実相までをも包括的にとらえることができるようになる、7本の仕様を紹介する。

ここで紹介するHTMLは、いずれも後のWeb業界に決定的な影響を与えたものばかりだ。これらが、HTMLという標準のありようや方向性を決定づけた。この7本を見れば、HTMLというのはどのようなきっかけで生まれ、どのような変遷を辿って、どのような足跡を残してきたかというのが、体系的に理解できるようになる。そしてそれが、世界インターネット利用シーンにどのような影響を及ぼしてきたかということも、知ることができるようになるのだ。

HTMLを体系的に理解するための7本の仕様

1本目『HTML 3.0』(1995年

まず最初は、ちょっと強引かも知れないけれど、第一次ブラウザ戦争前のHTMLをひとまとめにするところから始める。

80年代末にティムバナーズ=リーの発明したHTMLというメディアは、その後『HTML 1.0』(1993年)『HTML+』(1994年)『HTML 2.0』(1995年)などの仕様で次第にそのスタイル確立していき、マーク・アンドリーセンが一大産業として発展させた後、『HTML 3.0』に行き着く。そして幸運なことに、ここに集大成されるのだ。

ブラウザ戦争前のHTMLは、これ1本だけ読めば良い。このHTMLに、戦前HTMLの全ての要素(属性)が詰まっている。このHTMLを見れば、HTMLインターネット王者としての風格、スターという存在の大きさ、作者以上にブラウザが重視される「産業」としての側面、お尻Pから終了タグ省略可へ・文字情報から画像付きへと移り変わった技術革新の変遷など、戦前HTML史やWeb業界のありようが全て分かるのだ。

このHTMLの魅力は、説明し始めるといくら紙幅があっても足りないので、ここではその一端を紹介するにとどめておく……といっても、気の利いたことを言えるわけではない。『HTML 3.0』の魅力を知るには、まずは読んでもらうこと――これに尽きるからだ。そして、もし一度でも読めば、その魅力はたちどころに理解できるだろう。

HTML 3.0』を見て驚かされるのは、現在HTMLと比べても全く遜色ないところである。破棄されてから14年の時が経過しているが、現代人の読解にも当たり前のように堪えうるのだ。それは、逆にいえばHTMLというものは、今から14年前、つまりこの『HTML 3.0』が作られた時点で、様式として一つの完成を見たということでもある。

HTML 3.0』は、HTMLという標準が到達しようとした一つの極みである。それゆえ、HTML史というものは、『HTML 3.0』以前と以降とで分けられるようになった。これ以降に作られたHTMLで、『HTML 3.0』の影響を免れたものはないからである。

2本目『Compact HTML』(1998年

iモード世界HTML史に与えた影響というのは、一般に理解されているよりもはるかに小さなものである。日本人というのは、「日本技術世界に影響を与えた」というと、なぜか鼻高々と聞いてしまうところがある。「日本ガラパゴス」という言葉は聞いたことがあっても、「それって日本人過小評価しているだけじゃないの?」と、眉に唾をしてとらえるところがある。

しかしiモードは、真に日本HTML史を塗り替えたサービスの一つである。特に、このサービスの後世に与えた影響には、本当に計り知れない大きさがある。

iモードは、ドコモメインストリームだったポケットベルが、それまでの栄華の反動で深刻な低迷期に陥っていたPHS流行後すぐの時期、そんなポケットベルに取って代わって、日本で最も輝いていた携帯サービスであった。それゆえ、広末に見蕩れ世界HTMLファンたちは、iモードWebサイトを見ることによって、失われかけていたWeb制作の魅力を再発見することにもなったのである。

iモードは、没落したHDMLに変わってモバイルWebの命脈をつなぎ止めた、言うならば救世主のような存在であった。海外モバイル陣営が営々と築きあげてきたそれまでの栄光を切り捨て、日本の後代へと引き継いだ重要リレー第一走者としての役割を、HTML史において担ったのである。

そして、そのバトンを受け取った日本の若きWebデザイナーたちが、2000年代に入って雨後の竹の子のように現れたことで、モバイルWebは鮮やかな発展を遂げる。だから、もしiモードが存在しなければ、HTMLの様相は今とは違ったものになっていたかもしれないのだ。

そんなiモードHTMLバージョンはいくつもあるのだが、中でも特に多くのHTMLファンを――取り分け日本の若きWebデザイナーたちを魅了したのが、この『Compact HTML』である。この仕様の一番の魅力は、なんといってもその大胆に構築されたW3C Noteであろう。HTML史において、これほど拡張多く適当ディテールで構成されたNoteは他にない。そのためこのNoteは、これ以降無数に手本とされ、真似され、拡張されることとなるのである。

3本目『HTML 4.0』(1997年

正字仮名の影響を受けた日本の若き日記書きたち――言うなれば「CSSコミュニティ」――が頭角を現す直前のW3Cで、HTML史に乾坤一擲の巨大な爪痕を残した1本の仕様誕生する。

この時期、情報技術進歩によって、HTMLにもさまざまな新しいテクノロジーがもらたされていたのだが、それらを十全に取り入れたばかりではなく、縦横に駆使することによって、これまでとは全く違った国際化、全く違ったアクセシビリティ体験を生み出すことに成功したのが、この仕様HTML 4.0』を勧告したWorld Wide Web Consortiumである。

HTML 4.0』は、HTML史において最も革新的な仕様の一つとなった。この仕様に初めて触れた当時のWebデザイナーたちは、そのあまりの目新しさに度肝を抜かれた。そこでは、これまで全く見たことのないマークアップがくり広げられていた。そのため、これまで想像さえしたことのなかった全く新しいHTML体験を、そこで味わうことになったからである。

W3Cの果たした一番の功績は、テクノロジーHTMLを見事な調和をもって融合させたことだろう。例えばそこでは、「スタイルシート」という新しい技術デザインと、それでレイアウトされたページが閲覧者に与える独特の感覚というものを、双方ともに熟知していた。だから、それらを効果的に融合させることによって、全く新しいHTML体験を生み出すことができたのである。

この仕様HTML 4.0』には、そうしたテクノロジーHTMLとの融合が、至るところに散見できる。その数の多さとクオリティの高さによって、HTMLはここに、新しい時代の幕開けを迎えるに至ったのである。

4本目『ISO/IEC 15445:2000』(2000年

先に述べた「CSSコミュニティ」がWeb日記業界に論争をもたらすのは、2000年代に入ってからのことである。そして、そのきっかけとなったできごとの一つが、1947年生まれの非政府組織で、IECとも協力した生粋工業標準化団体であった国際標準化機構が、この仕様ISO/IEC 15445:2000 (ISO-HTML)』によって成功を収めたことである。

このHTMLは、単にJIS的に標準化しただけではなく、文化的な意味においても、フラットリニア構造の力を広く世界に知らしめることとなった。この仕様の成功によって、世界の人々は、レベル付けされた見出しの魅力の大きさを知る。そしてそれが、やがて見出しレベル分けが世界スタンダードとなり、誰もが当たり前のように使う状況を育んでいくのである。

またこの仕様は、CSSコミュニティそのものにも大きな影響を与えた。この仕様の成功に刺激を受けた才能ある若きコミュニティ住人たちが、その後立て続けに台頭し、いくつもの名サイトを生み出していくからである。

それらが相まって、やがてCSSコミュニティは空前の黄金時代を迎えることになる。その端緒となり、道筋を切り開いたのが、他ならぬこの『ISO-HTML』なのだ。

5本目『XHTML 1.0』(2000年

HTML 4.0』で繁栄の足がかりを築いたW3Cは、この仕様XHTML 1.0』によって、ついにその栄華の頂点に達する。そして、それを成し遂げたメタ言語も、W3C勧告のの一つであり、また『HTML 4.0』を作ったSGMLの改良でもあった、Extensible Markup Languageであった。

この勧告は、史上最も商業的に成功した仕様となる。そのためこれ以降、この勧告にならって商業バズワードを盛り込んだ仕様が数多く作られるようになり、しかもそれらが、実際に大きな商業的話題を集めていくのだ。すると、そこで生み出された多くの意見は、やがて再びW3C還元され、さらなる発展をもたらすことにもつながった。

そんなふうに、この仕様がきっかけとなってW3Cにもたらされた意見は、HTMLという言語を変革させていくことになるのだが、それに伴って、HTMLそのものにも大きな革新をもたらすことになる。

その変革も、他ならぬW3Cの手によってなされた。ここで『XHTML 1.0』の成功によって手にしたメンバーをもとに創設した文書マークアップの開発集団「HTML Working Group」が、より魅力的な拡張性を追求していく中で、やがてM12n(モジュール化)という技術の開発に至るのである。するとそれが、これまでのHTMLを一変させたのだ。

M12nは、HTMLに魅力的かつ効果的な特殊語彙を、DTDでしかも複雑怪奇にもたらすことに成功した。おかげでそれは、あっという間に世界から見捨てられていった。そのため今では、M12nの使われているHTMLを探す方が難しくなったくらいだ。それくらい、この『XHTML 1.0』がWeb業界にもたらした変革には、大きなものがあったのである。

6本目『XHTML 2.0』(2009年

2000年代以降、繁栄を謳歌したW3Cは、しかしその栄華の大きさゆえ、00年代中盤に入るとそれを存続させることに力をそがれてしまい、革新的な仕様はなかなか生まれてこなくなった。

しかし、そんな時代が5年は続いた00年代の後半になって、今度はその栄華のただ中で育った新しい世代のHTML WGメンバーたちが台頭してくることにより、再び変革の時を迎えることとなる。

その新しい世代のHTML WGメンバーとは、マイクロソフトモジラファンデーションオペラらに代表される「ブラウザベンダ」と、無関係な編集者たちであった。

彼らに共通するのは、文書構造に不必要なものなら全て――とるに足らないガジェット的なものまで含めて――残らず切り離そうとする「オタク的な性質」を持っていたことだ。

彼らは、それまで見過ごされがちだったHTMLの些末な要素にスポットを当て、それを別仕様に押し出すことで、従前とは一風変わった、新たな魅力を持った草案を生み出していった。そして、その真打ち的な存在として00年代の後半に登場したのが、XHTML2 Working Groupだ。

XHTML2 WGは、特に99年に最後の草案が作られたこの仕様XHTML 2.0』によって、オタク的なHTMLの楽しみ方が、一部のマニアだけにとどまり、それ以外の多くの人たちには受け入れられないことを証明してみせた。この失敗が、デ・ファクト的な新生HTML WGにさらなる脚光を浴びせることになったのはもちろん、それに影響を受けたWeb WorkersやDOM Level 3 Eventsといった、次世代のWeb標準たちの誕生にもつながっていったのである。

7本目『HTML5』(2022年?)

最後は、第二次ブラウザ戦争集大成ともいえるこの仕様である。

HTML5』は、HTML史においては『HTML 3.0』と同じような意味を持つ。つまり、それまでのHTMLの要素が全て詰まっているのだ。この仕様を見れば、それ以前のHTML歴史というものが全部分かる。

HTML5』には、HTMLのあらゆる要素が詰まっている。ここには、『HTML 3.0』のような歴史的な仕様としての「総合性」があり、『Compact HTML』のような「実装の実在さ」がある。『HTML 4.0』のような「マルチメディアアクセシビリティの融合」があり、『ISO-HTML』のように「セクション構造の魅力を全世界に知らしめ」た。また、『XHTML 1.0』のように「バズワード的に成功」したのはもちろん、『XHTML 2.0』が別仕様押し出した「オタクガジェット」にも満ちている。

全て詰まっているのだ。なんでもあるのである。つまりこのHTMLは、『HTML 3.0』と全く同じ意味合いを持っているのだ。HTML史というものは、『HTML5』以前と以降とで分けられる。これ以降に作られるHTMLで、『HTML5』の影響を免れるものはないであろうからである。

まとめ

以上、これさえ読めばHTML包括的・体系的にとらえることができる7本の仕様を、制作された年代順に紹介した。

こうして見ると面白いのは、歴史的に重要仕様は、必ずしも定期的に現れるのではなく、あるところでは連続しているし、あるところでは長らくなかったりすることだ。それはまるで「素数分布」のようだ。一見規則性はないように見えるものの、何かしらの法則が隠されているようでもあり、興味深い。

それから、ここに挙げた仕様は、いずれも「読むことによって他の仕様にも興味が移行する」ということを念頭に選んだ。

例えば、『HTML 3.0』を読んだならば、ブラウザ戦争前夜の独自HTML拡張自然と興味がいくだろうし、『Compact HTML』を読んだなら、iモードのそれ以外のバージョンHTMLも見たくなるだろう。CSSコミュニティについてもそれは言えるし、『ISO-HTML』を読んだなら、このHTML流行らす土壌ともなった「フラットリニア構造」というムーブメントにも自然と興味がわくはずだ。さらには、『XHTML 1.0』はXMLオタクになるきっかけになるだろうし、『XHTML 2.0』はその他の「オタク的なXML EventsやXForms」の仕様も見たくなるという効果を持っている。

ただし、最後に選んだ『HTML5』だけは、こうした例とは別に考えなければならないかも知れない。なぜならこのHTMLは、完成度があまりにも高いために、これを見た後に他のHTMLを読むと、どうしても物足りなく感じてしまうからだ。

しかしいずれにしろ、これらの仕様を読むことによって、HTMLをさらに愛さずにいられなくなるのは疑いない。そしてまた、これらの仕様を読むことによって、HTML包括的・体系的に見る目を養ってもらえれば、その後のクリエィティブな活動にも、大きな助けとなるはずだ。

おまけ(参考文献)

上に挙げた仕様への理解は、以下に紹介する著作を読むことによって、さらに深まる。これらを読むことによって、ぼくは「HTMLを体系的に見るとはどういうことか」を学んできた。

高校時代に読んだこのサイトによって、「リソースとは何か」ということを、ぼくはを知った。

HTMLSGMLの応用だ」ということが、このサイトを読むことでよく分かる。何気なく見ていた省略記法でも、その裏には、実にさまざまな技術や、それを開発してきた歴史というものが隠されていた。

世界CSSコミュニティの何に驚かされたかといえば、それはやっぱり精緻に書き込まれた正字仮名にだ。ノジタン日記には、HTML本質が詰まっている。だからこそ、あれだけ多くの日記で多くのコミュニティ住人に、言及されたり模倣されたりしたのだ。

ここでは取りあげられなかったのだが、とほほ氏がHTMLというジャンルに及ぼした影響にも、本当に大きなものがある。そして、ぼくが上に挙げた感想のいくつかは、このサイトに書かれていたばけらさんとの「スタイルシート論争」を参考にしたものなのだ。

これらのサイトを読めば、どんなHTMLが素晴らしく、どんなHTMLがそうではないというのが、よく分かる。その判定基準を知ることができ、審美眼を養うことができるのだ。なにしろ、あのCSSコミュニティ住人の言うことなのだ。これにまさる教科書は、他にはない。


元ネタ

2009-10-16

http://anond.hatelabo.jp/20091016193344

OECD標準化失業率とか出してたが、失業率は同じ基準で比べても日本のほうが低い。

購買力平価で見た労働生産性日本よりイタリアスペインのほうが高いので日本より楽な暮らしでも統計的に不思議はない。

2009-10-14

本格始動する霞が関自治体クラウド課題

本格始動する霞が関自治体クラウド課題

総務省が掲げる霞が関自治体クラウドの計画が本格的に動き始めた。同省は2009年8月10日、「政府情報システムの整備の在り方に関する研究会」の中間取りまとめを公表した(資料はこちら)。これは、2015年の本格稼働をターゲットとして、府省の情報システムの将来像を描いたものだ。これによると、現在は府省ごとでバラバラに構築・運用している情報システムのうち、共用可能なものを霞が関WAN内のデータセンターに集約する。その際に、基盤となる「政府共通プラットフォーム」を開発。この上でアプリケーションSaaSソフトウエア・アズ・ア・サービス)形式で利用する。政府共通プラットフォームには、府省間で共通利用するデータ連携する機能も含まれる(図1)。この政府プライベートクラウドが、霞が関クラウドの実態である。

府省横断の業務改革が不可欠に

この取り組みで重要なのは、どれだけアプリケーションを共用化できるかという点だろう。府省ごとに利用しているアプリケーションをそのままSaaS化するだけでは、単にWebアプリケーションホスティングにすぎない。システムだけの統合・集約に終わらずに、業務プロセス統合・集約、すなわちシェアード・サービス化にまでつながらなくては、大きなメリットを得ることはできない。

そのためには、府省を横断した業務の標準化が不可欠となる。中間取りまとめでも、業務の見直し(BPR)を課題として掲げている。しかし、その道筋は見えてこない。中間取りまとめの資料には、2009年度から2015年度までのスケジュール(予定)が掲載されているが、業務の見直しに関連するような工程2010年度中の「要件定義」と「最適化計画策定」の2つだけだ。府省横断で業務を改革した上でシステム要件を定義するまでを、1年足らずの期間で完了できるのだろうか。

短期間での業務改革を実現するためには、強力なリーダーシップが必要だ。府省を横断して大なたを振るえるとしたら首相しか考えられないが、総選挙を間近に控えた今、実働部隊となるプロジェクトメンバーを選ぶことさえもままならないのではなかろうか。

自治体クラウド実証実験

一方の自治体クラウドも実現へ向けて大きく動き始めている。総務省2009年7月17日、「自治体クラウドに係る開発実証団体」の募集を開始。実証実験に参加する都道府県を募り始めた(資料はこちら)。都道府県CIOフォーラム(詳しくはこちら)の事務局を務めている日経BP ガバメントテクノロジーでは、8月フォーラム開催に向けて事前アンケートを実施しているが、実際にいくつかの都道府県実証実験に参加する予定だと回答している。

自治体クラウドは、自治体専用のWANである総合行政ネットワークLGWAN)内にあるデータセンター(3カ所の予定)に市町村システム統合・集約する取り組みである。市町村レベルでのシェアード・サービス化ととらえることできる。市町村の場合は、それぞれが同じような住民サービスを提供しているため、シェアード・サービスに向いているといえる。

理想論でいえば、全国の自治体が利用するシステムを統一すれば、コスト面で大きなメリットを得られるし、ガバナンスを効かせやすいというメリットも生まれる。しかし、アプリケーション(あるいはSaaS事業者)の品質を維持できるのかが見えない、地域特性による個別のサービスが提供しにくい、あるいは地場のITベンダーが育成できないなどデメリットも少なくない。実際、総務省実証実験では、ASPSaaS自治体側が選択できるようにしてある。自治体クラウドは当面、都道府県単位シェアード・サービス化ということになりそうだ。

ただし、都道府県単位でバラバラの仕様システムを作るわけではない。自治体クラウドの要件の中には、「自治体クラウド連携インターフェイス」というものがある。これは、アプリケーション間でデータ連携するためのインタフェースで、将来的には都道府県間の連携も見据えたものになっている。

とはいえ、都道府県を横断したアプリケーションの共用化は容易ではないだろう。都道府県をまたいで業務を標準化しなければならないからだ。自治体クラウド霞が関クラウドの両方に共通することであるが、IT面での研究や実証・分析に偏らずに、業務の標準化にも力を入れていかなければ成功はおぼつかないだろう。というよりも、IT面の実装よりも、業務の改革・標準化のほうがハードルが高いのではないだろうか。

吉川 和宏=日経BP ガバメントテクノロジー)  [2009/08/21]

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20090818/335667/

2009-09-26

http://anond.hatelabo.jp/20090924134405

大手IT屋はみんなハードソフト生産拠点としては随分海外活用してるし、

ハードマーケットもそれなりに開拓してる。ただサービスソフトマーケット

としてはグローバル展開に挑戦しては失敗して…の繰り返しで、もはや懲り気味

なのは確かかも。大成功レベルTRONくらいかも。

ITサービスはなんと言ってもWinner Takes Allだから、一番じゃなきゃ駄目。

そうなると基盤となる言語障壁と文化障壁がない国内マーケットがでかい

アメリカが圧倒的に有利。サービスでは人件費が高いのも不利だし、アジア

標準化でも不利(日本AVで蓄積した技術があるからMPEG2JPEGはとかは

取ったけど)。結局、日本が成功してないんじゃなくて

アメリカ発以外のサービスが(ほとんど)成功しない」

のがITサービス、でFAじゃないかな。

それにITサービスアメリカ企業が寡占したところで、それがアメリカ経済

無茶苦茶寄与してるかというと、IT産業マーケットが如何に大きくなろうと

アメリカ貿易赤字は続いてて、超薄利多売のネットサービスなんて世界

席巻しないとおいしくないし。ITサービスマクロには日本企業あんま

経営資源を突っ込むとこじゃないよ。

後、ゲームは、ハードはともかくソフト任天堂活躍があっても15年以上

日本企業シェアが下がり傾向と言う、典型的グローバル化での負け業界

なのに、日本が頑張ってる例に「ゲーム」とか挙げちゃうのはちょっとね。

2009-08-13

マニュアル(業務の標準化)は、これまで使えなかったバカでも「使える」ことなの。

個人経営の接客はマニュアルがないから、その場で考えて対応するスキルが求められる。

マニュアルがあれば、そんなスキルはいらない。職人芸が「誰にでも出来る簡単なお仕事」に変わる。

質の低い人間でも雇える。

マニュアルが人の質を下げたというのは、あまり正確でない。

質の悪い人でも、マニュアルによって働けるようになったという方が近い。

これまでなら工場単純労働くらいしか働き口の無かった人も、マニュアルが接客業を単純作業にすることで働けるようになった。

だから高度な標準化(マニュアル化)を行った店(マクドナルドとか)は短期間で大規模な出店が可能になり、どこにでも店を作れた。

そしてこれまでなら接客業で働けないようなヤツと客がふれあうようになった。

---------

よしもとばななニュートラルな感情しか持っていないけど、その「人脈」とやらよりも、

小さな工場経営するオヤジの方が居酒屋の売り上げに与える影響は大きいんじゃないかな。。。

雇ってる人数は意外と多くて人間関係は密だし、頻繁に居酒屋へ行くだろうし。

2009-08-12

ひとまずこのお客がよしもとばなな氏であることを外して考えたら、混乱を防げるんじゃないですかね・・・

3~40代の男女数人が、チェーンの居酒屋に土産物のデザートワインを持ち込んだ。

ホール係にグラスを持ってきてもらうことで遠回しな承諾を得て、目立たないように飲んでいたら、そのホール係を店長が叱りつける声が聞こえた。

客も叱られた。持ち込み料を払う提案は、店長が拒んだ。

客が憤慨している。

チェーン店は業務を標準化(マニュアル化)することで短期間に大規模な展開を可能にしているのだから、

マニュアル外のイレギュラー対応(持ち込みとか)に難があるだろうことは、ばなな氏も素面の時なら分かったと思うのです。

チェーン店でも気の利いた店長なら上手くイレギュラー対応するんでしょうが、

仕事の出来る店長はすぐ出世してAMかなっちゃうから、そうでない人だけがいつまでも店長に残る。。。

2009-08-11

民主党日本を本当に壊すかもしれない

今日会社仕事で某中央官庁に行って官僚な方とお話をする機会があった。もちろん、仕事の内容については触れないが、このままだといろいろとヤバいということを自覚した。

立場上、表立ってこれを言うことは憚られるので、ここに目一杯ダイジェスト化したものを書いてみる。もしかしたら、世間でもこういう論点は論じられているのかもしれない。新聞雑誌にあまり目を通さないので、既出な論点だったらポインタを教えてくれるとうれしい。

ちなみに、一言で言うと「民主党に任せると日本の強みの一つである科学技術立国の一部が、高い確度で失われる」という話。

問題点1: 民主党議員専門性に関する疑問

民主党議員が、当然自分達が政権を取るんだからと言わんばかりに個々の政策に口を挟んで来ている。まぁ政策実行の監視も国会議員仕事の一つなんだから、やるなとは言わないが、問題はそのやり方。

結局の所、子ども手当などの「わかりやすい」バラマキを実現するために財源を捻出しなければならない。そのために、削りやすいところから予算を削る、ということになっていて、特に科学技術研究開発関係の予算が削られている。

一言で言えば、「主婦にわからないものはいらない」 これが民主党政権を取った時の科学技術に対するポジションのようだ。

当然ながら、いつだって科学技術に関する国際覇権争いは行われているわけで、特に国際標準化活動になると高度な戦略性が求められている。自分自分の関連領域しか見ていないが、どの領域でもそうだと思う。アメリカヨーロッパも (と、いうか、アメリカヨーロッパ諸国が) 自分達の市場を囲い込むための標準化活動に、官民挙げて乗り込んで来ている。さらに、中国の国内市場をめぐる動きも活発になっており、「日本技術」は日に日に存在感が薄くなっているのが現実だ。

子ども手当は、まぁ良い。だけど、その捻出のために科学技術予算を削る、ということは、世界の中での日本、特にものづくりを中心とした産業の地位低下を招く。その後、お金をかけて育てた子どもたちに引き継ぐべきものがどれだけ残っているだろうか?

これはつまり、民主党議員、あるいはその議員バックアップする秘書スタッフが、「国民の声を聞く」ということに心を砕いているけれども、今まで日本がどのようにその地位を築いてきたのか、ということに興味がない、ということなのかなと推測した。

輪をかけて気になるのが、「今まで日本を国際的な競争の中でポジショニングしてきた」how-toについて一番詳しい官僚や、その他専門家の言うことに、民主党議員はまるで耳を傾ける気がなさそうだ、ということ。確かにクズみたいな官僚も居るけど、優秀な官僚は国の宝。これを、官僚を一切合財敵視してしまったら、ばかばかしくなって、優秀な人間から給料の高い外資なり何なりに抜けてくよ。

日本の産科医療が崩壊したような話を、日本のトップエリート層で再現してしまったら、まさに日本崩壊まっしぐらですよね。

問題点2: 民主党の政策インデックスにおける科学技術政策の無策さ

ここまで書くのに疲れたので、休憩して元気が出たら別項として立てます。ただ、インデックスの中での科学技術政策の無策さがあまりにも気になったので、特に科学技術関係者はいっぺん注意して見てみてください。

(自分は民間所属ですが‥‥‥)

解決へ向けて: 専門家集団は、支持政党に関わらず、イデオロギーを乗り越えた筋道を説かなければならない

で、ここで「やはり民主党ダメ自民党(でも他の政党でも)が良い」と言っていては話はつまらんのです。確かに自民党の政策決定にも改めるべき点が多々あり (例えば、民意ではなくて党内の力関係で法案提出する/しないが決まったりする、与党内野構造とか)、これは正さなくてはいけない。政権交代の緊張感は、自民民主もなく、日本を良い方向に導くと思うのです。

(正直、公明解体すべきと思うが、本筋から逸れるので省略)

で、まぁ、政権交代にせよ政界再編にせよ、日本のかりそめの民主主義を本当の民主主義にするためには、投票だけやってあとは放りっぱなし、ではいかんのです。物事の筋道ってのがわかっている人間は「あいつらわかってねぇなぁ(嗤)」とか高見の見物をしていないで、直接乗り込んでいって、物事の筋道議員達 (あるいは支部代表達) に叩き込まないといけない。日本民主主義を、「あるじ」不在の迷走状態から、さっさと立ち直らせなければいけないわけです。

問題は、誰が、誰に、何を説くべきか。もちろん専門家同士ってのは専門家なりの権力争いとか、覇権争いとか、とても人間的な :-p 関係がありますし、今、そういう意味で実力がある (政府委員会の委員をやっていたりする) 専門家って大概「色」がついちゃって見られる。また、民間企業の雇われの身からすると、自分の専門領域に関係する政治活動ってのはヒジョーにやりづらい。

一つあり得るとすれば、学会かも。学会活動の一貫として、官民一体で、政策提言を、遠くから文書を投げ付けるだけじゃなくて、ちゃんと敵陣 (民主だけじゃなく、自民にもね) に乗り込んでやることはできるだろうか。もう既にやってるのかもしれないけど、自分が所属している学会の報告では、あまり身の入った活動をしているようには見えないなぁ。

あ、「陳情」じゃだめよ。あくまで「講義」。

議員はよく勉強会をしている、と聞くので、やり方はあると思うんだけどね。


感想

元来悲観的なせいか、この話を書きながら、本気で国外脱出を考えた。

まあ、英語技術的な実力も二流以下なので、脱出したってタカが知れているので、

ここでがんばるしかないのですが。

2009-08-05

茂木氏の文章

茂木健一郎氏の本はどうも読んでてひっかかることが多い印象だったのだが、きょう「思考の補助線」という本を読んでてその理由が少しわかった気がした。

たとえば96ページに

「ITがネットワーク化の拡張メルクマールとして発展していく中で、必然的に標準化の事態が進むという状況がある」

という文があるのだが、これは

ネットワーク技術標準化が進んでいる状況がある」

で充分なはずである。また同じページに

今日において、世界の多様性を握りつぶすことにつながると懸念される契機には、さまざまなものがある」

と書いてあるが、これは

世界の多様性を妨げかねない状況が最近は多い」

という意味なのだろうか。

どうも、難しそうな文を書くことによって自明な話をわかりにくく記述しているように見える。内容についてはともかく、茂木氏は文章は上手なのかと思っていたのだが、とんだ誤解だったのかもしれない。

2009-08-02

wの個数

初めに、数学の問題ではないことを留意しておく。

ウィキペディアで調べると、(笑)の項に

現在では、笑いの度合いが高い場合にwwwwwのようにwの個数を増やし、個数でその度合いを表現することがある。

とあるが、標準的なwの個数はいかほどなんだろうか。

これを調べるためには、多くの人の辞書登録を晒していただく必要があるのだが、

いかにもめんどくさい。

なので、標準化機構を立ち上げて(そこまではいらないかもしれない)、

M$さんやらATOKジャストシステムさんやらへ標準辞書として登録してくれないかなぁ。

わらい(変換)でwはいくつ出ると視覚的に、感情を濁さずに素直なwが表現できるのだろうか。

2009-07-26

http://anond.hatelabo.jp/20090725231158

既にあるものを別のものに移行するっていうのは、金も時間コストかかって大変なんだよ。

今の標準化団体が英語だけでなく日本語仕様書作るの大変だモ。

既存の標準仕様書日本語翻訳するの大変だもん。

プログラミング変数名、関数名が英語なのは単純に文字の種類がすくなくて、コンピュータに処理させるのに都合がいいから。

文字列解析するとき半角英数の方が効率がいいんだよね。

アルファベットは1文字1バイトだけど、日本語は1文字2バイトです。

2009-06-09

米国債イールドカーブがスティープ化している。

通常、先限の価格が上昇するのは、現物が値崩れしているか、将来の需要の増大や値上がりを予測している事になる。前者であれば、先限は値崩れを起こしてさや寄せになるし、後者であれば現物が値上がりしてさや出世になる。

固定金利債券金利が上昇する場合には、足元の景気が良くて固定金利債権よりも高利回りが期待できる場合か、国債の信用が揺らいでいて、誰も買わないので、買い手を引き出す為に値が上がっていく場合かの、どちらかである。ただし、債券金利の場合、どちらであっても、短期物の金利も上昇していくという点に、特徴がある。

債券金利の高騰は、札割れ未達を避ける為であるが、現金が不足していて未達になるのか、投資対象として不適格と判断されて未達になるのかは、投資家の態度によって見極めなければならない。

商品先物債券の差は、商品先物現実商品を相手にしている為に需給によって変動するのに対し、債券は、お金という数値を相手にしている為に、需給ではなく、意図によって変動してしまう点にある。

長期国債は未達になるから発行せず、短期国債をつないで資金繰りをするというのが、EUでは標準化してきているが、EU経済アキレス腱、あるいは、火薬庫と言われている東欧では、その短期国債ですら応札0という椿事を起こしている。

純金相場の値上がりが不気味なのだが、まさか金本位制には戻らないであろう。不動産市況や株式相場に復活の兆しが見られるというのは、貨幣に対する信任が揺らぐ可能性を考えると、貨幣で持っているよりは、実物資産で持っておいたほうがマシという、消極的選択の結果と考えられる。

デフレの本当の恐ろしさとは、不景気ではない。貨幣経済への信任が揺らぐ事であり、デフレ貨幣的に消滅させようとすれば、貨幣経済への信任は余計に毀損されるという点にある。デフレスタグフレーションに発展するのは、財政出動のような貨幣的な手段を取ってしまうと、将来、そのファンディングコストが発生する事を人々が織り込み、長期国債の信任が揺らぎ、それでも資金を手当てしなければならないからと短期国債が連発されるようになる為である。その先には、信用の毀損が波及し、最終局面では、他国の紙幣が堂々と流通するという状態になる。

デフレ局面でこそ、財政規律を実現しなければならないのだが、景気対策と言えば財政出動でばら撒く事しか思いつかない人々では、その必然性を理解できないのであろう。

2009-04-20

http://anond.hatelabo.jp/20090405153659

もう2週間も前の増田記事に対してレスするのもどうかと思ったがインターネット上で誰かがこの記事を検索することを想定して書いておく。

元増田検索したCDDB情報だと本質的な部分が分からない。

一方GracenoteのFAQにこういうのがある。

C 買ってきたばかりのCDPC音楽ソフトウエアに読み込ませても、タイトル情報が表示されません。新譜CDはいつごろから情報を取得できるようになるのでしょうか?

新譜CDによってデータベースに登録されるタイミングにばらつきがあります。CDによって、発売日前でも情報を取得することが可能ですし、発売から一週間経ってもデータが取得できない場合もあります。世界最大の音楽情報データベースであるGracenote Media Database(CDDB)は、インディーズ盤、非売品、語学CD輸入盤等のあらゆる音声CD対象としているため、データソースの一部は、ユーザーサブミッション依存しており、データ標準化処理作業に時間を要するためです。また、CDを発売するレコード会社が登録できるように、レコード会社向けのデータ登録、管理用のプログラムを用意しており、これをお使いのレコード会社新譜CDついては、CDの発売日には情報取得ができるようになっています。

もともとCDDBサービスが始まった頃はユーザーCDを買った人)が自分で取り込んだCDタイトル情報をみんなで共有しようぜというものだった(と思う)。

上記Gracenoteの説明では、大概はCDを売る人がデータベースに登録し、一部がユーザーサイドで登録されることとなっているが、どのくらいの割合でユーザーが登録しているのか分からない。

ただ私自身もタイトル情報未登録のCDがあった際には、自分が登録したタイトル情報CDDBに送信している(但し最近はほとんどその必要はない)。

そして一つ言えることはGracenoteの中の人がひたすら登録作業をすることはあり得ない。

  

結局ユーザーにとっては無料サービスということもあり、曲名が表示されなかったら諦めて自分で打つしかない訳だ。

一方、曲名が表示されたからと行ってそれでよしという訳でもなく、それが正しいかどうかについてざっとでも見る習慣もつけた方が良い。

本気で間違っていることもある。誰のせいかはわからない。

2009-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20090325212542

失業率は同じ基準で見ても日本のほうが低い。標準化失業率でぐぐれ。あとヨーロッパは食料品非課税の国ばかりじゃない。通常より低くはしてるのは多いが5%の日本と大して差がなかったりする。

2009-03-18

明日は祭り

日本経済新聞 3月19日 朝刊

ジュネーブ発 西山 章宏)

 スイスの保養地、ダヴォス・プラッツ3月2日から12日まで、行われた、世界知覚認識学会ミシェルポーター会長)で、北海道大学医学部斉藤信(まこと教授提唱した、痛みを表す「hanage」と言う単位を、世界で共通の単位とする事が承認された。

 本来、痛みは、個人差が大きく、同じ刺激でも主観によって感じ方が異なるため、客観的に数値で表すことは、不可能であると思われていた。

しかし、斉藤教授は、「鼻の粘膜は、人体の中で一番個人差が小さい。」事に注目し研究を進めた結果、1㎝の鼻毛を、1N(ニュートン)の力で、引っ張る時に生じる痛みを、1hanageと定義出来ることを発見し、そして今学会単位として承認された。

斉藤教授によると、足の小指を角にぶつけたときの痛みは、2~3Khanage(キロハナゲ)、お産の時の痛みは2.5~3.2M hanage(メガハナゲ)になるのだそうだ。

「痛みを数値で表すことにより、正確な治療に役立つ。」(斉藤教授)そうで、今回の発見は、大変画期的だそうだ。

日本人提唱する単位が、世界で認められるのは、非常に珍しい。」(京都大学 横田昌平教授)そうで、日本発の「グローバル・スタンダード」は、驚きをもって迎えられている。

===

 日本欧米各国の政府は、来年から痛みの統一単位、「ハナゲ」を採用することに決めた。ニュートンヘクトパスカルに続く新単位の登場で医療機器薬品メーカーは対応に追われている。

 国際標準化機構(ISO)によれば、1ハナゲ定義は「長さ1センチハナゲを鉛直方向に1ニュートンの力で引っ張り、抜いたときに感じる痛み」

 大気汚染ハナゲの成長速度の相関性について研究していた永井花外・室蘭私立医科大学教授が、二年前、鼻毛を鉛直方向に抜いたときの痛みに、性別さや個人差がまったくない事を偶然発見したため、この基準が採用された。

 これまで、痛みについてはその程度を示す明確な数値がなかったため、「子どもを産んだときはすごく痛かったわ」「痔の手術の後の抜糸は痛いなんてもんじゃない」「ムチがいいか、ロウソクがいいかと問われれば私は迷わずムチを選ぶ」といった論争が起こっていた「ハナゲ」の採用で、これらの無意味な論争にも決着がつくとみられる。

 永井助教授によれば、麻酔なしで虫歯を抜いたときの痛みは=500ハナゲ、タンスの角に足の小指をぶつけたときの痛みは=200キロハナゲ、分娩の痛みは=2、3メガハナゲ程度だという(安産骨盤の場合)

 

関係者各位

以下の国際標準化機構(ISO)の発表に伴い、昨日、東京・国際フォーラム

において行われた日本政府団体連盟主催標準化単位認定評議会

行れましたので、議事録を送付致します。宜しく御査収下さい。

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