2009-01-07

まったく空気読めてない、このご時世に前向きになれちゃう言葉

元旦朝日新聞にそんな言葉があって嬉しかったので勝手コピペしちゃう。

ひとつはチェゲバラの生涯を綴った映画に寄せた、村上龍の短文。

チェ・ゲバラの生涯

 08年9月のいわゆるリーマン・ショックで始まった世界経済危機だが、循環的なものではなく、歴史の転換点だとわたしは考えている。金銭的利益だけを優先する企業戦略破綻したと見るべきで、求められているのは景気回復などではなく、価値の転換であると思う。チェ・ゲバラが、生涯を賭して求めたのは、まさに金銭的利益以外の価値だった。人間精神の自由と社会の公正さ。シンプルで、そして間違いなくもっとも重要なものだった。社会主義イデオロギー世界に広めるために戦ったわけではない。イデオロギーはツールに過ぎない。どのような苦境にあっても向上心を忘れず、読み書きできる素晴らしさを仲間に教え、負傷した同志を決して見放すことなく、病気を患った住民を親身になって治療した。喘息の発作を起こしながらもキューバボリビアジャングルを行軍するチェ・ゲバラを、この映画は初めて現実化した。それは人類希望そのものだ。わたしはその姿を、決して忘れることがないだろう。(出典:[JMM]From 村上龍 〜編集長エッセイ〜/村上龍


もう一つは「学ぶ楽しさ」という特集紙面の表紙にあった谷川俊太郎の詩。

『かすかな光へ』

あかんぼは歯のない口でなめる

やわらかい小さな手でさわる

なめることさわることのうちに

すでに学びがひそんでいて

あかんぼは嬉しそうに笑っている

  言葉より先に 文字よりも前に

  波立つ心にささやかな何故?が芽ばえる

  何故どうしての木は枝葉を茂らせ

  花を咲かせ四方八方根をはって

  決して枯れずに実りを待つ

子ども意味なく駆け出して

つまずきころび泣きわめく

にじむ血に誰のせいでもできぬ痛みに

すでに学びがかくれていて

子どもはけろりと泣きやんでいる

  私たちは知りたがる動物

  たとえ理由は何ひとつなくても

  何の役にも立たなくても知りたがり

  どこまでも闇を手探りし問いつづけ

  かすかな光へと歩む道の疲れを喜びに変える

老人は五感のもたらす喜怒哀楽に学んできた

際限ない言葉の列に学んできた

変幻する万象に学んできた

そしていま自分無知に学んでいる

世界とおのが心の限りない広さ深さを


やっぱ本気で言葉書いてる奴は違うな、と。

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