はてなキーワード: マホメットとは
著書を残さなかったが、弟子や信者がその思想を書き留めて後世に伝えた思想家の例として、以下のような人物が挙げられます。
ソクラテスは著作を残さず、対話を通じて思想を伝えました。彼の教えは弟子のプラトンによって書き留められ、プラトンの対話篇を通じて後世に伝えられています。
ギリシアの数学者であり哲学者であるピタゴラスも自身で著書を残さず、彼の教えは弟子たちによって伝えられました。彼の思想はピタゴラス教団によって広められました。
仏教の開祖である釈迦は自身で著書を残さず、彼の教えは弟子たちによってまとめられ、仏典(経典)として伝えられました。
孔子自身は書物を残していませんが、彼の言行録である『論語』は弟子たちによってまとめられました。
老子は道家の思想家で、彼の教えは弟子たちによってまとめられ、『道徳経』として伝えられました。ただし、老子自身が書いた可能性も否定されていません。
イエス自身は何も書き残していませんが、彼の教えや生涯については弟子たちによって書かれた新約聖書に記録されています。
イスラム教の創始者であるムハンマドは自ら書を残さず、彼の教えは弟子たちによってまとめられ、『クルアーン』として伝えられました。
これらの人物は直接著作を残さず、弟子や信者が彼らの教えをまとめ、後世に伝えました。そのため、彼らの思想は間接的に伝えられています。
新興宗教の問題は、開祖(もしくはそれに近い人物)が「存命」であるということ。
つまり、神ではなく神≒人を信仰しているのに近いことが問題である。もちろん、新興宗教といっても基本的に神仏を信仰しているわけだが、開祖(もしくは近い人物)が存命のため、信者に与える修行が世俗的になりがちだ。
開祖1000年以上を経た宗教には「信者を増やせ」「お布施を集めろ」「新聞いかが?」「本買って」「壺はどう?」「ジハードせよ」といった世俗に近い「使命」を強要するところはあまりない。それをやれば新興宗教と変わらないからだ。
新興宗教と定着宗教の違いは、そういう意味では「布教活動が既にある程度完了しているか」「布教活動が世俗と結びついてないか」「開祖(に近い人物)がまだ世間に存命か?」というのが一つの基準になる。
イエスにしても、ブッダにしても、マホメットにしてもやはり人間が神に近いところまで昇華するには1000年はかかる。池○大作や大○隆法あたりがそこに至るにはまだ900年ほど足りない。