はてなキーワード: 血液型性格診断とは
横だが。
質の違う話題にすり替える→何かの誤魔化し?
なんか元増田が偽科学批判クラスタを敵視してると思ってるようだが、
元増田が言ってるのは、
だぞ?普通に読めば、「国民性県民性みたいなのもウザいから血液型性格診断と同様に批判してほしい」
質の違う話題にすり替える→何かの誤魔化し?
じゃないかと気になるけど
血液型性格診断とか県民性とかそもそも真面目に信じてない人は多いだろうに
「ニセ科学批判クラスタ」というレッテルを張った対象は「信じてるに違いない」と信じてるの?
それとも、ニセ批判クラスタとして生まれたからにはしようもないものにまでかみつく義務があるといってるの?
後者は無茶言いすぎだよね、問題があると気にする人が自分でやればいい
日常の話題として会話を円滑にしてるとかあるかもしれないので話のネタとしている人の邪魔まではしない
人事とかで差別を行った事例があれば、そういったものには批判する
http://matome.naver.jp/odai/2137139303509638701
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これを見ると見事に91年、92年生まれがいないことがわかると思う。
ちなみにゆとり最後の世代にして最低の世代、平成三年、四年生まれ。この翌年から脱ゆとり。
大学でも、今年の一年生(大体平成六年生まれ)はどうにも活気がある。その分暴走してる感もあるけど。
これは単なる偶然なのか。
それは「ゆとり教育のせい」ではなく「ゆとりは駄目だって言われ続けたせい」の気がする。
血液型診断と一緒。「B型だからワガママ」とかそりゃ生まれた時から言われ続けりゃワガママになるやつもいるわ。ワガママじゃないやつも当然いる。
そのかわりなぜかBは献血が足りてる。これはわりと事実。(日本だけかどうか、血液型性格診断の信じられていない国でも調査すべきだ。)
性格の差ではなくこれも「Bは○×」って言われ続けた何かの反動なのか、それとも本当にB型の抗体を作る遺伝子付近に性格決定(もしくは造血が過剰になる因子)があるのか。
まあそもそも「ゆとりだからダメ」ってことは無いだろう。気のせいだ…たぶん。
優秀な人もこれから…出てくるだろうし。
で、まあみんな自分の口にする偏見が人を変えて形作っていく可能性、もっと言うと危険性についてこそ、考えた方が良いよって思うんだな。
子供に対しても、職場の後輩に対しても、誰に対しても「お前はこうこうこういう人間だからな」って言い続けることは、その人を変えていく。子供ならなおさら。
それについては心理学で実証されてること。
ただ面白がってるだけ、では通用しないんだよ。
たとえば、
http://anond.hatelabo.jp/20130328015906
みたいに、「血液型性格診断なんて非科学的だ」という話は耳タコだけど、個人的には、「非科学だ」で切って捨てるのは面白くないと思う。たとえば、一つの仮説として、なんらかのフェロモン、匂いの類が関係する可能性を考えてみたりとか。
「血が性格をつくる」というのは、確かに神話に過ぎないとは思うけど、たとえば人間は自分の「血」のもつ「匂い」に無意識にひきつけられたり嫌ったりということがあるとしたら、A型がB型を嫌ったり、日本人に多いA型を避けた結果としてB型同士が集まったりA型っぽくない行動性向を見せたりとか、どの血液型の人間も嫌わない結果としてO型がのんびりおおらかに感じられるとか、そういうふうに「見える」可能性は全くないわけではないよね。
その結果、血液型神話が一定の説得力をもって感じられてしまう、ということも。
たとえば、血液型別の人口数を見てみると、ある不自然に気づく。それは、「AB型の少なさ」と「O型の多さ」だ。
参考:http://www10.ocn.ne.jp/~kanam/distribution_of_a_blood_type.html
O、A、B、ABの血液型の人間が均等にいて、配偶者が完全にランダムに選ばれたとすると、次世代の血液型分布はおおむね
O:A:B:AB=1:3:3:2
になると予想される。AB型は、単純に言ってO型の2倍は存在するはずだ。ところが、上の参考ページをみると、世界のどこにいっても、ABがOを上回るどころか、圧倒的に少ないことが分かる。そして、生まれにくいはずのO型の人口比率は、これまたどこでも異様に高い。
A型とB型が結婚した場合、よく生まれるはずのAB型はなぜ少ないのか。言いかえれば、「なぜA型×B型のカップルは少ないのか」
確率的に低いはずのO型の比率は、なぜこんなに高いのか。言いかえれば、「なぜO型は結婚相手に選ばれやすいのか」
…仮説を立て、そういうことを考察するのが「科学」であり、「血液型診断なんてただの迷信だぜばかばかしい」と切って捨てるのは、それを盲信するのとそれほど変わらない、少なくともあまり「科学的態度」とは言えないと思うけどね。
他人にレッテルを貼りパターン化することで、人付き合いを単純にしたい
例)B型はわがまま 自分勝手な振る舞いをされても「あいつはB型だからな」と諦められる
抽象的・一般的な特徴は誰にでも当てはまる
例)B型はマイペース 誰もが自分の信念に基づいて行動しているときは、他人の意見に耳を貸さない
通説として言われている特徴に自分を近づけようとする
例)B型はリーダー気質 リーダーシップを発揮できるように仕事を頑張り、結果、リーダーになる
まず第一に、「人をたった四種類に分類できるわけがない」という主旨の血液型批判が本当にあるのか。もし仮にそういう文があったとしても、文脈上「(こんな方法で)人をたった四種類に分類できるわけがない」と読み取るべきではないのか。
第二に、人をたった四種類にうんぬんからどういう論理操作によって「分類の数を増やせば科学的」という話が出てくるのか。何らかの仮定が加えられているなら、それを明示するべき。
結局、元増田の意見は藁人形論法にすぎない。血液型性格診断は、人を四種類に分類する、その分類基準の妥当性と結果の合理性が問われていると思うのだが。
っていうかRh-の人はどう扱われてるんだろうね。そういうのは関係ないのか。
NATROMです。「この人たち」の中に私は含まれていますか?というのも、今回のエントリーは、「血液型性格判断はニセ科学である」という主張と「血液型性格診断は差別につながる(こともある)」という主張が異なることを、かなり意識して書いたのですが。だからこそ、最初に癌に罹りやすい遺伝子の話をしたのです。疾患感受性遺伝子の話はニセ科学でもなんでもありませんよね。また、「よしんば血液型と性格に関連があったとしても、血液型について安易な言及はなされるべきではない」とも書きました。血液型性格判断がニセ科学でなかったとしても、安易に血液型の話がされるのは望ましくないと考えています。どのように書けばよかったとお考えでしょうか?
ネトウヨと呼ばれる人たちの主張には「日本が外国人に乗っ取られる!」とか「大切な日本が壊される!」といった将来に対するぼんやりとしたデメリットを説くものが多いように見える。
しかし、そのような主張は一般人からすれば「で?」で終わってしまう。
例えば、血液型性格判断も、科学者が「関連性のある証拠は出ていない」と主張しているにも関わらず、未だに一般に流布している。
これは一般人にとって、血液型性格診断を肯定することによって生じる「科学的に不正確な主張をする」という薄いデメリットより、血液型性格診断を否定することによって生じる「場の雰囲気を壊す」という大きなデメリットが重要であるために、血液型性格判断は肯定されているのだ。
これにならってネトウヨと呼ばれる人たちも、もっと一般人の身近な例にまで落としこんで、主張を行えばよい。
「派遣やパートの皆さん!○○人が日本に大量にやってくるとあなたはクビですよ!○○人は時給500円でも喜んで働きますよ!○○人とあなた、雇い主はどちらを雇うと思いますか?」
「お年寄りの皆さん!○○人が日本に増えると、みなさんに支給される年金や医療費の補助が減額されますよ!外国人である○○人に補助が出されるからですよ。その財源はどこから出るか考えたことはありますか?」
「サラリーマンの皆さん!○○人が多く働くようになったら、○○語も話せるようにならないと、業務ができなくなりますよ!英語でさえ大変なのに、○○語まで学ばなければいけなくなりますよ!」etc...
上の例には即興で作ったものなので、バカバカしいものばかりである。
しかしもっと時間をかけて、一般人にうける主張を作れば効果は高いだろう。
「なんとなく外国人参政権反対」と「なんとなく外国人参政権賛成」では、デメリットが明確でないために、雰囲気に流されて、後者が選ばれるだろうが、「なんとなく外国人参政権反対」と「自分が失業するリスクを冒してでも外国人参政権賛成」では前者が選ばれるだろう。
ノーベル賞受賞者らが仕分け批判で集結 「世界一目指さないと2位にもなれない」 - ITmedia News
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0911/25/news104.html
資本主義においての科学者のあり方っていうものを考えさせられた
科学者って俺の中じゃちょっと特別な存在だった
なんていうか、科学の前では絶対みたいな感じ?科学者は科学について嘘付かないみたいな
でもそれってこちら側の勝手な思い込みなんだよね。
ダムの問題と同じだったって事だよ。学者だってただのゼネコンなわけで、土建屋なわけだ
ただ、結局金がほしいだけなのを、前面に押し出すのは良くないと思うよ
事業仕分けって結局金払いの仕分けなわけだけど、そうしたら学者は慌てたわけだよね?
いままでこんなこと無かったのに
テレビで偽科学番組が放送されて、日本の危機だとここまで騒がれただろうか?
学者のケツを蹴るには金をちらつかせるのが一番だって、学者がそれを証明してどうするよと
すこしはなんていうか、品みたいなのを見せてほしいなと思った。
今更になって、科学を一般人に伝える重要性を認識しましたとか言ってる学者のブログを散見するし
今それ宣言するって、予算が取れないから仕方なく説明に力入れますって事じゃん
タイミング考えてよねって思った。
本当にそうだろうか
そんなことはない
なにかしら影響しているはずだ
そんな風に思っている子って多いと思います
あたしもそうです
と言うことがそれを物語っていると思います
あたしはこの本は買っていないのだけど
血液型って実際結構当たってるんじゃ…とよく思います
気づいたら周りがみんなB型だった
ということが良くあります
これは何も前知識として知っていたわけではなく後で聞いてみたら一緒だった
というパターンです
こういう経験を自分でしてしまうとどうしても科学的根拠がないといわれていても
何かまだ解明されて無いメカニズムがあって…みたいな気持ちになってきちゃいます
これは神秘体験をしてしまってカルト宗教にはまる人と同じ感じなのかな
『血液型でわかる相性』と言う本で爆発的に流行したと言われています(wikipedia参照)
『人間の良い部分は、その人の努力の結果。欠点は血液型のせいという事にすればよい』
という思いで書かれた本だそうです(又聞きなので信憑性はありませんが…)
つまり一種の処世術みたいなものです
それが一人歩きして今日に至ったというわけです
このことを知ったらより血液型性格診断に疑問を抱くと思います
あたしもこの話を聞いたら科学的な根拠はないんだなとキッパリ思えました
しかし、それでも、結構当たる…という体験がある
初対面ですぐB型だってわかる子がいたりする
だから血液型性格診断を科学的根拠が無いから信じるなんて馬鹿げている
なんて説得させられても、それでもな~という気がしてしまう
そこであたしは当たる原因として
ある仮説というか、これぐらいしか無いんじゃないかな~
ということを感じ始めました
以前思い込みの力がいかに凄いかという日記を書いたんだけど
http://anond.hatelabo.jp/20090720165732
やっぱりこの問題も思い込みなんじゃないかな~と思えてきました
あたしが生まれたときから漠然と
O型…大雑把
あたしの場合はよく親から「あなたはB型だから部屋が汚い」などと言われた方なので
余計にそういうレッテルを気にしていたと思います(笑)
また家族に言われなくても学校などで一度は話題にはなったと思います
このような環境の中で育ち、自分の血液型の性格のレッテルを意識していると
思い込みでそのレッテル側に寄っていってしまうのではないかと
そう思いました
これはある意味で能見先生の考えたポジティヴな捕らえ方ではなく
どちらかというと「あたしは●型だから~」といった開き直りのような気持ちの方が
強いんじゃないかなあ、と思います
人間は何かの型にはまりたいと思いがちな気がします
最近の「草食系男子」とか「森ガール」とかはまさにその典型ではないかと思います
その考えが無意識的に血液型性格診断のレッテルに自分からはまりにいっている
そう考えることもできなくは無いんじゃない
この考えで行くと血液型診断を信じている人はドップリ型にはまっているんじゃないかな
「俺B型だから適当なんだよな~」って男、周りにいませんか??
500万の読者のうちのこのような考えの人がいないとは言い切れないんじゃないか
↑決め付け(笑)
とここまで完全に憶測でしゃべってきたけど
そんな考えもあるんじゃないかな~って思ったので書いてみました
血液型性格診断が根絶できない一番の理由はすべての人が"知的誠実"ではないということだろう。
血液型が話題にのぼるとき話題にする相手は三つの層に分けることができる。
1番目はまぁ好きにすれば良いだろう。
2番目の層は十分な知識を与えれば、話題にしなくなるか3番目の層に移行する。
3番目の層は対処が難しい。
多くの血液型性格診断に批判的な言説は2、3番の層に向けたものだろう。
さて、"酒の肴"程度の軽い気持ちで言っている層は血液型性格診断が根拠がない(または薄い)ことを知って発言している。
彼らは"事実ではない"または"確度が低い"情報をあたかも事実であるかのように話をすることを問題のないことだと思っている。曰く"面白ければ良いじゃないか"と。
私は「そんな根拠もないことを堂々と表明できるなんて自分の知性に問題があることを表明したいのだろうか?」と思ってしまうのだが、彼らはそうではないらしい。