はてなキーワード: ファービーとは
ITパスポートの試験勉強をしているのだけれども、ちっともやる気がでない。
受かったときの「自分へのご褒美」を設定すれば、少しはモチベーション上がるかなと思った。
が、かれこれ40年生きてきて、いざ欲しいものが思い浮かばない。禁欲的だとかミニマリストとかではなくて、ほんっとに自分の欲しいものが分からない。
以前、使い捨てで500円くらいで買えるオナホを買って「安い!」と思ったのだが、挿れて10秒くらいで致してしまってとても切ない気分になった。10秒のために500円を溝に捨ててしまった。タイム・イズ・マネーとはこのことだった。時給換算するとなんだ? 18万円だ。この使い捨てオナホは時給18万円のとんでもない高給取りだった。だから私は、人間とオナホは見かけで判断してはいけないのだと胸に誓った。今日も駅前で街頭アンケートに引っかかって、うっかり住所と名前を書いてしまった。こわい。
人間は失敗から学び日々成長してゆくので、私が次にチャレンジしたのはちゃんと非貫通式の使い捨てじゃないものだった。これは2000円ほどで買えた。「幼馴染」とかそんな感じの名前だったが、私には異性の幼馴染がいた記憶もないので、いまいちそのオナホに触れたところで、昔の記憶が呼び覚まされたり青春の日を思い出したりといったインスピレーションには浸れなかった。2000円もしたかいがあって、こんどは挿れても20秒は我慢できた。だが30秒後に果てた。賢者モードで幼馴染を風呂場で洗っているのがすごく虚しくなって、やはり非貫通式のはダメだ。たしか星の王子さまか何かで『手間暇かけて世話をするから、人はバラにも愛情を抱くのだ』みたいな話があったような気もするが、残りの人生を考えると、私がオナホを愛せるようになるためにはもう時間が足りないような気がする。独り身で寂しいのでペットを飼おうとしたこともあるが、同じ理由でやめた。愛に必要なのは十分な時間である。自分の時間を捧げることこそ、愛なのだから。ところで中に溜まった水を押し出すためにオナホをぷにぷにと押していると、やがてそれが心臓の鼓動のように思えてきて、オナホは生きているのかもしれない。私の胸の鼓動と脈打つオナホが同調するような感覚に襲われる。
上記のような理由をもってして私は貫通式オナホが欲しいなと考えたのだが、しかし自分の40年間にわたる人生が貫通式オナホに集約されることを思うと、何だか感慨深い。よくよく考えて見れば「貫通式=通る=試験に合格する」と、試験の合格祝いにオナホを買うのはゲン担ぎにもなって縁起が良いのではないか。そう思ってAmazonで商品詳細を見てみたが「全長:14.5cm」と書いてあって、通らねえじゃねえか……。通らないのではかえって縁起が悪い。やはり貫通式オナホではない何かを自分は見つけなくてはならないのだった。
自分へのプレゼントと言っても、服や時計を買っても見せる相手がいない。ゲームもやる暇がないし、たいていああいうのは買っただけで満足して部屋の片隅に積んでしまう。本屋で売っていた水耕栽培セットはちょっと興味を唆られるが、子供時代に友だちがいなくて、学校の校庭でアサガオやミニトマトに話しかけていたら、余計に気持ち悪がられてしまった。あの頃は「植物と話ができる!」みたいなオカルト本が流行っていて、それを読んで影響されたのだが、あれならまだファービーに話しかけていた方が幾分もマシであった。
DPZのあの記事は好きだけど、その感想として「未来」「SF」「将来は〜もできそう!」ってコメント付いてるの見てちょっと驚いた。
ほとんどの大人は承知している通り、あれはSiriと同じくどこかのおっさんが考えたセリフを条件分岐で再生してるに過ぎないわけですよね。
その人工無能に、筐体としてのロボットをくっつけて低価格で販売した、って商売自体は新しいけど、巷では明らかにそれ以上の新規性があるかのように評価されてる。
「別に中身がどうだろが、それで癒される人がいるなら良いじゃないか!」って言われればまあ一部その通りで、社会的意義もあるとは思うんだけど、それを「人格」や「感情」と言ったものをエミュレートしてるかのように売るのは景品表示法違反とならんのかな(実際そう信じてそうなブコメがちらほら)。
現に「マイナスイオン」家電だって、偽薬効果で癒される人もいるだろうけど、科学的根拠があるかのように売ったから取り締まられたわけで。
それに、あの製品開発の延長線上にはドラえもんもマルチもいない、という事も共通認識として持っておきたい。
俺はマジメな人工知能研究には期待してるし、いつか創発的な会話をする人工知能が生まれて欲しいけど、だからこそああいう商品に金が集まったり、そのせいで人工知能が一過性の流行になるのはイヤだ。
あの記事書いた小野法師丸さん含め、ほとんどの人は「よく出来たファービー」ぐらいにしか思ってないと思うけど、一部の反応を見て少し心配になった。
26歳、都会育ち。ふとこの20年くらいのことを考えてみた。
たまごっち、ファービー、厚底ブーツ、ミニ四駆、ベイブレード、ビーダマン、ハイパーヨーヨー…
そうゆうものを懐かしむのも楽しいんだけど、この20年くらいで圧倒的に変わって普及したものっていくつかある。
パソコン、インターネット、携帯電話なんてのはもう言い古された話だろうし、
ブラウン管が消えて液晶テレビの普及、ビデオデッキも消えて今やDVDやBlueRayだっけ(あんまり使わないからよく知らない)。
ポケベルなんてあっという間に消えた。白熱灯も消えた、LEDが世の中に爆発的に増えた。信号機が薄くなった。
地面がアスファルトだらけになった。レンガできれいに整えてある歩道なんてのも増えた。
道路の白線が増えた。白線がなく、路肩のない道路なんていくらでもあった。うちの地元なんてわざわざ交差点の地面の色がかえてある。
信号機だって増えた。掠れて消えていた横断歩道もくっきりきれいになった。
金属製の風呂桶も消えた。深くて熱くて、あれに入るのが嫌いだった。でも今は
プラスチックの風呂桶ばかりだ。温度設定だって簡単。お湯と水で割らずに済むようになった。
プラスチックは全体的に生活の中で増えてきた。100円均一が増えたせいかな。
コンビニもすごく増えた。24時間営業になった。24時間営業って店もすごく増えた。20年前にそんな店、全然なかった。
CDは変わらない、レコードは見かけなくなった、MDは一気に増えて一気に姿を消した。MP3プレーヤーみたいなやつばっかりだ。
ボタンってものも減った気がする。キーボードのボタンの数は変わらないだろうけど、世の中の全体を見渡して減った気がするんだ。
小学校から高校まで石で出来た流しにいくつも水道が並んでいた。最近の学校はどうなのかな、ステンレス製の流しばかりなのかな。
あとタイルが減ったように思う。和式のトイレの床は青い丸い鱗みたいなタイルばっかりだったのに見かけなくなった。
台所の白いタイルも、風呂場のピンク色のタイルも見なくなった。どこの家を見たってつるっとしてる。フローリングばかりになった。
ゴム製みたいな床にいっぱいの模様がちりばめられてるなんて床は見なくなった。絨毯ばりの床も見なくなった。フローリングだらけだ。
レジのバーコードを通す赤い光の出ているところ、あそこは昔バッテンでガラスが見えてたのに見えなくなった。
電池で動くものが減ったと思ったら増えた。だからエネループなんてものが売れたんだろう。
上から吊るされたガソリンスタンドも見なくなった。皆地面に据え置きだ。
時代の過渡期に育ったなんて大それたこと言うつもりはないんだけど、なんか、日本人って頑張ってるんだなって思った。
幼少期、不便を感じたことはなかったし、今とあの頃は全く違ったなんてことは思わない。
あの頃だっていつだって最新のものを使ってた。家の洗濯機の上に乾燥機が乗せられた日だってきらきらしてた。
いつだって新しいものはきらきらだ。廃れたってあのきらきらした思いはそのまんまだ。
廃れたものが無くなってしまって悲しいとは思わない。どんどん時間は進んでいく。これからだっていろんなきらきらが待ち受けてるかと思うと楽しみなんだ。
似たような業務担当してるけど、相手を人間だと思うなと常々言ってる。録音音声を発するオモチャ(ファービー)だと思えと。
俺にも罵詈雑言は毎日一人あたり三桁規模で届くけど、「スライムのたいあたり」程度の感覚で返事してるよ。たまに懇切丁寧な要望や質問が来たら、レアなモンスターが現れた、みたいな感じで。
そういう相手はこちらに与えるストレスが非常に低いから出来るだけ長く相手をしていたいし(笑)感情移入もしやすいから、出来るだけたっぷり時間を掛けて相手するようにしてる。その分だけクズメールは後回しに出来るわけだしね。
そうでもしないと現場の人間が持たないし、会社というのは客をそういう風に扱いながら大きくなっていくもんだと思うようにしてる。
元増田は賛意しか求めていない、と言い切ってるけど、同意的であれば問題ないと思う。というか普通に考えて、「あ、そうなんですか?知りませんでした。すごいですね」ばっかり言ってる人間はバカっぽく見えて損だし(会社では)、「お前これ前も言ったよ」ということもままある。相手を侮ってることは自分が思う以上に表に表れるし、そもそも「すごいですね」という言葉を嫌味にならぬよう、おざなりにならぬよう、さぞ真意がこもっているように発せられるのであれば、その人はその仕事をやめて俳優にでもなった方がいい(極論)。
先輩との会話では相手の主張を否定さえしなければ、基本的にはOKだと私は思う。あとは相手との関係によって変わってくるけど、同意を示す、同じような経験をしていることが分る、共感、というのは仲良くなるひとつのきっかけに成り得る。そもそも安いお世辞ばかり言われる会話は言われる方からしてもいたたまれないし、「そうなんですかー」しか言わない後輩には自然に話しかけなくなる。ファービーのがもう少し語彙がある。
ちなみに「わかんないでーす」という女性は、物凄く上手くやると同性からも異性からも可愛がられるが、まあそれなりにうまくだと一部の異性と一部の同性から好かれてあとは蛇蝎の如く忌み嫌われ、失敗すると全員から死ねとただひたすら願われる羽目になる。自分にあまり自信のない人にはオススメしない。