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2023-02-05

ベートーヴェンの第九の歓喜の歌部分はむしろバラ売り可能な代物だよ

元増田氏( anond:20230203192604 )の対応は大変誠実だと思うので、特に言及する事はないのだが、

表題のようなことを思ったのでつらつらと書く。 anond:20230205085517 みたいなこと言う人もいるし。

ベートーヴェン交響曲だとバラ売り不可なのはどう考えても第5番だ(いわゆる「運命」運命と呼ぶのが正しいのかについては深入りしない)。
まりに有名な冒頭の「ジャジャジャジャーン」を楽曲全体でいろんな風に使いまわす形で曲が構成されており、最終楽章だけ聞いてもあんまりピンとこないのだ。あんまりメロディックでもないし。
しろ第1楽章だけ、の方がまだ演奏機会があると思う。

このへんのバラ売り可能不可能交響曲というジャンルの中でも色々で、それこそゆるいセットリスト的な感じで楽章楽章の関連性は希薄ものも少なくない。
そーゆーのは結構バラ売りされる。なにしろ曲の構成とか主題の変容とか抜きにして「それ単体で聴いてもカッコイイ」というプリミティブな良さってのは大きな武器なので、
作曲者意図がどうあれ、バラ売りはされる。そういうものだ。ベートーヴェン交響曲第7番のノリノリでダンサブルな終楽章( https://www.youtube.com/watch?v=uPRpUXlBel4 )とか。

で、ベートーヴェンの第9に戻るわけだけど、

第9はそれまでの交響曲に対してパンクというかメタ構成の曲だ。
第5みたいな緻密な主題の展開とかは3楽章まででやり尽くしてしまう。
そのうえで、終楽章で突如ソロボーカルたちと大編成の合唱がぶち込まれ
「こんな曲じゃなくてもっといい曲やっちまおうぜ!」(乱暴に言うとそういう歌詞だ)つって歓喜の歌が始まるのである
極論、第9を続けて聴く意味というのはその「今までの交響曲のありようを覆すメタパンク仕種」を味わうことにあるので、
直接それまでと歓喜の歌に繋がりがあるわけではない。
んで、歓喜の歌は単体でアガる曲(そーゆー魅力があるから後の世に残っている)なんで、そこだけ聞くのはむしろ全然アリだし、
なんなら3楽章までは手の込んだ退屈な導入にすぎない(暴論)。

ブコメの人、なんで第9を引き合いに出したのか、正直謎。

単体で楽しめるカッコいい部分がある長い曲は、全曲を聞く楽しみもあるけど、そこだけ聴いて楽しんだって全然問題ない。誰だってそーする。おれもそーする。

2021-06-11

歌詞のない曲が思い出せないときに人に説明するのってどうやるの?

ジャジャジャジャーンジャジャジャーン!みてーのあるじゃん?」ぐらい分かりやすいとまあなんとかなるんだわ。

使われ方が有名な奴も楽で、たとえば「掃除時間流れるやつ」「なんか戦闘用のヘリが飛んでくるときの」「デジモンの一個目の映画マンションのアレ」とか。

そういうのじゃなくて「フンフンフンフフンフフンみたいな?」っていう自分でも何いってんだコイツなのが無理。

エヴァで聞いたこあんだけど……」とかだと何択あるのか分かんねーし。

そうねここまではクラシックの話ばっかね。

んでこれがYMOなのかクラフトワークなのか分からんテクノとかだったりしたらもう人間声帯でなにをどう再現すりゃいいかわからんし完全に終わりじゃん?

でも本当に終わりなのか?

俺はそれが知りたい。

聞ける相手がお前らぐらいしかいない俺の人生が終わってることは知ってるからその話はしなくていい

2020-12-17

anond:20201217132733

うん、音楽時間でやったでしょ?

「うん、」は四分休符のことだよ。

ウンタン♪ウンタン♪ってことだよ。

言わせんな恥ずかしい

この「うん、」は勘違いされがちだが、

同意感動詞じゃないので注意してね。

相手の会話を強制休符するための記号

しかないよ。むしろ否定に近いかも。

なんで、そんなのが文化になるかって?

理由ベートーベン「運命」にある。

いや、うん命って言葉自体関係ない。

その出だしの部分が重要なのだ

ジャジャジャジャーン」ってことね、

と思った奴はニトグリの如く甘いな。

それは正しくないぞ。正確には、

「うん、ジャジャジャジャーン」だ。

もうお分かりだろう。

会話の始めに「うん、」と付けるのは、

休符で始まるあの印象的な出だしと

同じ効果を期待してのことなのだ。

すなわち、「うん、」は運命と同じく、

会話を2拍目からスタートするための

記号であるわけだ。そういう会話は、

音楽用語で「弱起」と呼ばれているぞ。

https://realsound.jp/2013/12/akb48-12.html

上によると、弱起の効果は強拍に向かう

ことで曲に引き込む力が強まることに

あるのだそうだ。運命特にそうだな。

から、「うん、」はTwitterにおいても

効果的な技法であり、ひとつ文化

なってるってわけ。つまり、「うん、」

意味は弱起の効果にあるってことよ。

どうだ、若者文化に明るくなったろう。

そんなことよりむしろ、四分休符が

なんであんな変な記号なのか是非とも

理由を教えてくれよ。うん。

2020-09-27

anond:20200927193527

ジャジャジャジャーン!!♪

ベートーベン『また?またオレの曲流行るの?いやー勘弁してよー』ニヤニヤ

2020-08-30

終末に向かう物語と終末から始まる物語全然違うじゃん?

なんかさ

世界全体がクソ末期で化石燃料もなんもかもカッスカス南極の氷全部溶けてて大地は全部放射能漬けになってて太陽フレア電子機器ジャジャジャジャーンでそんな中でも数百人くらい生き残ってる人類は細々と彼らなりに幸せ~なスロ~ライフを送ってるよ☆みたいな話は嫌いなわけ

だってそんなんそのうち全滅するやん…絶対

「いま」はしあわせ!だからそれがすべて!わたしたちかがやいてる~!!!かい思考停止を感じる

いやそれ全部「無」になるやん…というか

いやめっちゃ長いスパンで考えたらなんらかの生物はまた生えてくるかもだしもっと長い目で見ると太陽死んだら地球死ぬけどそういう話じゃなくて…「いやそんなに絶望的な状況で必死に生き残る様…見たくないな…」というか

終末期医療から目を逸らしたくなる感じ 

分かるか?


これと比べて崩壊したところから始まる復興系は楽しく読める

たとえ秩序が崩壊していて暴力こそ正義みたいになっててもなんか作中でだんだんモラル更新されていくところに「成長」を感じるし

びっくりするほど空気悪い!土壌もやばい!なんか殺人ロボットがいる!みたいな感じでもなんか知らんけど空気清浄機とか土壌蘇らすすげえ肥料とか人類許すロボットとか出るし

なんか「希望」を感じるんだよな

終末しきったあとに「始まる」ところに「希望」があるんだよな


あれあるじゃんジョジョ七部のジョニィが「僕はマイナスゼロにしたい」的ななんかそんなセリフ

あれだよあれ

私はマイナスからゼロになっていく過程の話が好きなんだよな(ジョニィって結局七部のあとで早死にしてるけど…そういう話じゃなくて…)

その逆のゼロマイナスに向かっていく話は「ただでさえ気が滅入る状況なのにこれ以上気分が下がるような状況になる~!?!?」という「暗い…あまりにも…」を感じる


という話なんだけど

わかんない?お前たちにはこういう話わかんないんか???

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