私のことが好きだと言う奇特な男性なり、私で妥協した情けない男なり、私でも落とせそうなチョロそうな輩なり、然るべきところで手を打てば女が彼氏を作るなんて簡単だ。
二次元しか愛せない人生は嫌だし、現実の人間と恋愛がしたいし、付き合えば好きになれるかなみたいな舐めた考えは常にあるので、私のことが好きだという人がいれば積極的に付き合い好きになる努力をしてきた。
だからといって全く好きになれない。男としてときめかない。濡れない。セックスしてもキスしても気持ちよくならない。
私は不感症ではない。二次元が相手なら全然濡れる。指一本触れられなくても二次元の推しのイラストだけで子宮がキュンキュンする。
でも三次元だと無理だ。生理前の性欲が最も高い時期に推しの映画を見てお酒を飲んでめちゃめちゃ気分を盛り上げてからベッドに入るぐらいすればまあ一応濡れるのでセックスは可能だが、もはやそれは愛なのか。ただの性欲ではないのか。
しかもだいたいの場合セックスは男のタイミングで突然に始まるので私はそこまで準備していない。濡れてないのに突っ込まれるのは痛すぎる。死ね。
逆に濡れてないのはしょうがないと行為を中断してくれる真っ当な人と付き合ったこともある。良い人だった。待ってくれた。何度似たようなことがあっても待ってくれた。そんな良い人に二次元しか愛せないとかふざけた理由で悲しそうな顔を指せるのがいい加減申し訳なくなって最終的に濡れにくい体質でごめんねって泣いているふりをしながら後ろを向いてスマホを開き10分ぐらいかけて推しのエロ画像で無理やり濡らしてセックスに挑んだ。もはや私は誰とセックスをしているのか。飛影はそんなこと言わない。
とはいえ私は真面目で努力家なので、付き合った相手を好きになる努力は惜しまなかった。
当然だ。二次元の推しは私がどれだけ愛を捧げようが振り向きもしないし、推しへの愛を2万字の小説にしたためたところで一つも愛は伝わらないが、三次元の男は「おはよ」と3文字LINEに送るだけで返信が来る。なんなら3文字で100文字ぐらいのリターンがある。私がKindle漫画の解像度の低さにキレている隣で、三次元の男はフルカラーフルボイス5億画素4DX の豪華仕様で私に微笑みかける。三次元、二次元に比べてコスパが良すぎる。愛するなら絶対二次元より三次元を愛したほうがいい。
でも愛せない。
理系萌えだから白衣を着せてみたり、和服萌えだから浴衣を着せてみたりしてみたところで盛り上がるのは男の方ばかりである。私は何もときめかなかった。
あるいはもうそんなに二次元が好きなら相手を二次元だと思い込んでしまえばいいのではないかと思ったこともあった。
すなわち二次元に「彼氏くん」というキャラがいると仮定する。私はまずそのキャラを好きになる。そして現世を生きる彼氏のことは「二次元キャラ彼氏くん」のモデルだと思い込むのである。
めちゃくちゃな話だがこの作戦はまあまあうまく行った。しかし腐女子の妄想力はいつだって無限の可能性を切り開き時として驚くほど傲慢な不条理さを見せるものである。
結論から書くと解釈違いで関係が破綻して終わった。マジで?そんなことある?
私は解釈違いが許せない狂ったオタクだ。現世の人間だと思っていたから許せていたことが二次元だと思いだしたあたりからどんどん許せなくなっていった。
デートに遅刻?はい解釈違い。女とLINE?はい解釈違い。浮気?は?解釈違いだわ打ち切り連載終了死ねバイバイ。
本物の相手より幻影の中の相手ばかり見ているのでどんどん関係が崩壊していき恋愛は終了した。
恋とは多かれ少なかれ夢と妄想と幻影を含むものかもしれないが、にしても限度というものがある。
腐女子の作りだす夢は全く現実と乖離しているので、そんな幻想を通して現世の人間と向き合えばそりゃあセックスが盛り上がることはあっても人間関係は終わる。崩壊する。私は学んだ。
現世の人間に幻覚を投影して恋するのは楽しいが解釈違いで死ぬ。
やはり三次元の人間は二次元としてではなく三次元の人間として向き合い愛さなければならない。でも愛せない。相手を変えたって一緒だ。情はある。尊敬もできる。みなそれぞれに良い人だと思うし嫌いなところもあるし、とはいえまあ許せる。しかし微塵もときめかない。キスもセックスも楽しくない。どうしたらいいのか。
エロ漫画ばっかり読んでるのが良くないのかと思って頑張ってAVを見たこともあった。勿論ポルノが嘘だというのは分かっているので、なるべく嘘が少ないものを見ようと思って海外の公的な機関が公開している性教育ビデオを見た。
前戯の重要性、コンドームの付け方、オーガズムを得るにはどうしたらいいか、英語でばっちり履修した。いや意味あるのこれ。
普通のAVを見たこともあったが私レイプものしか萌えないなあっていう死ぬほどいらない気付きを得ただけだった。自分がレイプされるのは絶対ごめんなのでやっぱりAVは現実の役には立たないと思った。
家でひとりで練習したこともあった。自慰行為で感度を高め本番に挑むみたいな意味不明のブログを読みながらその通りにした。あの虚しさと言ったら。二度とやりたくない。しかも何も得るものはなかった。
いくら男とベッドに2人の時に濡れられなくて困るってだけでちゃんと推しには濡れるので。
いや多分愛も抱けない。だって私が推しに向ける感情は無償の愛だ。
二次元の推しには何も望まない。ただ生きていてくれるだけで良い。私は腐女子だから推しカプが仲良くしてくれれば嬉しいが、別に他の女性と幸せになっていただいて全然構わない。結婚するなら妻との幸せを応援する。
振り回されて疲れることもあるけれど、いつだって推しの幸せが私の幸せである。楽しそうな推しを見るだけで幸せになれる。
とはいえ推しが幸せになりたくないとか幸せを捨ててでも過酷な道を行くとか言うならそれもまた応援しようと思う。悲しいことだが、推しがその道を選ぶなら私は彼の選択の全てを受け止めたい。
でも三次元の彼氏のことは全然こんなふうには愛せない。まず彼の笑顔だけで幸せですみたいな状態になれない。彼の選択を手放しに応援したりもできない。
推しのためなら海外まで聖地巡礼に行けるけど現実の男のためには最寄り駅まで行くのも若干めんどくさい。
推しが和菓子が好きだと言えば大好きな洋菓子の方が好きだが和菓子を買うし、推しが兵器が好きだと言えば1ミリも興味ないけど兵器のカタログを注文して設計諸元を学ぶし、推しがピアノを弾いているのを見れば読めもしない楽譜と弾けもしないピアノを購入して練習するし、推しが19世紀に産まれたと聞けば死ぬほど嫌いだった歴史の教科書を読み返し本を読み映画もドキュメンタリーも見て19世紀について学ぶし、ついにこの前ヴァーチャル上に推しを作り出すためにディープラーニングの本を買った。Hello Worldで挫折していた馬鹿がLinuxでPythonを動かせるようになった。私は推しのためなら何でもできる。
だが三次元の彼氏のために同じことをする気にはなれない。推しについて勉強するためならどんなに興味のない本も読めるのに、今まで付き合った誰から勧められた本も映画も漫画も音楽も聴こうとも見ようとも読みたいとも思えなかった。いや読んだ。私は努力家なので読んだが、推しのために読む本はつまらなくても推しを知るという喜びがあったのに、彼のために見る映画には彼を知るという喜びなんかひとつもなかった。
推しのために戦争のルールはハーグ条約から帝国陸軍の戦術書まで死ぬほど興味ねえなと思いながら勉強したが、現実の男のためにはスポーツのルール一つ覚えられなかった。
私が愛すべきは、どれだけ推しのために勉強しようが推しの趣味に寄り添おうが愛を捧げようが歯牙にもかけずに地獄へ走って行ってしまう推しではなく、あなたおかげでサッカー選手の名前覚えちゃったって言うだけで私の方を向いて喜んでくれる現実の男のはずなのに。
非実在の相手に濡れたところで挿れるちんこは存在しない。現実の男に対して濡れるべきだ。
はあ、恋愛、無理すぎる。推しを愛するようにとは言わないから何か少しでもときめきや情熱を現実の恋人に向けられたらと思うが、全然愛せない。悲しい。二次元を愛するの、ものすごく楽しいが不毛どころの話ではない。