①について、方言が残っていることは欧米化が進んでいないということである。京都弁、関西弁などが敵として認識される。
京都弁、関西弁が敵として扱われるかは、新幹線などの交通機関によって人の往来があり標準語が脅かされるからである。
脅かされないような、マイナーな地域については、ほどこしの対象である(かわいいと感じるなど)
出羽守という事例があるが、より欧米らしくあれとマウンティングを取るためには、東京に居てはドッコイドッコイなので、欧米にいなければならない。
②について、日本が世界で一番でなければならないという意識は希薄である。
技術として世界初は目指すが、アメリカのように多くにおいて世界一でなければならないという意識は低い。
一方で、韓国、中国などの国が、日本より存在が上になることには非常に敏感だ。
他国が日本より欧米化が進んでいると数値で示されることに敏感である。暗黙として日本の方が上でなければならないという意識がある。
どこで日本が上でなければならないという意識が広まったのか。(日露戦争か?)
③について、人によって定義は違うし、そもそも欧米化しなければいけないのか、など統一意見はない。
そのため、議論として着地点はない。
それって「全員白人の古典的フィクションでも色んな人種や性別や何やらの多様性を出せよ!」ってのと同じ同調圧力でもあるんだと思う。そう言わないと許されない圧力が強いんだよ。トランプが躍進したのもそういう同調圧力への嫌気って面もあったろうし。
本当に心の底からそう思っている人もいるんだろうけど。そうじゃない人も多いんだと。
なろう系小説でハーレムを自然に受け入れすぎているヒロインが批判されている時によく出てくる言い訳。
まず恋愛に関する価値観が色々と現代と同じなままで、ハーレムに関してだけ価値観が捻じ曲がっている。
これは相当考えにくい。
何々が当たり前かどうかというのはかなり価値観形成の根本に関わる話であって、当然、周囲の様々な価値観が連動して変わるはずだ。
次に、そのヒロインたちがハーレムの家庭に育ったわけではないということだ。
なろう系でよく見るハーレム設定は王族や貴族まわりにのみ存在していて、主人公やヒロインが最初属しているような庶民の家庭は一夫一妻のまま。
そんな中で(しかも現代日本とほぼ同じ恋愛観を持ったまま)育ったヒロインは、自然に一夫一妻の家庭を未来のモデルにしているはずだし、
主人公だって多くの場合初めは庶民クラスなのだから、ヒロインから主人公への恋愛観は当然それがモデルとなっていることだろう。
それが突然主人公が武勲を挙げて貴族になったからといって、即、貴族モードに頭を切り替えて「貴族だからハーレムが当たり前だよね、うん」と納得できるわけがない。
まず強火で麺を炒める、テフロンなら油は要らない。ほぐすな、ほっとく。香ばしい匂いがしたらひっくり返して、ほっとく。香ばしい匂いがしたらほぐせ、このときに水か酒を好きなだけお前が正しいと思った分量だけいれろ、簡単にほぐれる。ほぐれたら粉末のソースを麺の玉数だけいれて煽れ。なじんだらフライパンから別皿に休ませる。
そのあとは簡単だ、なんの味付けもしない野菜炒めを作れ。肉はなんでもいい。もやしは麺ひと玉に対して一袋だ、キャベツはちぎってひと玉に対して適当になげこむ。しんなりしたら別皿の麺をフライパンにぶんなん投げてチャッチャチャッだよ。
このうちの群馬人の生息人数が気になる。
2010年あたりだっけ?
海外も大概とか言ってるがそんなことはない
Twitterが異常に流行ってるってだけで日本人だけがずば抜けて性格悪いと判断するのに十分だわ
海外はいいねで褒め合うInstagram文化、日本は匿名で叩きあうTwitter文化
日本人がクソってはっきり分かんだね
11人説が流れていた頃が懐かしい