相手のフォロワー数とかみて、フォローのあいさつをするべきかどうかちゃんと判断した?
と、足下に嫌な感触。これはやっちまったかと足を上げると、そこにはきれいな円形のポテトサラダ。
犬のうんこじゃなくてよかった、
早く拭かないとマヨネーズが革に染み込んじゃう、
最後に思ったのは、こんなきれいな形でポテトサラダを落とした人は、さぞ無念だったろうということ。
アイスクリームみたいに丸くスクープされたポテトサラダ。美味しく食べられるはずだったポテトサラダを失った悲しみは、慟哭するに足る悲劇だろう。
良いモノの良いところを真似し続けることで、感性が磨かれて、おのずと良いモノが作れるようになるのです。
なんちゃってWEBデザイナーだけど、毎回他社ページの類似商品からデザインをいくつか拝借して混ぜ合わせて自社ページを作ってる
なんとなく、これでいいのか?と思わないでもないが矜持なんてないのでこのままやってく
本当にこれ。
儒教では「下の者は上に従いなさい」「上は下の者の手本となるよう、よりいっそう身を修めなさい(じゃないと上にいる資格はない)」って教えてるのに、前者だけ流布して後者はなかったことになっている。
日本にはノブレス・オブリージュという建前もないし、上に行けば行くほど下品が許されるクソみたいな構造になってる。
猫が嫌いって、サイコパスなんじゃね?
原料もない、工作機械もない、生産性を上げる体制もない。しかし日本の「モノづくり」は最高だと信じてる。
ファンタジー過ぎるよな。
インターネットにおいてはネコが好きじゃない人間には心的外傷を負わせてもOKとされているため、「ネコが嫌いでも大丈夫、それはおかしなことではないよ、でもインターネットではネコが好きなふりをしなさい、あそこは怖いところだから」と我が子には教えなければならない
後輩の悪口によって「クラが無能」っていうのが社内で常に意識化されてるわけだよね。
思わぬところでクライアントを馬鹿にするような態度がポロっと出ちゃうから気をつけたほうがいいよ。
あとその後輩には「じゃあどういう対策がとれるのか?」聞いてみて
結論から言えば、どちらも「適切な環境」で行われないと意味がないと言う事。
学問や運動は才能の有無以外では「努力」と「根性」である程度、実力を伸ばして行く事が出来た訳だが仕事となるとそうはいかないのが実情である。
仕事の場合は劣悪な環境下で行われる「努力」と「根性」は無意味な事が多い。
人手不足で書類作成と雑務を一気に新卒に押し付けOJTも機能しない「死ね」だの「クズ」だの言うパワハラが横行する会社で
新卒が「努力」と「根性」で書類作成と雑務が出来るようになる、しかしメインの仕事に関しては任せられるレベルでなく窓際に追いやられて辞める。
こんな会社で新卒が実行した「努力」と「根性」に意味はあったのだろうか?ない。
さっさと辞めた方が彼は3年間を無駄にしなかっただろう。
会社の総務に10年以上勤めてあらゆる雑用を押し付けられる中、なんとか「努力」して社内資格を取得をした女性が産休申請を行った時に言われたことが
「うちに産休制度があるが今は取らせる余裕はない、紹介予定派遣も出来るから別会社に派遣社員として行くか自己都合で辞めるか決めてくれ」
次の日に10年以上勤めた会社を彼女は自己都合で退職した。こんな会社に10年以上勤めて「努力」してあらゆる雑用を処理しつつ社内資格を取る意味はあったのか?ない。
彼女は社内制度が利用されることない絵に描いた餅状態であることに早くから気づき見切りを付けるべきだった。
以上の例はほんの一部ではあるが、そんな会社が社会に混じっている世の中で「努力」と「根性」を振り回す人間がどれだけ愚かかわかるだろう。
私は「努力」と「根性」と言う言葉が嫌いだ、その2つを強調する会社に限ってろくでもない会社ばかりだからだ、本来であれば労働者が「努力」と「根性」なんて必要としない
労働環境を整えることが先だとは思う。