結論から言えば、どちらも「適切な環境」で行われないと意味がないと言う事。
学問や運動は才能の有無以外では「努力」と「根性」である程度、実力を伸ばして行く事が出来た訳だが仕事となるとそうはいかないのが実情である。
仕事の場合は劣悪な環境下で行われる「努力」と「根性」は無意味な事が多い。
人手不足で書類作成と雑務を一気に新卒に押し付けOJTも機能しない「死ね」だの「クズ」だの言うパワハラが横行する会社で
新卒が「努力」と「根性」で書類作成と雑務が出来るようになる、しかしメインの仕事に関しては任せられるレベルでなく窓際に追いやられて辞める。
こんな会社で新卒が実行した「努力」と「根性」に意味はあったのだろうか?ない。
さっさと辞めた方が彼は3年間を無駄にしなかっただろう。
会社の総務に10年以上勤めてあらゆる雑用を押し付けられる中、なんとか「努力」して社内資格を取得をした女性が産休申請を行った時に言われたことが
「うちに産休制度があるが今は取らせる余裕はない、紹介予定派遣も出来るから別会社に派遣社員として行くか自己都合で辞めるか決めてくれ」
次の日に10年以上勤めた会社を彼女は自己都合で退職した。こんな会社に10年以上勤めて「努力」してあらゆる雑用を処理しつつ社内資格を取る意味はあったのか?ない。
彼女は社内制度が利用されることない絵に描いた餅状態であることに早くから気づき見切りを付けるべきだった。
以上の例はほんの一部ではあるが、そんな会社が社会に混じっている世の中で「努力」と「根性」を振り回す人間がどれだけ愚かかわかるだろう。
私は「努力」と「根性」と言う言葉が嫌いだ、その2つを強調する会社に限ってろくでもない会社ばかりだからだ、本来であれば労働者が「努力」と「根性」なんて必要としない
労働環境を整えることが先だとは思う。
代ゼミで古文の講師やってた吉野って人がいるんだけど、その人が書いてた本に 「乾いた大地で芽を出した奴だけが一流のプランターに入れられる。社会ってそんなもん」 みたいな記述...