今のヨーロッパを見て景気が良いなどと言うのは、さすがに楽観にすぎる。
そもそもEUはEU圏内と、かつて自分達が支配していた旧植民地以外の地域からの移民に対して、近年は労働ビザなんてそうそう出してくれないからな。
ミャンマー政府が何をしてるか知らないのに何でそんな記事を書くんだ?
ミャンマー政府が民主主義を基盤とした国益重視=当たり前の政治方針=主権国家になるために準備し段階的に実行しているからだよ・・
資源も通貨も国=国民が握るミャンマーの政治形態が民主主義になったら叩けないだろ?
それが困るからスーチーを送り込み支援し小数民族を支援し欧州の銀行家主導の民主化=資源も通貨も民営化しようとしてるんだよアホ。
スーチー一派=小数民族=反政府を支援し暴れさせて鎮圧したら経済制裁をして圧力をかける。
小数民族の目的は独立かもしれないが支援している連中はそんなことは望んでない。
国境線の排除は独立を望む小数派の目的と相反するから従う訳がない。
「ミャンマー政府は嫌だがイギリス政府ならOK?」そんなわけないよな?
線を引き直しても大国=ミャンマーを無視して通商するか?国際交流するか?
資源大国ミャンマーを切ってカレン族の独立国家を支援するのか?
ミャンマーとなら利益はあるがカレン族の独立国家は莫大な支援を必要とするが利益はないぜ?
ミャンマー・カレン族・日本・アメリカ・イギリス・フランスになんのメリットもない。
ミャンマーで欧州の銀行家の飼い犬がテロを起こしてミャンマー政府が鎮圧したな・・・
そして欧州の銀行家の飼い犬のスーチーが来日か・・アホくさ・・
ミャンマーでも同じことやってるぜ?
まだ知らないふりするのか?
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1353851390/l50
http://markethack.net/archives/51861645.html
.
.
.
.
.
.
おや、ご自分がアホなこといって叩かれているのはお認めになりますか。重畳です。
③ダークさ、重苦しさ、小難しさがなくポップ
楽しく生きるために世間と趣味が合う必要なんてあるのか?わが道を行くのが怖いから世間のせいにしてるだけじゃないのか?なんかこういう書き込み見るともっと主体的になれよ!と思う。
バルコニーに文句言うなら団地ではなぜ黙っていたのか、とお考えだそうだ。
どうして団地の写真がOKで今回のバルコニーの写真がNGなのか、本当にわからないのだろうか大山顕は。
一般人の家のバルコニーを面白おかしく晒し物にしてるからだよ。そんなのNGに決まってるだろう。団地は小馬鹿にしていない、研究の体をなしているからOKなんだよ。
本当にその程度のこともわからないのか大山顕は。それはライターとして致命的ではないかと思うのだがまあいい。
「浮かれ電飾」はバルコニーのバリエーションの一つ。いやもっと悪いかな。大山顕はバルコニーは好きだが、一般住宅のクリスマス電飾は大嫌いと公言している。DPZを読むと電飾を晒して小馬鹿にする下衆っぷりが1オクターブ高くておいしいです。
シンガポールなんて、それこそ英語力が最重要だぞ。アメリカやカナダは英語を喋れん奴もそれなりにいるから、言語の点では、片言でも何とか生活できる懐の余裕がある。
あるラーメンの人気店。
そこは固定客がひきも切らないくらいの人気店として営業を続けていた。
化学調味料たっぷりのスープに豚の脂が一センチも膜をはって浮いている。
さらに冬場でもさほど湯気が立たない。
湯気は脂の膜が包んでしまうので立ちにくくなっている為だ。
そこへ常連の客はにんにくや胡椒を鼻がまがるほどぶちこみ、汗をだらだら垂らして飲み込んでいくのだ。
主人のおじさんは顔色の悪くなった常連客と並んで記念写真を撮る事がある。
「どうだすげえだろ、みんな死んじまってるんだぜ」
おじさんは写真を指さした。
「こっちのは肝臓ぶっこわしておだぶつだ。こっちも来年には死ぬだろうな」
「ウチみてえな高カロリー、高蛋白、食塩過多、化学調味料過多のラーメンを週に四回も五回も食ってみろ。
尻からラードが出るぜ。脂肪肝だって診断されて、身体に蕁麻疹が出ても
懲りずに食い来続ける奴は写真に残す事にしている。
これだって全部じゃないだろう。俺の知らねえとこで死んじまってる奴もいっぱいいるはずだ」
おじさんはさらに続けた。
「それでもな。東京ってとこはそういう味じゃないと商売にならねえんだ。
手間隙かけていいもん作っても味にヒステリーがないと売れない。何度か身体に良くて美味いものを目指したが
それじゃ駄目だ。結局、毒じゃなきゃ美味いって言わないんだ。憶えてもらえないんだな。
変なとこだよここは。銭払ってまで毒食いたがる奴がウジャウジャいるんだ」
本を読んで自分で考える間もなく末尾のあとがきや解説を読んでしまうと、かなりもったいない。
物語の解釈や背景に対して偏見を植え付けられてしまって、まっさらな自分として考えることができなくなるから。
でももったいないとわかっていても、未読部分を残したままにしておくのは居心地が悪いから読んでしまう。
本だけじゃなくて、とりあえず何かをインプットしたときにモヤモヤした気持ちの落とし所をググって探したりすることもしかり。
タイトル名 考察とか、タイトル名 感想とかでググったりとか。
そして自分の気持ちや求めるものに近い文章を見つけて安堵する。
そこにあるのは自分の言葉じゃなくて、あくまでもそれを書いた人の言葉なのに。
そうやって錯覚したまま、気づかないうちに自分で考える力というものがどんどん衰えていってしまっているんじゃないかと恐ろしくなる。
なんの偏見もなく、自分だけの力で考えることができるタイミングは本当に限られている。
それを自覚しないと。