はてなキーワード: うらんとは
家に上げてくれる。
関係者や身内にも話ができるし
自粛もできるよ
20年も前の話 緊急対応 そう まにあうといいね。がんばって、いそげよ。
あなたのことば2年前からつたわっているよ。ありがとう ありがとう。だから、ヒロポンをはやく 薬局で買えるようにして、 駅前でも無料で配ったほうがいいよ。他にも いろいろな場所で 無償で 簡単に手に入るように 配ったほうがいいよ。国連でもいわれているよ。 ※医療については線もかの意見を聞いてね。だからいまのお薬の名前ではなく 戦争で有名になたお薬の名前をつかっているよ。
1度目はわからなかったから、仕方がない 2度めは?もうわかっていましたよね。
というのと、じゃぁなぜ1度目を気軽に解除したのですか?
まず死者数を言った後に、僕たちにも被害が出ていますという事をご認識いただいていると確認させていただいて、それでは発言をお願いしたい。
ヒロポンなのかなって思う。
それなら、怖がらずに医者の言うとおりにちゃんと飲んでおけばよかったって思ったから
緊急事態ON 緊急事態OFF 議会の承認があればやっていいとなったら
起きる事態はなんですか?
現実問題のところすぐにはいらない。でも そうだね。よわいお薬を 無償でもらえるようにして。
そのことについて 議論や話し合いの余地はない。YES NOだけで十分。会話する余地がない。話し合い、意見交換 情報の提供などない。
ありがとう。だから はやく 弱いヒロポンを実質無償でかえるようにして。駅前で配って。ひとによっては、自宅の前に定期的においておいてもらえるぐらいでもいいかもしれない。
許してほしい
あぁ許すよ。だから、早くお願い。
まぁ、今回は予算があるらしい
まにあうといいね。がんばって。
*うらんでいいんだよといわれた
10年以上 うらんでるからな それでも相手が自分をこわくないから そりゃいえる。
話がしたいとそりゃいえる。
そりゃ、話がしたいと言いやすいだろう。
自分の生活が貧しい生活だという人や苦しい生活だという人には聞いてもらいたいんだけど
その生活になっているのは自分の出力のせいであって出力は能力のいくらかにも左右されるけど
できるだけ多くの人数に対してよかったといわれることをしなければ収入はふえないからだよ
仕出し弁当のバランを1000人分だしてる1000倍の労働だから給料すくないのおかしいとか
バランは弁当のどれだけの割合なのかとか1000つくって1単位としている上の人間ひとりの采配で
その業務はとぶんじゃないかつまり1人足しか仕事をもらえてないんじゃないかとか考えるべき
のこりの小銭をかぞえて裕福な人をみてうらんでのろってつらいつらいいうだけでは
いつかくるかもしれない福祉だのみなんだよ
おかねがでてくるのはひとりずつの人からなんだからひとりから10円でも利益をとれば
たくさんこなせば正比例でふえるんだよ
お金稼いでるっていう人はそうやって人間の数で仕事をしてうまくはたらく人間を仕事量でさせて
大企業につとめておけばおこぼれ福祉的なもので安心というのもあると思うけど
自分以外にもこんな感じの人いるんだな。つられて、つい自分語りをしたくなったよ。
自分はこの元増田より2−3年下だが、うちも両親中卒だ。おかげで高校入るくらいまで大学というものがどういうものかさえよくわかっていなかった。それどころか勉強を親に教わった記憶がない。
なにしろ小学校の高学年の頃には、勉強に関してははっきりと自分の知識も能力も母親より上だと認識していた。親から勉強を教えてもらった記憶など、小学校以降ない。父親は父親で勉強のじゃまばかりしてくる。なにしろ家で勉強をしていると酔っ払った父親に家で勉強なんかするな目障りだと怒られる。
おかげで高校まではテスト前にちょっと復習するくらい(親が帰ってきたら止める)で、のびのびと過ごさせてもらった。
たまたま中学の成績が良かったので、ろくに勉強もせずともぎりぎり大学進学できる程度の高校に入れたのが僥倖だった。その高校が公立で家から自転車で通える範囲だったのも幸運だった。貧乏な家だったので電車通学が必要だったり私立だったりしたら止められていただろう。
その高校に入って2年目くらいでようやく気がついた。このままじゃ面白そうな職、面白そうな仕事にはつけないぞと。世の中にある面白そうな仕事ー弁護士、大企業のエンジニア、作家、官僚、パイロット、建築家ーそういった物の多くは大学を出ていないとスタートラインにもたてないらしい。はずかしながら高校生の半ばまでそんなことさえ知らなかった。
そこから必死になって勉強した。勉強してないのは飯食ってる時間、眠っている時間、部活の時間くらい。それ以外は全部勉強にあてた。3年になって部活が終わってからは飯、勉強、飯、勉強、飯、勉強、寝る、の毎日。おかげで高3のころには県でも上位の成績を取れるようになっていた。
だが、それが父親には余計気に食わなかったらしい。親戚の話によると中学の頃まで父親の成績はけっこう良かったのだが、その父親(私の祖父)がアル中でろくに働かないせいで進学を諦め、中学をでるとすぐ働き出して弟妹達を高校まで行かせたそうだ。泣ける話だ。だがそのルサンチマンであたりちらされる子供にとってはとんでもない災難だ。
家で勉強しているのを見つかると怒鳴られる、酒をかけられる。夜中に泣いて家を飛び出したことも何度もある。毎日家に帰りたくないと思っていた。何ヶ月も父親と口を聞かないこともあった。そのうち不憫に思ったのか叔父や叔母が仲介に入ってくれて、物理的な嫌がらせは止まったが、それでも家で顔を合わせると「誰の金で食わせてもらっていると思っていやがる」などの嫌がらせの言葉が飛んでくる。3年の夏休み頃、一時的に成績が落ちたのを挽回しようと家で勉強していたら家業の手伝いをさせられた。たのむから勉強させてくれというと「お前が勉強するための金はどこから出ていると思っているんだ?」という答え。その後なるべく家では顔を合わせずにすむようにしつつ勉強を続け、成績ももどり、どうにか東大に入った。(嘘だろうって?そう思うんなら勝手にそう思ってろ。しょせん増田だ。)
高校最後の一年くらいはこの家から早く出たいという気持ちが、将来ひとかどの人間になりたいと思いと同じくらい強くなっていた。家を出ることができて心の底からほっとした。東大に入ったことよりもそちらのほうが嬉しいくらいだった。その後大学院まで進学し、外資系に就職し、今は海外からこの増田を読んでいる。
元益田と同じように両親をうらんでいるか?ときかれれば、恨んではいるが仕方がなかったことも理解していると応えるしかない。それは当時から同じだ。自分の学歴コンプレックスから優秀な子供の邪魔をし芽を摘む一歩手前まで行ったことは今でもゆるせないが、同時に、自分より劣る弟妹を高校に進学させるために中学を出て働き出したというエピソードには一人の人間として畏敬の念を抱かざるを得ない。
高校の時以降、親を頼ろうと思ったことなど一切ない。その点ではまったく恨んでなどいない。ただ、恵まれた同級生たちをみて、自分の親が彼らの親のようだったら、自分ももっと素直に育っていたのだろうか、同じように青春や人生の幸せを感じ取れたのだろうかとつい詮なきことを思い浮かべ悲しくなるくらいだ。高校をでてからはろくに実家にも帰らなかったが、初孫にあたる息子を連れて行った時は、本当に喜んでいた。その姿をみて毒気が抜かれた。自分が生まれた時もこんなふうに喜んでいたのだろうかなどとさえ思った。
その父親はその後病気になり後遺症で口さえ聞けなくなった。たまに一時帰国時に入院先に見舞いにいっても、言葉にならない声を出すばかり。ただ目には喜びがうかんでいる。子供の時には仲の良い親子だった。その頃の気分になっているのだろうか。それとも俺のことなど無視して孫達に会えたことが嬉しいのか。話が聞けないので、それはわからない。