はてなキーワード: マトリックスとは
なぜキャシャーンは人を激怒させるのか?
しかし、例えば僕などは日記をみてもらえれば判るようにキリキリ監督に尋常ではないレベルの妬み・嫉み・恨みを抱いているが、それとこれとは別で、「CASSHERN」という映画じたいは素晴らしく面白い!と手放しで絶賛してるし、一発目でいきなりこんな凄い映画を作れてしまう紀里谷監督はリアルに天才なのでこれからも凄い映画を作り続けてほしいです!と応援してしまうのである。
つまり嫉妬の要素というのは、この際、さほど重要ではない。
CASSHERNは、人間の感情の、何かこうクリティカルな部分を直撃する映画なのだ。それゆえに、そのクリティカル・ヒットを受容できる人はハマるし、受容できない人は切れるのだろう。(受容はできるけど、もうこの手の話は飽きた、という人もいるだろう。しかしそのような人は、呆れ果てることはあっても、切れたりはしない)
CASSHERNのクリティカルさというのは、そう、ブライのセリフに集約されている。
「つまり、憎しみとは、人間也!」
さらに、キャシャーンはキャシャーンで、「人間が生きていることじたいが、人を傷つけることになる」という意味のモノローグを語っている。
・人間は、生きていることそれじたいが罪悪だ(原罪論)
これはキリスト教的な「罪」の論理であり、無神論が主流の日本では受け入れられる余地の少ないテーマといえる。性善説がベースとなっている日本でいきなり「お前の存在じたいが罪だ」といわれれば、切れる人が多いのも当然だろう。しかもこれ、漫画映画である。「敦煌」とか「砂の器」じゃないのである。アニメだよ、キャシャーンだよ。なんで漫画映画で、そんな説教されんといかんねん!という人もたくさんいるはずだ。
しかも、紀里谷は、これらの作品のテーマを、役者にセリフとして語らせてしまうのである。これがまた、この類のテーマを受容したくない人にとっては、許しがたい行為なのである。セリフで語りさえしなければ、スルーできたはずだからだ。人間は、自分の見たいものしか認識しない。従って、通常、映画を観ていても自我を脅かすようなテーマが提出されても、その部分を認識せずにフィルターをかけて消してしまうことができる。しかし、「言葉」で投げつけられてしまうと、そうはいかない。紀里谷は確信犯的にこの映画を観た全ての人間に
「憎しみとは、人間也!」
というテーマを強制的に植えつけることによって、この映画のテーマを曲解される可能性をふさいでいるわけだ。
このテーマを容認できない人にとっては、監督の独善、ということになるのだろう。
伊勢谷友介が演じる東鉄也は、一度死ぬが、LCLのようでもあり命のワインのようでもある赤いプールに肉体を沈められることにより、再び復活する。この赤いプールの中で行われる復活劇は、あたかもパプテスマのヨハネによる洗礼の儀式のようでもある。この復活により、鉄也は自らを救世主キャシャーンと名乗ることになる。もちろん、上月博士や三橋達也演じる老医師、鉄也の母みどりの幻影などが、復活した鉄也に「君の復活には、何か意味があるはずだ」「この街を守れるのか」「人々の争いを止めるのです」と、鉄也を救世主の道へと導こうとアシストするわけである。
しかし、鉄也は救世主キャシャーンとなっても、奇跡を起こすことはできず、人々はみな挫折して死ぬ。そして鉄也自身も傷つき、血まみれとなっていく。鋼鉄の扉の隙間からバラシンに刀で心臓あたりを抉られるシーンは、あたかも十字架にかけられたイエスのごとくだ。
しかもキャシャーンは抽象的に人類の業を贖罪するという存在ではない。鉄也自身が生前、殺人という罪悪を犯しているのだ。「反戦映画」ともうけとられがちなこの映画は、実は、戦争だけに反対している映画ではない。「人間存在そのものが罪だ」というテーマをもっとも端的に表現できる場こそが戦争という極限状態なので、戦場における戦闘の結果としての殺人という光景が何度も繰り返されるのだ。
が、この映画の恐ろしいというか念入りなところは、懺悔したはずの鉄也がさらにダメ押しともいうべき父殺しという罪を背負うことである。母親を寝取り、父を殺すというのは、いうまでもなくエディプス・コンプレックスなのだが、鉄也は最終的に父殺しを達成することによって、人類の原罪をことごとく背負って自殺することになる。
では、鉄也の懺悔は無駄だったのか? そう、無駄だったのだ。この映画のテーマは「憎しみとは、人間也!」なのだから。従って、鉄也は、キリストの如く原罪を背負って血に塗れ、死んでいくしかないのだ。キリストと違う点は、人類の原罪を肩代わりしたのではなく、自ら原罪を犯して死んでいくという点だけだろう。もちろん鉄也は単なる殺人犯というわけではなく、「戦争」や「愛する人を殺した殺人犯への復讐」といったどうしようもない事情がある。決して、悪意で殺人を犯したわけではない。人間存在そのものが悪なのだから、生きる限り、どうにもならない、どうしようもないのだ…したがって、救世主になるべくして復活させられた鉄也の地獄巡りは、ドアーズの「The End」の如く、母を寝取り、父を殺して完結する。「地獄の黙示録」を参照するまでもなく、フロイトの絶対的な影響下にある現代のキリストは、エディプス・コンプレックスの持ち主でなければならない。フロイトによれば、エディプス・コンプレックスこそが、人類の原罪意識の大本にあるのだから。
さらに、鉄也の父親・東博士が下層階級の出身であったことも最後に明らかになる。東博士は下層階級出身でありながら、政府側について少数民族を抑圧する側にまわり、最終的には鉄也の最大の敵となる。このあたりも、なにやらイエス・キリストの物語を髣髴とさせる。
だから、キリスト教圏では、この映画は日本からやってきた現代の救世主譚として評価されるかもしれない。
過去に、日本のアニメ映画では似たようなテーマが何度も描かれている。いうまでもなく「イデオン」と「エヴァ」がそれだが、エヴァでは、主人公のシンジが救世主となるべく人類の原罪を背負う……という流れの物語だったはずが、最後にシンジは人類の原罪を背負わずに話が途切れてしまった。「エヴァ」は、「人間の性は、悪だ」という自らのテーマに向き合うことができなかったのである。キャシャーンは、エヴァと非常に似た構造の映画であるが、主人公の手を父親の血に染めさせることによって、エヴァが途中で放棄したテーマを完結させた作品であるといえる。
もう一つ、近作で似たような映画がある。それは「マトリックス」だ。この作品は3部作だが、それぞれ救世主ネオの誕生・生・そして死を描いている。ネオもまたキリストの如く、一度死んで復活する。だが、最後には人類の原罪を背負って死ぬ道を選ぶのだ。終盤、ネオは目を焼かれて失明し、エディプス王の如く盲目となる。機械の触手に支えられて死んでゆくシーンは、やはり十字架にかけられたイエスを髣髴とさせる。
ただ、マトリックスは「何も語らない」「観客に考えさせる」というスタイルを貫いたのに対して、キャシャーンは「全てをセリフで語りつくす」「観客に議論の余地を与えない」というまったく逆のスタイルで作られている。このスタイルこそが、一種の押し付けがましさ・説教臭さ・青臭さ・傲慢さと受け取られ、反発される一因になっているのだろうと思う。だが、この説教臭さ、愚直なまでの必死さこそが、かつての邦画のひとつの魅力だったのではないだろうか。邦画の黄金時代には、説教映画が多数製作されていた。「新幹線大爆破」の宇津井健のウェットな説教や、「ノストラダムスの大予言」や「人間革命」で丹波哲郎が繰り出す強引極まりないオレ流説教。かつて、日本人はこれらの説教映画で感動して泣いていたはずである。みんな、かつては馬鹿だったのだ。
80年代以後、邦画から泥臭さが消えていくとともに、邦画の魅力は失われていった。特に、角川春樹の逮捕とホイチョイ・プロダクション的なテレビ局誘導の企画映画のブーム化以後は、有能な監督には集客力が無く、大作はどれも質を伴わない、という状況が長らく続いていた。例えば、世界レベルで評価されている黒澤清や三池崇史が、「デビルマン」を監督させてもらえないのである。宇多田ヒカルの夫であるということ以外、ほとんど映画界では実績が無く、世間にもあまり知られていなかったPV監督が従来の邦画のシステムとはまったく無関係なところで突然作り出した「CASSHERN」は、そういう硬直した邦画をとりまく閉塞構造をいきなり破壊した作品といえるのだ。
無論、システムの面だけではなく、愚直なまでに真剣かつ本気というその姿勢もまた、古くて新しいスタイルではないかと思われる。むしろこちら(熱さ)のほうが重要で、80年代から長らく続いていたシラケ世代は2001年あたりを境に終息しつつあり、70年代を最後に滅んでいたはずの愚直な熱さが求められる時代が復活しているのだ。アントニオ猪木が「馬鹿になれ」というフレーズでカリスマ化したのも単にジャイアント馬場がいなくなったからというだけではない(主にプロレスと関係ない人たちに猪木が評価されているのだから。むしろ保守的なプロレスファンは旧来のプロレスのシステムを破壊する存在である猪木を嫌っている。このあたり、CASSHERNの評価とも重なってみえる)。「馬鹿になれ」という熱くて愚かで泥臭い姿勢こそが、閉塞しつつあった日本の気分にマッチしていたのではないか。
従来なら「大人げのない幼稚な愚直さ」と嘲笑のネタにされるような熱いキャラクターがカリスマ化していく作品としては、「最強伝説・黒沢」というコミックもある。この漫画の主人公の黒沢は、中学生と本気で決闘するようなどうしようもない中年なのだが、その必死さ、熱さが、周囲の人間(主に、シラケきった若者世代)の心をわしづかみにしていく、というストーリーのようだ。
すでに我々には、冷笑や嘲笑で生きていけるほどの余裕が無いのだろう。すべてから距離を置き、自我を脅かすものすべてを嘲笑して生きていくライフスタイルは、「勝ち組」「負け組」が明確化されてしまった現代日本ではもう限界なのだ。そうなれば、道は二つ。「感動など、無い」「自分には何の値打ちもない」という悲惨な現状に気づいて、馬鹿になり、泥にまみれて足掻く道。もう一つは、「自分がこうなったのは、すべて、外部に責任がある」と犯人探しの旅に出る道だ。
僕がCASSHERNを支持するのは、紀里谷監督の製作姿勢そのものが、前者の道を示しているからだ。紀里谷の才能を持ってすれば、もっとソツなく、映像美とアクションに徹した娯楽映画を作ることだって可能だったはずだ。だが、あえてこんな熱くて泥臭くて人に嫌がられる映画を作ってしまった。というより、作らざるを得なかったのだろう。その過剰ともいえる熱さが、CASSHERNが賛否両論喧々諤々と騒がれる原動力となっていることは疑いない。こんな熱い邦画は、しばらく見なかった。いったい、いつ以来なのだろうか。
そしてこの映画のテーマもまた、後者の道…「犯人探しの旅に出る道」を遮断するべくして設定されている。そして紀里谷は、それでも「犯人探しの旅に出る道」への抜け道を探そうとする人間に、抜け道すら与えない。テーマをそのままセリフとして喋らせることによって。つまり紀里谷にとっては、作品の映画としての完成度よりも、テーマを訴えることのほうが重要だったわけで、紀里谷はここでも熱い。
このCASSHERNがどうしようもなく発散させている愚直さ、熱さこそが、実は人々に求めらていたのではないか、と思われるのだ。この映画は、冷笑させることを観た人間に許さない出鱈目な熱さを持っている。いやまあ突っ込みどころはあまりにも満載なんですが…あちこち破綻しまくってるし。だが、それだけでは絶対に済まされない映画なのだ。だからこそ、嘲笑で片付けられる人間よりもマジ切れする人間のほうが圧倒的に多いわけなのだ。僕は紀里谷監督に、もっともっと熱い映画を作り倒してもらいたい。僕自身は、熱さは持っていても、作品を作る社会的な能力が皆無なので……。
(04/5/1 本田)
サイバースペースには、
ただサイトとか文章があるだけ。
しかし我々は、
そのサイトが実在しているかのように感じたり、
X座標やY座標がある訳ではないのに、
一方、MMORPGやFPS、RTSのネット対戦では、座標軸がある。
しかし、
あたかも二次元や三次元空間をユーザーが移動しているように空想する。
座標は、私たちの頭の中にある。
ときには彼らは戦う。
文章により、アバター同士が殺し合う。
もちろん殺し合ったところで、
心に深い傷を負う。
そういう意味では、
没入感や感情移入度では、
そう、これはゲームなのだ。
座標は存在しないが、頭の中に描かれている。
頭の中でバトルを繰り広げるのだ。
ネットゲームなどに惑わされてはいけない。
あれは子供騙しだ。
ttp://sofusha.moe-nifty.com/series_02/2010/03/post-eac7.html
たとえば『マトリックス』では、裏切り者、つまり悪役側のサイファーという人物がこんな言葉を口にします。
「俺はな、このステーキが存在しないことは知ってるんだよ。口に入れると、マトリックスが俺の脳味噌に、これが肉汁たっぷりで最高にうまいと教えてくれるんだってこともな。9年かかって俺がなにを理解したか、アンタわかるか? 無知の至福さ。」
現実よりも仮想現実を選択するという判断が「悪役」のものであるということ。この描写が象徴するように、「現実>仮想」あるいは「三次元>二次元」という価値観は、もはやハリウッド映画の強迫観念ですね。虚構産業の自浄作用のようなものでしょうか。まあそれはともかく。
『アバター』で、主人公ジェイクは、あらゆるハリウッド映画的伝統に逆らって、なんと仮想現実に生きることを選択します。この部分、あまりにもあっさりと描かれているので気づかれにくいようですが、これは二重の意味で画期的なことです。
前衛映画ではありません。超娯楽大作の主人公が、地球(=現実世界)に還らず、仮想空間(パンドラ)のヒロインと生きることを選ぶということ。なんともオタク的な「ネイティリは俺の嫁」宣言です。すいませんわかりにくかったですね。これは一般には、漫画やアニメのキャラクターにリアルな恋愛感情を喚起されてしまった漢(おとこ)たちが口にすべきテンプレートとされています。
さらにいえば、キャメロンはこの映画で「もう現実とか仮想とか区別しなくてもよくね?」と提案しているようにもとれます。アメリカでは本作を観た観客のなかに、「パンドラから帰りたくない」という思いが高じて、うつ状態におちいった人々がすくなくなかったと報じられています。もしこれが事実なら、キャメロンの目論見は見事に当たったといえるでしょう。なにしろハリウッド映画に連綿と受けつがれてきたプラトニズム(イデア>現実>虚構)の伝統を、根底からくつがえしちゃったんですから。
* 「スプーンねじきり」 - 本人曰く「スプーン曲げは難しいから。」
* 「ビールをジョッキで3杯一気飲みした後30回転しても目が回らない男」
* 「ペットボトルで空を飛ぶ」 - エアを詰めた業務用ペットボトル数本を背中に背負って噴射し、キリモミしながら空を飛ぶ[1]。
* 「エアバッグで空を飛ぶ」 - ハンドルの上に座り、エアバッグを膨らませて空を飛ぶ。「ハンドルでナニしちゃう男」として紹介された。
* 「0cm読書」
* 「手んぷら」
* 「ドライアイス食い」
* 「指ドリル・指ペンチ 」
* 「小指1本突きダンボール穴あけ」
* 「扇風機舌止め」
* 「三歳児の服を着る」
* 「爆裂ゴム手袋鼻息割り」 - 医療用ゴム手袋を頭から被り、鼻息で膨らませて割る。失敗する事も多い。
* 「高熱たこ焼き串いらず」 - たこ焼きを指でひっくり返す。
* 「高熱おしぼりヒラリハラリ」 - 次々と投げられる沸騰した湯に浸したおしぼりをかわし続ける。
* 「360°敵だらけ」 - 360°から放たれる枕を『マトリックス』の様に華麗にかわす。
* 「本気(マジ)キックネバーギブアップ」 - キックを受けても痛がらず、逆にキックを打つ人の方が疲れる(らしい)。
* 「熱々流しそうめんハシいらず 〜次の人ごめんなさい〜」
* 「ドキドキメジャー寸止メジャー」 - メジャーを巻く時に水が入った風船ぎりぎり目の前で止める。
* 「かんしゃく玉ホッピングヒョヒョイのヒョイ」 - かんしゃく玉を潰さずにスタートからゴールまで行く。
* 「鋼鉄レバーギブアップ」 - 空手経験者のレバーブローを我慢する。
* 「高卒電話帳破り」 - 電話帳を破る。本来は「高卒」でなく「高速」であったが、滑舌が悪い為に聞き間違えられた。
* 「ラベラーヌンチャク高速貼り」 - ラベラー(値札貼り)2つを紐で繋いだものをヌンチャクのように振り回しながら牛乳パックにバーコードを張っていく。
* 「高速わんこ飲み」
* 「高速目覚まし止め」
* 「高速ほえすた祭り」
* 「高速大工さん」 - すばやく釘を打ち、板の上を銀色にする。
* 「高速真っ黒」 - ホワイトボードを水性ペンで全てを真っ黒にする。
* 「高速チラシはさみ」
* 「高速踊る大交差点」 - 全方向から来るミニ四駆を欠かさず受け止める。
* 「トイレットペーパー高速巻取り(上級者編)」
* 「高速ねんど潰し」 - ねんどを1分以内で潰してシートをねんどだらけにする。
* 「スプーンねじきり」 - 本人曰く「スプーン曲げは難しいから。」
* 「ビールをジョッキで3杯一気飲みした後30回転しても目が回らない男」
* 「ペットボトルで空を飛ぶ」 - エアを詰めた業務用ペットボトル数本を背中に背負って噴射し、キリモミしながら空を飛ぶ[1]。
* 「エアバッグで空を飛ぶ」 - ハンドルの上に座り、エアバッグを膨らませて空を飛ぶ。「ハンドルでナニしちゃう男」として紹介された。
* 「0cm読書」
* 「手んぷら」
* 「ドライアイス食い」
* 「指ドリル・指ペンチ 」
* 「小指1本突きダンボール穴あけ」
* 「扇風機舌止め」
* 「三歳児の服を着る」
* 「爆裂ゴム手袋鼻息割り」 - 医療用ゴム手袋を頭から被り、鼻息で膨らませて割る。失敗する事も多い。
* 「高熱たこ焼き串いらず」 - たこ焼きを指でひっくり返す。
* 「高熱おしぼりヒラリハラリ」 - 次々と投げられる沸騰した湯に浸したおしぼりをかわし続ける。
* 「360°敵だらけ」 - 360°から放たれる枕を『マトリックス』の様に華麗にかわす。
* 「本気(マジ)キックネバーギブアップ」 - キックを受けても痛がらず、逆にキックを打つ人の方が疲れる(らしい)。
* 「熱々流しそうめんハシいらず 〜次の人ごめんなさい〜」
* 「ドキドキメジャー寸止メジャー」 - メジャーを巻く時に水が入った風船ぎりぎり目の前で止める。
* 「かんしゃく玉ホッピングヒョヒョイのヒョイ」 - かんしゃく玉を潰さずにスタートからゴールまで行く。
* 「鋼鉄レバーギブアップ」 - 空手経験者のレバーブローを我慢する。
* 「高卒電話帳破り」 - 電話帳を破る。本来は「高卒」でなく「高速」であったが、滑舌が悪い為に聞き間違えられた。
* 「ラベラーヌンチャク高速貼り」 - ラベラー(値札貼り)2つを紐で繋いだものをヌンチャクのように振り回しながら牛乳パックにバーコードを張っていく。
* 「高速わんこ飲み」
* 「高速目覚まし止め」
* 「高速ほえすた祭り」
* 「高速大工さん」 - すばやく釘を打ち、板の上を銀色にする。
* 「高速真っ黒」 - ホワイトボードを水性ペンで全てを真っ黒にする。
* 「高速チラシはさみ」
* 「高速踊る大交差点」 - 全方向から来るミニ四駆を欠かさず受け止める。
* 「トイレットペーパー高速巻取り(上級者編)」
* 「高速ねんど潰し」 - ねんどを1分以内で潰してシートをねんどだらけにする。
名前つけるのは迷うよね。
それって会社の資産だから、ちゃんとした名前をつけたほうがいいと思う。
1、英文字系
CMSとかOJTみたいに3文字程度で意味を表すっていう伝統があるみたいだ。
この名前の問題点は「名前を聞いただけではそれがどういう会社なのかさっぱりわからない」という点にある。
文系的ではないんだな。
機械の部品みたいな会社だ。下請け専門の会社とかライブラリとかの部品にすごくこだわりのある会社ならふさわしいのかも。
2、地名、人名系
地名や人名を元にする会社はその地域やキーマン(通常社長)のリソースに深く依存している。
地域のための会社であったり、人との個人的な繋がりが重要であればいい名前なのかも。
ただし、今となってはやや古臭い感じがする。
3、美文系
例えば、オラクル、ディーバ、ニフティ、ソネット(ソネットエンタテインメント)など。
オラクルは神託って意味で、言葉そのものにイメージを引き起こす一定の力がある。
単語として美しい単語をつけることで、その言葉の力を借りることができる。
問題点としては、ある程度の実態が伴っていないと空卒に響く可能性があることだ。
どちらかと言うとなんらかのエンタテインメント要素を含んだ会社に相応しいネーミング方法だと思う。
官庁や公企業などの硬い会社と取引する場合には、浸透するまでは違和感があるかもしれない。
また、会社の名前を聞いただけでは何をやっているかわからない。
4、技術用語系
シンプレクス・テクノロジー、テクマトリックス、ワークスアプリケーションズなど。
これは聞いただけで「あ、IT系の会社なのかな?」と直感を働かせることが可能。
一般的な単語を使用しておくと将来、会社が業務内容を多少変更しても違和感がない。
ただ、こういう会社はものすごく多いので、競争入札などの何らかの競争がある場合には字面的に埋没する可能性がある。
「技術的なことならなんでもやる」という何でも屋体質の人はこういう名前をつけてもいいのかも。
5、あとは上記の言葉の組み合わせ
言葉を組み合わせる会社はたくさんあるんだけど、長くなるとカッコ悪くなる。
会社のイメージが曖昧になるという問題がある。グループ会社の場合は仕方ないが。
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まずは、自分の会社がどういう会社なのかを認識することが重要だと思う。
「他の会社とどこが違うのか?」ということをよく考えてネーミングしたほうがよい。
特に仲良くもないのにやたらと触ってくる奴が居る。同性にも居るし、異性にも居る。
はっきり言って不快である。全身の神経が強張る。物凄く気疲れする。
口頭で注意して、露骨に不快そうな対応を繰り返したら止めたようだが、
ストレスは残ったままで、正直なところ一回殴り倒さないと気が済まない。やらないけど。
纏わり付いてくるような、絡み付いてくるような感触が不愉快だ。
自分の一部に混じって来るようなイメージがして、気持ち悪くてしょうがない。
あれをやられる度に、悪寒と同時に連想してしまうのがマトリックスのスミスなのである。
他人に一方的に触れてきて、相手の内部に侵略しようとする所が似ている。自意識過剰なのだろうけれど。
ぶつくさ言うならその手の中にある貧乏くじを捨てなさい!(←駄目彼氏のことね)と言いたいところだけど、他のレスで既に言われてるからちょっと斜め方向からレスしよう。
彼氏については「頼れない」と思ってるからそうなったんだよ、てこと。
釣った魚に餌をやらないのが男の本質だったりするんだけど、餌を引き出すためには頼ることで男の自尊心を満たしてあげたり、あるいは君が自分の水槽にいる魚だという認識を覆すために離れる振りをしなきゃいけなかったりする。
頼るっていうのもいきなり「あたしを受け止めてッ!」て大きいところからやるんじゃ駄目で、小さいところから頼って感謝して「こいつのためには俺が頑張らないと…」という意識を植えさせないといけない。
奴らは女を勝手に母親代わりにする生き物だからなぁッ!!甘やかしちゃいけねぇんだぜ。
ひとまず恋愛マトリックスっていう本オススメ。恋愛本はビジネスのコミュニケーション論モノも含めて50-60冊多読した喪女だけどこれが一番わかりやすかった。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4797345802/
正味な話、既に関係性が腐っちゃってるんだから、手放して他の人との関係を育てた方がいいと思うけどね。
がんばりなねー
ヤッホー!と叫んでいるみたいだけど、どうやらそんな意味じゃないらしい。怪しそうで本当に怪しいネット企業。株とかがすきみたいね。
サイバーとかエージェントとかなんかマトリックスっぽい単語をつなげてみた企業。大人な企業という事で有名らしい。最近は牧場経営に手を出し始めて・・・
ソニエリ:
サトエリ似の可愛い黒船系帰国子女。肉食系。
インテル:
イタリアのサッカーチーム。有名選手は大体このチームに移籍すると大怪我する。通称「インテル終わっテル」
power point:
パワポとか呼ばれる。ベホイミとかそーいう系のパワーアップ系の呪文。かと思いきや大体書いてると、いらいらして体力をそがれる、負系の呪文。
火狐とか呼ばれるけど、そんなに火は吹かない。結構すぐれたお利口さん。戦国時代にいた妖怪とかの末裔かも。。手塚さんの書いた漫画とはあんま関係ない。
ハッカー:
日曜日にもかかわらずキーボードから火が出るんじゃないか?っていう勢いで叩いてる人。通称ハッキングパパ。クッキングパパというとアゴの出たお父さんのことをいうけど、ハッキングパパはたぶん凄い人。天才。
ググれでおなじみの電気メーカー。電気ポットとか置いてる老舗メーカー。
そのままの意味だと「窓」だけど、unixが好きなひとからは嫌われている。「窓の無い部屋」に迷い込んだ人も使いこなせるように優しくできているそうだ。
日立:
「このキなんのキ気になるキとか」 書いてしまうとキが狂ってしまいそうになるけど本当はやさしい大手メーカー。多分日本でもっともでかい企業のひとつ。草食系。
NTT:
Nは北の意味で、TTは実は鳥居をあらわしている。北にある鳥居には宝が眠っているらしい
vi:
vi系と呼ぶとメイクの濃いバンドやってる男子だと思いきや、割としっかりした妻子もち。
http://anond.hatelabo.jp/20090914132607 の増田です。
こんな話きいても面白いと思ってくれる人いるわけねーだろ、みたいなテーマで調べものをしてます(本業はというと不景気で自席待機中、次の派遣先は決まらないかもしれない)。自分が首になって家内ともども路頭に迷うかもしれないのに、不思議と危機感がなくて。
CiNii のサイトにいくと、とある学会誌の創刊号から何年かが全部無料公開されてて、創刊号にはなんと当時の科学技術庁長官、中曽根康弘氏が祝辞を寄せてるわけです(さてどこの雑誌でしょう)。とある単語をさがしてその検索のきかない pdf を延々延々「目 grep」してます。で、二段組みなので狭い画面で見ると
と2passかかる。疲れ目がひどくてブルーベリーのサプリがありがたい。
あと JIS の規格票とかも検索するのですがこの検索がまた動きが微妙なんだ。
資料の探索範囲はストーリーが見えてくるに従って広がっているのですが、なんか自分の知識には主に理論面であちこち欠落があって、定番的教科書に何が書いてあるのか知らないままやっているもので、あちこち致命的ではないもののぼろが見えてきて、それを全部繕ってるといつまでも終わりそうになくて、しょうがないから切り捨てたりごまかしたりして、まあ本に書いてないような新事実もちょっとだけ確認はしたものの。
結局やってることはといえば、安楽椅子、もしくはマトリックス内歴史家で、pdf になってないものにはほとんど手が届いてない。
要するに、キーパーソンにアポとるのが怖いんです。勉強不足を pgr れて瞬殺されるのが怖いんです。自分が持って行った新事実を喜ぶどころか不機嫌な顔で、おまえうざい、って言われてすべてが終わりになる恐怖がいつまでも去りません。円満退社したとはいえ古巣の元上司に「いまは職を転々としながらこんな金にならないことにまで手を出してます」と自己紹介するのもこわいし、要するにすべてが怖いです。
私ごときが全てを知ろうなんておこがましいんですが、何の権利があって、自分の先生でもない人に質問をするのか、その根拠が見えません。
まあ恥を晒し大失敗するしかないんだろうけど。
なんとなく、代表的なAAの変遷によって、2ch自体の変遷を説明出来るんじゃね?と思ったんで以下だらだらと。
●初期(開設~ネオ麦茶事件あたり)
・モナー
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< オマエモナー
( ) \_____
| | |
(__)_)
丸耳の初期バージョンもあるけど、知名度でいえばこっちかな。
オマエモナーという台詞は、お門違いな上から目線や自分を棚に上げて語られる論説に対する、相対化の役割を果たしていた。
なんとなく、まだネットがマイナーだった時代(80年代のパソコン通信あたりから?)にあった、ポストモダン(笑)的価値観が背景に感じられるキャラクターである。
・ギコ猫
____∧∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
~' ____(,,゚Д゚)< 逝ってよし!
UU U U \________
結構モナーとの共生期間が長いキャラクターだけど、途中からコイツの方が人気出てた記憶がある。
「逝ってよし!」という台詞はオマエモナーと同じく、権威的な言論に対するカウンターだけど、こっちはよりチャイルディッシュというか、「逝ってよし!」と言ったヤツ自身が「オマエモナー」と返されかねない危うさを孕んでいる。
ポストモダン(笑)的に語れば、ネット外社会に対するアウトサイダーの溜まり場だった2chが、2chという一つの大きな物語としての存在を確立し、ネット外世界に対する批判もその大きな物語に沿って行われるようになった……ってところだろうか。
(ところでポストモダンってこういうことでいいの?よくしらない)
・モララー
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・∀・)< マターリしようよ♪
( ) \_______
| | |
(__)_)
純粋に「面白い猫のキャラ」としてAAを使いたいという需要から、このイマイチ特徴のないキャラが人気になったんだと思う。
このことからも、2chが一つのブランド化したことが伺えるかもしれない。
・やる夫、やらない夫
/ \
/ ヽ_ .\ パシャッ!
( ●)( ●) | ____
(__人__) | / \
l` ⌒´ | / ─ ─ \
. { |/ (●) ( ●) \ ・・・
{ / | (__人__) |
,-、 ヽ ノ、\ ` ⌒´ ,/_
/ ノ/ ̄/ ` ー ─ '/>< ` ー─ ' ┌、 ヽ ヽ,
/ L_  ̄ / _l__( { r-、 .ト
_,,二) / 〔― ‐} Ll | l) )
>_,フ / }二 コ\ Li‐'
かつてモナーやギコ猫は、猫のキャラクターという非社会的存在に自分の主張を仮託することで実社会では言いにくいことを無責任に言ってのける、一種のスーパーヒーローとして重用されていた。
だがそれに対し、やる夫・やらない夫は(容貌・性格共に)より人間に近い、等身大のキャラクターだ。
その個性は、ニートであったりオタクであったり非コミュであったり童貞であったり、より(俺のような)2chの平均的(象徴的?)ユーザー像に近いものとなっている。
これらの特徴はAAの発祥がVIPであることにも起因しているだろうが、それよりも「2chの普遍化」という理由の方が大きいんじゃないだろうかと思う。
つまり、2chがあまりにも有名・巨大になった結果、おなじみの「浸透と拡散」が発生して2chは一枚岩ではなくなり、つかの間存在していた「2chという大きな物語」は消え去り、現在はゆるやかに基底部分で繋がった状態(スキズマトリックス?)になっているんじゃないか、という推測。
この状態においては、もはやモナーやギコ猫のようなスーパーヒーローに身をやつすという行為はあまりにもロマンチックすぎるのだ。
●今後
当たり前だがw、どのようなAAが流行るかなんて全く予想出来るはずがない。
AAの流行は、デザインやキャラクター性が秀逸なら良いというわけではなく、様々な偶然が重なって巻き起こるものだから。
ただ、もはやギコ猫やモナーといったようなスーパーヒーローの時代は終わり、今後はやる夫のような等身大AAキャラの時代が続く……ということだけは断言してもいいんじゃないかと思う。
#それまでのAAキャラは、(上でも書いたように)合理的に「心に棚を作る」ための一種のスーパーヒーローだったが、やる夫はイチビリな、ただのダメ人間として登場した。
#かつてねらーの共同幻想として存在したモナーやギコ猫が暮らす架空の「2chワールド」は、残念ながらやる夫・やらない夫が繰り広げるドラマの中には存在しない(ように俺は感じる)。
#それが寂しくも思えるけど、ただよりやる夫シリーズなんかは、より深く実社会にコミットしていく面白さもある。2chのAAキャラはまだまだ終わらない。
http://www.excite.co.jp/News/column/20090128/Getnews_4200.html
Amazon ukがポンド安でめちゃくちゃ安いからネット通販するといいよという記事です。
記事にもあるように,海外はDVDやBDがもともとの価値的に大分安い。(というか日本がぼった)
そこにポンド安がきちゃったもんだから,超激安と言っても過言ではない。
前々からイギリスやアメリカから個人輸入で買い物してたんで,もう少し耳よりな情報を書いてみます。
輸入DVDでは2点クリアしないと日本では見れないけど,輸入BDは1点クリアで良い。
元記事では攻殻のDVD-BOXを比較していますが,記事にもあるように
イギリスと日本はDVDリージョンが同じですが,映像形式が違います。(イギリスがPAL,日本がNTSC)
普通のDVDプレイヤーではリージョンが同じなのでディスクの再生自体はできますが,映像が読めません。
パソコンは映像形式が関係なのでリージョンさえ同じなら見ることが出来ます。
しかし,BDは違います。
BDは映像形式にPALやNTSCという規格自体が存在しません。
つまり,リージョンさえ一緒ならディスク再生&視聴が可能です。
なので,日本語字幕 or 音声がつきのBDを海外から買うと激安です。
だいたい日本の定価の3分の1程度で購入できます。
残念ながらBDであるのは,アニメのアップルシードとイノセンスくらいです。
じゃあどうするの?てか,そもそも,海外で売られてる海外の作品には日本語なんてないでしょ?と疑問がでるでしょう。
しかし,作品によっては日本語字幕 or 音声 or 両方が存在しています。
例えば,ダークナイトはパッケージには書いてませんが日本語音声&字幕が入ってます。
他にもマトリックスも両方入っています。
そう言った情報は,amazon.jpのブルーレイフォーラムの輸入盤の音声情報トピや輸入BDを売ってるお店を見るとわかります。
イギリス盤とアメリカ盤で収録音声が異なる場合があるので,そこは十分確認してください。
また,英語わかる!という方は再生できるどうかのリージョンコードさえ調べておけば大丈夫です。
その情報はhttp://bluray.liesinc.net/index.php?region=bでわかります。
注意点として
DVDと異なり,BDはイギリスと日本はリージョンが違いますので
イギリスから買う場合は要リージョン確認です。(ソフトによってはリージョンフリーのがあります。)
逆にDVDの時はリージョンが違ったアメリカとは,BDでは同じリージョンになっています。
ですので,アメリカのアマゾンから買うのもオススメです。(というかこっちのがいいと思う)
僕は先日,アメリカのアマゾンでマトリックスのBDBOXを買いました。
その場合、いずれ解決不可能な問題にぶちあたって滅亡しちゃう気がするんだよね。
『持続可能で発展性のあるロバストな経済モデルを構築する必要がある』とかいう場合とかね。
まぁ一部のエリートが頭を強烈に使って、後は何も考えず(マトリックス的に)本人達は幸せだと思って生きる、
みたいな形式は有り得るかもしれないけど、そうすると、経済の話で言えば
『持続可能で発展性がありロバストで、しかも大衆が頭を使わずにいられてかつ幸福を感じられる経済モデル』
が必要になるわけで、そんなもんあるかというと、無いような気がする。
無論俺の頭が悪くて思いつかないだけかもしれないけど。
二次元は人を幸せにするだろうか?もしそうならマトリックスみたいに一生夢を見続けるのが最高の幸せなのだろうか・・・
二次元は視覚と聴覚しか使わないから三次元と違って刺激が圧倒的に少ない。
ヴァーチャルリアリティーの技術が発達して三次元を凌駕するようになるには、後20年はかかるだろう。
重度のヲタはリアルをこき下ろし、二次元を至高の存在として褒め称える。
だが二次が三次に勝るなら、マンガ超大国の日本の幸福度が低いのはなんでだぜ?
他のどの国より幸福でもおかしくないのに・・・
結局、人は霞を食って生きていく事はできない。寝込んでもモニターの中のキャラは看病もしてくれないしな。
萌えキャラは寂しさが生み出した幻想であり、孤独を埋めてくれる事はない。
いい年こいてやっと最近気が付いたんだ。
俺って電池だったんだ。
エネルギーを得る為に利用されていたんだ。
それまでは電池として利用されるんだ。
まあ気が付いたところで死刑囚だし、刑務所を出られる訳でもない。
今まではワリと待遇の良い刑務所だったんだが、なんだか急激に待遇が悪くなってきた。
噂では将来、もっとエネルギーを吸われるようになるらしい。
そうなるのが先か、死刑が先がどっちかだな。
でもどうせ死刑になるんならそれまでの待遇は良くして欲しいな。
エネルギー吸わせてんだし。
しかしエネルギー吸って何やってんだ?右も左も死刑囚ばかりだから集まりすぎるだろ。
おい、看守、どうなってんだ。所長は何やってんだ。
どうもこの刑務所、最近、囚人減って来てるだろ。だからエネルギー余計に吸おうとしてるのか?
死刑執行速度が上がってきて無いか?
入れ替わりが激しすぎるようになってきたぞ!
おい、看守、なんか宇宙人まで入ってきてるぞ。どうなってんだ。
この宇宙人、全然メシ喰わねえな。
おい、ちょっとまて、メシ喰わない宇宙人が増えて、人間減ってきてんぞ。
ま、まさかエネルギー効率考えて、メシ喰わない囚人集めてんのか。
なあ、看守、俺の死刑はいつなんだ?
もうすぐなんだろ?
イチローに学ぶ「天才」と言われる人間の共通点 - 電子書店パピレス
イチローに“偉大《いだい》な才能”を与えたのは、名古屋空港の近くにあるバッティングセンターである。
イチローは小学三年から中学三年までの七年間、そこに毎日通いつめた。
それも一週間に一日くらいは休むといったレベルの生易《なまやさ》しいものではない。
一年間に三六三日通いつめたという。休んだ二日は、バッティングセンターが休業した、正月の二日間だけだった。
天才と言われる人間であっても、絶《た》え間ない精進《しょうじん》を繰り返して、初めて彼らは成功者の仲間入りをすることができる。
イチローが一流選手としての称号《しょうごう》を得たのは、二一〇本の安打を打ち、打率三割八分五厘で首位打者に輝いた九四年の秋である。
http://kokokubeta.livedoor.biz/archives/51030990.html
何事にも閾値はある。そこに至らなければ、意味がないという数字だ。
「頭のいい人が成功しない理由」という本に、閾値の話があった。
なぜ失敗は「すればするほどいい」のか~脳研究者・池谷先生の新たな研究 | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]
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何物かを選ぶことは、他の一切を捨てることである。
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