近年のキャンセルカルチャーの暴走ぶりを見ていると不買運動って理性的な運動だったんだなって思うようになった。
「私は買いません(自己決定)」、「あれは買わない方が良いと思います(提案)」までで抑えて他人の「いや私は問題ないと思うので買います」という選択肢を奪わない姿勢は人それぞれの正義を尊重していると言えて、自分達が正しいと思ったら問答無用で相手を潰そうとするキャンセルカルチャーとは対象的。
少数の文句でも声の大きさと付け火の上手さでゴリ押しできてしまうキャンセルカルチャーと違って、不買運動は買い続ける派・買わない派がそれぞれどのくらい出るかでそれなりに民意に添った程度のダメージだけを対象に与えるようにできているし。
まあ、個人や小規模事業者が少数の信者を相手にするような現代的なネットビジネスなんかには相性が悪いとか、最近キャンセルカルチャー絡みで燃えてる呉座氏の話題のような経済原理の支配の外にあるアカデミック系の問題には無力とか、不買運動ではカバーできない問題も色々あるけれど。
あとは不買運動も過激化すれば「あんな問題のある所の商品を買うようなヤツは許さん!」みたいな攻撃性に繋がることはあるけどさ。
ただそれでも理念としては異なる正しさを持つ人の選択も尊重する余地がある分、今の野蛮で力ずくなキャンセルカルチャーと比べると不買運動の方が穏当で理性的だなとは思う。
プラテネスが許せない宇宙関係者は古本を買え そしてネットにプラテネスの古本を買った証拠とコメントを書き込むの
よく言われる「内容に触れずに批判するな!」をクリアしつつ、著作者に利益を与えない不買行為も両立できるから、古本は優秀だな。