はてなキーワード: おめざとは
新しい店に疎いので老舗中心になるけど…
→チョコレート部分にアート(定番は浮世絵)が施されていて、見た目も美しく、味も当然ながら美味しい。薄くしっとりしたエクレア生地に包まれたカスタードクリームが口の中に広がる幸福。コーヒーも美味。
→季節のトッピングが特に見逃せない。みはしマニアの人から情報を得て、初めて食べた若桃トッピングのクリームあんみつは、今までの俺の中でのあんみつの概念が、ヒョイと覆された。
→ここのフィナンシェは多分バターの使用量が尋常じゃない。噛むとじゅわりと口内に広がるバター。こんなにバターの存在感を感じたフィナンシェは初めて。
→千疋屋なので当然果物は選び抜かれたものなんだが、なんというか、雑味がまったくない、素直でそだちのよい味わいのバナナがクリームと共にお口の中にイラッシャイなんである。朝方、たまたまこちらでおめざ的に頂いたのだが、こんな上級品を朝からお迎えできたあの日は、俺的幸福な朝TOP10に入るぐらいの、記憶の至福の味であった。なお、コーヒーも美味。
全然映えないけど、以上です。
岡江久美子さんが亡くなった。63歳だったそうだ。
うちの母は60歳、とても年齢が近い。
長期休暇になるとはなまるマーケットをみながら朝ご飯を食べていた。
とても明るい方だったと記憶している。
明るくて、少し天然で、たまに強引なコメントがあった。
その姿は、うちの母によく似ている。
うちの母も、とにかく明るくて、小ボケをかまし、自分の理論は強引なまでに主張する。
ちょっと悪口みたいな書き方になってしまったが、私はその強引さが好きだ。
私は一人ではなまるマーケットを見ながら、朝ご飯をもそもそ食べた。
別に母を亡くしたとかではない。
ただ、母のいない家は静かで寂しかった。
そんなひとりの家に、岡江さんの明るい声が響いていた。
それがとても心地よかったことを、テレビで岡江さんを拝見するたびに思い出していた。
母と重なる岡江さんが亡くなった。
私はとてつもなく悲しくなり、不安になった。
母もいつか死ぬ。当たり前のことを突き付けられた気がした。
新型コロナで亡くなったら、故人と対面もできないと聞く。
それを思うと、さらに悲しくなった。
堪らなくなって母に電話した。
相変わらず、明るく笑っていた。
声を聞いて安心した。
安心したと共に、近くに住めず、すぐに会えないことが口惜しい。
早くコロナが終息して欲しいと強く思った。
「金パブ」と聞いてなんのことか分かる人は増田には少ないと思う。
「金パブ」とは数ある感冒薬の中でも薬局の棚で光り輝いている、
そんな「金パブ」を愛してやまない男がいた。アダ名はよっちゃん。
口が寂しいので、よっちゃんイカをしがみながら仕事をしているため、
よっちゃんと呼ばれたそうだ。
ちなみに知り合って5年になる。
よっちゃんは、目を覚ますとまず「金パブ」を牛乳で喉の奥へ流し込む。
それからショートホープを吸ってから、あらためて「金パブ」を水無しで飲む。
これは朝食代わりだそうだ。
「粉薬をよく水無しで飲めますね?」とよく聞かれるそうだが、
彼に言わせると、「なぜ、きな粉が食べられて、金パブが食べられないのか謎」だそうだ。
ちなみに彼は「金パブ」以外の朝食は摂らない。
朝の情報番組を見ながらしたくし、バスと私鉄にのって会社へ来ると、
かけつけ1杯とばかりに、ユニマットコーヒーで「金パブ」を飲む。
曰く、「カフェインと金パブの相乗効果」で臨戦態勢に身体がなるらしい。
しかし、よっちゃんは「金パブ」を飲むととたんに眠くなるみたいで、
食後には必ずドトールへ行って、紫煙をゆらし、「金パブ」を飲む。
そして会社へもどったよっちゃんはふたたび睡魔と戦いながら適当な電話をかけている。
と、くったくのない顔で彼はよく笑った。
そんなよっちゃんが死んだ。
司法解剖をしたところ通常白くなる肺が「金色」だったそうである。
あれだけ飲んでも風邪をひくのか。
後ろの方で、誰かがくしゃみをした。
ある日、二人して実家に帰省して、久しぶりに父、母、妹、私の家族四人が揃ったときがあった。
全員が成人していたのでお酒を呑みながら団欒を楽しんだ。
食べ物の話題になり、私と妹は
「お弁当がいつも立派で、友達もすごいと言ってくれてたんだよ」
「お母さんの作るご飯はどれも美味しかった」
「朝に出してくれた、果物やヨーグルトのおめざがすごく嬉しかった」
「忙しいとき、お惣菜を買ってきたときも必ずお家のお皿に移してくれて、
当時は当たり前に受け止めていたけど全然当たり前じゃなかった」
「お母さんの作ってくれる料理が一番美味しい」
とほのぼの語り合っていたら、突然母が泣き出した。
何事かとびっくりする姉妹を前に、母は「ずっと自信がなかった」と語った。
思えば、私達にとっては母は生まれたときから「母親」という存在だったが、
母は子供を生んだことで、少しずつ「母親」になろうと努力していて、
ずっと一人で「母親」になろうとあがいてきたらしい。
私達にとっては生まれてからずっと完璧な「母親」だっただけに驚いた。
同時に、母親という存在の有難さと、笑顔で美味しい食事を用意してくれる人の有難さを実感した。
無償で自分のために美味しい料理を作ってくれる人なんて早々いないし。
本当に有難いよね…。
今までの自分の経験から、気をつけることを書いておきます。不調かな、と思ったら読み返す。
<追記>
確かに長くなっちゃいましたね。読んでて疲れちゃった人、ごめんなさい。自分でも読み返して「あれれ?」って思いました。
あまり気にせずぼちぼちいきましょう。
考えられることは全部やってみた?
・当然遮光カーテンだよな?ちゃんと1級?
・賑やかな環境に住んでるなら、静かな部屋に引っ越すのは考えた?
・夜間はコンビニに行かない、明るい蛍光灯の下に行かない、暖色照明のみで生活
・寝る前に酒飲まない
・目覚ましは3つかける
・生態に合わせた照明使う
「設定時刻の30分前から枕元をだんだんと明るくし、設定時刻には明るさもアラーム音も最大に。
生体リズムに則したさわやかな目覚めを促します。」
http://kayoudayo.jp/customer/ServletB2C?SCREEN_ID=SHOHINDETAIL&hMoushikomi=1100158