ある日、二人して実家に帰省して、久しぶりに父、母、妹、私の家族四人が揃ったときがあった。
全員が成人していたのでお酒を呑みながら団欒を楽しんだ。
食べ物の話題になり、私と妹は
「お弁当がいつも立派で、友達もすごいと言ってくれてたんだよ」
「お母さんの作るご飯はどれも美味しかった」
「朝に出してくれた、果物やヨーグルトのおめざがすごく嬉しかった」
「忙しいとき、お惣菜を買ってきたときも必ずお家のお皿に移してくれて、
当時は当たり前に受け止めていたけど全然当たり前じゃなかった」
「お母さんの作ってくれる料理が一番美味しい」
とほのぼの語り合っていたら、突然母が泣き出した。
何事かとびっくりする姉妹を前に、母は「ずっと自信がなかった」と語った。
思えば、私達にとっては母は生まれたときから「母親」という存在だったが、
母は子供を生んだことで、少しずつ「母親」になろうと努力していて、
ずっと一人で「母親」になろうとあがいてきたらしい。
私達にとっては生まれてからずっと完璧な「母親」だっただけに驚いた。
同時に、母親という存在の有難さと、笑顔で美味しい食事を用意してくれる人の有難さを実感した。
無償で自分のために美味しい料理を作ってくれる人なんて早々いないし。
本当に有難いよね…。