はてなキーワード: 免許返上とは
国は見て見ぬふりなのかな?※国が20%減目指すことは知っている。
そういうこと減らして行く気は国に無いのか!
でも高齢者の免許を取り上げたら、地方の田舎に住んでいる人達はどうなるんだ?!
それで結局運転をする。
年内中に何回起きる?
日本だけじゃない。
これをディストピアと受け取るのか、自然の摂理?として考えるのか。
いやー!高齢の運転はどうにかしないと、10~20年後事故起きまくるでしょ。
政府が呼びかける!
しかし老人は、
「馬鹿野郎!足腰弱いんだよ!歩くの疲れる!コミュニティバスも無い!だったら運転しかねぇ!うっ」
沢山の人を跳ね飛ばす。
20代の人が死にました。
40代の人が重体です。
50代人のも重体です。
これの繰り返しじゃないか。
でも、また繰り返される。
そして老人は車に乗り、アクセルを踏む。
・ラジオ局の人も9時5時で働いているっぽい編成
ラジオ局のホームページには、今かかっている曲のタイトルと歌手名が入るサービスがあるんだけど、17時を過ぎると更新されなくなる。まとめてバタバタっと入るときや次の日に更新されるときもある。手動かよ。あらかじめDBに登録されているものを時間で出しているのかと思っていた。
新人とか普段ラジオ業界にいない人が急に冠特番をやる。あー、普段いる人たちは休み取ってんだと思う。
こういう時間帯は無人なのか機械のオペレーターしかいないのだろうという空気がひしひしと伝わってくる。
「動く私をぜひYoutubeで見てください」と放送で言っていたが、もうYoutuberと同列かよ。放送免許返上したらと思った。
・これは個人の感想です。
という前置きをして予防線を張るラジオショッピングが多すぎる。薬事法に引っかからないように注意しているのだろう。グレーゾーン狙いのスポンサーが多いと見た。
無理ゲーな自動車での人身事故。これがおきるたびにわき上がる運転手かわいそうの大合唱
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1881176.html
だいたいいつも要約すると次のような意見が集まる。
それに違和感を覚える。という話。
自動車の免許もったことない奴は、もしかしたら知らないのかもしれないが、こんな状態でも責任を背負わされるのが車の運転手で、運転手はそれをわかったうえで運転している。
そのことは、わざわざ18歳以上の責任ある運転手本人が、みずから試験まで受けて、免許してもらってるわけ。なんかの生命保険の契約書みたいに、気付かれず小さく書いてある条件ではなくて、試験までうけて自覚している前提で成り立っているもの。
運転手は、絶対にどんな無理な状態でも、自分と同乗者と周りの安全に対して全責任を負うのが決まりである。
もし運転手の中で、「そんなこと自分は知らなかった」もしくは「知ってたけどやっぱりそんな条件は自分はのめない」というのであれば、免許返上(もしくは自ら立候補して法律改正)という行動を起こすことも、許されているわけ。このこと(条件がのめないなら免許返上すべき)も、確か試験に出るから免許保持者みんな知っている事実。
「いやいや、免許返上なんて極端な。身分証明書として事実上運転免許証は必要だから、条件はのめないけど免許返上はできない」というのであれば、ご安心を。
免許を返上しても、身分証明としてだけつかえるようにする方法もある。
「無理ゲーで人ひいても運転手が悪いなんて納得できない!」って主張したいんだったら、まずは免許返上を。
じゅうぶんに信頼できる自動運転が発達することは望ましいが、運転手の責任を解放してくれる類のものではない。
自動車という道具は、便利だからという理由だけで出発点から到着点までの全ての生命財産をおびやかす道具であるということを、いまいちど運転手は自覚する必要がある。
周囲の安全に対する責任を一手に担っているのは、運転手本人であり自動運転はその補助でしかない。
自動運転は交通安全の特効薬ではなくて、ましてや自動運転だから運転手の責任が解放されるわけではない。むしろ機械の動作の責任まで負わなければいけなくなるので、運転手の責任は増えることになる。
一番最悪なのが、「ひかれた奴が悪い」という意見。
ひかれたほうが、危険なことをしていたことは変わりがないが、それでも死ぬほど悪いことをしていたわけではない。
「これは運転手は悪くない、ひかれた奴が悪い」といってる奴は、ひかれた奴は死んで当然なほど悪いことをしていた、と同じ意味のことをいってることに気付いてほしい。
だれだって、事故を起こそうとして起こす奴はいない(少ない)。
ここに人がいるからひいてやろう、とおもって起こすわけではない。絶対にここには人がいないだろうと思った箇所に人がいるから起きるのだ。
ハンドルを握るたびに、もしかしたら自分は今から誰かを不幸にするかもしれない、という覚悟くらいは、せめて頭の片隅にでも置いておいて欲しい。
あなたが、今からひき殺すかもしれないその人は、死んで当然なほど悪いことは、していない。確かに、危険なことはしていたかもしれないが、それだけだ。