はてなキーワード: ぞうさんとは
👧「📞きりんさんがすきです、でもぞうさんは、もーっとすきです!」
短い点滅のあとで和室の蛍光灯が点いたとき、尖浩二は気を失わぬために奥歯が割れるほど食いしばらなければならなかった。先程から感じていた鉄っぽい血と死の臭いは気のせいではなかったのだ。まだ暖かい液体が尖の靴下に染み込んで足の指を濡らしている。六畳間の床は赤黒い血溜まりと化しており、その中央には腹部を大きく咲かれ痙攣を繰り返す勉三の体が横たわっていた。そうして、
決して誕生を許すべきではなかった人造生命体が……一度は理解し合えたとすら思えたかつての友人が……勉三の肚の中で血液にまみれ、大腸を引き抜いては陶酔した表情で頭部の髷に巻きつけるという、尖には理解し難い動作を繰り返していた。
「に……ゲる……ダス……」
勉三のか弱い濁声にはっとした。そうだ。逃げなければ。改めて目を向けると、ちょうど勉三の瓶底眼鏡がずり落ちるところだった。隠すもののなくなった彼の両目は刃物で乱暴にほじくり返され、今では暗い虚だけがそこにあった。
「マッ……」
叫びそうになって抑え込む。そうして、部屋の凄惨な状況に背を向けて一目散に駆け出した。
しかしそれは叶わぬ願いだった。先週、熊田薫とみよ子の結婚式の余興で、薫のランクルに社外オプションで取り付けた対戦車ライフルによって蜂の巣にしてしまったからだ。
その時の最高な盛り上がりを思い出し、一瞬気を抜いてしまったからだろうか。玄関の扉を開けるのに手間取った。血糊で手が滑り、ドアノブがうまく回らないのだ。ゴトリ、と金属製の重い音が背後からする。
「ひぃっ!」
「ハジメテ〜ノ……チュウ♪」
聞き覚えのあるメロディ。いや、そうだろうか。初めて聞く旋律かもしれない。違う、そんなことはどうでもいい!
「開いて! 開いてよぉ!」
「キミト……」
「んぐっ」
私は数年前からギフテッドの子どもたちを接して支援してきた人間だ。よく天才型だとか、才能があるとか近年ちょくちょくネット記事とかで目にするようなった。だけど、現場を知ってる人間からするとそんなによくできた人間じゃねぇぞ。ネットの記事などが大分誇張されすぎていると思っている。
ギフテッドの子どもた、単に理解されない天才などではない。だたの、「堪え性のないちょっと他の子より得意なことができる」の子なのだ。まず、「得意なことができる」というのは様々な面があるが、大抵の「ギフテッド」と言われる子どもたちは、ちょっと短期記憶力がよかったりする、ちょっと絵が上手だったりする子どもたちなのだが、このちょっとというのは、「この年齢にしてはよくできる」と言った評価であり、正直大人の下駄を履かされた評価でもあることが多い。ごく一部、本当にすごいってものもあるが、「すごいできる」って範囲がすごく狭い。例えば、お絵かきで例えるならば、全ての絵が凄く上手に書けるのではなく、例えばクジラとぞうさんは上手だけど、他の絵は著しく書けなくなったりする。そういう尖り具合である。そしてほかはてんでダメなんとこはザラ。
そして重大なのは「堪え性がない」のである。つまり先生の話を長時間(10~20分程度)聞けないのである。もちろん、好きな先生であれば若干の我慢はできる。私は基本的にその子に私を好きになってもらって、私の話を長時間聞いてもらう努力からする。ギフテッドの子に例えば10~20分程度話をするしたら、大抵質問責めに合う。これは頭が良いわけではなく、単に、「話していない、これから話す部分」を待つことができないのである。なので、「これから話す部分」ってのを沢山質問してしまうのである。説明する順番に関係なくめちゃくちゃに質問してしまうのである。だから、普通話すときは順序だてて話していくのだが、ギフテッドは話者の順序についていけない。常にギフテッドは話者じゃなく自分の関心事の解消が一番であるからである。
また、堪え性がないので、積み上げ型の知識やスキルは身につかないことが多い。だから、ウサギと亀みたく、ギフテッドの子は普通の子に追い抜かれることなんてざらにあるのだ。
何が言いたいかっていえば、記事に書かれるほど、そんなにいいものじゃねぇぞ、ギフテッドの子ってのは。そもそも知性が高くて堪え性がある子どもは普通に学校でも優秀だから問題にならない。そういう子がぶっちゃけ真に天才だと思う。