私は数年前からギフテッドの子どもたちを接して支援してきた人間だ。よく天才型だとか、才能があるとか近年ちょくちょくネット記事とかで目にするようなった。だけど、現場を知ってる人間からするとそんなによくできた人間じゃねぇぞ。ネットの記事などが大分誇張されすぎていると思っている。
ギフテッドの子どもた、単に理解されない天才などではない。だたの、「堪え性のないちょっと他の子より得意なことができる」の子なのだ。まず、「得意なことができる」というのは様々な面があるが、大抵の「ギフテッド」と言われる子どもたちは、ちょっと短期記憶力がよかったりする、ちょっと絵が上手だったりする子どもたちなのだが、このちょっとというのは、「この年齢にしてはよくできる」と言った評価であり、正直大人の下駄を履かされた評価でもあることが多い。ごく一部、本当にすごいってものもあるが、「すごいできる」って範囲がすごく狭い。例えば、お絵かきで例えるならば、全ての絵が凄く上手に書けるのではなく、例えばクジラとぞうさんは上手だけど、他の絵は著しく書けなくなったりする。そういう尖り具合である。そしてほかはてんでダメなんとこはザラ。
そして重大なのは「堪え性がない」のである。つまり先生の話を長時間(10~20分程度)聞けないのである。もちろん、好きな先生であれば若干の我慢はできる。私は基本的にその子に私を好きになってもらって、私の話を長時間聞いてもらう努力からする。ギフテッドの子に例えば10~20分程度話をするしたら、大抵質問責めに合う。これは頭が良いわけではなく、単に、「話していない、これから話す部分」を待つことができないのである。なので、「これから話す部分」ってのを沢山質問してしまうのである。説明する順番に関係なくめちゃくちゃに質問してしまうのである。だから、普通話すときは順序だてて話していくのだが、ギフテッドは話者の順序についていけない。常にギフテッドは話者じゃなく自分の関心事の解消が一番であるからである。
また、堪え性がないので、積み上げ型の知識やスキルは身につかないことが多い。だから、ウサギと亀みたく、ギフテッドの子は普通の子に追い抜かれることなんてざらにあるのだ。
何が言いたいかっていえば、記事に書かれるほど、そんなにいいものじゃねぇぞ、ギフテッドの子ってのは。そもそも知性が高くて堪え性がある子どもは普通に学校でも優秀だから問題にならない。そういう子がぶっちゃけ真に天才だと思う。
堪え性もなく、秀でた才能もない自分はどうしたらいいですか
堪え性が著しくないのがギフテッドみたいなものだから、10~20分程度、人の話を聞けるのであれば堪え性があるよ。
ギフテッドって結果残してる人のこというんじゃないの。数学オリンピックでメダル取るとか。
いや違うね。それはただの天才。ギフテッドはむしろ発達障害に近い。 もっといえば、最近だと親バカママの「自分の子はできるはずなのに、できないのには理由があるはず!」という...
これとは直接は関係ないけどADHDの知り合いが初対面の人に毎回「自分ADHDなんですよ」って自慢げに語ってるのが痛すぎる。 いろんな物に手を出しまくって多才アピールしてるけど全部...