ファンを名乗れるほどじゃない。
知らない曲もたくさんある。普段は別界隈でアイドルオタクをしているし、完全な茶の間(在宅?)だから、軽率に口にしない方がいいのかもしれない。
それでも好きだ。強かな女性であるアンジュルムが大好きだ。私にとってアンジュルムは、現実に生きる美少女戦士なんだ。
「乙女の逆襲」「マリオネット37℃」「七転び八起き」が好き。
アイドルの宣戦布告とか、この世界への挑戦みたいなものが好きなのかもしれない。
だから何ってわけじゃないけど、とにかく好きなんだ。
例外はもともと連載を持っているような作家がプライベート漫画をオマケで出すというもの。荒川先生の百姓貴族なんかがそれに当たる、と言えば分かりやすいだろうか。
ツイッターでバズる→書籍化という流れができてから顕著だと思うが、絵は下手だけど共感を得やすいからこそエッセイ漫画が流行っている様に見える。
レポ漫画ですってぽっと描く人もいるが、上手い人はやはり自分が本来描きたいジャンルや創作にすぐ戻っていく。溢れているのは絵が下手・着眼点もイマイチ・とにかく暗い&重い過去、なエッセイ漫画ばっかりだ。最近ツイッターで見かけたびっくりするくらい絵が下手な漫画家はいつまちゃんという方なのだが、それでも連載持っていてびっくりした…(あれはエッセイといっていいか微妙かもだけど)
サモエド →無理。スペースない
秋田犬→無理。スペースない
野山を走る、海辺できゃっきゃうふふ
野山を走る、海辺できゃっきゃうふふ
野山を走る、海辺できゃっきゃうふふ
専業主婦の妻の息抜きを兼ねて、とある遊園地に息子(もうすぐ3歳)と2人ででかけたのだが、あまりの寒さに屋内の有料キッズスペースに逃げ込んだら、子供が10人位、その親が5,6人いた。
そのうちの1人の女の子(4歳くらい、母親連れ)が息子に「一緒に遊ぼう」と話しかけてきた。
息子はやや言葉が遅れていてコミュニケーションがうまくとれないのと、まだ女の子に興味がないので、せっかくの誘いを無視して別のところに遊びに行ってしまった。
すると、その女の子は僕に向かって「一緒に遊んでください」と話しかけてきた。
僕は驚いたが、「おじさんと遊んでも楽しくないよ」と返事してやり過ごそうとした。
それなのにその女の子は何度も僕に話しかけたり、おもちゃを渡したりしてくる。
愛嬌があって可愛いけど不思議な子だなあと思いながら、笑顔で15分くらい相手をしていたら、突然言われたのがタイトルの一言。
実はなんとなく予感はしていた、もしかしたらこの子に父親がいないんじゃないかと。
僕は何の返事もできず、ただ笑ってやり過ごすしかなかった。
その後10分くらいで施設の閉館時間になったので施設から出ようとしたら、その女の子は何事もなかったように、僕と息子に向かって「また遊ぼうね」と手を降って先に出ていってしまった。
この女の子は施設内で唯一父子連れだった僕を最初からターゲットにしてずっと話しかけてきたのだろうか。
本当に純粋な言葉だったのでこんな事を考えてしまう自分が嫌になってしまうし、とても悲しい気持ちになってしまったけど、この言葉を子供に言わせてしまった母親が一番悲しかっただろうな。
こちらの世界では何一つ取り柄のない平凡なつまらない人間であることが重要なのだよ。そうでなければ読者が一体感を持てない。そういう何一つ取り柄のない平凡なつまらない人間でも異世界に行くことによって無双することができると読者が夢想するのだ。
マジレスとしては、ネトウヨという人権を与えるのも間違ってる差別主義者のゴミ共によって、左翼的な発言をすると認定された一部はてなーのことだが、そのように称される人々は、実際は左翼とは思想・運動ともになんら共通するところがなく、さらにネトウヨに似たようなものと間違って捉えられているリベラルとも同様に共通するところがなく、単に反ネトウヨであるだけことが多い。