硫黄島の戦いみたいな、小売店から脱出しようと思ったのは、帰りの駅のホームでタイルが波打ってきてるように見えて、もう肉体的にも精神的にも限界だと思ったから。転職したら、よくなったけど、死ぬほど暇で、このままだとボケてきそうだ・・・と思った先に統廃合が決まった。 民間委託されるそうだが、こんな働かない連中を拾ってくれる訳も無い。さぁハローワークにでも行くか。
もともとヨーロッパの人向けに開発された靴が多いのと
それほど高くない(さすがに2万は超えるが)けど質が良い。リーガルとかより全然良い。
最近、プライベートだと色々めんどくさくなってきちゃって、1万以下でそこそこ見れる靴とか探すようになったなあ。
こうしてオッサンになっていくのか…。
靴の量販店では、普通にその値段帯の革(っぽい)靴が売られているし、売り場面積から言って利用者も多そうだ。
昨日、フジテレビ系列のニュースJAPANを薄ぼんやり観てたら、「ネットの影響力が拡大していますが……」と話を振られた解説委員のナントカさんが全力でかみ合ってない話をしていたのでツッコんでみる。
例えば、オバマ大統領は選挙運動にネットも使ったが、彼の魅力は演説の上手さにある。
日本でもスピーチで自分をアピールできるように、早くからそういう教育をすべきだ。
とかなんとか。
何が的外れかというと、「スピーチ」は「コンテンツ(内容)」で、「インターネット」は「メディア(媒体)」なのに、同列で語ってしまっていること。
というか、尖閣諸島問題で、動画が流出って散々やってたじゃん。
インターネットはただの媒体で、そこに盛り込むコンテンツは、文字情報でもいいし、静止画でもいいし、動画でもいい。(古代ローマの文書を収録したデータベースだってある。パピルス文書の画像だって見られるのだ)。
「インターネットの影響力が拡大している」というのは、「誰でも発信者になれる」というメディアの特性について意見を述べて欲しかったのであって、そこに盛り込むコンテンツの好みなんて聞いてない。
それなのに、この解説委員のナントカさんは、「ファミコンもいいけど外で遊ぼう!」みたいな的外れな意見をドヤ顔で延々と述べてしまっていた。
新しいメディアの登場と普及、という現象は過去にも起きていて、1920年代ころから、「映画」「ラジオ」「テレビ」の順で普及していった。
前後関係は分かんないけど、「蓄音機」「レコード」「テープレコーダー」もある。
これらの過去の「新しいメディア」の特徴は、メディア(媒体)と、そこに乗せて運ばれるコンテンツ(内容)が、だいたい一対一対応していたことだ。
だから、「テレビの普及」は、「動画の普及」と言い換えても、そんなに間違いではない。
"video kills radiostar"ではないが、「テレビが普及したので、これからは音声だけじゃなく身なりにも気を使わないといけませんね」というのは正しいのだ。
デジタル化してしまえば、文字情報も、音声も、動画も、すべて同じように配信できてしまう。
これが、大昔(なぜか1920年代より昔に感じる)「デジタル時代の到来」だ何だと騒がれていたことの、そもそもの本質ではないのか。
あのころ、一通り大騒ぎをしたはずなのに、この解説委員のオッチャンはきれいさっぱり忘れて、インターネットを文字情報主体のコンテンツと一対一で結びつけようとしている。
せいぜい、「2ちゃんねる」とか「ブログ」とか、ひょっとしたら「ツイッター」くらいしかイメージできていないのだろう。
そんなわけで、このオッチャンは恐ろしく不勉強で、過去の経験すら忘れ、メディアとコンテンツの区別という基本的なことも出来ていない。
そのため、「ネットよりスピーチ」という的外れな話題で時間をつぶしてしまった。
しかも、そのことに気づくチャンスは、ちゃんと番組を観ていれば、それなりにあったはずなのだ。
この質問の前のニュースでは、色々な国で、若者や庶民の不満がネットを通じて共有され、政治運動につながっているという話をやっていた。
つまり、「無名の人々が双方向性のメディアで意見を交換し合い、結合していく」という、まさにインターネットというメディアに特徴的な現象を話題にしていた。
彼の主張は、この直前のニュースとすら、噛み合っていない。
オッチャンは、「スピーチも大切だ」という。
オバマさんは、大統領候補だったから、そのスピーチを多くの人が聞いたのだ。
聞いてもらえなければ、スピーチの上手い下手なんて関係ない。
普通の人のスピーチが問題になるのは、顔の見える範囲、せいぜいが会社のプレゼン程度だろう。
そういう意味ではスピーチ能力は重要なのだが、そういう話は誰もしていない。
そこで「スピーチ」がどういう位置を占めるかを論じないと意味がない。
ここでは、コンテンツ同士の優劣が問題になる。
受け取るのにコスト(手間)はかからないが情報量の少ない「テキスト」と、コストはかかるが情報量の多い「スピーチ(動画)」が対比されなければおかしい。
インターネットで政治運動を繰り広げている人々は、無名だからこそ、「テキスト」で意見を交換する。
しかし、例えばグループのリーダーとして、知名度が上がれば、「スピーチ」を再生してもらえるようになる。
また、集会などを開けば、「スピーチ」が会合の中心になるだろう。
そのときのために、スピーチ能力も磨いておかなければならない。
というのなら、まだ分からなくもない。
しかし、このオッチャンの言ってるのは、そういうことじゃない。
専制国家で、政治に不満のある人々がインターネットを通じて意見を交換している。
そこでオッチャンは言う。
「たしかにインターネットも大事だけど、スピーチも大切だ。そこで、日本人もスピーチ能力を磨いて……」
どうしろと言うんだ。
僕が中共政府の民族政策を素晴らしいスピーチで批判したら、それが中国の民主化に繋がるとでもいうのか。
そもそも、僕のスピーチは、どういうメディアで聴き手の元に届けられるのか?
彼の解説は、ガンダムオタクが、「最近はアニメ増えてるね」と言われて、「でもガンダムの最新作の評判はね……!」と聞かれてもいないことを語り出すのと同じ構図になっている。
要するに、彼の思うところの「インターネッツ」(たぶん掲示板とか)の影響力を過少評価したくてたまらなくって、インターネットについて話を振られた瞬間、もうそういうことしか話せなくなってしまったんだと思う。
元増田は、「ゲームファン、ゲーム好きならハードを買って当然だ」という理屈を「良く分からない」が「正直ちょっと恐怖を覚えたりもした。」ので否定したいと。
否定するんなら、最低限「ゲームファン、ゲーム好きならハードを買って当然だ」という理屈を自分なりに考えてから否定して欲しいと思うけど?
勝手に議論に突っ込んできてるじゃねーか。
「良く分からない」が「正直ちょっと恐怖を覚えたりもした。」とか微妙な話で突っ込んで聞きてるじゃん。
元々論争していた両者とも馬鹿にしている事になっていると思うが。
ほんと元発言を流し読みしかしてないのな。
>しかしhttp://togetter.com/li/91651とかhttp://togetter.com/li/92663とか
>http://plaza.rakuten.co.jp/fantag/diary/201101230000/とかをみると
いいからなぜ携帯版桃鉄が今のような形になったのか、大量のログを読んでこいよ。
できれば遊んでから語れといいたいが、どうしてもネット上の情報だけで語りたいようなのでそこまで無理は言わない。
しかしなんで最新の桃鉄も遊んでいない、開発者の日記も読んでない奴が適当に桃鉄を語り、その口で
「少なくともテトリスが好きなら、テトリスに関連するもので入手難易度の低いものは大概持っていて、それぞれのシステムを比較できるとか。」
i-mode版ならやった。
そうだね。
それはない。
携帯ゲーム機向けが主流になる可能性は高いが、一人プレイしか出来ない携帯電話向けが主流になる事は桃鉄のゲーム的にありえん。
なんで、桃鉄20周年からWi-Fiコネクション充実させてきてるのかと。
液体やスティックののりではないし、粘性があり(梱包を開けるまで)硬化してもいないのでセメダインの仲間だと思っていました。
段ボールをはがすと徐々に硬くなっていくしまだ色も透明なままですし、作業で手が汚れなさそうなので自分ではそうかなとおもっていました。