はてなキーワード: ドラゴンボールとは
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きょうの潮流
いろんな国ぐにの人たちがまねた、あのポーズ。漫画「ドラゴンボール」の主人公、孫悟空の決め技「かめはめ波」です▼今月初めに世界を駆けめぐった鳥山明さんの訃報。NHKの手話ニュースでも手話通訳者がそのポーズで追悼していました。1984年に「週刊少年ジャンプ」で連載開始。その後、アニメやゲームにもなり人気を博しました▼成長や友情、冒険やバトルをテーマに描かれていきますが、次第に戦闘シーンが激化。主人公が強くなれば相手もより強くなり、どちらかが消滅するまでに。当初、格闘ものは苦手としていた鳥山さんも出版社や編集者に押し切られ、際限のない強さをもとめるように▼暴力的で過激だと子どもにみせたくないとの批判もうけました。ジャンプ誌上では同じころに「北斗の拳」も連載されるなど、“マッチョな男の世界”が全盛の時代でした▼ジェンダーの視点から漫画を研究している中川裕美さんは、少年マンガに欠かせないテーマの一つに「戦う少年」があると以前本紙で語っていました。少年たちは、何かを手に入れるため、誰かや何かを守るために自分より強いものに戦いを挑み、苦しみながらも敵を倒して、またより強大な敵へと挑むべく、戦いを続けていくと▼いま、現実の世界でも暴力が暴力をうみ、憎しみが憎しみをうんでいます。はげしい怒りによって。戦前からつながる、男は戦うものだという価値観。漫画に限らず、そこからの脱皮を描いてこそ、新しい時代をつくるはずです。
ドラゴンボール世代だったし、ドラゴンボールのカードダスめっちゃ集めたり、メンコ(やってたやついる?)でいっぱい遊んだりしていた。
それよりもDrスランプのほうが漫画としては好きだったぐらいで、◯作劇場とかも小さい頃めっちゃ好きだった。
ドラクエのキャラもめっちゃ好きで小学生の頃はスライムとか勇者とかばっかり書いてた。
その鳥山明が亡くなっても正直なんとも思わなかった。
京アニの事件の時とかはアニメ全く見ない勢なんだが残念に思ったし、時々思い出して嫌な気持ちになる。
今見たニュースの、まったく知らなかった藤岡さんという35歳で落馬でなくなった騎手の方の話とかも大変残念に思う。
なぜかを考えてみたんだが、どうやら自分は人間本体には興味がなく、活動をして社会的影響を生み出す装置としてしか見ていないのかもしれない。
若くて社会にいろいろなものを生み出しているピークの頃の方とか、もっと小さいこどもとか若者がなくなるのは大変悲しい。
特に目立った実績がない普通の人でも40代ぐらいの人がなくなると悲しい。
すぎやまこういちも死ぬほど好きだけどなくなった時になんとも思わなかった。
自分の中では作曲家としてのすぎやまこういちはDQ8までだった。
DQ8の直後に死んだら相当悲しんだだろう。
[おっぱい要員でも、母でも、マドンナでも添え物でもない…鳥山明が描く女性キャラに女性が共感するワケ ブルマもアラレちゃんも…わが道をいく主体性のある女性の姿 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)](https://president.jp/articles/-/80224?page=1)
しかしブルマは違う。第1話から登場し、主人公とコミュニケーションを取り、ドラゴンボールという宝物の存在を悟空に教え、冒険のきっかけをつくる。ページにつねに出ているわけではないが、物語世界のどこかで生きていて、何か発明品を持って戻ってきては、悟空達を支える。ブルマは女性の目から見ても納得のいくライフステージの変遷をたどった。
アンフェは恐れおののけっ
なんかアメコミで見覚えのあるような展開が色々でてくるけど、元々のアメコミと比べると流れが滅茶苦茶すぎて感情移入しづらくて仕方がない。
一部でだけ人気がある漫画として密かに伸びる火ノ丸相撲みたいなコースならまだ分かるんだが、何度もアニメ化して世界各国で売れているのは意味がわからない。
ストーリーがちゃんと読まれずにその場その場のエモさだけえ評価されているにしたって、それでこんなに成り上がれるほどのパワーがあるとは思えないんだよな。
ドラゴンボールやAKIRAみたいな圧倒的なパワーが紙面から伝わってくるような漫画でもなく、緻密に作り込まれた世界観が想像力を掻き立てるでもなく、全体で見れば支離滅裂であっても個々の勢いが強烈というわけでも、キャラクター造形にオリジナリティがあるでも、絶対的な魅力を感じる人物描写があるでもない。
本当にただただ特にこれといった強みがあるってわけでもないけど、なんか知らないけど売れてるってタイプなんだが、それでここまで売れるのはちょっと偶然が効きすぎているように感じてしまう。
なんでこんなに売れているんだ?
ヤンジャンアプリで全話無料やってるが、正直、「テラフォーマーズはどこで間違えたのか?」を検証するための読み方になってしまっている。
世間でいわれてるほど中国の裏切り、人対人になったことは間違ってはないと思う。
ゴキブリだけでは飽きるのは間違いない。ドラゴンボールで延々と魔族と戦ってるようなものだ。魅力的な敵キャラを出せるかどうかが問題なのであり、それは悪役としての中国班はわりとよくやってたと思う(九頭龍は微妙・・・)。
明確に間違ったのはやはり地球に逆上陸してたところだろう。地球編をやるならあの時点でゴキブリ路線は終わらせて新たな敵を出すのがよかったと思う。ゴキブリ路線でやるならラハブにでもいけばまだマシだったか。
あんな生き物が日本に何十万匹もいるのに誰にも気づかれてないとかリアリティがなさすぎて萎える。
インヴォーカーが敵キャラとしての魅力がないのも致命的。あんなのさっさと退場させればいいのになぜあんなにしぶとく生き残らせ続けるのか。
小林よしのりが鳥山明のドラゴンボールはしょせんは戦闘漫画だと言っておいてゴーマニズム宣言(ゴー宣)は戦闘漫画ではないとブチギレてた。ゴー宣は次から次に悪いやつをやっつけるというバトル漫画の要素は確実にある。
ただここで気づいたのは、バトル漫画(戦闘漫画)というのが基本的にけなす意味で使われている事が多いようだ。自分はバトル漫画を馬鹿にしてないのでけなす意味はなしでバトル漫画と言ってるが、一般的にバトル漫画というのかなりレベルが低いものとみなされているらしい。だから小林よしのりのスタッフも必死に反論したようだ。たしかにドラゴンボール、ワンピース、NARUTO位の規模だとバトル漫画と言われてもダメージないが弱小漫画だと悪口でしかないのかもしれない。ワンピースでもワンピースはバトル漫画ではないと怒ってる人もいるようだが、やはりバトル漫画が低俗で価値が低いという定義があるからだろう。