はてなキーワード: 絶対神とは
わたし、定時で帰りますというドラマが最近放送されているのは、言い換えれば世間に対して個人として存在できる強い自己を持つ人間像を、現代の日本人がヒーローのように見ているからではないのか。
ヒーローは敵たちをバッタバッタとなぎ倒し、自身の正義を貫いていく。そうしたヒーローの姿を目にしながら、観客たちは自身の無力さと対比されるヒーローの強さに圧倒される。そして自らを彼の姿に近づけたいとも思う。
しかしそのような強い自己を持つ、すなわち西欧的な個人の考えは絶対神もおらず、風土も異なる日本にそのまま適応することはできない。日本はどこまでいっても世間に対しての和の国なのである。そして世間の暗黙のルールにただ従うことしか出来ない。
まず私たちが始めるべきことは、日本は他国に遅れる事を嘆く事以上に、日本独自の風土や慣習を文字のようにはっきりと見える形で表して認知していく事、そしてそれを認知するための健全な、いわば自国を写す鏡としての他国比較であるべきなのではないか。
はあちゅうに端を発した童貞論争。田端信太郎の童貞卑下発言も相まってかなりの炎上を起こした。
やっと落ち着いてきて、人々も冷静になっただろうから本当の童貞が少し話を広げ、「非モテ」がなぜモテないのか真実を書きたい。
彼はこういう。「童貞は行動しろ、行動すれば童貞は抜けられる」と。
その通りと思うけど、では童貞の揶揄をやめれば、彼らは救われるのでしょうか?煽りへの反発から1人でも実際の行動を変える人が出ないかな?と思いつつ煽る私。>「童貞」揶揄は、マウンティングの儀式にすぎません。>非モテを叩く勝者と分断された日本 @May_Roma https://t.co/mDdRwZKovh— 田端 信太郎 (@tabbata) 2017年12月23日
きっと、そうなのだろう。行動すれば、変わるのだろう。
しかし、長年「非モテ」として生きてきた人間にとって「モテ」とは神秘であり神話である。宗教の神みたいなものなのだ。
だから、自分みたいな人間が、ちょっとやそっと行動した程度でモテてはいけない。モテを汚してはいけないと思っている。
汎用系のエンジニアからRubyのエンジニアとして転職して1年。
コボラー(笑)なんて言われることも多いが、この1年で出会ったRubyエンジニアは全て糞だった。
その特徴はだいたいこの3つだ。
やれテスト自動化だ、やれテスト駆動開発だの口だけ達者なエンジニアの多いこと。
そもそもブラックボックステスト、ホワイトボックステストを分かっていない奴が多すぎ。
テストコードでカバレージが100%だったとしても実際の打鍵結果でエラーは弾けることが多いのにリリースしてしまう。
ドキュメントを揶揄し机上デバッグも行わない、こんな状態で「アジャイルですから」とかドヤ顔でいってしまうRubyエンジニアは糞である。
そもそも自分が行おうとしているソートが何ソートなのか知っているのか?計算回数を考慮した上での実装か?
便利なメソッドがたくさんあるのは知っている。
ただ、中身くらいは知っておこうよ。
新人に教えたらバカにされたけど、まずフローチャート書くようにしようぜ。
「Githubで公開されてましたんで導入しました」じゃねーよ。
得体の知れないコードをたくさん詰め込んだプログラムをよく動かせるな。
そんで都合の悪いところだけコードを読んでオーバーライドする。
影響範囲を全く調査せず、Gem絶対神話を唱える。あれなんなの?
いや、Rubyが便利なのは認めるよ。俺だってPLIとかCOBOLより書いてて楽しいよ。
エンジニアもどき量産言語だね。どれか1つでも当てはまった奴は小学校からやり直せ。
追記
意見がたくさんもらえて喜ばしい。
文化の違いという意見もあったが、「よくわからないけどなんかうまくいく」コードだとデバッグも大変だし不具合も起きやすい。
「だいたい」とあるだろう。全てのだいたいだ。
>フローチャート糞
精神論に聞こえるかもしれないが、フローチャート書いて育ったエンジニアは頭の中でロジックの組み立てと凡その演算回数が計算できるようになるよ。
>カバレージが100%だったとしても実際の打鍵結果でエラーは弾ける
あー、ここは誤タイピングだわ。
自動テストでカバレージ100%です、そして画面数回触ってリリースしますーっていう奴が多いってこった。
漏れなくぼく達わたし達は、この世の生きづらさに今日も苦しんでいる。
何をしても自信がモテず、異性にモテず、本音をぶつける友人1人いない。
そんなぼくらががせいぜい誇りに思っている物と言えば、欧米かぶれのチョコザイ論理(屁理屈)だけ。
けれど、ぼくらと彼ら大多数では大きな違いが一つある。
原点だ。
彼らには絶対神が居るのだから、とりあえずそこから論理を出発すればいい。
ところが、ぼくらには絶対的な拠り所が無いもんで、何を基調として、どう生きればいいか分かったもんじゃない。
自由だ自由だと言われるごとに閉塞感を感じる。
そのくせ、宗教には強烈な嫌悪感を感じるときた。全く困ったもんだ。
そこでだ。
大真面目にぼくたちなりの絶対を決めてしまえば、少しは生きやすくなるのではないだろうか。
空飛ぶスパゲッティ・モンスターじゃあいくら何でも信じるに足りないだろうが。