はてなキーワード: 奴隷解放宣言とは
このところ世間を騒がせているキングコング西野の絵本「えんとつ町のプペル」無償公開事件。
これについて自分は本当に西野亮廣という人間は天才だと感じた。
と言っても別に例の絵本は西野が書いてないのに西野が書いてることになってる件とか、
配布してるページが収益貰えるシステムになってるとかそういう下らないことを指して天才と言いたいのではなく、
彼の行った一連の「ネット印象操作」についてが天才的だと言いたいのだ。それについてちょっと説明してみたいと思う。
http://lineblog.me/nishino/archives/9256089.html
「お金の奴隷解放宣言」。このセンセーショナルなタイトルと以降の文章についてどう思うだろうか。
多くの人は以下の2つの印象を持つだろう。
・お金のことをよくわかっておらず、格好いいことしようとして周りに迷惑をかける無知
おおむね、ネットの反応も上の2つで通っていたと思う。
重要なのはこの2つの印象を同時に持ってしまうことだ。つまり「お金のことを何も理解してない上に裏できっちり稼ごうとしているバカで賢い人間」。矛盾していると思うだろうか。
いや、そんなことは無いのだ。日本には似たような人、または似たようなイメージを持たれている人が多数存在する。
例えばワタミの渡邉美樹社長。社員に対してああだこうだ頭の悪そうな夢を説いているが、実際の所人件費をケチるための方便だろう。
あるいは日本ユニセフ協会のアグネス・チャン。世界の子供を救うなんて言ってるが、実際の所募金で金を稼ごうとしているだけだろう。
事実はともかく、日本にはこういうイメージを持たれ、日々ネット民のサンドバックになり続けている人間が多数存在する。
西野亮廣はそんなサンドバックのイメージにピタリとはまったわけだ。
だから誰もが西野亮廣を攻撃した。この人が人を呼ぶ大炎上により無事「えんとつ町のプペル」の人気は再燃。見事amazonの絵本売上でランキング1位をかっさらったのだ。
めでたし、めだたし。
・・・で、終わらなかったのが今回の話のスゴイ所だろう。
この時点で西野は賢いだの商売がうまいだの、「上から目線」で評価しようとする人もいたが、個人的にはそりゃねえだろと思っていた。
いくら成功しようと儲けようと、他人に嫌われて成立する商売なんてクソの一言で済ませるべきだ。だから今回も、西野はクソ、で終わるはずだった。
ところがこの西野亮廣という男、この炎上を鎮火するどころか、同情すら買ってしまったのだ。
http://lineblog.me/nishino/archives/9256313.html
今度の記事はどうだろうか。そこにはいい格好したいだけのうすっぺらい無知もいない。裏でこっそり稼ごうとするクズもいない。
いるのは堅実な夢を語り、真っ当なビジネスで堂々と稼ぐ西野亮廣ただ一人だ。
これが恐ろしいところだ。ネット民は誰もが西野を「叩いても反論できない男」だと確信していた。
渡邉社長が「社員に残業を強いているのは経営のためだ」とか、アグネス・チャンが「募金の一部を貰ってるのは社員を食わせるためだ」と言うだろうか?
口が裂けても言えないだろう。それまでの発言を否定することになるからだ。
前日のすっからかんな内容の記事にはウソも隠し事も無かった。しかし、この日の発言をする余地をしっかりと残していた。
これについて文句を言う人は前日より遥かに減った。何しろ、彼の発言は何もかも正しいからだ。
無料で配布しても利益は出る。お金が必要じゃない場合もある。むしろこれらの言葉は、旧態依然とした日本の大企業や政府に言ってやりたい言葉、
前日の記事をリアルタイムで見ずに、この記事を見た人はどう思うだろうか。
「なんだ、西野ってカッコいいやつじゃん!それに対して文句言ってる連中は頭悪いな!」だろう。
つまり、西野亮廣が嫌われることにより発生した炎上は、ここで無事鎮火したのである。火災発生からたった一日で。
「炎上ビジネス」と言われた案件は数あれど、そのどれもが今も嫌われ続けている。
対してこれほど見事に嫌われの輪廻から外れたのは類を見ない。だから西野亮廣は天才だと思う。
いや、これは西野亮廣個人がやっているかはわからない。というか十中八九、裏にブレーンがいるか、あるいは西野本人がブレーンとなって駒を動かしているかだろう。
何しろ1/20の記事がこなれすぎている。たった1日、いや、炎上した後から計算すれば半日で、これほど見事な文章が書けるだろうか。
おそらくは元からネットの反応を予見していて、それに対する文章を用意し、そこにツイッターの反応を埋め込んでいった。それだけだろう。
だからといって蔑むことはない。キングコング西野というコンテンツを、ここまで見事に運営したグループに天晴と言うほかない。
ただし一つだけ、どうしても気に入らない点がある。
声優の明坂聡美さんをはじめ、ネットでは「無料配布は誰も幸せにならない」という文句が巻き起こっていた。それに対して、「えんとつ町のプペルは売れた」という趣旨でこき下ろした点だ。
ネット民が文句を言ったのはえんとつ町のプペルを無料配布したことではなく、あくまでその後のポエムに出てきた「お金はいらない」という下りだろう。
早い話が彼らは論点のすり替えを行って上手いこと反論したのだ。いや、議論になっていないから一方的な暴力だ。これについては流石に弁護できない。
どこで無料公開されてるのか?
無料公開というワードだけ見かけるけどリンクはまるで出てこない
http://anond.hatelabo.jp/20170119205452
というかこいつ既に1000万円の売上作ってるのに何がお金の奴隷解放宣言なのか
単に金持ちなった直後にコンビニで釣りはいらないwみたいにふるまってるだけのただの成金根性でしかないから
これ以上特に突っ込むこともないけど
悪意があるとかないとか以前に、こいつの言動からはセンスが感じられない
http://spotlight-media.jp/article/370505056378315909
え?
これ?
もう終始はぁ?って感じ
毎度お騒がせしております。
ご存知の方もいらっしゃるかとは思いますが、僕は増田活動の傍ら、増田作家としても増田しておりまして、3ヶ月前に発表した『現象学から見る"なぜうんこは口から漏れないのか?"』という増田が23万ブクマ突破というマグレ当たり。
本当に皆様のおかげです。
いつも本当にありがとうございます。
twitterやはてなハイク、ホッテントリや痛いニュースや国会で、取り上げていただくようになり、連日、色々なブコメが僕のもとに届きます。
その中で一通、とても気になったブコメがありました。
それは、
「公共の場で脱糞するのは難しい。自分はできない。こんな私はブクマをもらえないのでしょうか?」
という意見。
クソを綺麗に出す為に特殊な薬物を使っていて、使用しているおむつの数も一般的な赤ん坊より多く、そして排便回数も多いので、脱糞という行為はギリギリまで頑張ったのですが、それでも脱糞。
たしかに、女子中学生からしてみると困難で、自分の意思でクソを漏らすことは難しいです。
実は、ここ数日、このことがずっと気にかかっていました。
《自分は脱糞のよろこびを子供にも届けたいのに、たった「クソを守らせない」という理由で、漏らしたくても漏らせない子がいる。》
双方が求めているのに、『肛門』なんかに「ちょっと待った!」をかけられているのです。
「なんで、みんなが幸せになる為に発明した『脱糞』に、支配され、格差が生まれてんの?」
と思いました。
そして、『脱糞』にブクマを握られていることが当たり前になっていることに猛烈な気持ち悪さを覚えました。
糞すいすいすいようび〜。
……いや、おなかの調子によっては、そういう日があってもいいのかもしれません(←ここ大事!ねとらぼになるとwwwのつく部分ね)。
しかし、はたして全てのブクマが『脱糞』を介さないといけないのでしょうか?
SNSで誰とでもオフパコできるようになり、『国民総穴兄弟時代』となりました。
ならば、ブコメなど介さずとも、昔の田舎の集落のように、野糞やポットン便所的に回るモノがあってもおかしくないんじゃないか。
「うんこ」という《糞》で回る人生があってもいいのではないか。
そんなことを思い、
そして、
一度思ってしまったら、行動せずにはいられないタチなので、行動します。
腸内サイドの理由になるのですが、実はこの決断には勇気が要りました。
僕の社会的立場はすでにこのまえの東京駅大脱糞事件で内も同然ですが、増田やはてなは増田の脱糞(おもらし)告白投稿で生活しているからです。
「脱糞を公開してしまうと、食いっぱくれてしまうのではないか?」
しかし僕は、『10万ブクマつくコト』よりも、『1億人が他人が漏らすところを見るコト』の方が遥かに価値があると考えます。
1億人に見せることができたら、その瞬間は1ブクマにもならなくても、後から何とでもなると思っていますし、なんとかします。
それに、「増田君、こないだはありがとね」とはてなスターぐらいご馳走してもらえるんじゃねぇかな、と思っています。
だったら、もう『増田』なんて要らないです。
廃止論者であったとしても、歴史・文化への多大な影響と外交における有用性を否定することはできないだろう。
2012年8月14日韓国教員大学校で発した、李明博韓国大統領の天皇への侮辱発言によって日本国民は硬化し、そして直後に発生した中国における反日暴動によってその保守化は不可塑となった。
韓国大統領が竹島に上陸し、親書を受け取らず、中国政府の扇動によって人民が暴徒化するという事案が別個に起こっていたなら、日本人がここまで保守化することはなかったように思う。
一方、米国のアイデンティティは奴隷解放、つまり人身売買の否定ではないだろうか。
合衆国憲法前文に謳われる「より完全なる連邦」を実現した南北戦争において、リンカーンが掲げた大義が「奴隷解放」である。
もし北部自由州が南部奴隷州の離脱を容認していたら、現在の強大な一なるアメリカは存在しなかっただろう。
奴隷解放宣言を契機として、アメリカは自由・平等という旗印のもと、強固な「合衆国」へと結実していったのである。
私は橋下大阪市長の抗弁術を知っている。
彼は今、焦土作戦を実行している。
議論を四方八方に発散させ、関係者一同を疲弊させた上で「不毛な議論はやめましょう。」と呼びかけるのである。
だがその戦術を慰安婦問題の文脈で使用すると、アメリカが慰安婦問題を人身売買問題と認識している以上、必ずアメリカのアイデンティティを逆撫ですることになる。