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2024-01-26

AI将棋を題材にした映画awake

コンピュータ将棋ソフトを題材にした映画awake」を見た。

題材としてIT日本の伝統遊戯が融合されていて好みだった。

将棋の場面も、プログラミングの場面も良かった。

映画では浅川棋士将棋を指すAIであるawakeが対局することになる。

実はこの対局の結果はある程度予測できるようになっている。

浅川棋士はどのような棋士なのかが作中で描かれている。それも棋士になってからだけでなくもっと若い時でもどういう人なのかが語られている。

その部分と映画の後半で起きていることを合わせて考えると、対局はどちらが勝ちそうか予測できるようになっている。

この映画で少し残念だったのはスタッフロールでの音楽である

将棋本来楽しいものから二人には将棋を楽しんで欲しいという先生の思いが偶然の形で実現するのだからもっと明るい音楽で終わるべきだったのではないだろうか。

ともかくこの映画お勧めである

2023-10-22

27年前の羽生善治と今の羽生善治を比べること自体ナンセンスだってのは同意するが、割と見受けられる「今の羽生の方が強い」論には疑問符をつけたくなる

コンピュータ将棋が強くなったことにより、主に序盤中盤の定跡が劇的に進んだ、つまり戦術知識における緻密さ・正確さというものが27年前と今とではまるで異なることは周知の事実

しか将棋の強さは単に豊富な定跡の知識経験を持ち合わせていることにあるのだろうか?

である

藤井聡太デビューの頃から繰り返し「棋士ピークは25歳」だと発言しているのは有名な話だが

彼がそう言うのは、将棋本質的に「読み」のゲームだと考えているからに他ならない

将棋は先手と後手が一手一手交互に指す

双方が予め組んできたデッキバン!と突き合わせていざ勝負、というゲームではない

相手の出方を見て、次にどの手を指せばどう進むのか、頭の中で盤面を都度思考し、各分岐ごとに形成判断を行い、一つの指し手を選択するゲームである

むろん現代はあらゆる定跡が整備されていて、研究という名の早見表により作戦勝ちを決めやすい状況であることは先にも述べた通りだが、

それでも一手一手を考えること、終始手を読み、手を選択するということが将棋の真髄であり、それこそが「強さ」である、と藤井聡太は考えているんじゃないか

俺はそう思う

から27年前の羽生善治七冠(25)と今の羽生九段(52)のどちらが強いか、という質問は決して的外れバカ質問ではない

あんインタビューの場でひとくちに答えられる質問でもないが

俺は支持する

将棋って読みの力も大事なんだよ

そしてそれは若さが物を言うんです、経験じゃない

2023-02-05

将棋プロとかAIやらコンピュータ将棋進化していって人を凌駕し始めても

腐らずにAIを使ってより強くなろうと切磋琢磨をしているのに

それに比べて絵描き共と来たら

文句ばっかりダラダラと並べて

AIからなにかを掴もうとする努力なんて欠片も見当たらない。

せいぜいAIを使って作業工程で楽ができないかなあ?

とかAI使って楽に稼ぐ方法いかなあ?くらいの感覚だろ。

そりゃ仕事なくなる、って心配するのはある意味正しいわな。

2022-11-23

スポーツ観戦が趣味の人がよくわからん

ただし、以下の場合はわかる

上手な人のプレーを見て自分プレーを考えたり、上手なプレーを参考にして自身の動きを修正できる。なのでわかる。

現在のその試合のものではなく、そこからインスパイアされる自身の若かりし頃に思いを馳せており、それを楽しみたい気持ちはわかる。

家族の頑張ってる姿を応援することが目的なのでわかる。

甲子園サッカー日本代表など、そのスポーツ応援することよりも自分所属するコミュニティ応援したいという気持ちなのでわかる

ある種の「物語」として楽しむ。いわゆる筋書きのない物語プロレス的楽しみ方としてわかる。

時間があるので野球サッカー観戦に行くか〜という感じ。別に音楽ライブでも、舞台演劇でも代替可能で偶然スポーツ観戦だったというだけなのでわかる。

スポーツ観戦そのものよりも、チームのファンコミュニティ所属することを楽しむもの。例えば阪神愛のようなものとしてわかる。

これらはどれもそのスポーツ観戦そのものを楽しんでいるというよりも、その周辺を楽しんでいるように思える。

これらの動機スポーツ観戦をしている人は本当にスポーツ観戦そのものが好きなんだろうか?

本当にスポーツ観戦が好きな人は、例えば野球サッカーゲームのCPU VS CPUを延々と楽しめるのではないだろうか。

身近にそういう人がいて、本当に観戦が好きなんだろうなぁと思うし、

別の友人はコンピュータ将棋を延々と戦わせて楽しんでいる。

2021-11-14

羽生善治藤井聡太と、紡ぐ盤上の物語

藤井聡太氏が竜王位を獲得し、最年少四冠を達成した。

羽生善治氏が最年少四冠を達成した際「この記録は今後破られないだろう」と考えていた、私を含む多くの将棋ファンには時代の変遷を感じざるを得ない圧倒的な出来事である

このあまり出来事に、感動のような、動揺のような思いが溢れているため、ここに思いを記します。

私は30〜40年来の将棋ファンで、将棋好きが高じて一時期は詰将棋の本を出したり将棋に関する雑誌編集を行ったりしていました。

私が将棋に魅力を感じ始めた古い時代将棋は、武士道に似た雰囲気をまとっていました。将棋で生きていくことを決めた少年たちは先生弟子入りし、そこで修行します。修行先生による直接の将棋指南や、高弟による指南将棋研究会などです。しかし当時の「修行」にはこれ以上の意味があり、掃除炊事や規則正しい生活をして礼節を学び、人間としてより良い生活を送ることで次第に将棋も強くなっていく、という考えがありました。ある先生の元では将棋戦略ではなく駒の持ち方や打ち方を教えていました。ここで言う打ち方とは「どこに銀を打つか」といった意味ではなく、「駒を自分の指でどのように持つか、どのような姿勢で盤面に置くのか、どのように盤に置くと美しい音が出るか」などです。

今となっては「そんな馬鹿な」と思われるかもしれません。確かにその通りだと思いますしか事実として、当時は「それが将棋である」と受け入れられていましたし、我々将棋ファン将棋道には武士道のような美しさや儚さ重ねて見ていました。そういう時勢もありトッププロの対局には真剣勝負のような凄みを感じていました。対局でのタイトルを獲った獲られたというのは一つの側面でしかなく、「人生将棋に賭けた人同士の決戦」という神聖さを重ねていました。

やがて将棋界にコンピュータの手が伸びてきました。生き方としての将棋ではなく、ゲームとしての将棋世間にあふれるようになりました。この頃、私は「これで将棋ファンが増えるぞ」と思ったものです。そうして確かに将棋はより一般的になりました。しかコンピュータの成長は早く、あっという間に「人間を超える」と危惧されるようになったのです。そうなるとコンピュータ将棋歓迎ムードは薄れ、「人間より将棋が強いコンピュータなんてありえない、人間尊厳を脅かすな」という反コンピュータ将棋ムードにわかに盛り上がりました。コンピュータ将棋は、将棋道ではない。人間がその人生を賭して将棋一本で生きてこそ、強く儚く美しい盤上の物語が生まれるのではないか。そう思っていました。

臭い将棋ファン将棋道に夢見ていた頃、そして羽生善治氏が竜王位を獲得した頃。当時は日本国民全員が「最強は羽生善治」と意見が一致していました。そんな氏が「将棋は完全なボードゲームである」と発言したのです。これは衝撃でした!薄々感づいていたことをついに言ってのけたのです。図星を突かれたとはまさにこのことです。「何を当たり前のことを」と思う人がほとんどでしょう。しかしそれは、古い将棋から脱却し純粋将棋の強さのみを求める、新時代を作る言葉だったのです。当たり前だろうというファンが多数でしたが、中には「古き良き将棋時代は終わった」と落胆する将棋ファンもいました。

そして時代が経って2012年米長邦雄氏がコンピュータ将棋で破れました。とてもエポックメイキング出来事でした。いつかこの日が来ることはわかりきっていたにも関わらず、やはり衝撃でした。2017年AlphaGo が柯潔氏を破った時と同じような衝撃、と言えば最近の方にも伝わりやすいでしょうか。今となっては馬鹿げた考えですが、「人間が紡ぐ盤上の物語は、もう終わるのではないか」。そんな考えも頭を過りました

そこから更に時代が経ち、2021年将棋盤の底まで読んだ加藤一二三先生もいなくなりました。今の時代人間AIに勝てると思っている将棋ファンなど一切いないでしょう。将棋中継ではAIによる優勢判定が表示されることも、プロ計算力の高いコンピュータを導入することも、それからプロ将棋研究のために Python コードを書くことも、当たり前の時代です。コンピュータに負けて激変するかと思われた将棋界は、以前の美しさをほぼ保ったまま、コンピュータを駆使してより進化していました。「ほぼ」と書いたのは、本当にごくわずかながら、古い時代将棋を懐古するからです。将棋の強さの観点ではもちろん現代の方が良いに決まってますが、あの時代の、人生生き方名誉を賭けたような勝負をたまに懐かしく思ってしまうのです。

藤井聡太氏が十代でありながら竜王位を獲得しました。前人未到で誰にも破れないと思われた羽生善治氏の記録は、30年弱で破られました。藤井聡太氏の圧倒的な強さ、それはまさに新しい風のようで、将棋界が非常に盛り上がっていることをとても喜ばしく思います

藤井聡太氏はとあるインタビューで、「AIが発達する今、人間棋士存在意義は?」と質問を受けました。正直に言えば、私はこの質問は「意地悪な質問だな」と思いました。10年前じゃあるまいし、今さらAIと対局したところで、どうにもならないじゃないか将棋界はAI共存してより良い形になっているではないか、と。前述の通り、コンピュータの猛烈な強さにはほんの一抹の寂しさを覚えていた私ですが、きっとそんな古臭い価値観を持っているはた迷惑ファンなどもう少ないでしょう。

しばし沈黙の後、藤井聡太氏はこう答えました。

今の時代においても、将棋界の盤上の物語は不変だと思います。その価値自分自身、伝えられればと思っています


これを聞いて、私はずっと追い求めていた答えをついに知ったような、そんな気持ちになりました。一瞬思考が停止しました。そして体の芯から熱のようなものがふつふつと湧き上がり、涙が溢れてきました。ああ、将棋ファンで良かった。何十年も将棋ファンで良かった。私の人生将棋があって本当に良かった。腹の底からそう思いました。

勝敗をつけるだけならジャンケンでいい」と言った羽生善治氏の言葉があります。これは勝敗だけでなく、人間が打った棋譜にも価値があると言っているのだと解釈しています棋譜、それはつまり盤上の物語のものです。私が夢中になった「将棋道」の頃の将棋ゲームになった将棋AI共存した将棋。それらすべて、棋士の背景や時代も含めて、打たれた将棋価値は変わらない。あの5二銀打が今後も語り継がれていくように、私が愛した対局はこれからもずっと愛していく。少々大げさな表現かも知れませんが、自分人生肯定されたような、納得がいったような、自分の心の暗い部分に温かな光が照らされたような、そんな言葉でした。

話が長くなってしまいました。古臭い将棋ファン戯言として聞いて頂けたら幸いです。

改めて、藤井聡太さん、竜王位獲得おめでとうございます

追記

https://anond.hatelabo.jp/20211116114350

2020-10-20

既にニコ生将棋ががくっと減っていたのでわかっていたようなものだけど、叡王戦は残念。

正直、Abemaが赤字垂れ流しでニコ生から将棋コンテンツを奪ったのはどうかと思っている。

Abemaの今の事業形態黒字化するとはともて思えず、形態を変えて黒字化を目指す方向が見えたらそっちへ舵を切るだろう。

舵を切った先に将棋があればいいけれど、それはわからない。

https://diamond.jp/articles/-/7447

住友化学の蚊帳事業赤字でも構わないと始めたらしいけど、赤字だといつ撤退しても文句が言えないからと色々な支援団体が買い上げることで黒字化し、現地の雇用を守るという仕組み。

Abemaの場合将棋コンテンツを支えるための仕組みがない。

タイトル戦にはスポンサー企業があるけれど、Abemaではその企業CM流れることもない。叡王戦を引き継げばそれもあるかもしれないけど。

ニコ生でこの前やった中将棋面白かったし、企画力ではまだまだニコ生だと思ってる。

そしてなにより、ニコ生への仁義でAbemaの解説には出ないのではないか?と言われる先生方が何人か。

電王戦コンピュータ将棋関連が強い先生方なんだけど、Abema解禁になるのか。

2019-05-06

世界コンピュータ将棋選手権(WCSC29)やねうら王が優勝

http://yaneuraou.yaneu.com/2019/05/06/

対戦相手ソフトの得手不得手を突き止めて、そこをルールの許す限り試合開始直前までソフトウェアを改良し、その弱点を突く事で優勝にこぎ着けた。と、要点をかいつまむとそう書かれている。

これはこれで凄い話だと思うし勿論讃えられるべき偉業だとも思うんだけど、「それって“コンピューター将棋選手権としては、どうなの?」と思う部分もあったりする。

要するに「人間操作して勝たせてるんじゃね?」と思えなくもないって事。

まり純粋」なコンピューター同士の将棋の戦いをするのであれば、「今、戦っている相手が Qhapaq なのか Kristallweizen なのか それとも elmo なのか、その判定はソフト自身判断しないとズルいのでは?」と思う。

2018-08-30

anond:20180830142604

プロコンピュータ将棋を道具として使い始めて、

先手優勢な定石のようなものが一気に広まったのかな・・?

 
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