当たり前のことなのにたまに(というか人生の半分ぐらいの時間で)頭からすっぽり抜けてしまう。
愛情って白黒じゃなくて段階制のもので言うなれば0・1じゃなくて0~100なんだよね。
それを忘れてしまうと「私の事愛してないの」「いや愛してるよ」みたいな論争が起きるし、勝手に「自分は愛されてない。それ以前に自分は誰も愛せてなんていない」と考えたりする。
その中で飛び交う「駄サイクル」というワードは考えさせられる。
今の美大生は本当にアニメ・漫画で育った層ばかり。デザイナーや画家の名前を全然知らない子の方が多い。
知っている子は大抵裕福な家庭に育った教養ある子(美大に入るだけでも裕福だけれど……)
入ってから学べばいいのだけれど、昔以上に美大生も時間に追われて悠長に時間が作れない現状。
ここで、アニメ・漫画を卑下するのは違うと思う。それは一昔前にされつくしたし、
批判の矛先は、美術・デザインに関する日本の教育のずさんさに対してではないだろうか。
裕福で教養ある子だけで、デザイナー・作家にもてはやされてたら、そりゃ駄サイクルになる。
戦後のグラフィックデザインは、一時日本が世界をリードしていたくらい力があったみたいだけれど、
これを知っている若い子は美大に入った子でも僅か。世間一般では本当に極々一部だと思う。
決してデザイン・美術を"高尚な側"に置きたくはないのだけれど、
(漫画・アニメの知識だけで漫画・アニメを作ってしまう内々のサイクル。もちろん全てがそうではない)
に対して美術・デザイン教育を見直す事が、デザイン・美術業界ないしはサブのカルチャーである
クールジャパン戦略も、このくらい包括的に計画して実行して欲しい。
でも、国や学校教育が柔軟に対応するという、絶望的な可能性にかけるよりは
美術教育を受けた人間が、お高いところ(実は高くない)から降りてきて、噛み砕いて啓蒙するのが一番ではないか。
「偽のダサイクルを捏造できる」様な自体を他では無理矢理にでも避けてる、って話をしてんだろうが。
疑われたらそれを覆すのが難しいってのは当たり前の話。
だからそういう自体を避けるために、絶対に関係者は審査しない、と言うのは常識としてある。
だけどもし非常に小さなコミュニティーであれば専門家が限られるから「関係者以外」を選ぶことがそもそも不可能なことがあるし仕方ない面もある。
賞が十分ある、賞を受ける人も審査する人も沢山居る、というのであれば、偽のダサイクルであろうとなんだろうと疑われるような体制を取ったほうが悪い。
人が限られてる、って言うならダサイクルは真のものとしてそこにある可能性は誰も否定出来ない。
別に勝手に中でやってる分には勝手にしろ、としか言いようがないが、
国を上げてのオリンピックで海外からも文句言われるような自体になってる状態では無視できない、と言う話だろ。
そうか?恰幅が良い=金持ちの図式は昔のほうが強かったと思うが。
デザインに限らず美術の賞(もしかしたら文学とか文化系全体?)ではコネは大きいと思う。とは言え、能力のない人間では賞は取れない。コンペで勝ち残った作品はやっぱり美術的に見たら素晴らしいよ。スポーツと違って数字では計れないから説明するのは難しいけど。
「素人には分からない」って言われると腹たつかもしれないけど、何十年も自分の目でAB判定してたら流石に見る目は出来る。自分は武蔵美多摩美でもないし電博でもないデザイナーだけど、コンペで勝つ作品はやっぱり素晴らしいと思うよ。
基本的にどこかで爆発的に・・という期待もできるわけで
↓
↓
へー、この人、同人誌も・・で大体終わる。
でも刷ってリアルで売ると、新規さんの購入が期待できるうえに次も買ってくれる可能性がある。
この差は大きいんだよ。
小さいところは、利益は出したいけど、それ以上に実際に買ってくれると読んでくれるという実感も欲しいんだよな。
まあ完全にただ、なんでこんなことしてんだろ・・と思ってたり、習慣化してるだけって人もいるけど。
20年近く引きこもりを続けていた姉が自殺した。いつもは家族が寝ている明け方に起きてくる姉が、起きてこないことに母が気がついて姉の部屋を覗いたら首吊って死んでいた。すぐに救急車を呼んだけど手遅れだった。朝、父親に叩き起こされてその事実を聞いた時、最初に湧いた感情が「最後まで迷惑かけやがってあのクソ野郎」だった。
姉のせいで家族、とくに両親はすごいノイローゼ気味になってたし、兄弟も世間体気にしてすごく苦労させられた。もう数年間会話もせず、偶然居間などで居合わせれば舌打ちされる始末だったし、ずっとクソ野郎としか思ってなかった。
病院ついて、姉貴と対面して、重い空気だったからとりあえず神妙な顔をしたけど涙は出なかった。母親は泣いていた。父親は疲れきった顔だったけれども泣いていなかった。いろいろあって落ち着いた時に、湧いた感情が「やっと面倒事が終わる」だった。家族もみんな変な気を使わなくていいし楽になれると思った。
姉ちゃんが引きこもりになったのは中学の時で、小学生までは普通の女の子だった。我が家は兄弟が多くて、長女だった姉は面倒見がとても良くて、よく兄弟で遊んでいた。
小学校ではとても成績がよく(全国模試で1位をとったこともあった)、有名な国立中学校に進学したものの、いじめられて不登校になった。自分は、姉ちゃんをいじめた奴らが許せなかったので、「将来は教師になっていじめをなくす」と本気で夢見ていた。不登校になっても家では姉貴は明るくて、家族にお菓子を作ってくれたりしていた。食事も家族と一緒にとってたし、地元にはいじめっこはいなかったので学校に行かないだけで普通に外出はしてた。
そのうち、自分が高校生になって、大学受験の勉強を始めた。そのころから姉貴は急激に引きこもるようになった。部屋から出てこなくなって、食事も家族と一緒に取らなくなった。
自分は大学に進学した。割といい大学で、家族や親戚が褒めてくれた。調子に乗って将来の夢みたいなことを話していた。教師になる夢は消えていた。そういう時に姉貴は絶対に部屋から出てこなかったけれども、多分聞こえていたのだと思う。
姉貴は25を超えたあたりで、そろそろ取り返しが付かなくなると感じ始めたようで「大学に通いたい」と受験勉強を始めた。小学校では天才だった姉も、10年以上勉強していなければタダのバカだった。模試にも申し込んだけれども、人が怖くて外に出られなくて試験会場に行けなかった。「普通の人みたいに学校に行きたかった」と泣いていたことがよくあった。そのうち、家族に逆ギレするようになり、今に至った。
俺からしたら、「お前が自分で勝手に学校をサボり始めたんだろう」としか思わなかった。
そして今日になって自殺した。大好きだったお姉ちゃんが死んでしまったのに、涙1つでなかった。
どこでこんなことになってしまったんだろうかと悲しくなる。
こういう記事を書いて
「そんなこと無いよ。ひきこもりの姉がいて、苦労したんだから仕方ないよ」
と慰めて欲しがっている自分が嫌になる。
「お前最低だな。それでも人間かよ」なんて、
罵倒されたいわけじゃないのに、こんな記事を書いている自分が嫌になる。
かまって欲しいだけで、でも何か意見をして欲しいわけじゃない。
何を書きたいのかわからない。
ただただ、悲しくて、虚しくて、惨めで、自己嫌悪に駆られている。
店の隅っこにPCが置いてあって、何でこんなとこに置いてんだよと行くたびに思っていた
んで店員(店長?)のおっさんは俺がパンを選んでる間、横でずっとPCいじってんの
あのおっさんも働きたくなかったんだろうなー
働きたくないけど、パン屋ならまあやってもいいかな、って感じでパン屋やってたんだろうなー
パンの味はそれなりによかった
(耳を貰うだけじゃ悪いので2個くらい惣菜パンを買っていた)
昂揚感、平和と繁栄、人類の良心、オリンピック憲章、そういうもろもろの理念が正しくデザインに反映されていないから嫌いです。
普通のデザイン教育を受けた人間にはあのデザインは以下のように見えます。
https://tokyo2020.jp/shared/images/olympic_emblem_large.png
①まず、中央を貫く黒いバーは、喪章、あるいはモノリス(不滅の絶対性、時間)を表す。
②対角は金銀のコーナーはモーターの界磁であり、これによりモノリスは右方向に回転モーメントを与えられる。
(通常のネジが右ネジだから)
※ちなみにベルギーの劇場のデザインは回転ドアのデザインで真ん中のラインが垂直に立っていることは、劇場が外へ向かって
開かれていることを意味する。
③右上の赤い丸、これはもちろん日本であり、太陽、陽性なるものを意味する。
金銀の界磁によって駆動されるモノリスは冷徹な正確さで日本をいままさに叩き落とそうと運動する。
金銀の界磁と一緒になったとき、モノリスは死神の鎌であり、赤い丸は狩られて血まみれの生首である。
冷徹な時間の論理によって日本が凋落していくことが避けられないという死を表す。
④金銀はメダルであり、メダルにより黒くて強大な物体が突き動かされて日の丸を叩き落とす図でもある。
日の丸の位置は、時計の1時付近であり、これは絶頂期を過ぎていてこれから沈んでいくしかないことを表す。
⑤2020はフォントで海の波、水平線を表す。五輪マークは、すでに水面下に沈んでいる。
このような、日本の凋落とメダルに駆動される凋落加速のデザインはオリンピックの理念を正しく表現しているとは理解できず、
まったく共感できない。