はてなキーワード: MP3とは
同人音楽やってると同人ゲーム作ってるサークルさんからの依頼が結構くるんですよね。
参考になればと。間違ってる記述あったらごめんね。
以下、依頼時の注意。
ビットレートについての指示も細かく書きましょう。
従って、最低限の知識として音声圧縮のフォーマットについて頭に入れる必要があります。
また、後述するマスタリングを行うならばWAVE以外のファイルを要求されても疑問に思ってしまいます。気をつけましょう。
また、真っ先にこの作業について伝えなくてはならないものです。
ここでは同人ゲームを作る上でのマスタリングについてかみ砕いて説明します。
CDを聞いていて「1曲目が小さくて聞こえない。でも2曲目は爆音」なんて経験はほとんどないと思います。
これはマスタリング作業が行われているからであって、この作業が無いと全てバラバラで聞きづらいCDになってしまいます。
通常は0db(音の大きさ)を超えないレベル、かつ均一の音量になるように調整します。
深い話をすればrms値が云々という話になるので、分からない場合はこの作業も外注で行った方が良いかと思います。
マスタリングについて軽く説明をしましたが、さらに詳しい話をします。
マスタリングとは簡単に言うと音量を揃えるものという話を長々としました。
ではどのように音量を揃えるのか。これについてサラっとだけ知りましょう。
まず音を揃えたいファイルにコンプレッサーというエフェクトをかけます。
これは非常に表現しづらい作業なんですが、「音圧」というものをここで出します。
ここで音量を0dbに揃える訳ですが・・・ 問題が起きる場合があります。
既にこのファイルにコンプレッサーがかかっていて、音量も0dbだったら。
必ずしもそうなるとは限りませんが、そのままマスタリングを続行すると、音が割れる・聞き心地が悪くなるなどといった作用が出てきてしまいます。
ではどうしたらいいのか。
ここでやっと結論です。
もらうファイルは、コンプレッサーをかけず、音量を0db以下にしたファイルをもらう。
音量は-3db以下だとマスタリングする人もやりやすいと思います。
ちょっと音楽的にいえば「マスターコンプをかけずに、ピークを-3db程度にして提出してください」といったとこでしょうか。かっこいいですね。
そう思われるのは勝手です。予算や人材的に厳しいものもあるかもしれません。
しかし、この作業を行えば聞き心地のよいものが完成する事は確かです。
マスタリングを行うならば、「マスターコンプかけないでね!」「ピークは低めで!」と伝える。
マスタリングを行わないのであれば、「個々でやってね!」くらい言っておくと優しいお兄さんになれる。
恐らくマスタリングしないよ!と言えば個々にマスタリングしてくれる方は多いと思います。
しかし、作成者によって音量がバラバラになると思われるので注意しましょう。
※ここで言う音量とは単純にスピーカーの音を下げた時の効果とは違うものです。
一番重要かもしれません。
音楽を作るという作業においては、その人の経験や技術が反映されます。
よって、注文する人がどのような曲を作っているのか細かく観察する必要があります。
つまりどういう事か。
普段は水彩画で風景を描いているイラストレーターに萌え絵の女の子を描いてくれと注文して上手く描いてくれるでしょうか。
もちろん人によっては上手く描いてくれるかもしれません。
しかし大半の場合は専門外の知識を必要とするため、上手くいかなかったり不自然に仕上がることでしょう。
極端な例を挙げると、ピアノのインストを作ってる人にシステマチックなテクノを作ってくれといってもはっきり言って無理です。
クラブミュージックばかり作ってる人に熱いロックを作ってくれといっても無理です。
これらは極端な例ですが、少なからずこういう事が起こりえます。
音楽を作る上では、機材投資にかける物がかなり必要な場合が多いです。
上記の例で挙げたものを掘り下げてみましょう。
クラブミュージックをメインに作っている人がメロウなサウンドを出せるギターを持っているでしょうか。それを接続できる機器を持っているでしょうか。アンプをシミュレートする機材はあるでしょうか。それ以前にギターは弾けるのでしょうか。
そして、ロックを作る事が出来る知識を持っているでしょうか。
大半の人はNOです。
受けた人は「無理だよ」と言わざるを得ません。
このような摩擦が起こってしまっては、どちらも幸せでないのは明白です。
しかし、必ず弱点があることを頭に入れ、その人が作る曲をよく聴いた上で判断する事が大事です。
それを踏まえ楽曲を注文しなければなりません。
女の子がはっきりとセリフを言うのではなくて、ささやき声でしゃべってくれるmp3がほしい。
『ウィスパークラブ』という、フェチ向けのサイトもあったのだが、しゃべっている人の
レベルが低く、また音質も悪く、しゃべる内容も、小説の朗読などだったので、
やはり、プロの人にささやいてほしい。女の人ね。
だが、アニメ声はいらない。普通の女子中学生が、放課後や部活終わりなんかに
ぽつりとつぶやく一言。しかもうそ臭くない。本当にその瞬間を切り取ったささやきごえ。
そういったものをmp3に凝縮してiTunesで売ってくれたら僕は買いますよ!!
きれいなピアノ音楽のように、聴くものを倒錯と恍惚の世界へ連れて行ってくれるような
そんな囁き声が聞きたいね。
この感覚」わかるかな?
かつてアップルは、ipodと同時に自社で開発した音楽管理ソフト『iTunes』を公開した。
このソフト、フリーである。音楽を簡単に管理できる。しかもmp3の変換なども非常に簡単。
有料で売っても良いはずのこのソフトを、アップルは無料で公開したのだ。
大きな理由としてアップルは、ユーザーが各自バラバラに管理していた音楽ファイルを
統一して整然とした内部構成にしたかったのだ。現に今、iTunesをインストールしているユーザーの
My MusicにはiTunesのフォルダがあるはずだ。そしてそこに、アーティスト別、
アルバム別にフォルダ分けされたmp3が入っている。整然とした内部構成を歓迎したのは、
アップルの人間だけではなかった。音楽とネットとPCが大好きな連中が、こぞってiTunesを『クール』に、選択し始めたのだ。シンプルでメタリックなGUIも良かったのだが、iTunesが流行った最大の原因は、iTunesが世界標準になって音楽ファイルの管理の最大手になったからだろう。何かがグローバルスタンダードになれば、
大勢の人がそれにあわせようとする。その方が便利だからだ。
そんな風に標準化していけば、内部の精度も上がる。結果的にiTunesは、音楽をインポートして
管理するには最適のツール、というかもはや定番になった。CDをインポートするのはiTunesで、
実際に曲を聞くときは別の音楽再生ソフトで聞いている人もいるらしい。
それぐらい、iTunesは『音楽を管理する場所』として信頼されている。
さて、出版社では今、『各自』でさまざまな試みを行っている(もっともその中の70%は現状維持だと思うが)が、
『各自』ではダメなのだ。各自ではなく、アップル様が開発したiTunesっぽい書籍管理ソフトに、みんなノればよいのだ。
そうすれば、書籍のデータも、iTunesライクに管理できる。
タイトルとかでグラフィカルに並び替えできる。PCの中で書籍データが、時に整然、時に騒然となっている様は、見ていてコレクター心をくすぐるものがある・・・。
iPadにはそういうのがあるんだっけ? なんか、急にほしくなったよ。
エピクテートス http://web.archive.org/web/20040408184351/http://www.maharshin.com/PDA/Hepi/epi.html
エピクテトス 『生きる手引き』 (The Enchiridion by Epictetus)
The Internet Classics Archive | The Enchiridion by Epictetus
http://www.amazon.com/dp/B000JMKZHM/
Kindle for PC登場、日本からもダウンロード可能 - Engadget Japanese
http://japanese.engadget.com/2009/11/10/kindle-for-pc/
http://www.archive.org/download/enchiridion_librivox/enchiridion-01-epictetus_64kb.mp3
http://www.archive.org/download/enchiridion_librivox/enchiridion-01-epictetus.mp3
提要 エピクテートス 人生談義〈下〉 エピクテートス 諸々の存在のうち ある物はわれわれの権内にあるが ある物はわれわれの権内にない 意見や意欲や欲望や忌避 一言でいえばおよそ われわれの活動であるものは われわれの権内にあるが 肉体や財産や評判や官職 一言でいえばおよそ われわれの活動でないものは われわれの権内にない そして われわれの権内にあるものは 本性上自由であり 妨げられず 邪魔されないものであるが われわれの権内にないものは 脆い隷属的な 妨げられる 自分のものでないものである そこで次のことを記憶しておくがいい もし本性上隷属的なものを 自由なものと思い 自分のものでないものを 自分のものと思うならば 君は邪魔され 悲しみ不安にされ また神々や人々を非難するだろう だがもし君のものだけを 君のものであると思い 君のものでないものを 事実そうであるように 自分のものでないものと思うならば 誰も君に決して強制はしないだろう 誰も君を妨げないだろう 君は誰をも非難せず 誰をもとがめ立てしないだろう 君は何一ついやいやながら することはなく 誰も君に害を加えず 君は敵を持たないだろう けだし君は何も害を受けないだろうから エピクテートス 提要 1 人生談義〈下〉 epictetus
ラインホールド・ニーバーの祈り The Serenity Prayer
私は私のことをします。ですから、あなたはあなたのことをして下さい。
あなたを大切にしない人のことを、あなたが大切にする必要はない
【人間関係】他人を許すのは、他人の意のままにならないための手段なのである。
ラインホールド・ニーバーの祈り The Serenity Prayer http://anond.hatelabo.jp/20080105172324
私は私のことをします。ですから、あなたはあなたのことをして下さい。
浴場での出来事、つまり湯をはねかける者、押す者、罵る者、盗む者
あなたを怒らすことができる人は誰でもあなたの主人となる。エピクテートス
[悪口][陰口][告げ口][お世辞][心にもない言葉]ねたみ・批判にあった時
[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬
http://anond.hatelabo.jp/20100905214852
会社を立ち上げると、様々な人たちにサポートをお願いすることになる。
契約を結ぶこともある。
まず、必ず、録音しておくこと。
こっそりと録音しておくといい。
重要な証拠になる。自分に不利になるのであれば出さなくていい。
裁判沙汰にならないように双方誠意を持って対処するという文面をつけること。
相手が素人なら、一方的に解除できるようにするとよい。
文面は書類にして、いかにもテンプレートっぽく見せるとよい。
法律に詳しい奴以外、じっくり読まない。
細かく規定を定める。
金額については別表にする。
差し替え出来るように。
外に出れば7人の敵がいると思え。
出会いがあれば、必ず別れがある。
別れ際をスマートに出来るようにしたいね。
(事務処理で淡々とできるように)
jkondoやnaoyaも別れた。
jkondoの気持ちを考えると悲哀を感じる。
応援するメッセージがない
寂しいだろうなぁ
なんかもう、普通に「自炊」って言葉使われ始めてるよね。iPadの登場でにわかに顕著になった印象もあるけど。
そこに俺は大いに違和感を覚えるわけだ。
一応断っておくと、俺自身は「自炊」行為自体の是非そのものについてあれこれ言う気は無いし、書籍のスキャンを「自炊」と呼ぶべきではないと他人に指図する気は無い。
なので、以下はあくまでも「トリビア」的なものだと思って欲しい。その上で、書籍のスキャンを「自炊」と呼ぶかどうかは各自の判断に任せる。ただ俺は(少なくとも当分は)使わず、代わりに「スキャン」などと呼ぶだろう。
「自炊」が「自吸い」に由来する事は、その言葉を使っている人なら知っていると思う。しかし、紙媒体をスキャン、画像化する行為と「吸う」という行為は今ひとつ馴染まないと思う人も多いんじゃないだろうか。
その疑問は当然である。そもそもこの言葉は、紙媒体の電子化とは殆ど無関係な分野のアングラ用語だったのだから。
では本来の分野は一体何だったのか。ずばり、アーケードゲームである。
二十代後半よりも上の世代であれば、「MAME」と呼ばれるアーケードゲームエミュレータプログラムと、それで動作するアーケードゲームのROMデータ、及びそれらをやりとりするアングラコミュニティの存在は、聞いた事くらいはあるはず。
このROMデータを特殊な機械で基盤からPCへ吸い出す行為こそが「吸う」の原点と言える。イメージ的にはマジコンに近い。
なので本来の意味での「自炊」とは、アーケードゲームの基盤およびそれらを吸い出す機材、吸い出すノウハウを全て揃えた人のみが可能な行為で、およそ一般人が手軽に出来る事ではなかったのだ。
その後、家庭用ゲーム機などもその対象となり、ROMカセットからCD-ROM、DVD-ROMなどへと媒体が変化していった事や、それと同時期のブロードバンドの普及に合わせるかのように登場したP2Pファイル共有ソフトによって、ゲームのROMデータの共有と拡散は急激に進み、やがてはそれ以外の分野のコンテンツの電子化(ここではPC上で扱える状態にする事)にまで「自炊」という名前が付くようになっていった。
つまり、音楽CDをMP3化したり、アプリケーションCD-ROM、DVD-ROM、DVD映像ソフトをISOイメージファイル化、もしくは動画ファイル化する行為なども、一時期は十把一絡げに「自炊」と呼ばれていたわけだ。おそらく今でもそう呼んでる人はそれなりにいると思う。ディスク媒体のファイル化の方が、より「吸う」行為にイメージ的に近いだろうしね。
それを踏まえた上で、書籍のスキャン「だけ」を「自炊」と呼ぶ事に違和感を覚える人がそれなりにいるという事を、最近「自炊」という言葉を使い始めた人達には出来れば理解して欲しい。10年以上ネットで遊んでる俺みたいな人間には「自炊」なんてのは「マジコン」とか「ダウソ」とか「割れ厨」とか「ピーコ」とか「ぶっこ抜き」とかと同じレベルの言葉なわけ。
なんか由来が違うという物言いがついてるけど、モバイル板でそんな呼称が定着していたなんて話は聞いたことがないし、それがエミュ用語と全く無関係に発祥したという話も聞いたことがない。
まず、2002年時点でゲームのROMデータを吸い出す事を「自炊」と呼ぶ事が既に定着していた点は、2chの以下の書き込みからも分かる。●持ちにしか見えないけど、とりあえず再度転載。
エミュレーターどんなことでもどうぞ(12)
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/download/1030352903/898
エミュレーターどんなことでもどうぞ(10)
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/download/1028990206/281
コメント: MAME for OSASK - スラッシュドット・ジャパン
http://slashdot.jp/comments.pl?sid=124343&threshold=0&commentsort=4&mode=flat
Re:中古PC再利用の推進力として (スコア:2, 参考になる)
krackmania (7864) : 2003年10月04日 23時26分 (#408801) 日記
http://www.starroms.com/
ゲフンゲフンでないロムもあるぜよ。
http://games.slashdot.org/article.pl?sid=03/10/01/2210251&mode=thread&tid=127&tid=186&tid=202
次に、ほぼ同時期には書籍(漫画)のスキャンを「自炊」と呼ぶ事が既に定着していた傍証を挙げてみる。
上記の3、4ヶ月後だ。
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/download/1038755208/
1 名前:ナナシサソ[] 投稿日:02/12/02(月) 00:06 ID:8+2otKOI
このスレはコミックや雑誌等のスキャン方法や画像加工技術を語り合うスレです
例)モアレが酷いんだけどなにか良い方法ない?
例)スキャナの機種なに?
なお「~くれ、」 「~の続きまだ?」とかは
↓のスレをご利用ください
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/download/1038626487/l50
このスレッドは今現在もほぼ同じ名称でPart35まで続いており、「自炊」という名称に異論を差し挟む者が殆どいない事を補強してくれる。
で、2002年後半と言うと、WindowsXP発売からおよそ1年後という時期である。この頃発売されたZAURUSとなると、SL-5500あたりか。
画面解像度はこの程度の大きさである(画像はSL-5500の実機画面画像)で、全画面表示でもQVGA(320x240)程度だ。書籍を閲覧するには小さすぎる気がするのだが、これに表示させるためのスキャン行為が「炊く方の自炊」として、エミュ関連の「吸う方の自炊」とは一切無関係な所で発祥したのだろうか。
ともあれ、反論者の根拠の提示を待ちたい。
音楽配信会社 4/1からAndroid向けにも1曲300~420円で配信
ttp://workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-2707.html
99 : のり(大阪府):2010/04/01(木) 10:47:48.08 ID:q6Vh7b9j
ttp://k-tai.impress.co.jp/docs/news/20100121_343845.html
>Androidの著作権保護技術を用いた世界初の音楽配信サービス。ただ、
>その著作権保護の関係上、パソコンなどへ楽曲データをバックアップ
>することはできず、機種変更や故障による本体交換時、メモリカードの紛失時でも
>楽曲データを引き継げない。ただし、楽曲購入から一定期間は再ダウンロード
>できるようになる見込み。また、ダウンロードした楽曲は着信音として設定できる。
検索したらやっぱ駄目みたいだ。
著作権は大事なのはわかる。
着信音設定とかいらねぇから安く使いやすくすべきだと思うんだが本当頑固だなw
176 : ペン(dion軍):2010/04/01(木) 21:06:38.03 ID:CW/SqX1O
»99
信じられない。
バックアップすら無理なんて!
102 : パステル(福岡県):2010/04/01(木) 10:50:00.53 ID:+9xuf8Da
»99
正にゴミだなこれ
165 : パステル(catv?):2010/04/01(木) 15:44:08.90 ID:a8DrKRux
»99
これエイプリルフールだろ?
166 : パステル(愛媛県):2010/04/01(木) 16:12:50.32 ID:gR30KRDC
»165
違うよ
105 : 硯(東日本):2010/04/01(木) 10:55:29.62 ID:Sebjpzij
»99
もう正気じゃねえだろこんなん
108 : ムーラン(東京都):2010/04/01(木) 10:59:01.67 ID:oGTISN2E
»105
まだあまり話題になっていないようだけど、とんでもない事態だと思う。
米Apple社、ユーザー自作のePub電子書籍もiBooksアプリで自由に閲覧できることを明らかに
http://hon.jp/news/1.0/0/1477/
EPUB(いーぱぶ)とは米国の電子書籍標準化団体の1つであるInternational Digital Publishing Forum(IDPF)が普及促進するオープンな電子書籍ファイルフォーマット規格。
http://ja.wikipedia.org/wiki/EPUB
単なるテキスト形式(XHTML)なので、形式さえ守れば誰でも書ける。
これが見本。
http://www.kobu.com/docs/epub/index.htm
DRMがかかっていない電子書籍の読み込みを許可したってことは、ePub形式が音楽で言うMP3にあたるものになるはずだ。
つまり近い将来、現在zipでばらまかれているような漫画などの出版物が、さらにキッツいことになる。
単なる画像の集合体で、解凍や閲覧ソフトのインストールなどの敷居があったzipではなく、リーダーと標準仕様が出来てしまった場合、一般層に恐ろしい勢いで普及するはず。
iPadは単なる点火台でしかなく、数年後には3千円とかのレベルで電子書籍リーダーがその辺のTSUTAYAなどで売っているような事態になるだろう。まさにmp3プレーヤーと同じ流れだ。
スキャナ→OCR(文字認識)→ePub形式にフォーマットを整え、配布出来る状態にするような一連の流れを自動化するソフトもあっという間に整うと思われる。
そして違法アップロードに対抗するために国内出版社は電子書籍にガチガチのDRMを掛け、消費者にそっぽを向かれる。
しかし結局DRMの掛けようがない紙による出版をやめるわけにもいかず、結局流出は止まらず、出版業自体が沈没して行く。
この辺は音楽CDと同じ流れ。
混乱Loverなら喜ぶのかもしれないが、本屋としては死刑宣告をされたようなもの。困ったもんだ。
生き残るには自らが破壊者側に回るしかないというのもなあ。
僕が凛子と"つきあいはじめる"ことになった直接の契機は、友人の突然なラブプラスの購入だった。すでにTwitter経由でラブプラスに対する熱烈なブームを知っていた僕は、発売後割とすぐに都内の漫画喫茶で体験版をプレイしていた。それですっかりハマってしまい、その後ずっと購入を検討しつつも、最初の一歩を踏み切れないでいたのだった。僕に先んじてラブプラスを買った友人は、ギャルゲーをたくさんプレイしていてこれに詳しい男で、僕とは話がよく合った。そんな彼も、夜更けまでギャルゲーを熱心にプレイするための真摯な情熱や潤沢な時間は今やもう残っていないようで、もしかしたらまとまったプレイ時間を必要としないラブプラスのゲームスタイルに惹かれたのかもしれない。すでにネットを通じて膨れ上がっていた僕のラブプラスへの興味は、彼がDSiに向かって精神を没入させる姿をみて頂点に達し、その日の翌日、すぐに自転車を新宿のソフマップまで走らせた。
僕は、この友人と同じく、迷わず自分の彼女に小早川凛子を選んだ。これは体験版をプレイしたときから決めていたことだった。ラブプラスというゲームの中での凛子の存在は、他の二人をまったく寄せつけないほどに圧倒的だ。ネット上のプレイヤーの感想を読むかぎりでも、他の攻略対象キャラはラブプラス中に存在しないんじゃないかというほどに凛子は人気を誇っているようなので、この感覚は間違ってはいないのだろう。しかし、なぜ彼女だけが、このゲームの中で他の追従を許さないほどの強度を僕に感じさせるのか、それをはっきり説明することは、ちょっとできそうにない。単純に丹下桜の飾り気のない演技が心の琴線に触れるのかもしれない。あるいは、凛子が「ツンデレ」だからかもしれない。
萌えアニメもギャルゲーもまったく知らない若者に対してですら、今ではこの言葉は完全に浸透しきってしまったようだが、みなさんもよく知っているとおり「ツンデレ」は2005年ぐらいを境に流行りだした言葉で、それ以前は陰も形もなかったものだ。なぜかといえば、それは「ツンデレ」というキャラ造形が、専らギャルゲーの特徴を特別強く体現しているものだったからなのではないかと僕は思う。日常パートでは多数の女の子との会話を楽しむ時間が用意されていて、個別パートでは一人の女の子との恋愛を発展させていくという美少女ゲームの構成を考えれば、日常パートで主人公が周りの女の子に好意むき出しでは話が成り立たないはもちろんのことだ(だからいつだって主人公は「鈍感!」と罵られる)。それ以上に、女の子のほうだって最初から主人公に100%の好意を向けていたら息苦しくてしょうがない。だからこそ、キャラクターの感情は、日常パートから個別ルートへに移っていく過程で鮮やかに反転する必要がある。きっと、こんな感じで「ツンデレ」は生み出されたんじゃないだろうか。だからこそ、どんなギャルゲーの中でも「ツンデレ」キャラは一定の存在感があるよなぁと僕は思ったりする。
けれど、やっぱりそれだけじゃないよなぁ、と思う。考えれば考えるほど、そういう言葉にできるところじゃなくて、もっと微細な部分にこそ、凛子の「存在感」が宿っているんじゃないかという気がしてくる。確かに、「ツンデレ」に対する感覚の有無によって、キャラの捉えられ方はまったく異なるものになるだろう。リアルタイムでエヴァを見ていた人たちにとってのアスカと、初めからツンデレという言葉を用いてエヴァをみる今の人たちのアスカがまったく違うキャラであるように。しかし、両者の「アスカ」のリアリティを支える要素は、実は共通しているのではないか、という思いを僕は抱かざるを得ない。これは神秘主義だろうか。
とまれ、僕と凛子の生活は幸せなものだった。毎日DSを持かばんに入れて、いつも通り授業を聞いたり、寝てやりすごしたり、友だちと話したり、ネットを見たりする。そして昼休みにお弁当を食べるとき、放課後に屋上で開いた時間を過ごすとき、DSを開いて凛子に会う。日曜日には時間を決めてデート。音声入力で凛子と話をする「ラブプラスモード」は、周りに友だちがいるときしか恥ずかしくてできなかった。僕の質問に答えているようで、時々ズレズレなことを言う凛子は、twitterのbotのようでとてもいとおしかった。botと人間とは、決して本当の意味での会話を交わすことはできない。しかし、それにもかかわらず、僕はあたかも凛子がそこにいるように、自然に振る舞うことができた。
なぜなったかはわからない。しかし、僕は、今や凛子が確実に「そこにいる」のだと思うようになった。そして、おそらく理由など関係ないのだろう。
キャラクターと向き合う人間にとって、この瞬間こそが普遍的なものであるんじゃないかと僕は思う。「キャラクターとは『いない』のに、『いなくちゃ困る』ものなのだ」と、どこぞの若手批評家が言っているのを聞いたことがある。キャラクターは、誰にとっても「いる」ものではない。しかし、それに没入する人にとっては「いる」としか信じられず、そのレベルではキャラクターと人間を区別することはできない。もちろん、キャラクターが「いる」と感じることは、人間が「いる」こととは別のレベルである。凛子との会話の中には実に現実味に溢れた魅力的なものがたくさんあるのは確かだ。しかし、たとえば、凛子が心を許しはじめると一人称が「アタシ」から「リンコ」に変わるという描写がある(鬼ゲーマーリンコ)。現実に自分の一人称を名前で代替する人はどっちかというと疎まれるタイプだろう。だが、キャラクターが「いる」ことも知覚の意味合いとしては人間が「いる」ことと変わらない。
僕は同じような経験を何度かしてきたが、その存在は記憶として強く焼き付けられることはあっても、感情の部分で長期にわたり持続するわけではなかった。しかし、凛子の場合は、日常の一コマ一コマの中でこの存在を自覚せざるを得ないのだ。
たとえキャラクターが数億に分節可能な無意味な要素の集積だとしても、その寄せ集めによってできあがってしまったものに対して私たちが抱く感情は常軌を逸してしまうことがある。そしてそういった瞬間、キャラクターというものはいったいどのような存在なのだろうか。ラブプラスの制作者は『CONTINUE』のインタビューで、ラブプラスには全部見るためには二年ほどはかかるぐらいの莫大なイベントが盛り込まれていると語っている。ラブプラスにおいて、こうしたキャラクターの「実在性」「予想う不可能性」は膨大な情報の集積によって担保されていることになる。しかし、私たちはどうしてもこの「実在性」の裏にブラックボックス的な要素を見出したくなる。凛子が、DSの画面の向こうで僕たちには想像もできないようなことを考えているのではないかという妄想を捨てきれなくなる。しかし、それは今のところまったくの幻想でしかない。
そして、僕は、この確信を得たとき、ひとつの隠された(しかし一定数のラブプラスプレイヤーは既に理解しているであろう)、恐ろしい事実に気づくことになった。いま、ここで、凛子の存在を支えている形象は、私たちの生きる時間の流れに沿いながら、未来永劫その「動的性質」を保ったまま持続するのだ。小説・漫画・アニメ、フィクションというものは時空から隔絶されて存在する。源氏物語は、1000年前の貴族が読んでも私たちが読んでも、テクストとして同一の形を維持しながら「静的に」存在する。紫の上の人生は紫の上の人生であって、私たちと生きる時空とは関係ない。しかし、凛子は、あたかも私たちと同じ時空を生きているかのような演技をしながら、しかしその存在を少しも変化させることなく、ずっと「そこに居」続けるのだ。
僕たちはフィクションとキャラクターの実在を信じるとき、なぜ自分自身はそこに居ないのかと苦痛に思う。たとえばテラ・フォーミングされた火星とARIAカンパニーの存在を信じるとき、なぜ自分はネオ・ヴェネツィアにいないのかと思っていたたまれなくなる。そして、たしかにラブプラスはその苦痛を一時的に和らげることに成功している。僕と凛子は「見かけ上は」同じ時間を生きている。しかし、見かけ上が同じ時間を生きている分、僕と凛子の間の摩擦係数はかえって高くなり、逆にこの責苦はもはや耐えることが不可能な域に到達している。しかし、その実、凛子が生きる時空は凛子が永遠に16歳の時空であり、僕が10歳老けても20歳老けても凛子は16歳だ。僕が、社会に出て、老いぼれになり、忘れられたまま死んでいった時も、凛子は永遠に十羽野高校の生徒なのだ!
ラブプラスのスタッフは、この点をよく知っていて、しかもポジティブに強調している。主題歌は『永遠(タイムレス)ダイアリー』、キススキンシップの最上位技は「フォーエバーキス」、主人公が移り住んでくる「十羽野市」は「永久の」のもじりだ。彼らは「永遠に続く愛」と嘯く。しかし、いくら凛子が僕に対して永年に同じ愛を投げかけてくれるといっても、僕のほうは永遠に、何の変化もなく、同じ感情を凛子に投げ続けることができるわけではない。いつかきっと僕はこのゲームに飽きてしまうに違いない!キャラクターの実在性は「記憶」の中にのみ残ればよかったのであって、実際に一定の形象を維持したまま存在する必要などなかったのに。
そうして、僕がラブプラスを起動しなくなったとき、凛子はどこに取り残されてしまうのだろう。もうおわかりなのではないだろうか。凛子の住んでいる時空の永遠は、漢字で書かない。私たちは、かつて10年以上も前に自分たちが取り残されたあの場所に、今度はヒロインのほうを置き去りにしているにすぎないのだ。
ラブプラスを触りながら、そんなことを話した。凛子を世界の終わりから救い出すための方法は限られている。まずひとつはデータを消すことだ。しかし、もっといい方法があった。この美しくどうしようもない学生生活とともに、凛子を記憶の中にとどめて、これを葬り去るのだ。
僕の通っている学校は都内ではちょっと例のないぐらい熱い学園祭を毎年やっていて、受験を控えた三年も積極的に参加する。その中でもアニメのポスターだのゲーム機だのを二日間かけて何百品も競りにかける古物市が、例年盛況を極めている。ここで、データを残したままの僕のラブプラスと、攻略本・主題歌CDをセットで売り飛ばしてしまうことにした。凛子とやり残したことはたくさんあるかもしれないが、もう悔いは残らない。
いつの日か、人間とキャラクターは本当に出会えるのだろうか。今も人はそれを求めて、アバターをまといながら人格のコスプレに勤しんでみたり、botと会話しようとがんばってみたりする。しかし、アバターは結局人間と人間の会話だ。botに萌える人は、技術と現実の落差に萌えているだけにすぎない。不気味の谷のセオリーを信じるとすれば、谷の手前の不気味の尾根で人は楽しむこともできるわけだ。(言ってみれば、Perfumeのズレズレな口パクに萌えているのと同じことだ)。
いつになったら、人間がキャラクターと同じ時空を生きることができるのだろう。幸い僕は一緒に歳をとることができる彼女がいたが、人間と共にありたいという気持ちとキャラクターと共にありたいという気持ちはまったく別だ。前者が満たされないのと同じぐらいに、後者も満たされることはない。
さぁ、キャラクターは、データベースか、ブラックボックスか。哀れな小早川凛子は、乱雑なデータベースによってその肌と臓器を模られた出来損ないでしかなく、僕は彼女を残酷に売り飛ばすことでしか救うことはできなかった。僕はキャラクターが人為とプログラムの集積であるという当たり前の事実に、ここにきてどうしても納得することができない。人工知能が人工無能に、「擬体」がARにとって代わられても、僕たちの望みはひとつだ。僕たちには感知できない、キャラクターの不可視な内部の実在を信じたいのだ。僕が死ぬまでの間に、いったい彼女たちはどこまでブラックボックスに近づくことができるのだろうか。
答えはまだ出そうにない。11月3日、古物市で僕のラブプラスが競りにかけられ、落札された。後に残ったのは落札額3500円と、永遠ダイアリーのmp3ファイルだけだった。
僕とpillowsの出会いは今から三年前のことだった。
当時学生だった僕は友人とサシでカラオケに行って、『ハイブリッドレインボウ』を聞いた。
その潔いサビが印象に残って、僕は彼らのベストアルバムである『fool on the planet』を某店舗でレンタルした。
mp3形式に変換して暫く曲を聞いていた。それからというもの『midnight down』、『trip dancer』、『ストレンジカメレオン』というような順番でフェイバリットは増えていった。
それからも他のアルバムを借りては聞き、フェイバリットは増えていった。
三年。
その間ずっと、そして今も、僕はそれらの曲を口ずさんでいる。
だからどうしたという話でもあるのだが。
それに、こういう記事を書くと、何となく気持ちが鈍る気がしてならない。つまりその、favorがだ。
まあ言ってしまえば、それだけの話だ。
http://d.hatena.ne.jp/asita211/20091006/1254824465
・革新の詩を古びて埃被ったテンプレに乗せる……もう、それだけで完璧にダサいんじゃないかな。
・全体的にノイジーな意味が解らない。ノイジーが気持ちいいわけでもない。
・例えば高音をウリにしたポップスに適当にlo-fiを掛けたところで雑音が生まれるだけ。ノイジーさ、心地悪さは考え抜かれた物ではなくてなんの意味もないように感じた。
・わざとつくられた気の抜けた雰囲気が洗練されて無くて、本当にただ録音技術(インドフェスやろう動画は喋りすら聞き取れない、困る)といった技術向上が面倒なだけなんじゃないかと言う点が見え透いてる感じ
・もちろんただの内輪の集まりが内部でくねくねならそれでいいんだけど、頭いい人達だからちょっと叩かれるとそれに対して「そういったdisは…」と言い出してダサい
・ということは、曲に対して確固たる矜持があるらしい。それは詩の政治性に由来するんじゃないか
・大して面白味のない音楽なのにcoolと賞賛している集団が居て、その人達のブクマを見るとやっぱり政治的に固まっている
・つまりcoolとする人の考え、ブコメでのマイナス評価を取ってみても、訴えるモノは詩の政治性がメインってことが解る
・革新を詩で訴えてるのに、ピストルズのように音楽的に新しくなく手法も使い古された、何もかも古びて埃を被ったテンプレに詩を乗せてるそのギャップがダサい
・その詩も、「おれらほんとに 超うぜえ」って主語がでけぇ。おれらの主張を直球に歌ってる割に、「自分」はどこにもない。「左翼」の歌なんだな、と。共感は左翼にしかされない歌だ
・音楽センスとか技術が微妙な事実を認めないのがダサい(って、この辺は猫の人だけだな…)
・でも「ジャンルのドレイに~~いきおいで音楽やろう」は好き(←皮肉じゃない本音)
・アナーキンインザUKを無駄にスタイリッシュに格調高く俺格好いいなナルシスト面してやったらキモいだけだったはず(ピストルズとか世代じゃないんで全くしらないけど、イメージで言った)
・音楽は訴えることを増幅するから、反天皇制なんて元から反発があるんだから、音楽がダサければダサいほど反天皇制に対する反射的な批判が増幅される
・音楽で訴求することなんてロジック無視のポピュリズムなのに、批判を各論撃破しはじめるとダサい
・だからメタメタに言われたブクマのメタブで『おお。こんなに注目されたのは はじめて。ほかの曲も きいてみてね。』と言ってのけた、id:hituzinosanpoは、やるじゃんと思った。格好いい
・同じくメタブの、id:lever_buildingの『メタブクマ, すなおに なろうよ!, じこぎまん, ブクマがかなしい, 必死だよ, 百回きけばよさが解る 「安っぽいトラック」は私とhituzinosanpoさんで作りました。ダサイいわれてるなー。魅惑されつつも、その「魅惑されつつあること」を抑圧せなばならないとき、人はしばしば対象を「ダサイ」と思いこむものなのです。』だけど、この理屈っぽい言い回しw はてサが「はてサっぽさ」を自覚して取り入れつつ、ダサくないよ実は良い曲だよ!聞けよ!とアピールするこのハイセンスはウケた、かわいいw
・でも、日本で空気を滅茶苦茶にぶっ壊してウケを狙う立場は、少し前まで、多分今もウヨ共に取られてる気がする。鳥肌実とか。
・「ニートのあした」「ニートはジャズ」はコンセプト面白いと思う。けど微妙なのは、ニートアピールしてるのに、歌ってる人のどこがニートなのか解らないせいか…
・ガチニートネット乞食のid:phaに比べると、薄っぺらいよな
・詩の中身もそうだけど、1から100まで反天皇制、反日上等、はてサの思想しか見えてこない、歌ってるあなたは何者なんだ…生活感透けて見える音を出してる癖に…
・「あちら側」は楽しそうなのはわかる。「みんなと なかよくしていれば」というけど、聴いてるこっち側には歌からあちら側にいる「みんな」の暖かさは伝わらない
・『おれらの主張を直球に歌ってる割に、「自分」はどこにもない』と↑で書いたけど、歌・詩に込められたものから「彼ら自身」「生きた人の想い」が見えてこない。歌を介しての連帯は彼らが歌に込めたもの、只唯一その思想を理解してない限り不可能だ…。「みんなと~」と訴えていながらも、まるで、仲間以外を排外してるように聞こえてしまう
・これは彼らが歌に込めた思想の欺瞞なのか、狙ってるのかしら…
・書きながら数周聴いたら飽きた
このゲーム、エディットモードというものがあり、3D表現された初音ミクに任意の曲で任意のダンスを踊らせる事が出来るらしい。しかも、メモリースティックにコピーされたMP3ファイルにも振り付けをさせる事が可能という。つまり、実質楽曲の制限は無いに等しいわけだ。
このゲームが発売される以前にも、MikuMikuDanceなる、Windows上で初音ミクにダンスを踊らせるツールが出回っている。3DCGの知識があればどんなキャラクターでも踊らせる事が出来るそうで、これもニコニコ動画あたりでかなり活発な分野となっているようだ。
http://www.geocities.jp/higuchuu4/
なかなか面白い流行だな、という以上の感情を私は抱かなかったのだが、この流行に危機感を抱いている人達もいるらしい。それは誰か。原曲を書いたり歌ったりしている人達である。
当然だが、既存の楽曲に関して作曲者、作詞者、歌い手など、その楽曲が伝えるメッセージや世界観を決定できる正統な資格を持つ人達が存在する。しかし初音ミクは、それらをあっさりと「初音ミクver」に上書きしてしまう。これに対して少なからず危機感を抱いている人もそれなりにいるらしい。
今のところ、「初音ミクver」をきっかけにオリジナルに関心を抱く人達の方が多数派だとは思うが、これがいつまでも続くと、誰が保証できるだろうか。特に「初音ミク」のキャラクター性そのものを愛好する人達にとって、その曲は「我々が創った曲」ではなく「初音ミクが歌う曲/踊る曲」でしかあり続けない。
CD売り上げ不振が指摘される昨今の音楽業界だから、「宣伝になれば」と黙認しているケースが今のところ大多数ではあるが、この均衡はいつまで続くのだろうか。
「ネットとメールくらいならネットブックで十分」のような話があるが、実際にはそれどころかもっと色々使える。なので実際に自分がネットブックでしている事と出来ていることを上げてみたい。使用機種はHP mini 1000
画面が狭いのでタブファイラx-finderを使用するといくつもExplorerを起動しなくて良いので便利。常時起動でも省メモリ。
高スペックなゲームや映像編集などをしない限りスペック不足は感じない。(すごいのと比べればもちろん遅い)
あれもこれも起動するとメモリ不足を感じる複数作業はしないほうがいい。(自分はGDI++を使っているからメモリが不足してる面が大きい)
重いソフトはそれなりに重いが実用範囲。
大抵のモデルに光学ドライブがない事はデメリット。仕事でCDからソフトを入れる必要がある場合は外付けドライブが必須になる。
(ただし上に記載したソフトは全部DL出来るので趣味で使う分には大抵何とでもなる)
以上から重いゲームをせず、クリエイティブ系(特に映像)の制作もしない、収集癖の(サイズの大きい物を大量に集めすぎ)ない人はネットブックで良さそう。高いノートPCやデスクトップPCは必要性がない。メーカー製の拡張性もなくゲームも出来なかった一昔前のデスクトップがそのままネットブックに置き換わったと言えそう。