はてなキーワード: 警鐘とは
明日が「国勢調査」の日で、今回は10年に1回の本格調査の年だ。
しかし、回答拒否によって、調査員による代筆が横行している調査結果に、どれだけの信憑性があるのか?
一例を挙げよう。
東京都心では、この10年間、オフィスビルの供給がラッシュになっており、
オフィス面積は着実に増えてきている。
なので、「千代田区」や「港区」に勤務する人の数、つまり「昼間人口」は
「増えている」と考えるのが自然である。
しかし、国勢調査では、これら「昼間人口」は、驚くなかれ「減っている」のだ。
http://www.nli-research.co.jp/report/misc/2008/fudo081002.pdf
の2頁
>今回の国勢調査によると、2005年のオフィスワーカー数は、東京都で390万8千人、
>都区部で330万6千人となり、2000年と比べ、それぞれ1.9%の減少、2.0%の減少となった。
カラクリはこうだ。
国勢調査には「勤務先住所」を記入する欄があるが、
やむなく調査員が代筆で提出せざるを得なくなる。
その場合、調査員は「現住所地」は知っていても、
「勤務先の住所」までは知らないので、「空欄」で提出することになる。
その結果、「勤務先=千代田区」とか「勤務先=港区」と特定されているデータが減って、
「勤務先=不詳」というデータが増加しているのである。
http://www.nli-research.co.jp/report/misc/2008/fudo081002.pdf
の2頁
>都区部では、2005年の労働力状態不詳値が85万人(常住地ベース)となり、
>15歳以上人口745万人の11%を占めている。
>この数値は、都区部オフィスワーカー数331万人の26%に相当することから、
11頁
>東京都では所定期間内に調査票が提出されなかった世帯が13.3%に達する。
>国勢調査では調査票を回収できなかった世帯に対しては、氏名・男女の別・世帯員の数に
>ついて、近隣の者から聞き取り調査を実施し、調査票の未回収を補っている
一方、都内全法人を対象に、従業員数をヒアリングする「事業所・企業統計調査」では、
都心3区の従業員数は増加していることから、
「事業所・企業統計調査」の方が「国勢調査」より信憑性が遙かに高い、という状態になっている。
「回答拒否」とか「回答欄空欄」というケースがレアであると思われる。
http://www.nli-research.co.jp/report/misc/2008/fudo081002.pdf
の8頁
>事業所・企業統計調査は、全事業所・企業を対象とした最も網羅的な調査であり、
>近年は5年に一度、調査されている。
>事業所・企業統計調査の従業者数7は、2001~2006年にかけて、東京都では1.1%の増加
>(9万6千人の増加)、都区部でも1.1%の増加(7万9千人の増加)であった。
ということで、昼間人口(ホワイトカラー人口)の分析ですらこの程度の体たらくなので、
他の統計結果についても、その信憑性は著しく衰えているのではないか?
http://www.nli-research.co.jp/report/misc/2008/fudo081002.pdf
>国勢調査は、オフィスワーカー数の把握ばかりでなく、多くの政策や分析データの
>基礎資料になるものである。
>しかし、労働力状態だけでなく、生年月、居住期間、配偶関係などでも
>不詳値は増加している。
>2010年には、10年に一度の大規模調査が実施されるため、教育(最終学歴)や、
>これらの調査項目についても、オフィスワーカーと同様、このままでは不詳値が急増し、
>基礎データとしての信頼性が低下する可能性が高い。
元増田だけど、えぇー、全部反応するの無理だから、逃げたの?とか言わないで。
「気持ち悪い。」とかは歓迎。そういう話をしてるので。
いや・・・別に悩んではないんだけど・・・。
むしろ先の人が言っていたように、
どうでもいいよ、やるかやらないか、それだけだよ。
基本はこういうことだと思ってますよ。
でもそれ言ったら全部の議論がそれで終わっちゃうじゃないですか。
そりゃ赤の他人のことなんか人が口出す問題じゃないからどうでもいいですよ。
自分だって同じこと言われたら余計なお世話だって思うから直接は言わないけど、
増田だったら書いてもいいよね?ってことで書いたんだけど、それもダメなの?
それも許してもらえないならごめんなさい。
テメー上から何様だよ!!とか、さぞ偉い職業なんですねっていう揶揄も、
至極ごもっともなんだけど、
そういう脊髄反射的な議論を避けるために匿名でそれとなく書いてるわけなので、
別に相談することへの愚痴なんかを漏らしたわけじゃないんだけど、
嫌な奴ですよ、こんなこと言う奴は。
あと、反応の量は結構予想通りなんだけど、
意外に同意の割合が多いなぁと思ってしまった。
そういう異常なくらいの人に接したことがある人なら、
もちろんそういう世界で成功している人全員が全員そうなんていうつもりはないですよ。
だけど、程度の差はあれ、仕事に対する考え方はやっぱり常人レベルから
かけ離れてるなぁと思うんですよね。
ただ、趣味にしろニッチにしろその業界のトップレベルにならなくても食っていける道はあるよ、
というのはまっとうな意見だと思うけど、大体相談しにモヤモヤしてる人というのは、
やっぱり何の根拠もなしにトップスターに近い位置になれて、
人並みの生活を手に入れられるとか漠然と思ってしまっている人なんですよ。
その辺りも判断できない人に「警鐘を鳴らすのもダメ、本人に考えさせればいずれ気づく」っていうのは、
http://twitter.com/zaway/status/22888381585
それは、未来の経済社会のあり方についての「ビジョン」についてである。それを堺屋太一は「知価社会」とよび、ドラッカーは「知識社会」と呼ぶ。キーワードは「脱工業化」、そして「知」だ。従来型の産業構造の転換が求められているという議論は、今も日本で話題になっているが、これは新しいようで古い。そこで今回は、彼らの著作の紹介を通じて、過去の議論をざっと見てみようと思う。
当時はかなりの反響があった。鉄鋼やエレクトロニクスなど日本の製造業が絶頂期にあった中、周囲からのひんしゅくを恐れずに堂々と脱工業社会の到来を予言した。ある意味で、時代を先取りしすぎた本と言えるかもしれない。
まず著者は、古代以来の世界史の「精神史」的側面を振り返りつつ、現在の世界が直面している変化を位置づける。むかしは、カネや領土を追い求めた「物質」尊重型の古代文明(ローマ帝国や中国の漢王朝のような)、古代の巨大帝国が崩壊すると今度は、信仰に篤く慎まやかな生活をおくる「精神」尊重型の中世が到来した。それが、産業革命以後の近代ではまた「物質」を追い求める時代へと転換した。その意味では、現代社会の価値観は古代帝国が基底にある。
しかし、足下ではこれが中性的な「精神」尊重型の社会に立ち戻る動きが見られる。2度の石油ショックが起こり、これで資源が有限であることに人々は気づき、環境意識が高まっている。「このまま大量生産、大量消費を続けたら我々はまずいのではないか」、そうみんなが確実に思い始めている。この流れの延長線上にある社会の姿と位置づけるのが、「知価社会」である。
知価社会とは「デザイン性やブランド・イメージ、高度な技術、あるいは特定の機能の創出といったことが、物財やサービス価格の中で大きな比重を占めるようになる社会」と定義する。ここで、単に情報産業、サービス産業などという特定の業種転換より広い意味をもっていることに注意したい。むしろ、強調されているのは製品としての「コモディティ」の終焉である。彼は確かにこう書いている。「安い規格品よりも高級なブランド品が、より長く使われる「知価」の部分が肥大化した価格攻勢が一般化する」(文庫版p225)。
すでにアメリカでは知価社会への適応が進んでいる。単純な製造業が衰退する一方、ブラディング、マーケティング、サービス産業の比率が高まっている。翻って、我々日本にとられるべき選択肢は2つ。知価社会への移行を推し進めるか、それとも従来の工業社会の基盤に固執するか、だ。日本が取るであろう道について、彼は製造業での成功体験が忘れられず従来型産業構造維持型の政策を取り続ける可能性は高いと予測している。しかし、その道は安易であり、長期的に有利とは限らない。国際環境の変化に適用できない硬直化に陥る危険性があると警鐘を鳴らし、締めくくる。
原著は1993年刊。この時齢83歳。
ドラッカーといえばマネジメントだが、 本来は政治・社会批評家である。彼がマネジメントの研究に入っていったのは、その思想を実践するための手段としてマネジメントが有効だと気づいたからにすぎない。
彼はまず産業革命が起こった要因について振り返り独特の解釈をする。産業革命を起こったのは、生活水準や資本の変化意外に、1700年以降から変わったある決定的な要因があった。それは職業別組合などの内部のみで、数千年に渡って発展してきた秘伝としての技能が、初めて収集され,体系化され、公開された。技術学校や「百科全書」のような書物によって経験は知識に、徒弟は教科書に、秘伝は方法論に置き換わった。この「知識」こそ、道具,工程、製品への応用の連鎖をうみイノベーションの加速度的な発展を促したものだった。
そして、今、知識の役割はさらに重要になっている。放射線治療機器、CTスキャナ、高度なCVD装置、超高速のスパッタリング装置。今の製造業の基盤になっているこうした生産手段は、労働者の高度な知識があって初めて動く。昔の資本主義がそうであったように、けっして労働者は歯車のように資本家に所有された代替可能な機械ではなくなっている。従来の資本主義にあったような「資本家対労働者」という次元は今や完全に消滅している。今や富の創出の中心は、資本、労働、土地から、人間の知識そのものへと移行している。
ドラッカーは、このような形で変化しつつある社会を「知識社会」と称した。そうした社会では、労働者達の知識を効率的に活用し、いかに収益にむすびつけていくか(これをドラッカーは「知識の生産性」といっている)がこれまで以上に国,産業、企業の競争力にとって重要になってくる(p244)だろう。それはこれまでもそうだったし、これからはさらにそうなっていくだろう。イギリスは過去、CTスキャナ、コンピュータ、抗生物質、ジェット機を開発したが、それを製品やサービスや仕事に転嫁できず、アメリカに抜かれていった。他方、アメリカはアメリカでマイクロチップ、コピー機、工作機械などのパイオニアだったにもかかわらず、日本企業がそれらの市場を奪取するのを指を加えてみるしかなかった。そして、日本は、自らが事業の先鞭をつけたほとんどの主力産業(液晶テレビ、カーナビ、電池)で韓国、中国企業の強烈なキャッチアップを受けている。
では、いかにして知識の生産性を高めることができるのか?それを実現する手段が「組織が成果を生み出す機能を高めること」。つまり、マネジメントなのである。この結節点において、社会学者としてのドラッカーと経営学者としてのドラッカーとががっちりと連結される。
1・系統
ポッポ語とは、日本語から派生した言語であり、日本語派に分類される言語である。
しかし、話者が極めて少数であり、まったく異なる語族ではないか、という慎重論を唱える識者も根強い。
2・分布
主として日本国内に極めて狭く分布される。しかしながら、ごくまれに海外でも見れるので「トンネル効果ではないか」という識者もいる。
3・現状
ポッポ語は研究者も少なく、またサンプル数の極めて少ない絶滅の危機にある言語であるため、言語体系の解決には早期の決着が望まれる。日本語との類似の指摘が多いが、それでは日本語話者との解釈に隔たりがあることの説明にはなっておらず、研究のさらなる進展の必要がある。
言語学に詳しい野武千代美(65・日本学術大教授)は、「日本語も話せる、近親関係のある人に詳しい解説を求めるべきです。日本語と音韻が似ているからと日本語と同じ枠組みにしてしまうのは尚早です」と今の言語学の流れに警鐘を鳴らす。
また、未釜吉良(50・東京ニュータウンこくさい女子大教授)は、「日本語と親和性が強いが、『思い』と勘違いしやすい『おモイ』や、『友愛』と誤解しやすい『ユウアい』など、日本語と明らかに意味が異なるものがある。今後の進展には注意しなければならない」として時間をかけて考えるべきという考えを明らかにしている。
ttp://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20100309/plt1003091228001-n2.htm
民主党最大のアキレス腱になりつつある北海道教職員組合(北教組)による裏金事件。参院予算委員会で北教組の偏向教育など、数々の信じがたい実態を暴いた“ヤンキー先生”こと自民党の義家弘介参院議員(38)が夕刊フジの直撃取材に応じ、「鳩山政権は、子どもたちを犠牲にして、選挙で票を取る道を選んだ」と吠えまくった。
「偏向した考えを変えないとか、違法行為があることは許されない」。鳩山由紀夫首相は3日の予算委の中で、義家氏が突きつける資料や証言を前に、こう唸るしかなかった。
義家氏が明らかにしたのは
(1)現職教員の証言として、北教組が支援者集めのノルマを課せて組織的に民主党の選挙運動をしている
(2)勤務中に学校のFAXを使い、「日の丸、君が代反対」運動といった組合の連絡事項のやりとりをしている証拠書類
(4)「竹島は韓国領」という、政府見解と反する教育を推進する内部資料
(5)2006年、民主党の輿石東幹事長代行を支援する山梨県教職員組合幹部が政治資金規正法違反罪で略式起訴され停職処分になったのに、昨春に小学校教頭に昇進した例-などだ。
義家氏は「勤務中に組合活動するのは職務専念義務違反、教職員が政治活動をするのは教育公務員特例法違反だ。鳩山首相も違法であると認めるが、罰則規定については『検討する』というだけ。『やらない』ということだ」と批判。「子どもたちよりも、票が大事ということを認めたも同然だ」と皮肉った。
北教組問題では、民主党の小林千代美衆院議員(北海道5区)側に裏金が流れていたことが札幌地検の調べで明らかになっている。しかし義家氏は「北教組は北海道の全議員を支援していた。しかも昨年の総選挙は民主党に順風満帆で、お金がかからなかったはずの選挙。過去にもっとあったのではと思うのが自然だ」と指摘。
さらに、「これは北教組だけの問題ではない。日教組、つまり全国的に同様の問題がある」としたうえで、「現場の若い教員に聞くと、『動員などの選挙活動はせずに子どもと向き合いたいのに、組合員の上司に逆らえない』という。それに、違法であると知らないケースが多い。小沢一郎幹事長に逆らえない民主党と同じ空気だ」と話す。
今回、義家氏が明らかにしたのは、日教組問題の氷山の一角。義家氏は「民主党が、首相も違法行為と偏向教育をしていると認める団体とべったりなのは不健全だ。しかも、公金をもとにした裏金までもらっていたという。議席を金で買っているようだ。こうした人たちが法律を作り、教育という子どもの未来を形作るのは危険だ」と警鐘を鳴らし、こう続けた。
「今後も、現地調査などをして、日教組の実態を国民の前で明らかにする。さらに、日教組系議員のトップである輿石氏を、夏の参院選で自民党候補が破ることができれば、国民は目を覚ましてくれるのではないか」
地方出身者が都会の平等意識も甚だしい糞生意気なスイーツと結婚するのは危険だから絶対やめろと警鐘を鳴らしてるだけですよ!
地方出身の皆様は、結婚するなら従順で男性を立てる、農作業も家事育児も親の介護も同居も全部喜んでやってくれる生まれ故郷の女性としましょうね! 都会で嫁取りしたってロクなもんになりませんよ!
地デジ:アナログ一時停波し警鐘 政務官が検討指示
地上デジタル放送への切り替えを促すため、長谷川憲正・総務政務官はアナログ放送の一時停止の検討を指示した。デジタル対応への遅れを視聴者に認識させる荒療治として、米国でもアナログ停波を実施したことがあるが、実現には曲折がありそうだ。
地デジ対応受信機の世帯普及率は、09年9月時点で69.5%と、目標の72%を下回っている。ビル陰などの受信障害がある世帯が利用している共同受信施設(共聴施設)に限れば、地デジ対応は25.8%と、10年3月末の目標値50%の半分にとどまっている。
9日の政務三役会議で長谷川政務官が「政府のCM枠内ででも『今から10秒間、アナログ波を止めます。止まった方は地デジに非対応なので早急に変更を』と呼びかけられないか、事務方に検討してもらっている」と説明した。
石川県珠洲市では今年1月、48時間にわたってアナログ波を実験停止したが、大きなトラブルはなかった。ただ、ある放送局の広報担当者は「全国一斉では苦情が殺到するのでは」と話す。【望月麻紀】
「政府のCM枠内ででも『今から10秒間、アナログ波を止めます。止まった方は地デジに非対応なので早急に変更を』と呼びかけられないか、事務方に検討してもらっている」
そんな芸当本当に出来るの?
「ネット社会でうまく渡り歩いているうちに、人間のことが深く分かってくる」
らしい。
俺も長年ニートをしているが、引き篭もりでは無くリア充であり、
しかも、実社会のことをよく知っている。
だから、この意見は間違っていると断言できる。
と勘違いしている。
声を大にして言うが、断じて、ネットは人間社会の縮図などではない。
誤解を恐れずに言えば、ネットでは責任回避の自由度が高いため、人間の醜い部分が表面に出ている。
こういうことを言えば、
と思うかもしれない。それはそうなのだが、ネット社会の醜さはまたそれとは別種の醜さである。
言うなれば、
と言ったところか。
現実社会に見られるような、表面上の誠実さはまったくないことが多い。
と思うかもしれない。ただ、ここで言いたいのは、
「ネット社会が実社会の縮図であるかのように錯覚している人が少なからずいる」
ということだ。
しかも、ネットをガンガンやっている人だけでなく、リア充でネットもやっている人でさえ、
それはどういうノリか。
例えば、「煽り」「工作」「信者」「アンチ」「陰謀」「自演」などの概念である。
「いやいやそれはネットに限らないよ」
という反論もあるだろう。
だが、ネットではこれらの概念がとくに際だって前面に出てきているし、
独特の形で人々の思想に根付いているところがある。
現実社会でも、そうした思想を有効活用している人が散見される。
「ほんとにそんな人いるの?」
いるのである。さすがに社会人の間では割合も減るのだろうが、それでもいる。
「でも、だいたいはニートみたいに社会的に落ちこぼれた人でしょ」
いやいや。話はまだある。
ネットの良くない思想が見られることが多いからである。
そして、そのような「アンチ低俗」な人は、社会人にけっこう多いのである。
つまり、先ほど列挙した「煽り」「工作」「信者」「アンチ」「陰謀」「自演」
「ネット臭さ」を漂わせており、偏った価値観を持っているということである。
「どういうこと?」
と思うかもしれない。
一例を挙げれば、「煽り」に反応してしまう奴が嫌いなあまりに、反応してる人を見るとすぐに
「スルーしろよ」
もしここで、ピンと来なくて、
ネットなどほとんどしない人から見れば、上記のような「スルー主義」は、
極端すぎだし、神経質で、誠実さに欠ける態度に思えるということを知っておこう。
そう、「スルーしろよ」と言ってる人に限って、「スルーできていない」し、
かといって「向き合ってもいない」。
そこがスルー主義の滑稽なところであり、役に立たないところなのである。
まあ、これには異論もあるだろうが、ここではそれは大目に見てほしい。
ここで大事なのは、ネットの低俗さに対抗する「武器」がネットには用意されており、
低俗さに嫌気が差した人がこぞってその武器を身につけているという点である。
そういう仕組みで、「アンチ低俗ネット」な人もまた、所詮は「ネット臭い」のである。
「ほんとにそんなにいるの?」
こればかりはデータをとらないことには分からないが、確かに多い、
しかも増えているというのが率直な感想である。
他人の「ネット臭さ」を判断することもできない。
だから、俺のような「ネットの外側の人間」がいくら言ったところで、
「気付かない」し、それゆえ「直そうとも思わない」のである。
これはそういうものだと思ってもらうほかない。
「直す?なんでそんなこと言われないといけないの?」
と思っただろう。
いやいや。そんなふうになってしまった以上は直すの大変だろうし、
直すべきとも思わない。ただ、まだそんなふうになっていない人や、
そんなふうになりかけている人に対して、警鐘を鳴らしているだけである。
まあ、「軽度」ならいいんだが、「中程度」や「重度」になってくると、
ネットでの、卑小な感情を前面に出したノリで現実社会を生きることになり、
意義深く充実した人生からどんどん遠ざかっていく。
それだけでなく、いささか歪曲した人間観でしか人間と接することが出来なくなってしまう。
何もここでネットを完全否定したいわけではない。
ただ、
「そういうネットの側面に気をつけずに、ズブズブとネットに没入している人もいる」
と言っているだけの話である。誤解しないでほしい。
俺はネットを毎日平均で1時間はする人間だし、ネットの良い面もたくさんあると思うが、
本筋から外れるので触れていないだけのことである。
http://anond.hatelabo.jp/20100120061450
若干、セクハラの事例紹介は読んだことあるけど、実際に出くわしたことはないんで脳内戦略ですが、証拠固めをしつつ、「同じ職場で味方になってくれるヒト(まず女性から?)を増やすっていうのはどうでしょう。
表沙汰にしたときって、結局のところ「被害者と加害者のどっちがおかしいか」っていう争いになります。
「(逆恨みとか被害者の側の)個人的な事情」「ナマイキな被害者の過剰な自己主張」「困ったちゃんな被害者のほとんど妄想」てことにして、問題のある状況をセクハラとして受け入れない(=被害者が「おかしい」)方向に持っていこうとするってことは、悲しいけれど珍しくないことなんで、まずはぐうの音も出ない証拠となるような言葉を録音するのがベストですが、いい具合に証拠を残せなくても、周りの人が「元増田はセクハラ男に嫌がらせをされている」ことを事実として認めてくれればいいんですよね。
というか同じ職場の女性に相談するというオプションが出てないあたり、元増田は女性同士のつきあいが苦手か(この増田も苦手です)、今の職場がそういう雰囲気じゃないかどっちかなんだろうなと思いますが、流れを自分により有利にもっていくための営業だと思って頑張ってください。
今の状態で元増田が上司に訴えたとしたら、セクハラ男の敵は元増田一人だけど、十分な根回しして空気作っちゃえば、もう元増田個人にどうこうしてもしゃーなくなります。
あと、この先うまく元増田が「物証」がとれないまま別の職場へ移ることになっても、セクハラ男注意!って警鐘を鳴らしておくことで、他の女性も対応しやすくなるし(絡まれると面倒なんでそもそも視線合わせないとか、他の部署の子にも警鐘連打しておくとかね!)、別の犠牲者出たときの対応がより早く、よりまともになるかもしれません。
あくまで一例ですが、「最近セクハラ男に絡まれてるんですけど、あの人なんかあるんですか? 最初はスルーしてたんですけどだんだん怖くなって...」的な「相談」を持ちかけて、他の人も言われてないか、以前そういうトラブルを起こしていないか、情報収集をしつつ、「元増田がセクハラ男に絡まれて困ってるらしい」という話をじわじわと広げていく、そこからセクハラ男の振る舞いがなんかおかしいぞ?ということに周りの人に気付いてもらうっていうこともできると思います。
あと、気になったところを。
・裁判云々のやりとり
コレを言っちゃうと、女の人でも「あ~そういう対応したら...相手は逆上するわー」的なイヤな納得をしちゃう人もいるだろうから、そこは自分からは言わない方が...
もし対決モードになって向こうが「冗談のつもりだったのに裁判裁判言われてカチンと来てつい...」とかダルいこと言い出したら、「二人しかいないときに絡まれて、*本当に*怖かったんで、身を守ろうとしてそういうことを言ったかもしれません」とでも言えばいいと思います。
ツンな元増田は元記事みたいに書いてるけど、二人っきりでそんな絡まれ方して怖くないわけないんだからねッということで。
・捨て台詞
こんなことまで言われるとか元増田ほんとにカワイソス...自分だったらびっくりして泣いちゃうかも。泣いちゃったら次の日出社できない...
ですが、これは良い最終兵器だと思います。
感じ方に個人差はありますが、いままでセクハラ男の問題発言を「まあ...セクハラ男もいいところはあるから...」とか、セクハラ我慢手当てもつかないのに無理やりあるはずのない慈愛を搾り出してスルーしてきた女性でもブチ切れると思います。
最終兵器だけど、女性に対しては早めに使ってもいいかも。「世の中こういう人がいるもんなんだし、みんながスルーしてるんだからあなたもスルーしなさい」的な流れになったときに一気に突破できる可能性もそれなりに。だってこんなこと言われるのもスルーするとかありえないし。
男性には直接言わない。元増田の口から言うとそこで引かれることもあるだろうし、そういうことを平気で口にできる子=平気なんじゃね?=平気ならセクハラじゃなくね?みたいなよくわかんない方向へ流れを持って行かれる可能性もないとは言えません。「あまりにひどくて到底男の人には言えないようなことを言われた」で押し通して、手続き上どうしても事実確認が必要なときにだけ涙目で証言してください。
・「弱い」感情も出す
ひどいこと言われて平気なフリとかしなくていいです。
書きぶりから察するに、元増田は人に弱みを見せるのがイヤな子みたいなんですが、「怖かった」「傷ついた」「恥ずかしかった」とか「弱い」方向の感情も素直に出した方が「元増田から見たセクハラ男の姿」をよりリアルに伝えることができると思います。
もともとは苦手なんだろうから、意図的に「弱い」感情を盛っていくくらいの勢いで。
実際、怖かったし傷ついたから(そしてそのことによって自尊心を傷つけられたから)怒ってるわけで、いきなり切り口上で怒りを表出するより、そのモトから示したほうが、その結果である「怒り」を共有してもらいやすいです。
「弱い」感情を抑えて訴えると、されたことに対して比較的平気なように見えるのに、それと釣り合いがとれないほど怒り狂ってるように見えて、周りは意味わかんなくなって、「えーっと...要するに元増田のヒステリー??」ってことになりかねません。誇張しすぎるとまたリアリティが薄くなって「なーんだ困ったちゃんか」扱いになりかねないんで、やりすぎ注意ですが。
特に対男性だと、「怒り」から話しちゃうと「オレは悪いことしてないのになぜか自分が叱られてるような気がしてくる...いやオレは悪くないし!(逆ギレ) ひょっとしたらセクハラ男にも事情があったのかも!」ということになりやすいので、「セクハラ男に絡まれて怖いんで、タイミングが合うときだけでも見守っててくれたら助かります;;」的な、「被害者の保護者」というスタンスでかかわって欲しい...みたいな引き込み方をすると、「オレ怒られてない」「オレちゃんと信頼されてる」「オレ良い子/セクハラ男悪い子/オレ良い子なので悪い子にいじめられている良い子の元増田の側に立つ」と道筋をわかってもらいやすいかもしれません。ひょっとしたら元増田とセクハラ男に気をつけているうちに、動かぬ現場を押さえてくれるかもしれませんし。
とにかく、周りの人に「傷ついた」ことを見せるのは「元増田の負け」ではないです。ひょっとしたら納得いかないかもしれないけど、ここは肉を切らせて骨を断つということで。
あと、ここぞという時は涙目見せるとか。でもマジ泣きは困ったちゃん判定されかねないから、泣きたいときでも全力で我慢。
単純に、元増田の攻撃力&防御力を上げるためです。
よく言われますが、「声出して挨拶する」相手の範囲を広げる、名前わかってる人は名前をつけて挨拶する、目が合ったらにこっとしとくとか地道なスキル上げもチリと積もれば山。
こういうトラブルについては「被害者の側に問題がある」という解釈をなぜかしたがる人も少なくないですが、日ごろの振る舞いで少しは抑止になるんではないかと思います。「元増田に好感を持っている人が多い」雰囲気は「中途半端に元増田をdisると自分が浮く」という判断につながります。
社員vs.バイトというハンデもあるので、味方を増やすことに役立ちそうなことはとりあえず全部やっときましょう。
というわけで、本気で戦争やるならまずは証拠固め用の長時間録音型小型ICレコーダーとか証拠残すためのツールを投資買いですが、同じ物証を出すとしても、「なんの問題もないフツーの職場」からバイトがセクハラとかいきなりめんどくさいことを言い出すのと、「ダメだこのセクハラ男...早くなんとかしないと...」って空気が関係者間で共有された上で物証出るのと、処罰の重さも後々の影響も全然違うんじゃないかと思います。
職場内の人間関係に応じて、相談するべき順番とか個別適切な持ちかけ方とかいろいろあるはずなので、そのへんの見極めは慎重に...ですが。
いずれにせよ、セクハラ男を放置してたら他にも犠牲になる人が延々出続けるのは明らかですので、ムリのない範囲で落とし前をつけてあげてください。
念のため追記。
「男性vs.女性」じゃなくて、「異常者であるセクハラ男vs.まっとうな男女」の形にするのが大原則なのでお忘れなく。
他の人に打ち明けると、ひょっとしたら「男性vs.女性」にしたがる人が出てくるかもしれませんが、そっちへ行くとロクなことにならないので、最後まで頑張って流れをコントロールしてください。
その意味で、最初っから「セクハラ」という単語を出すのは得策ではないかもしれません。これこれこーいう対応をされて困っているし怖い、気持ち悪い、という話をして、相談した相手に「それってセクハラなんじゃ」と言ってもらった方がいいかも。
blogを読むときに必要なのは"どうしてだろう?"って考えること。blogを読んで何か納得するのは正しい読み方じゃない。
当該ブログは、部分的に正しいし、部分的に間違っている。特に昔話とコンピュータアーキテクチャの類には多くの異常な主張があるので(意図的かも知れない)、それを探して検証してみるのはとても勉強になると思う。
現場に関する話は、うーん、それほど悲観しないで欲しい。
ただここを読んだ若い人があまりアポロン的になってもいけないので一応警鐘。偉大な先人の多くはゲームを作るために生まれてきた訳じゃないことにもっと関心を持って欲しい。人間を形作るのはゲームづくりだけ?違うよね。
http://blog.livedoor.jp/woopy_doo-game/archives/50938887.html
アドレスレジスタが16bitしか無い様なハードウェアしか存在していませんでしたから(ファミコン、PCエンジン、みんなそうです。メガドラは違いますが)、増加するリソースへの対応が必須でありました。あのアーキテクチャは当時も我々プログラマが提言したのです。
...
呑み会に行ってもハード屋とプログラマは喧嘩ばかりでしたが、バンクアーキテクチャは我々が勝ち取ったものです。事実上無限のメモリ空間を手に入れましたからね。
メモリバンクはゲーム機固有の仕組みじゃない。というわけで、ゲームプログラマが提案したのは多分ゲームシステムにメモリバンク(バンクメモリ? Bank switching?)を導入させたこと、と、読むことにする。
でも、ファミコンを含めた初期のゲーム機、それこそAtari2600でもメモリバンクは実現されていた。これはアーキテクチャがそのように作られていたからではなく、小規模のハードウェア追加でこの仕組みは実現できるからだ。ハードウェアはカートリッジ側に内蔵されていた。ファミコンの音楽に詳しい人ならVRCとかFME、いわゆるマッパーといったチップが内蔵されていたことを知っているだろう。
これらのハードウェアの追加をプログラマが提言したというのは言い過ぎと言える。技術自体は既にあり、採用するのは非常に自然な流れだった。ハードウェアの技術者であっても反対しないだろう。32bitの(アドレスバスを持つ)CPUを導入するのに比べれば、メモリバンクのためのハードウェアはずっと容易に採用できる。
直接的なコピーは彼らにも防げていない。彼らが売っているのはマルチプレイ用のアカウントと考える方がすっきりする。MMORPGと同様に、コピーできないゲーム体験を売るという点では一定の成功を収めている。
何もブラックボックスがないDRMは機能しない。Steamでいえばブラックボックスはゲームサーバであり、PS3とかXbox360で言えばハードウェアそのものがブラックボックスになっている。
近年、若者の間で農業が熱い――といっても、本物の農業のことではない。最大手のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)であるミクシィが8月に始めた「mixiアプリ」上での話である。「mixiアプリ」とは「マイミク」と呼ばれる友達と気軽にゲームなどを遊べたり情報を共有できたりする、ミクシィ上のサービスの一つである。
その「mixiアプリ」上でもっとも人気を博しているゲームの一つが中国第2位のソーシャルゲームメーカー・Rekooが運営している「サンシャイン牧場」である。ネット上で擬似的に作物を育てることが出来たり、家畜を育てて、売ってお金を稼ぐことが出来る。その人気を支えているのが「ソーシャル機能」だ。友達の畑に害虫を入れることや収穫物を勝手に奪うことが出来る。ヘビーユーザーである増田葉手波さん(20)=大学生=は「手軽なコミュニケーションをしながら、一緒に作物を育てたりすることが出来るのが楽しい。ネットゲームには『ゼロから人間関係を作れるかな』と不安感があるが、mixi上だと手軽に始められるのがいいところ」と語る。
一方で若者の行動に詳しい櫻神大学文学部教授・産田頼経氏は「『サンシャイン牧場』上でのコミュニケーションは虫や水遣りといった開発者側で用意されたツールを介して行われている。近年、若者は一定の形式に嵌ったコミュニケーションを好む傾向が見られ、そういう若者に受けたのではないか」と分析する。その上で同氏は「近年の若者のコミュニケーションの形式化によって、人間関係の空洞化が進んでいる。お互いに虫をやり取りすることによってコミュニケーションをした気にさせるこのアプリはその傾向を強化するものではないか」と警鐘をならしている。
別の方面からもこの"異常人気"ともいえる現象に不安の声があがっている。「日本の農業を再生する会」を主催する此国憂氏は「この"擬似農業"ゲームは大した苦労がなくとも容易に金銭が稼げ、農業の実態に即していない。若者の農業認識に誤解をもたらす可能性もあるのではないか」と語る。ゲーム上では種植えから数時間放置しておくだけで作物が出来る仕組みとなっており、その中途過程にある農家の様々な努力は省かれている。
中国発のゲームに多くの若者が熱狂しているという現象に多くの人が危惧を表明しているが、その人気は衰えるところを知らない。今後どのように"擬似農業"ゲームがネット上で展開されていくのか、注目してきたい。
一部識者によると日本の国債のデフォルトは単なる可能性ではなく、だんだん現実味をおびている。日本を救うことはできるのか?
多くの投資家にとってそのような悲観的なシナリオはばかげていると感じられるかもしれない。しかし日本の経済は1990年以降、ずっと低迷している。(中略)それ以降、日本政府は巨額の景気刺激策を実施した。そしてそれが巨大な構造的財政赤字をつくり上げた。日本の国家負債はGDPの217%であり(上の表参照)、アメリカの81.2%、G20の72.5%より大きい。今後40年の間に日本の人口は20%減少し、就業年齢の人口は41%も減少すると予想されている。
もちろん、日本が深刻な問題に直面するだろうという議論には反論もたくさんある。日本の負債比率は高いが、その95%は円建てであり、国内での借金である。日本の貯蓄水準は高いので、アメリカのように中国や日本人のお世話になることはない。また日本の債券の多くは日本政府の機関や政府関連の投資主体によって保有されているので債務は二重に勘定(double count)されている。
日本の10年債の金利は1.3%に過ぎない(アメリカは3.4%)ので利払い負担は比較的小さい。リチャード・カッツによれば日本の利払い負担額は現在過去20年で最低となっている。
カッツによると「弱気筋はアルマゲドンのシナリオを唱えているが、日本が急激に危機に陥る可能性は低い。日本は1兆ドルの外貨準備があるし、貿易収支も黒字を保っている。」
しかし日本が改革できる可能性に関しては疑問の声を挟む向きもある。ハーバード大学ケネディー・スクールのウイリアム・オーバーホルトは日本のデフォルトは単なる可能性ではなく、だんだん現実味をおびつつあるとしている。彼によると「日本の負債は今後も増加することが運命づけられている。なぜなら年金の積み立て不足や市町村の財政破綻の面倒を国がみなくてはならないことは確実だからだ。」
「日本は投資家のセンチメントがこれまでの落ち着いたものから急激に悲観へと転ずる転換点にどんどん接近している。日本国債は世界経済の歴史で最大級のバブルだったということが判明する羽目になりかねない。」
ゴールドマン・サックスの山川氏は最近のレポートの中で日本の国債の金利が名目GDP成長率に比べて恒常的に高くなるリスクに警鐘を鳴らしている。これは雪だるま式に政府の利払い負担が増える結果になりかねない。民主党の景気刺激策の影響もあって日本の財政赤字はGDPの10%を超える状態が向こう3年くらい続く可能性もある。「これが財政破綻につながるリスクもある」とゴールドマンのレポートは書いている。
20年近い景気の低迷とデフレの中で日本の人口は今後かなり激しい減少を見ると予想される。(上のグラフで赤を参照)
また、就業年齢の人口の減少は全体の人口の減少より早いペースになる。
日本は伝統的に移民政策に対して抵抗感をもっているので、人口減と相まってGDP成長をねん出するのはどんどん難しくなる。
「日本政府は競争力のある産業のプロモーターという役割から負け組産業の保護者という立場にかわりつつある。」
http://gaikokukabuhiroba.blogspot.com/2009/09/blog-post_27.html
陰湿なイジメとも通ずるものを感じたよ。第三者だからそんなふうに言えるけど、その場に出くわしてみ?
怒ってることを相手に遠回しに伝えて、表面的には全然怒ってないように見せかける。じつに狡猾だ。
嫌ならメールやめればいいものを無用な親切心で相手を傷つけているかもしれないという警鐘を鳴らした
つもりなんだが、どうやら貴方にはそれが分からなかったようだ。貴方は、そういう狡猾な女性には慣れっこで
「大人の包容力」という名の「女性への迎合」をしているタイプの人間なのではないかな。
僕はそういうタイプの人間では無くて、陰湿な駆け引き無しに、きちんと誠意を持って話し合いたいの。
こっちにとってみりゃ包容力なんて、「包容力(笑)」って感じですよ。要は我慢してるってことじゃないですか。
貴方のようなタイプの人間が全てではないということを踏まえずに、「疲れる奴だなあ」ではそもそも
対話が成立しないじゃないですか。それでは貴方のほうが「疲れる奴だなあ」と言われても仕方ありません。
多分、めちゃくちゃ批判されるであろう暴論。
(=性別を知らない赤ちゃん)と初対面する場合、
「まあ可愛い赤ちゃん、女の子?」と聞くのが「マナー」らしい。
仮に「こりゃどうみても男の子じゃん」という場合でも
その価値観に基づけば「女の子」の方が「男の子」より高価値な社会、ということになる。
実際、子供を希望する若夫婦に、赤ちゃんの希望性別をヒアリングすると、
しかし、産み分けを行わない場合、つまり自然の性比にまかせた場合、
おおよそ100:105で男子優位になる。
最近は環境ホルモンの影響なのか電磁波の影響か高齢出産の影響か不詳だが、
首都圏を中心に性比が緩和されている(105⇒104)らしい。
研究者の中には、自然の性比が崩れることについて「警鐘を鳴らす」人もいるらしい。
しかし、小生に言わせれば、
「女の子希望が多いのなら、性比バランス105が104になってもいいじゃないか」と思う。
というか、104の性比であっても、「4」の男子は「結婚難民」になって社会不安に直結するので、
「社会的に望ましい性比は100:100」とすら思う。
※因みに社会不安にしない方法はもう一つあって、「男性の同性愛者を増やす」ことである。
「4」の部分が男性同士の同性愛になってくれれば、残り「100の異性愛男子」は
「無事女子にありつける」・・・「但し女性同姓愛者がゼロの場合」
で、実際に「産み分け」を実践する夫婦は、多数派にはなり得ないと思うので、
「産み分けを解禁して、女の子を希望する夫婦に女の子を授ける」ようにしても、
多分「性比は100程度に落ち着く」ので問題は少ないと思う。
いや、もっと言えば、「産み分け希望者が予想より多くなって、性比が100を割り込む」
(=女子出生優位)になっても「問題は少ない」と小生は考える。
なぜならば「東アジア全体で見れば、圧倒的に男子優位」だからである。
中国では、違法な堕胎により「女児が優先的に間引かれている」し、韓国では、
(非合法なのだが)産み分けがなされた結果「男子優位」になっている。
つまり、「男子待望論」が根強い中韓に隣り合っている日本で「女子待望論」が根強いのは、
「非常に幸運」なのである。
ずばっと言ってしまおう。
日本で産み分けを実施して、多少「女余り」になったとしても、
元増田は、被害者に非があるから叩いていい、って考えみたいだけど、
それが被害者の非かどうかなんてどこまで正確に伝わって、判断できると思うのか?
「やりコン」ってのは
そんな集まりに行く奴は分かってていったんだろ?
って例だよな?
叩いてよし、って感情や
事実をセカンドレイプだのなんだのってギャーギャー言うよりも、
被害に遭う危険行為として、認めて、絶対するな、って本人が言える(警鐘)のが一番だと思う。
だからこそ、強姦された事を叩いて当たり前、という感覚には同意できない。
何故って、強姦された被害者には、どんなケースだってされるだけの理由が必ずあるから。
その理由の如何を問わず、強姦された事実と強姦の罪は翻されない。
同意できないのとは別に、キミのような
「こういうケースは叩かれて当たり前」という人間が
ひとつひとつの感想が「これは良いものだ」という結論を元に、その理由を探しているような感想に見える。
どんなに良くしあげても、不祥事という背景がある以上絶対に賛否両論になるし、同時にそうあるべきだ。
ならば単純に考えて、番組を分析するなら「自分がどう思ったのか、どういう印象をうけたのか」を元に「自分はなぜそういう感想・印象になったのか?」という自分の感想の分析をするのが、せいぜい一番妥当な分析ラインだと思う。
感想について、映画や番組を分析したような文章に一番おおい間違いが「舞台裏を勝手に想像しだす」事だ。
キャストの信頼だとか、台本がどうだとか、綿密な打ち合わせとか、そういう所は考えても意味がない。
それは空想でしかないからだ。
「私は良い印象をうけた。それはおそらく、舞台裏での綿密な打ち合わせや台本や、キャストの信頼があるからであろう」なんて言い分は妄想でしかない。
番組構成のあり方についていうなら、不祥事の後の番組に「ふざけすぎてはいけないが、逆に真面目すぎてつまらなくするのもいけない」という所を思うのは、きっと一般的な常識を持っている人なら、誰でもそう思うんじゃないだろうか。
そもそも、不祥事の後の番組復帰を見る人は、ほとんどが「どういう様子で番組にでるんだろう? どのくらいふざけて、どのくらい真面目でいるんだろう?不祥事についてどのくらい突っ込むんだろう?」という所に、はじめっから注目しているんじゃないだろうか。
そこに注目する事はなんら特別な事ではない。みんなが思う事だ。これを身近に寄せて例えれば「誰かに怒られたり喧嘩したあと、どんな態度でいよう?ですぎるのもよくないし、ひっこみすぎるのもよくないよな」ぐらいの感じだ。
もちろん、その「ふざけ加減」「反省具合」に注目しても、そこに正解などない。
「不祥事の突っ込み具合」についても、特定の言葉が特別優れているなどと言えるはずがない。「二度目」というセリフが絶妙だ、なんていって両手をあげてベタ褒めしてるのはバカげてる。
結局グレーなものはグレーでしかない。それ以上でもそれ以下でもない。番組構成の一番の妙を褒めるなら、その「グレーさ」を、そのまま「グレー」に描いたところじゃないか。
と、辛らつに書いたが、別に妄想や、そういう個人的な感想が悪いと言いたかったわけじゃない。
この人の感想はこの人の感想であって、別にそれをなんら批判する余地などない。
オレも無造作に舞台裏を勝手に妄想してワクワクして楽しんでいるときがある。
習い事でも何でも「もういやだ」と投げ出したいときがくる。そこを乗り越えてこそなのだ。そこを乗り越えると見えなかったものが見えるようになる。少し楽しくなってくる。
はじめは強大な権力と威力によって殺害を強要された。もういやだと何度も思ったが、そこを乗り越えると新たなものが見え楽しくなってきた。ということもあるっていうのかい。
何かが上達する、わかるということは上れば上るほど段差が激しくなる階段のようなものだから。
だけど、こういう発言を言う人の中には、この原則が当てはまらない事例に対しても「乗り越える」一点張りの人もあるようなので、覚書と警鐘のつもりで書いた。
その人の本性に反していたり適性がなかったり、理由は多く考えられるだろうが、ともかく乗り越えることなど手放して早いところ「降りる」「やめる」のが最も賢明なケースを念頭に置いた。
民主党で鳩山由紀夫新代表が選出されたが、政府・与党では「原理主義の岡田克也副代表よりもくみしやすい」(自民幹部)と冷ややかな受け止めが大勢を占めた。だが、小沢一郎前代表の影響力が続くとみられるだけに、今後の国会対応などに不透明な要素も多い。「愛」を前面に打ち出す鳩山民主党に対し、次期衆院選に向け、どう対立軸を作るかも焦点になる。
[フォト]新代表に選出され一礼する鳩山由紀夫氏
「小沢体制の継続という感じもする。西松建設の違法献金事件のけじめをどう考えるのか。(鳩山氏は)大したことないように言うが、われわれは大したことだと思ってる。しっかりけじめをつけていただきたい」
鳩山氏の新代表就任を受け、自民党の細田博之幹事長は松江市内でこう述べ、今後も違法献金事件を徹底追及する考えを示した。公明党の太田昭宏代表は「体制が代わっても政治とカネの問題で、その責を免れるものではない」、河村建夫官房長官は「逃げずに正面から論戦に挑んでほしい」と注文を付けた。
森喜朗元首相は「まあ用意周到な予定通りの行程だったのかな。もう1週間代表選が長かったら結果は分からなかっただろうね。鳩山さんは小沢さんにつぶされてしまうのかな…」と冷ややかに語った。
だが、小沢氏の「影」がつきまとうことは、国会運営や選挙対策で小沢流の老(ろう)獪(かい)さが継承されることを意味する。加藤紘一元幹事長は「小沢氏の影響力が残るということはねじれ国会の困難が続くということだ。気を緩めてはならない」と警鐘を鳴らした。
一方、鳩山氏の弟である鳩山邦夫総務相は「非民主的な方法で代表を選んでしまい、みんなが『小沢パワーで代表になった』とみているのだから、兄は脱小沢で命がけで頑張ってほしい。理念や政策を共有していけるならば兄弟共闘したい」とエールを送った。
敵に歓迎されちゃいかんだろ。