「ネット社会でうまく渡り歩いているうちに、人間のことが深く分かってくる」
らしい。
俺も長年ニートをしているが、引き篭もりでは無くリア充であり、
しかも、実社会のことをよく知っている。
だから、この意見は間違っていると断言できる。
と勘違いしている。
声を大にして言うが、断じて、ネットは人間社会の縮図などではない。
誤解を恐れずに言えば、ネットでは責任回避の自由度が高いため、人間の醜い部分が表面に出ている。
こういうことを言えば、
と思うかもしれない。それはそうなのだが、ネット社会の醜さはまたそれとは別種の醜さである。
言うなれば、
と言ったところか。
現実社会に見られるような、表面上の誠実さはまったくないことが多い。
と思うかもしれない。ただ、ここで言いたいのは、
「ネット社会が実社会の縮図であるかのように錯覚している人が少なからずいる」
ということだ。
しかも、ネットをガンガンやっている人だけでなく、リア充でネットもやっている人でさえ、
それはどういうノリか。
例えば、「煽り」「工作」「信者」「アンチ」「陰謀」「自演」などの概念である。
「いやいやそれはネットに限らないよ」
という反論もあるだろう。
だが、ネットではこれらの概念がとくに際だって前面に出てきているし、
独特の形で人々の思想に根付いているところがある。
現実社会でも、そうした思想を有効活用している人が散見される。
「ほんとにそんな人いるの?」
いるのである。さすがに社会人の間では割合も減るのだろうが、それでもいる。
「でも、だいたいはニートみたいに社会的に落ちこぼれた人でしょ」
いやいや。話はまだある。
ネットの良くない思想が見られることが多いからである。
そして、そのような「アンチ低俗」な人は、社会人にけっこう多いのである。
つまり、先ほど列挙した「煽り」「工作」「信者」「アンチ」「陰謀」「自演」
「ネット臭さ」を漂わせており、偏った価値観を持っているということである。
「どういうこと?」
と思うかもしれない。
一例を挙げれば、「煽り」に反応してしまう奴が嫌いなあまりに、反応してる人を見るとすぐに
「スルーしろよ」
もしここで、ピンと来なくて、
ネットなどほとんどしない人から見れば、上記のような「スルー主義」は、
極端すぎだし、神経質で、誠実さに欠ける態度に思えるということを知っておこう。
そう、「スルーしろよ」と言ってる人に限って、「スルーできていない」し、
かといって「向き合ってもいない」。
そこがスルー主義の滑稽なところであり、役に立たないところなのである。
まあ、これには異論もあるだろうが、ここではそれは大目に見てほしい。
ここで大事なのは、ネットの低俗さに対抗する「武器」がネットには用意されており、
低俗さに嫌気が差した人がこぞってその武器を身につけているという点である。
そういう仕組みで、「アンチ低俗ネット」な人もまた、所詮は「ネット臭い」のである。
「ほんとにそんなにいるの?」
こればかりはデータをとらないことには分からないが、確かに多い、
しかも増えているというのが率直な感想である。
他人の「ネット臭さ」を判断することもできない。
だから、俺のような「ネットの外側の人間」がいくら言ったところで、
「気付かない」し、それゆえ「直そうとも思わない」のである。
これはそういうものだと思ってもらうほかない。
「直す?なんでそんなこと言われないといけないの?」
と思っただろう。
いやいや。そんなふうになってしまった以上は直すの大変だろうし、
直すべきとも思わない。ただ、まだそんなふうになっていない人や、
そんなふうになりかけている人に対して、警鐘を鳴らしているだけである。
まあ、「軽度」ならいいんだが、「中程度」や「重度」になってくると、
ネットでの、卑小な感情を前面に出したノリで現実社会を生きることになり、
意義深く充実した人生からどんどん遠ざかっていく。
それだけでなく、いささか歪曲した人間観でしか人間と接することが出来なくなってしまう。
何もここでネットを完全否定したいわけではない。
ただ、
「そういうネットの側面に気をつけずに、ズブズブとネットに没入している人もいる」
と言っているだけの話である。誤解しないでほしい。
俺はネットを毎日平均で1時間はする人間だし、ネットの良い面もたくさんあると思うが、
本筋から外れるので触れていないだけのことである。