多分、めちゃくちゃ批判されるであろう暴論。
(=性別を知らない赤ちゃん)と初対面する場合、
「まあ可愛い赤ちゃん、女の子?」と聞くのが「マナー」らしい。
仮に「こりゃどうみても男の子じゃん」という場合でも
その価値観に基づけば「女の子」の方が「男の子」より高価値な社会、ということになる。
実際、子供を希望する若夫婦に、赤ちゃんの希望性別をヒアリングすると、
しかし、産み分けを行わない場合、つまり自然の性比にまかせた場合、
おおよそ100:105で男子優位になる。
最近は環境ホルモンの影響なのか電磁波の影響か高齢出産の影響か不詳だが、
首都圏を中心に性比が緩和されている(105⇒104)らしい。
研究者の中には、自然の性比が崩れることについて「警鐘を鳴らす」人もいるらしい。
しかし、小生に言わせれば、
「女の子希望が多いのなら、性比バランス105が104になってもいいじゃないか」と思う。
というか、104の性比であっても、「4」の男子は「結婚難民」になって社会不安に直結するので、
「社会的に望ましい性比は100:100」とすら思う。
※因みに社会不安にしない方法はもう一つあって、「男性の同性愛者を増やす」ことである。
「4」の部分が男性同士の同性愛になってくれれば、残り「100の異性愛男子」は
「無事女子にありつける」・・・「但し女性同姓愛者がゼロの場合」
で、実際に「産み分け」を実践する夫婦は、多数派にはなり得ないと思うので、
「産み分けを解禁して、女の子を希望する夫婦に女の子を授ける」ようにしても、
多分「性比は100程度に落ち着く」ので問題は少ないと思う。
いや、もっと言えば、「産み分け希望者が予想より多くなって、性比が100を割り込む」
(=女子出生優位)になっても「問題は少ない」と小生は考える。
なぜならば「東アジア全体で見れば、圧倒的に男子優位」だからである。
中国では、違法な堕胎により「女児が優先的に間引かれている」し、韓国では、
(非合法なのだが)産み分けがなされた結果「男子優位」になっている。
つまり、「男子待望論」が根強い中韓に隣り合っている日本で「女子待望論」が根強いのは、
「非常に幸運」なのである。
ずばっと言ってしまおう。
日本で産み分けを実施して、多少「女余り」になったとしても、
「首都圏を中心に性比が緩和されている(105⇒104)話」についてソースきぼーん(死語) 本当だとしたら面白い。