はてなキーワード: 社会生活とは
発達障害と言われた。
失業してしばらく引きこもって生活してたら、親が心配して心療内科を進めてくれた。別に、うつでもなんでもないので、行く気もなかったが、しつこいので根負けして受診してみた。
2回目の受診。親同伴で、いろいろ生育歴とか聞かれて、その後いろいろな検査を受けた。知能検査というやつも受けた。結果はIQ120半ば。学歴から考えて妥当だと言われた。ただ、検査項目でいくつか妙に低い項目があった。(codingという検査であるのをあとで調べた)
結果、発達障害といわれた。
厳密にはアスペルガー症候群。
今後の対応で、医師が言うには、なにやらそういう人を受け入れるNPOがあるというので、そこへ入ってみてはどうかというものだった。とりあえず、そういうものなのかと思って行ってみることにした。
そこで受けた扱いは衝撃だった。知的障害や精神障害の人たちと一緒にクラッカー詰めの作業をさせられた。それで月に数千円の「給料」を貰うのだという。猫なで声で職員の人から「あらー作業早いですねー」とかいわて、答えに窮した。
失業して、それなりにきつい時に、追い打ちをかけるように障害者施設に入れられるとは(別に強制じゃないが)夢にも思わなかった。
心療内科で、それを言うと、発達障害者支援センターというのを今度は進められた。今度は行く前に色々ネットなどで情報を収集した。その結果、なにやら社会生活を送る上で重要な規則正しい生活をおくれるための訓練をする。みたいなことがかいてあった。これはやばいと感じた。ネットの書き込みを見ても明らかに職業訓練所とは違うようだった。否定的なことを書いているが、これで救われている人も多いのだろう。
いろいろ調べて、そもそも「発達障害」という概念がすごく胡散臭く感じた。こんなもの認めると人類の半分は障害者になるだろ。
こんな扱いを受けるのは嫌なので、働いたときに貯めた500万があるので、この福祉という名の「牢獄」から逃れるために海外へ行く。
死は怖い。だけど、死が怖くて夜も眠れない、なら「病」。
友達は大切。だけど、友達が大切すぎて24時間友達といなくちゃ!、なら「病」。
死が怖くなければそれはそれで異常だし、要するに、一般的に社会生活を送る上で障害が発生するなら、それは異常ということになります。死は確かに怖いものですが、怖さのあまり夜中に泣き叫び、結婚や出産をためらうとなれば、それはちょっとした異常ということになると思います。
あんまり病に「名前」をつけるのは好きではないのですが、「死」恐怖症(タナトフォビア、またはネクロフォビア)と呼ばれる病があるとする人もいるそうで。ただ、「好き」の異常が「恋愛」だとすると、異常の延長線上に日常生活を営む人もこの世にはたくさんいるわけで、まあ異常だからだめってことも全然無いんですけどね。
未だにコミュ力が戻らない。
一回行ったらスナックに連れてかれて
そういうのに対してどうにもこうにも対処ができず
しどろもどろして
いてもたってもいられず
勝手に店を出て家に帰ったことがある。
同期とはできるだけしゃべらない、あいさつも軽い会釈で
できるだけ交わりたくないと思ってしまっている、
いや、同期に関わらず万人に対してできるだけ
いつもどもって「あはは、どーも」的な上っ面の
非コミュな会話で終わらす。
気の利いたジョーク的会話もしどろもどろでぐだぐだになってしまい
たぶん傷つきたくないから
暗い部屋の中は神経をきっと研ぎ澄ます、社会生活に不必要なくらいに。
関係ないけどこの人生が報われるためにはきっと何かを
創って創って創って創りまくらなければいけないと思う。
神経を研ぎ澄まして他人とは違う何かの体験と経験とクリエイティビティで
僕だけができることをやり遂げなければいけないと思う。
うだうだぐだぐだ述べてきたが
生かさなければ魂が僕が全国100万のニートが浮かばれないってことだ。
ニート経験は想像以上に人を変えてしまうし、想像以上に後先まで苦しむことになるだろう。
だから今日もプログラミングをする。僕なりの表現手段として会社でも自宅でも
作品を創る。
初めて付き合った人がソープ嬢だったことをきっかけに、
デリヘル嬢、キャバ嬢、S嬢、AV女優と性産業の方々と数多く付き合ってきた経験を
これだけは言っておくけど、性産業で働いてる人たちは色んな理由で働いているんで
決め付けで「どうせホストにはまって借金でしょ」とか思ったり、言ったりしちゃダメですよ
風俗来てる奴にそんなこと思われたり、説教とかされたくないから!
で、金が回らなくなって、昼職からキャバ、風俗に流れてくるパターンが多いかな
ちなみに体感的にはクツ、服、ネトゲ代の為に働いてる場合が多い気がします
最近の20代前後の嬢だと、ネトゲ、ヲタ的活動費用の為って傾向がある
#そもそもなんらかの借金を返すために働いてる嬢は
嬢をしてるとバレないようにいきてるから、嬢だってわかってる人と付き合いません
だから、僕が付き合ってきた人はそういう傾向にあるのかもしれません・・・
あと何も出来ないバカだから身体を売って働いてるってわけじゃなくて、
先輩に相談したところ「クラブでナンパしろ」とのアドバイスを間に受け、
せっせと3ヶ月間ナンパしまくって、やっと口説いて、そういうことになった人がたまたまそういう人でした
最初のうちは「結構いい年齢なのに働いてないの?」とか思っていましたけど、
でも半年くらい付き合ったところで、
実は高級店のナンバー2、ソープ嬢でかつ不動産会社社長の愛人もしてて、
まー19くらいの小僧だからそういうこと聞いたら動揺しちゃって、
#ちなみに5年後に偶然再会し、和解
いまは完全に僕のカウンセラーみたいな感じで相談にのってもらってる仲です
もうどうでもいいやと軽く自暴自棄になっていた時期に
当時のバイト先の上司(ビアンの方)に紹介されてもらって出会った人で
パシリの内容は
・深夜にケーキ(本格的なヤツ)を買いに行かされる。ノーヒントで
・深夜に熱々のたこ焼きを買いに行かされる
・深夜に熱々のクレープを買いに行かされる
・深夜に高級葉巻を買いに行かされる
・台風の深夜に指定の銘柄のシャンプーを家にデリバリーしろと言われる
・むやみに呼び出されて殴られる
・とある駅に捨てられて、「いまからショートカットの女の子をナンパして、指定の喫茶店に連れてこい」
※ちなみにこれだけはガチで泣きを入れて、「この時は」勘弁してもらいましたが、後日何度もやり直しさせられました
等々のミッションをこなして、ある朝ついにご褒美にセックスさせてもらってから
やることは変わりませんが、一応彼氏っぽいポジションに置かせてもらえました
最初はホントに嫌々やってたんだけど、
いつの間にか「ミッションをこなせるオレ、すげー」という勘違いと
(※実際はどれも出来なさそうで、出来るミッションだってことにおいおい気付く)
できた時に喜んでくれてる「笑顔」(フェイク)と「ありがと」に騙されて
ただこの経験は非常にでかくて、大体の女性のワガママに対応できる能力と、
かつ先回りしてこういうことすれば喜ばれるということを学ばせてもらいました
あとナンパミッションをこなすための話術とちょっとコジャレたファッションセンスが身につきました
でも、慢心してちょっと、ほんのチョットだけ浮気したら、速攻で捨てられました・・・
結局、女性は絶対に何があろうと自分しか愛してくれない人じゃないとダメなんですよね
#ちなみに後にわかったことは、性産業に従事するワガママな娘はかなり精神状況が不安定な人が多いですけど
S嬢は圧倒的に精神的安定度が高いです。リスカとかオーバードーズとかやたら誰かと寝る心配が無かったです
そういう店にいくとすごいホームで楽しくて、
つまりS嬢と一緒に行動していたときに、そういう人達とたくさん接してて、
そういう女性が居る空気が普通になってたから、すごい自分が出せて
で、いつもS嬢につくして時のように接したりプレゼントを持っててたりすると、
最初は「大好き」とか「ホントにタイプです」、「愛してる」ってメールがきても
「はいはい、これがいわゆる営業メールでしょw」って思って流して
「営業乙wwwwまたそのうち行くから」とか返してたんだけど、
「いや本気だから」「いつ会えるの」みたいな流れになることが多くて
この時はまだ「美人局に違いねー!」「絶対ブランド買わされる」って思ってたので、
ご飯を食べにいっても、映画にいっても必ず何もせずに見送ってました
である日、とある店のオキニのデリヘル嬢とデートすることになって
待ち合わせ場所にいったら、その瞬間に嬢に告白されて
そのまま流されて彼女の家に行ってセックスして付き合うことになりました。
(この段階ではお店以外でのセックスはソープ嬢、S嬢につぐ3人目でした。ある意味、素人童貞。)
一言でいうと、かなりの精神的負担でした。ホントに当時は辛かったです。
この嬢は一見、かなりおとなしめで、美人かつ黒髪で遊んでる風はなく
(※2ちゃんでも一回は必ず入れって書かれてた)
付き合いだした時はそんな娘と「ただでセックスできるwww」って思ってましたけど
あと清楚、黒髪、マジメってのは営業モードの時だけで、
特に束縛がヤバい
まずスーパーメール攻勢。いつでもどこでもメールが来て、内容はたわいもないことなんですけど
返さないと、次は電話攻撃です。いつでもどこでもかかってきて、
バイト中でも、友達と遊んでる時でも、授業中でも、映画を見てる時でも
バンバン電話がかかってきて、でないと「他の女と会ってるんでしょ!」って怒られて
「は?いい加減にしろよ」っていうと「別れる」「付き合わなければよかった」「死ぬ」のコンボをくらってました
で、これに対応出来るように順応しちゃったうと、いわゆる今までは待機所にいるときor家にいるときだけの連絡だったのが
仕事する寸前、つまりは呼ばれたラブホの部屋に入る前とか、お客さんの隙をみてメールするようになって
「いまから知らない男に抱かれます」「マジ、オッサンきもい」等の欝メール、欝電話を毎日くらうようになりました。。。
かつ仕事の日は100%、終わった後にデートです。だいたい深夜12時過ぎに、遅い日は3、4時から朝まで遊んでお泊りして、
こっちは一瞬寝て、学校行ったり、仕事いったりして、向こうは昼過ぎに起きて仕事いって、メール、電話、その後デートのループです
ときに酔って、殴られたりして・・・
毎日、毎日「これから知らない男に抱かれる」「客、キモイ」って話を聞いて、なだめて、
ある日「オレなにやってんだ?」って思って、
あと、心のどこかでやっぱり蔑んでてて
って言っちゃたんだよね
これで終わり。ここで大げんかして終わり。
その後もなんとかく、関係は続けたけど、もう修復は不能でした
その後、三ヶ月間軽く、欝&体調不良で入退院を繰り返しました。
また同じこと何度も繰り返して
まー色んな色恋もあって、包丁で刺されたり
付き合ったり、一緒に住んだり、結婚したり、子どもできたり、別れたり
今までトータルで10人以上のそういう人と付き合ったんだけど、
(※正直、性産業以外の人とは1人以外付き合ったことがないです)
ふと最近
これだけは言っとこってことがでてきました
だから優しくしてあげてください。
お前のこぎたねー要望とか一方的な思いを全部受け止めてんだぞ
嫌がることはするな、言うな
その時間以外は仕事じゃないんで、「オレと付き合え」とか「オレが一番いいだろ」とか
そんなメール送らないでください、もうねそんなメール、山ほど見せられたから
そんなこと書いて、付き合えると思ってんのか?馬鹿なのか?
お前の恥ずかしいメールは必ず見られてます。お店のスタッフとか、嬢仲間とか彼氏に
だからアホなことは書くな
あとネットによくある情報商材の、嬢と付き合う方法みたいなヤツを試しても効かないから
もうわかってるから、わかってて時間内は付き合ってあげてるんだから
そういう社会生活の中で吐き出せない汚れを受け止めてるんですよ、
そういうこと言ったり、思ったり、やったりするとちょっとはストレス発散するでしょ
そのカウンセリングは誰かがやってるんだぞ、お前から受けたことを違う方法で投げ返されてんだぞ
勘違い乙w
マジレスするとキャバでも風俗でも20、30万使って同伴・アフター以外の普通のデート、
ご飯食べて、映画見て、イイ感じなってみたいなデートが出来ない場合は、それは諦めろ
絶対にその後は無い。お客から彼氏に昇格できるケースが超稀だから。
体験的に1、2回目で向こうからそういうアプローチがない場合はないです
これでもわからないとウザい客でも、金を落とす人はお客様だからマジ、絞りとられるぞ
「最近出勤してないから、緊張しちゃって、だから〇〇さんに来て欲しいな」
とか
「今度お店にきたら〇〇さんの為に、今度ケーキ(クッキー)焼いて持ってきてあげるね」
とか
死んだ目でこういうテンプレメール書いてるから、これにマジ釣られてるのを
横で毎日見てたから
だからもう諦めろ。諦めて、一瞬を楽しみなさい。
本気で狙えるのは、1、2回目のみだから何度も書くけど
それでダメだったら、おとなしくオキニ嬢の一人として遊びなさい
スタッフみてるし、嬢みてるし、マジ、誰かわかるぞ
「お母さんに見られてもいい!」ってぐらいの覚悟で書いてくれ
「オレは」「オレは」みたいな発言はみてるこっちが恥ずかしくなるから・・・
ホントに止めて
最後に、何度も書くけど情報商材とかマニュアルみても付き合えないから
試さないでくれ、そういう話を聞かされると男として恥ずかしくなる・・・
僕も高校までずっと男子校でそういうマニュアルを鵜呑みにしちゃう気持ちわかるから
だから、やめてくれ
あ、「そんな仕事、やめろよ!」問題について書いてなかった
でも寝よう
なんとなくその原因もわかる気がして、それは綱渡りの競争で勝者にならなければならない義務感が全面化していることなのではないかということだ。
職場はもちろん、親、兄弟姉妹、配偶者、恋人、友人、あらゆる人間関係で安心できる場所が少ない。
もちろん、子供でもない限り「無条件に自分自身を受け入れてくれる場所」なんていうものが誰にでも用意されているわけではないのは当り前だけど、
今の日本の社会って「失敗できない」という感覚が強過ぎやしないだろうか?
「あいつは使えない。使えないやつとはつるまない方がいい。いつ自分の評判に響くかわからない」。
実際、中学生あたりの年頃に、いじめる側にまわるかいじめられる側になるのか戦々恐々とする構造とあまり変わらない。
裏で働いているのは利害関係の論理で、この利害の理屈があらゆるところに顔を出している。
でも、個人的な関係まで悪化するかはともかくとして、ビジネスの場ではある程度それは仕方の無いのことだ。
しかし、恋愛関係が損得勘定なのは珍しくないとしても、親兄弟や利害が無いはずの友人関係までもが損得で勘定されかねない今の状況はどうなんだろうか。
いけてるやつとつき合いのあるいけてる自分、いけてないやつとつき合っているいけてない自分。
そして、自分は自分の友人や親兄弟や恋人から見て、いけてるのかいけてないのか?
あるいは実際はそういうわけでもないのかもしれない。
親兄弟・友人同士の関係における損得勘定感覚、利害の論理はもしかするとそれほど前面化しているわけではないのかもしれない。
だけど、ここで重要なのは「そう感じられる」ということだ。不信の種にはそれだけで十分だ。
社会生活を送るにあたって「失敗できない」という緊張を延々と強いられたらどうなるだろう?
誰に対しても「へまをすれば自分は徹底的に見捨てられる。だから決してミスをしてはいけない。この綱を踏み外してはいけない」
という強迫観念を持って日々を生きなければならないとしたらどうなるだろう?
そして、失敗してしまった人間が「自分はへまをしてしまった。綱から落ちてしまった。だから自分は見捨てられても仕方ない存在だ」
と感じているとしたらしたらどうだろうか?
恐れる人間は当然のようにその恐れの原因である自分の物差しを、そのまま他人を評価する物差しとして使う。
この場合「へまをしないようにそこに精力を傾けて努力している私は、へまをした人間を切り捨ててもいいのだ」という感覚だ。
こうして実感された全方向における関係性の「綱渡り感」は社会的現実になり、再生産され、綱から落ちた者への容赦ない冷笑・蔑視・罵倒は正当化される。
とにかく明るく元気で前向きにいることが義務づけられているこの空気の中、
少しでも気鬱な表情を見せれば途端に敗者の匂いが漂い、それだけであらゆる場面で敬遠の対象になってしまう。
今までの日本社会ならば、失敗したとしても、明るく元気で前向きにいることが可能だった。
社会全体が経済的な繁栄を享受する中で一度二度つまづいたとしても、もう一度立ち上がってライフコースを再構築するくらい日本社会の路は太く安定していたからだ。
「なあになんとかなるさ。死ぬわけじゃあるまい。人が人でなくなるわけがあるまい」が現実だったのだ。
だけど、今や日本社会の路は一本の綱になってしまった。誰かがどこかで失敗することは避けられない。
そんな社会で私たちは「一度躓いたら徹底的に孤立する」という「綱渡り感」から逃げられない。
「みんながやっている綱渡りなんだ。敗者が孤立するのは当然だ」という声があらゆるところから聞こえる。
でも果たして本当にそうなんだろうか?本当に失敗した人間は孤立しなければならないんだろうか?
目の前の路は、落ちたらまっさかさまに孤立へと落ちる、一本の綱なんだろうか?
実は、目の前の路を「綱渡り」にしているのは僕たち自身なのではないだろうか?
僕の弟は今大学4年生で、本命ではないけれども、某企業から内定を頂いている。だけど本人はひどく落ち込んでいるようだ。
大企業へ就職する者が多いという周りの友人に比べた時、弟は、既に失敗している、綱から落ちてしまった、という思いがするのだそうだ。
驚いたことに、留年してもう一度本命の企業(某広告代理店)に挑戦したいと言い出す始末。正気の沙汰とは思えない。
挙句の果てに、弟は僕に対しても卑屈な態度をとるようになってしまった。
僕の会社は弟の内定先よりもはるかに知名度の低い会社だというのに、だ。そんな弟を見るのは軽くショックだった。
だけど、自分の周りを見てみても、もしかしたらそういう感覚は、この日本社会ではもう当り前なのかもしれないと思うようになった。
共に氷河期の就職戦線を生き残った大学時代の友人が、弟とまったく同じ卑屈な態度をしていたからだ。
失業をきっかけに鬱になってしまった彼の元を彼の妻は去っていった。幸か不幸か彼らには子供はいなかった。
そして友人は変わった。ひどく自分を卑下し、まるで「まともな人達」と同じ場所で生きていること自体が申し訳ないことかのように振る舞うようになった。
彼の失業や離婚に心を痛める人間は世界で彼ひとりしかおらず、他の誰一人として彼の心痛を共有できるものはいないかのような物言いをするようになってしまった。
氷河期世代の割に比較的のんきに生きてきた僕は、今とても恐ろしくなっている。
今まで考えたこともなかったけれども、もし僕が会社から解雇を告げられたら、あの卑屈な表情を僕に向けてきた弟や友人は僕を嘲るだろうか。
僕の恋人は負け犬を見る様な目で僕を見て、そして僕から離れていくだろうか。何より僕はそんな態度をとり始めた周りの人間を恨まずにいられるだろうか。
人生の苦しい状況で、支え合うことよりも、蜘蛛の糸を奪い合った亡者達と同じように蹴落とし合うことを選び、
ひたすら損得と利害だけで行動するような餓鬼の如きなにかに成り果ててしまうのだろうか。
綱の下に広がる網は、綱の上を歩いている時にははっきりと見えるけれど、一度綱から足を踏み外した瞬間に消えてしまうのかもしれない。
なんという恐ろしさ。徹底的に孤立するから綱から足を踏み外せない、でも誰かは足を踏み外さなければならない。
ならば蹴落とす、自分が落ちない為に。落ちたやつには目もくれない。
こんな緊張があらゆる人間関係で全面化してしまったら、そりゃ狂うわ。
綱をうまく渡れている時でも生きている心地がしないもの。
「もし、お前の一番の希望が通らなかったとしても、その時は僕がどこかにコネをつけてやるから。そのくらいはなんとかなるから。だから後悔の無い様に思いっきって挑戦してください」と。
そして、友人にはこうメールする。「元気?お前が暇なうちに久しぶりにまたオールナイトでも見に行こうぜ」。
彼女にもメールを送る。「お仕事おつかれさん。今度、温泉でも行っておいしいごはんでも食べて一日中ぼーっとしてゆっくりしよう」。
多分、会社の同僚にも送るだろう。今はもうあんまり顔を合わせなくなった大学時代の友人や高校時代の友人にも。父と母にも送ろう。
少なくとも、僕にできる部分だけでも常に網を張っておこうと思う。
きっと今は、そういうひとりを思いつめさせないように気遣う努力がひとりひとりにとって必要な時代なんだと思う。
そうじゃなきゃ、みんな悲惨な気分を内に秘めて、そして隠しきれずに卑屈な顔をしながら生きていかなければならなくなってしまう。
いいことがあれば共に喜び、わるいことがあったら共に悲しみ、そしてまた再スタートを切ることをお互いに後押しし合わなければダメなんだと思う。
これだけ厳しい時代なんだから、経済的な意味でも、人間的な意味でも、そのくらいのことができなければ、僕たちは人間でなくなってしまう。
タイトルをつけてみました。本当に世知辛い世の中ですよね。義理人情、僕は余り義理というやつが好きではないのですが、人情が廃ればこの世は終りだ、と実感するようになりました。
第一章 総則
(目的)
第一条 この法律は、我が国の人口減少が国民経済の発展、社会生活の安定に対し深刻な影響を与えている状況にかんがみ、少子化対策の推進に関し、妊娠促進行為を一時的に義務化することにより、我が国の人口増大を図り、もって現在及び将来の国民の健康で文化的な生活の確保に寄与することを目的とする。
(定義)
第二条 この法律において「妊娠促進行為」とは、性交において子宮内で射精することをいう。
2 この法律において「妊娠回避行為」とは、性交においてコンドーム・ピルなどの避妊具避妊薬を用い、あるいは子宮外で射精するなど妊娠しないようにする行為のことをいう。
第二章 少子化対策の促進
第三条 二十歳以上四十五歳未満の者は、十二月二十四日十八時より十二月二十五日六時の間、妊娠促進行為を行わなければならない。
第三章 罰則
第四条 正当な理由なく第三条第一項の規定に違反した者は、六月以下の懲役又は禁錮に処する。
2 正当な理由なく第三条第二項の規定に違反した者は、六月以下の懲役又は禁錮に処する。
附則
(施行期日)
2 この法律は、施行の日から起算して一年を経過した日に、その効力を失う。
救国法案?
臨時国会終盤の懸案であった「クリスマスは子供を作る機会法(クリ子機法、子作り法)」成立をもって、波乱の国会は閉幕することとなった。
子作り法とは(略)。
暗雲
当初、子作り法は社民・共産両党の「個人のプライバシーに対する国家権力の干渉」(福島瑞穂社民党党首)「前代未聞の悪法」(市田忠義共産党書記局長)といった反対にもかかわらず、民主党執行部は、対象年齢・行為を限定し個人への干渉を最小限にとどめ範囲を明確にすることで野党と合意できると、成立に楽観的な見通しを持っていた。
ところが臨時国会開会直後、連立を組む国民新党の亀井静香代表が「この厳しい経済状況の中、中小企業で頑張っておられる皆さんにこのような義務を課するには、まず我々国会議員自らが率先して義務を果たすべきではないか」と発言、成立に暗雲が立ち込めたかに見えた。しかし国民新党関係者は「あれは代表一流の芝居。法案成立には自民党の協力が必要であり、自民党内の声をあえて代弁してぶち上げたまで」という。
実際、今夏の参院選挙前後から、民主党と自民党・公明党の間で水面下の交渉が続けられていた。3党は大枠では一致していたが、自民党役員会は「国会議員こそ国民の範たるべき」「年齢で対象を限定するのではなく、男性は性交可能かどうか、女性は妊娠可能かどうかをもとに能力で対象を限定するほうが科学的」と紛糾、公明党も「支持母体の婦人部が怖い」(公明党幹部)と障害は少なくなかったが、岡田克也民主党幹事長は「このような重要法案には与野党の幅広い支持が必要」と、粘り強く交渉が重ねられた。
民主党関係者によれば、「ネックは前法務大臣だった」という。「国民生活に深くかかわる重要法案なのに、法務大臣が閉経後の女性だとなっては、内閣がもたない。代表選挙後の改造で交代してもらい、43歳の蓮舫大臣が表に立てば、なんとかなる」「そもそも高齢な男性議員が少なくなく、妊娠可能な女性議員がどの程度いるかどうかさえ不明なのに、国会議員に妊娠促進行為を義務付けるのは意味がない」と妥協が図られた。
30日に民・自・公の3党は「各大臣は国民の範たるべく妊娠促進行為を率先して行う」ことで法案には明記しないものの合意、岡崎トミ子国家公安委員長は天皇誕生日前に一旦解任、首相が一週間程度兼任することで乗り切る見通しで、最終的にはみんな・立ち上がれ・改革の各党も賛成、衆参で可決成立される運びとなった。
消えない不協和音
法案成立を受けて、仙谷官房長官は定例記者会見で「まずは日本復活のための第一歩」と位置づけ、「女性と縁遠い、なんと言うのですか、若い人の間で非モテと言うそうですが、そういう方々にも福音となるはず」と自画自賛。菅総理大臣もぶら下がり取材に「少子化対策の特効薬」と胸を張った。
他方、民主党内部では依然として異論がくすぶっている。とくに各大臣も妊娠促進行為を行うという3党合意については「ドガチャガで総理も若い女性とやりたいだけ」「どうせ『あほたれ』だ」(小沢グループ若手)という声も聞かれる。しかし、党内の不協和音も「学生運動を知らない世代の妄言。女のためならもっとえげつなくなるのが革命の闘士で、こんなものじゃない」(政府高官)と相手にされていない。
対象の議員の反応は?
衆参両院には、同法が対象とする「二十歳以上四十五歳未満」の議員も少なくない。蓮舫大臣は「クリスマスイブは?」との記者の質問に対し「2番手の精子ではダメ」と事業仕分けとは逆方針を表明、しかし「どれが1番でどれが2番かは、大臣として答える立場にない」と弊紙若手記者に微笑みつつ、中身については明言を避けた。
自民党の小泉進次郎衆議院議員は「法によって定められた国民の義務を、しっかり果たすまでです」とコメントし、「今年だけの法律ではありますが、さらに来年、再来年と更新することで、少子化に歯止めをかけることができれば」としている。
一方、民主党の三宅雪子衆議院議員は3月に45歳となり、子作り法の対象から外れている。「腰の怪我を手術をしたところですし、仮に対象年齢でもできません。残念」とツイートした。
小泉純一郎元首相のコメント「議員を引退するんじゃなかったなあ。面白いことができたかもしれないのに、残念だよ。私が首相在任中、『妊娠促進行為』ができなくてね。夢精の日々が懐かしいな。菅首相もそのつもりで日本のために頑張ってもらいたい」
なぜ交換するのかというと、社会生活の価値の創造を専業・分業で行ったほうが、
自分一人ですべての価値を創造するよりも無駄が少なく、1人あたりの価値がより創造できるからである
=効率が上がる。
誰と交換するかは、各個人の自由である。
価値交換の1つとして、商品の購入で言うと、
その時、市場で「勝ち」の製品を買っておけば、持っている他の人間の情報が得られ、
今後ともサービスが継続されるだろうと予想できる点で有利である。
いわゆる「勝ち馬に乗る」状態である。
経済合理性で考えて楽で安全であるので、「勝ち」の商品・組織と交換する人間が増え、
その組織は、より多くの人間と、より多くの価値と交換することが可能となる。
人と人との関係においても同じ事が言える。
「この人に同じインタビューしたらどうなるかな?」
「答えてくれているじゃないですか」
「もっとじっくりと」
「それは難しいでしょうね」
「なんで?」
「途中から答えるのが億劫になってくるんじゃないですか」
「え?なんでよ?」
「だって、かなり回りくどい説明をしないといけませんから」
「どういう意味?」
「それはいいとして、この方は生きる目的が無いと答えられてますね」
「そうだね」
「あなたはありますか?生きる目的とか、生きる楽しみとか生き甲斐とか」
「あるよ!!たくさんありすぎて答えきれないぐらい!今こうやって話してるのも楽しいし」
「そうですか。それはよかった」
「うん」
「彼には、生きる理由とか目的とかはなく、ただ漠然と生きていたいそうです」
「なんでだろうね。死ぬのが怖いのかな?」
「そりゃ怖いでしょう」
「そうかな?死ぬのってそんなに怖い?」
「私は怖いです。死そのものよりも死ぬ事によって起こるごたごたが特に」
「じゃあ死ぬ事は怖くないの?」
「死ぬ事ですか」
「そう、さっき言った死そのものは怖くないの?」
「死そのものですか。」
「そう。やっぱりこわい?」
「正直なところ、死そのものについてはわかりません。概念としての死はわかりますが、それが怖いかというと、なんとも言えないですね。わからない怖さというのはありますが、わからないから死にたくないというような事はありません。それよりも死につきまとうごたごたの方が怖いです。」
「…えーっとじゃあ、死んだら人生終わっちゃうよ?それは怖くない?」
「それは怖くないです」
「あ…そうだったね」
「話を戻しましようか。」
「うん」
「彼は何のために生きているかという問答を用いてますね」
「そうだね。答えは出なかったみたいだけどね」
「出ていますよ」
「どこ?」
「生きるために生きる」
「あー生き甲斐は?っていうところか」
「そうです」
「生きるために生きるって、どういう事?」
「生きる事そのものが目的だということです。」
「んーわっっかりにくい」
「なに?」
「何故山に登るのですか?」
「そこに山があるから!!」
「それと同じです」
「どこが!」
「説明します」
「お、おねがいします」
「私たちは生まれ落ちました。そこには人生が広がっております。だったら生きてみようじゃないか。登山家は山があるから山に登るなんて答えましたけど、その真意もいろいろ言われております。この言葉、つまり山に登る事に目的はないのです。山に登りたいから登るのです。同様に、彼は生きたいから生きる。生きる目的は生きる事であり、生き甲斐は生きる事。登山家と同じでしょう?」
「同じ?チガくない?」
「どこがですか」
「だって、登山家は山に登りたいんでしょ?」
「はい」
「山に登らなくてもいいのに、山に登りたいから登るんでしょ?」
「はい」
「この人は、生きなくてもいいのに、生きたいから生きるの?」
「ではないでしょうか」
「違うでしょ!だって、人は自分の意思で生まれないよ?」
「はい」
「だったら強制的に人生をスタートさせられて、さあその後は任せるって卑怯じゃん?」
「そうですね」
「登山家だったら山のふもとまで運ばれて、登るか飛び降りるか選べって言われてるようなもんじゃん?そうなればもう登るしかないよね?」
「それは怖いし」
「じゃあ登ればいいじゃないですか」
「登るしかない。登りたくなくても!」
「でも、彼は登りたいみたいですよ」
「彼って、登山の話してないじゃん」
「彼は、生きたいという意思を持っているそうです。」
「君とは違うね」
「はい」
「生きるのは状態じゃなかったの?」
「状態です」
「この場合は?」
「この場合は、彼は生きたいという意思を持っている。生きる事を目的としている。生きるために生きている。つまり、生きる事に能動的であり、積極的であることがわかります。」
「前向きってこと?」
「前向きかどうかはわかりません」
「じゃあどういうこと?」
「私が生きるという事は、言うなれば受動的です。」
「受け身で生きてるってこと?」
「はい」
「生かされてるの?」
「ある意味でそうです。」
「誰に?」
「私自身にです。」
「はい。」
「ごめん、説明して」
「はい。私の体は全てが私の考えの元に動いているわけではありません。脳の信号が命令をしているには変わりないですが、私の思考からくる意思により、私は腹が減るわけでも心臓を動かすわけでもありません」
「体が勝手にやってくれるよね」
「それです。」
「だから、自分に生かされてるってこと?」
「はい。私の意思とは関わらずに」
「じゃあ、意識的に生きる、意図的に生きるっていう彼の発想はどういうこと?」
「能動的に生きるということですか?」
「そうそう、そんな感じ」
「もしかすると、彼は生命の危機を少なくとも感じているのかもしれません」
「そうなの?」
「わかりません。しかし、例えば、目の前に死が迫っていて、生き残る事が出来る方法があったとします」
「うん」
「この場合、生きたければ、生き残る選択をしますよね?」
「そうだね」
「これが能動的に生きるということです。」
「じゃあ彼は死にかかっているのかな?」
「わかりません。しかし彼は、生きる事は大変で難しいと言っています」
「それは違うでしょ?」
「どう違いますか」
「意味が違うよ。生きるか死ぬかって究極のところもあるけど、それよりさ、普通に生きるのって結構大変じゃない?めんどくさいこととか嫌なこととかいっぱいあるし、そういう事を言ってるんじゃないの?」
「真っ当に社会生活を営むのは、私のようにただ生きているだけとは違い、あらゆる困難を生じるということですか」
「そう!あんたは社会のクズ!そんなのと一緒にしないでくれる?」
「つまり、困難な社会生活を営むためには、強い意思が必要だということですね」
「そう!あんたみたいにダラダラしてたら過ぎていくような甘いもんじゃないの!」
「そういうことです」
「そうそう、そういうこと!って何が?」
「生きるために生きるとは、そういうことです。」
「…どういうこと?」
「人それぞれ、生きる水準というものがあります。頑張らないと生きていけないような、水準を高く置いている人もいれば、私のようにただ生きているだけを生きるという水準に置いている人もいます。彼の場合はどの水準にあるのかわかりませんが、少なくとも彼にとって生きることが大変で難しくあるということは、それは私のようなただの状態ではなく、目的となりうるのです。」
「生活水準とか?高く設定していると維持するの大変だよね」
「そうです。それです。」
おまえも代表すんなよ。おまえさんが「病気」だと思い俺は「個性」と呼べるとこまでコントロールしてこうぜ!と言う。
こりゃどう見てもフィフティ・フィフティじゃないかね。
器質性・遺伝性の障害は「病気」と「特性」の線引きが医学的に非常に難しくて、
例えば例に出したチンコが二本あるのは病気か?障害か?個性か?みたいな話になるんだけれども。
それはつまるところ、個人が社会とどの程度折り合えているか、どう捉えているかってことでしかない。
精神病の定義も「社会性」を抜きにしては語れない。つまり、躁鬱だろうが鬱だろーがなんだろうが、
社会生活を営む上で問題が発生していないならば、それは「病気」じゃないんだよな。定義の仕方次第だけど、現在は。
だから俺は苦しいのなんだの言わないで、社会に適応してけよ。と言ってるわけでして。
そこまでやってやっと「個性」じゃね?俺だって個性と呼べることまで達してるか自信ないよ。
ただ、治らない病気を抱えた上でそれを病気として認識して生きるのはしんどいっつー話。
そーうつは上手いことコントロールすれば社会とてきとうにやってけることが多い病気なので、
じゃあ、そこまで頑張って「個性(キリィ!」と言い張ってこうぜ、みたいな話。
少なくとも、あんたみたいにグチャグチャやるよかよっぽど前向きで、社会にメーワクもかけない。
基本、躁鬱に限らず精神がアレな人なんてフツーに生きてりゃ社会のゴミ虫なわけですよ。
なんとか折りあって世間様に迷惑をかけないよう、健常者に迷惑をかけないようやってかなきゃならん。
そうやって上手いことやった上で、「個性」と言い張ってみようぜ!と俺は思うね。
だって、病気だって言ったって誰も理解なんかしてくれないよ。だーれも俺らに興味なんかないし、救いの手もこないからね。
自分で生きるしかないんだから、病気だのなんだの言ったって仕方ないでしょ。お金が下りるわけでもなし。
「病人」から「そういう人」レベルまで頑張ってたどり着こうぜ、みたいな。
チンコが二本あろうが腕が6本あろうが、その人が社会から見てふつーに生きてればそれは「そーいう人」。躁鬱もそうだと俺は思うよ。だから、手を尽くしてわりと社会からふつーに見えるように生きようぜ、個性と言い張れるとこまで叩き上げようぜ、と思う。苦しいの辛いの連呼するメンヘラは、同じメンヘラの俺から見てもどーしようもない。
そういう状況で生まれついてしまったり、なってしまったりしたんだから。それはもー、なんとかするしかないんですよ。
わけもなく辛く苦しく泣いてる病人のまま生きるのかと。アホかと。
生命の目的が子孫を残すことだ、っていうのは実はちょっとおかしな話なんだよね。
だって、じゃあ自己複製型の増殖をする生命は『子孫』を残すんだろうか。生物のスタートラインはむしろこっちだったはずで、
自己のコピーが際限なく継続することを「子孫を残す」とはちょっと言わないよね。
その過程の中で「無性生殖は遺伝子のヴァリーエションに乏しいんだよな」っつーことで有性生殖が出て来た。
自己の反復・継続が主目的だった生命がある程度自己を捨て去って多様性にシフトしてる。
この時点で「あれー、生命ってなにしたいねん?」って話に普通はなる。だって、幾ら遺伝子の一部が残るとしても
それは自己じゃない。単性生殖生命は明らかに自己の保存を重要視してる。
そこで、不意に母性の話なんだけれども。
最近の研究で「母性本能」っていうのは神話に過ぎないことがわかっている。
ちょっと面倒な言葉を使うと「遺伝由来ではない」じぇねりっくえんどうめんとじゃないんだよね。
あれは、高等な生物(サル以上くらい)に於いては社会生活によって形成されるもので、遺伝子上からはデリートされてる。
社会由来の生態なんだ。人間にしてももちろんそうで、実は人間にアプリオリな母性本能なんてものはない。
教えてもらわなきゃわからないことなんだ。
そういうわけで、「子孫繁栄」ってのは人類にとって生物としての要請ではなく
「社会的要請」なんだ。固体の要求ではなく、社会的存在としての人類が要求しているってこと。
だから、「子孫を残す」ことは生物としての勝ち負けではなくむしろ人類としての勝ち負けなんだ。
子孫を残したいという欲求は、本能ではなくむしろ制度に近い。ディシプリンという奴だ。
生物学という神話と結びついて強固化された制度に過ぎない。「直観的」とどっかの増田は言ってるけど、それは先験的なものでは全くなくモダン以前の人類史によって形作られた制度なんだ。どっかのハゲたホモがそう言ってた通り。
しかし、最近になって人類は増え過ぎた。地球のキャパを越えて増え過ぎる我々は社会的要請より「多過ぎるわボケ」って
ことに問題を感じたりすることもある。まぁ、わが国は少子化なんだけれども。
要するに、人間の生存に「個体数」が大きな影響を及ぼさなくなってきてるんだ。少なくとも、先進国の中では。
では、元来が社会的要請であった「子孫を残す」もっといえば「殖える」っていうは、現在になってそれほど大きな要請じゃない。
子供作んなきゃ全滅しちゃうよ!誰が畑を耕して獲物を狩るんだよ!なんてコミュニティはあんまりない。
なにが言いたいって全ての生命を貫く大きな目的論なんてないんだよね。
もちろん、ガイア仮説からさらに引っ張った「人類は地球の精子だ、人類は宇宙に出て行く生殖細胞だ、地球は大きな精子バンクだ」みたいなトンデモ仮説を出すことは出来るんだけど。生命の目的論なんてのは結局確定できない。誰に聞いてもわからない。
そういうわけで、もっとずーっと階層を落として考えると、生命の「目的」というか明らかに共通する「目標」みたいなものはある。
それは欲求の充足ってこと。メシを食うとか性欲を満たすとか(≠生殖。同性もオナニーもアリ)そういうこと。こればっかりはどんな生物もあんまり関係なくある。もっと高い階層の欲求、社会的な欲求も含めて。
これをカッキリ満たした人が勝ち組なんじゃないかなぁ、生物学的に考えて、と俺は思う。だって、これくらいしか生命の共通する価値原則ってないんだから。だから、美味しいもの食べて楽しく生きて満足して死ねば勝ち組だよ、生物学的に考えて。
まとめ。
・「子孫を残す」っていうのは生物学的な要請ではなく人類史的な社会的要請だよ。
・社会的要請っていうけど、それはちょっと古い時代のことで現在ではそんなに要請されてないよ。
俺の頭の中を開けて分析でもしてください。説明出来たら説明してる。
どうやら順を追って話すっていうことが出来ないらしい、父親にそう言われた。話が根拠もなく突然飛んだり断定的になったりするって。確かにそうだ。
根拠って言われても困るんだよね。俺の頭の中ではもう筋道立ってるわけだから。それをただアウトプットしてるわけで、経緯は消えちゃってるんだよ。
あと、文章だからまだいいけど、口頭で俺と話せば99%の人(これも非論理的な経緯で断定しましたw)は「ポカーン」となるよ。
その反応が嫌で嫌でたまらないから、当たり障りのないことしかしゃべれなくなって社会生活無理w「今日はいい天気ですね」「昨日はずっとネットしてました」程度のことしか言えないからw
それ以上踏み込むと俺の意味不明ゾーンに入って相手が不愉快になっていくのが分かるからね。
ちなみに俺の話が意味不明と言われる理由の一つは非論理的なとびとびの話であるということと、まず根拠のない(本当はあるけど)断定から入るということと、
言葉づかいに原因があるらしいということは分かった。意識しても出てこないけど、話してると結構他人には理解出来ない言葉がぽんぽん出てくる。理解出来ないというか、「その部分で使うことは普通ありえない」単語を「普通使わない、使ってはいけない意味で」使うかららしい。
意識して抑えてるけど、推敲が出来ない口頭だとかなり出てくる。
まぁそんな話です。別に誰に言ってるわけでもないけどひとり言。どうせ誰も聞いてないんだから。
>ていうかよく読んで気付いたけどそもそもさ、仮面ひきこもりって何?
>…じゃこんなチェックリストが当たってるか外れてるかなんかいよいよ判定しようがないわけだ
>ていうか何の判定なんだこれ…?
そこをもうちょっと詰めればいい。
はい、
Q.存在理由はなんでしょう?
[2010.8.24]
部落や在日や前科者といった人たちばかりが生活保護を受けられて、気弱な人は門前払いされて餓死したり熱中症死したりするのはおかしいから、生活保護者収容施設を作って一括管理するべき?
http://hiro.asks.jp/73011.html
昔、人足寄せ場というモノがあった。自己破産者や逃散農民といった無宿者を、犯罪者として懲罰するのはやりすぎだが、野放しにするのも迷惑という事で、そういった軽犯罪者を収容して、職業訓練を施して社会復帰させるという、更生施設として運用されていた。この寄せ場送りになった者は、寄せ場から解放されるまで、非人という身分になった。
生活保護者収容施設というのは、ようするに、寄せ場を復活させようという話なのであろう。しかし、まともな人だけが寄せ場に送られるのであれば良いのだが、人間には、いろいろな人が居る。シャブ中や賭博狂、異常性愛者や暴力的性向、酒乱、虚言癖、盗癖等、まともに社会生活を送れないし、更生する見込みも無いという人が、一定の割合で発生すると言っても良い。
そういう人が寄せ場に溜まると、風紀や治安が乱れ、管理責任をまっとう出来なくなる。刑務所と違って、懲罰や経済行為の禁止は出来ないだろうし、同性愛者が紛れ込んでエイズが蔓延したりしたら、更生させようとしているのか病死させようとしているのか、わからなくなってしまう。
管理責任をわざわざ背負い込むような施設を作るという考え方は、間違っているという事である。
この日記では、失業保険や生活保護といった社会保障も、納税預金口座のような、入金はできるが、政府機関が発行した払い出し書が無いと引き出せない口座を利用した積み立て制度にする事を提案している(cf.[2008.12.4])。
この制度において、赤字が発生した時に、その増大を、どのように食い止めるかという問題がある。口座の残高が赤字で本人が病気になった時に、将来赤字を補填してくれる子孫や血縁者が居ない場合には、赤字の額が残りの労働可能期間と平均賃金から算出される納付可能額よりも低い場合には通常治療、大きい場合や平均余命以上であれば、緩和ケアのみになるというルールを強制すると、長生きしたければ家族や親族を作って大事にしろ、一族から赤字を発生させるような人を発生させないように、親族全員で努力しろ、本人に更生の見込みが無いならば、緩和ケアのみにしてくれと意思表示を取りまとめろという話になるわけで、起業する意義や、雇用を作り出す必然性が発生するようになるし、更生の見込みの無い人を選んで病死に追い込む判断は、本人が属する一族が行う事になるので、責任問題は発生しないという事になる。もちろん、本人が生前に作った赤字を一族が分担して負担しない場合には、税金で赤字を補填する為に、意思の取りまとめをした文章と一緒に公開という事になる。赤字の回収も可能となるであろう。
行政指導の権限を強化するばかりで起業する人に嫌がらせをしているような規制を止めて、大企業優先の知的財産権や懲罰的損害賠償といった制度を改めるだけでは、人民の行動は変わらない。変えるならば、家制度を破壊して核家族から個人にまで分解を進めてきた家や家族といった概念に実質を持たせる改革も行わなければならない。生活保護受給者が増加し続けている事や、非実在高齢者の年金の不正受給が発覚したり、育児拒否で餓死や学校に丸投げしていじめに気がつかず8歳児が首吊り自殺してから大騒ぎ等という事も、特殊例ではなく、制度の欠陥が表面化してきていると考えるべき問題なのである。
多分元増田が指摘してる元になった http://anond.hatelabo.jp/20100813055556 を書いた増田です。
俺の文章力のなさか、真意が伝わらなかったみたい。
自分も、「単純に作りたいと思わない」だった。今でも基本はそう。
作りたくて作れない人は当然、単純に作りたいと思わないだけの人でも若いうち(多分高校生位まで)の間に
女性を無意識に避けたり、壁を作ったりするような感覚を無くしたほうがいいと思うんだ。
女性からのアクションは恋愛という形にならなくてもいいし、恋愛がらみじゃないことのほうが圧倒的に多い。
「恋愛対象じゃないからこの女性からのアクションはスルー」とか「女性に興味ないのでスルー」とするのではなくて
女性ではなく一人の人間として付き合える感覚をその時期につける。
中高生の恋愛なんてサイクル早くておままごとのようだったりするけど、そのままごとが大事なんだよ。
もっと直接的にいえば若いうちに色んな女性と友達といわないまでも知り合い程度でもいいから関係もって
恋愛対象かどうかとは関係なく女性をごく自然に友達関係のスタートラインに置ける感覚をつけとけってことかなあ。
女性を異性としてしかみれなかったり、常にフィルターかけて女性を見てるから壁をつくっちゃってる。
逆に変にガツガツしたオーラ撒き散らすようになってしまったり。
18歳位を過ぎると0から経験を積むのが一気に難しくなってく気がする。
"自分のLvは全然上がってないのに、Lvの高い人向けの狩場にしか行けない"状態に陥ってく。
恋愛に興味が無いからそういう経験値は一生要らないって言うかもしれないけど、
何の自由もないぜ。これネタじゃなくてある年齢以降現実だからな。
公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例を公布する。
(目的)
第一条 この条例は、公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等を防止し、もつて都民生活の平穏を保持することを目的とする。
(乗車券等の不当な売買行為(ダフヤ行為)の禁止)
第二条 何人も、乗車券、急行券、指定券、寝台券その他運送機関を利用し得る権利を証する物又は入場券、観覧券その他公共の娯楽施設を利用し得る権利を証する物(以下「乗車券等」という。)を不特定の者に転売し、又は不特定の者に転売する目的を有する者に交付するため、乗車券等を、道路、公園、広場、駅、空港、ふ頭、興行場その他の公共の場所(乗車券等を公衆に発売する場所を含む。以下「公共の場所」という。)又は汽車、電車、乗合自動車、船舶、航空機その他の公共の乗物(以下「公共の乗物」という。)において、買い、又はうろつき、人につきまとい、人に呼び掛け、ビラその他の文書図画を配り、若しくは公衆の列に加わつて買おうとしてはならない。
2 何人も、転売する目的で得た乗車券等を、公共の場所又は公共の乗物において、不特定の者に、売り、又はうろつき、人につきまとい、人に呼び掛け、ビラその他の文書図画を配り、若しくは乗車券等を展示して売ろうとしてはならない。
(平一三条例九六・一部改正)
(座席等の不当な供与行為(シヨバヤ行為)の禁止)
第三条 何人も、公共の場所又は公共の乗物において、不特定の者に対し、座席、座席を占めるための行列の順位又は駐車の場所(以下「座席等」という。)を占める便益を対価を得て供与し、又は座席等を占め、若しくは人につきまとつて、座席等を占める便益を対価を得て供与しようとしてはならない。
(平一三条例九六・一部改正)
(景品買行為の禁止)
第四条 何人も、遊技場(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(昭和二十三年法律第百二十二号。以下「風適法」という。)第二条第一項第七号の遊技場をいう。以下同じ。)の営業所又はその付近において、遊技場の営業者が遊技客に賞品として交付した物品を転売し、又は転売する目的を有する者に交付するため、うろつき、又は遊技客につきまとつて、これらの物品を買い集め、又は買い集めようとしてはならない。
(昭四七条例一五〇・昭五九条例一二八・平一六条例一七九・一部改正)
(粗暴行為(ぐれん隊行為等)の禁止)
第五条 何人も、人に対し、公共の場所又は公共の乗物において、人を著しくしゆう恥させ、又は人に不安を覚えさせるような卑わいな言動をしてはならない。
2 何人も、公共の場所又は公共の乗物において、多数でうろつき、又はたむろして、通行人、入場者、乗客等の公衆に対し、いいがかりをつけ、すごみ、暴力団(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律(平成三年法律第七十七号)第二条第二号の暴力団をいう。)の威力を示す等不安を覚えさせるような言動をしてはならない。
3 何人も、祭礼または興行その他の娯楽的催物に際し、多数の人が集まつている公共の場所において、ゆえなく、人を押しのけ、物を投げ、物を破裂させる等により、その場所における混乱を誘発し、または助長するような行為をしてはならない。
4 何人も、公衆の目に触れるような工作物に対し、ペイント、墨、フェルトペン等を用いて、次の各号のいずれかに該当する表示であつて、人に不安を覚えさせるようなものをしてはならない。
一 暴走族(道路交通法(昭和三十五年法律第百五号)第六十八条の規定に違反する行為又は自動車若しくは原動機付自転車を運転して集団を形成し、同法第七条、第十七条、第二十二条第一項、第五十五条、第五十七条第一項、第六十二条、第七十一条第五号の三若しくは第七十一条の二の規定に違反する行為を行うことを目的として結成された集団をいう。次号において同じ。)の組織名の表示
(平一三条例九六・平一四条例一三二・平一六条例一七九・一部改正)
(つきまとい行為等の禁止)
第五条の二 何人も、正当な理由なく、専ら、特定の者に対するねたみ、恨みその他の悪意の感情を充足する目的で、当該特定の者又はその配偶者、直系若しくは同居の親族その他当該特定の者と社会生活において密接な関係を有する者に対し、不安を覚えさせるような行為であつて、次の各号のいずれかに掲げるもの(ストーカー行為等の規制等に関する法律(平成十二年法律第八十一号)第二条第一項に規定するつきまとい等及び同条第二項に規定するストーカー行為を除く。)を反復して行つてはならない。この場合において、第一号及び第二号に掲げる行為については、身体の安全、住居、勤務先、学校その他その通常所在する場所(以下この項において「住居等」という。)の平穏若しくは名誉が害され、又は行動の自由が著しく害される不安を覚えさせるような方法により行われる場合に限るものとする。
一 つきまとい、待ち伏せし、進路に立ちふさがり、住居等の付近において見張りをし、又は住居等に押し掛けること。
二 著しく粗野又は乱暴な言動をすること。
三 連続して電話をかけて何も告げず、又は拒まれたにもかかわらず、連続して、電話をかけ若しくはファクシミリ装置を用いて送信すること。
四 汚物、動物の死体その他の著しく不快又は嫌悪の情を催させるような物を送付し、又はその知り得る状態に置くこと。
2 警視総監又は警察署長は、前項の規定に違反する行為により被害を受けた者又はその保護者から、当該違反行為の再発の防止を図るため、援助を受けたい旨の申出があつたときは、東京都公安委員会規則で定めるところにより、当該申出をした者に対し、必要な援助を行うことができる。
3 本条の規定の適用に当たつては、都民の権利を不当に侵害しないように留意し、その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあつてはならない。
(平一五条例一三七・追加)
(押売行為の禁止)
第六条 何人も、戸々を訪れて、物品の販売または物品の加工若しくは修理、遊芸その他の役務の提供(以下「販売等」という。)を行うにあたり、次の各号に掲げる行為をしてはならない。
一 犯罪の前歴を告げ、暴力的性行をほのめかし、住居、建造物、器物等にいたずらする等不安を覚えさせるような言動をすること。
二 販売等の申込みをことわられたのにかかわらず、物品を展示し、すわり込む等すみやかにその場から立ち去らないこと。
三 依頼または承諾がないのに物品の加工または修理、遊芸その他の役務の提供を行つて、その対価をしつように要求すること。
2 何人も、公共の場所において、不特定の者に対して販売等を行うにあたり、不安を覚えさせるような著しく粗野若しくは乱暴な言動をし、または依頼若しくは承諾がないのに物品の加工若しくは修理、遊芸その他の役務の提供を行つてその対価をしつように要求してはならない。
(不当な客引行為等の禁止)
第七条 何人も、公共の場所において、不特定の者に対し、次に掲げる行為をしてはならない。
一 わいせつな見せ物、物品若しくは行為又はこれらを仮装したものの観覧、販売又は提供について、客引きをし、又は人に呼び掛け、若しくはビラその他の文書図画を配布し、若しくは提示して客を誘引すること。
二 売春類似行為をするため、公衆の目に触れるような方法で、客引きをし、又は客待ちをすること。
三 異性による接待(風適法第二条第三項に規定する接待をいう。以下同じ。)をして酒類を伴う飲食をさせる行為又はこれを仮装したものの提供について、客引きをし、又は人に呼び掛け、若しくはビラその他の文書図画を配布し、若しくは提示して客を誘引すること(客の誘引にあつては、当該誘引に係る異性による接待が性的好奇心をそそるために人の通常衣服で隠されている下着又は身体に接触し、又は接触させる卑わいな接待である場合に限る。)。
四 前三号に掲げるもののほか、人の身体又は衣服をとらえ、所持品を取りあげ、進路に立ちふさがり、身辺につきまとう等執ように客引きをすること。
五 次のいずれかに該当する役務に従事するように勧誘すること。
イ 人の性的好奇心に応じて人に接する役務(性的好奇心をそそるために人の通常衣服で隠されている下着又は身体に接触し、又は接触させる卑わいな役務を含む。以下同じ。)
ロ 専ら異性に対する接待をして酒類を伴う飲食をさせる役務(イに該当するものを除く。)
六 性交若しくは性交類似行為又は自己若しくは他人の性器等(性器、肛こう門又は乳首をいう。以下同じ。)を触り、若しくは他人に自己の性器等を触らせる行為に係る人の姿態であつて性欲を興奮させ、又は刺激するものをビデオカメラその他の機器を用いて撮影するための被写体となるように勧誘すること。
七 前二号に掲げるもののほか、人の身体又は衣服をとらえ、所持品を取りあげ、進路に立ちふさがり、身辺につきまとう等執ように役務に従事するように勧誘すること。
2 何人も、対償を供与し、又はその供与の約束をして、他人に前項の規定に違反する行為を行わせてはならない。
3 何人も、不当な客引行為等の状況を勘案してこの項の規定により客待ちの規制を行う必要性が高いと認められるものとして東京都公安委員会が指定する東京都の区域内の公共の場所において、第一項第一号又は第三号に掲げる客引き(同号に掲げる客引きにあつては、性的好奇心をそそるために人の通常衣服で隠されている下着又は身体に接触し、又は接触させる卑わいな接待に係る客引きに限る。)を行う目的で、公衆の目に触れるような方法で客待ちをしてはならない。
4 警察官は、前項の規定に違反して客待ちをしていると認められる者に対し、当該客待ちをやめるべき旨を命ずることができる。
5 本条の規定の適用に当たつては、都民の権利を不当に侵害しないように留意し、その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあつてはならない。
(ピンクビラ等配布行為等の禁止)
第七条の二 何人も、次に掲げる行為をしてはならない。
一 公共の場所において、次のいずれかに該当する写真若しくは絵又は文言を掲載し、かつ、電話番号等の連絡先を記載したビラ、パンフレットその他の物品(以下「ピンクビラ等」という。)を配布すること。
ロ 性的好奇心をそそる、人の水着姿等の写真又は絵であつて、人の性的好奇心に応じて人に接する役務の提供を表すもの
二 公衆電話ボックス内、公衆便所内その他公衆の用に供する建築物内、公衆の見やすい屋外の場所又は公衆が出入りすることができる屋内の場所であつて公衆の用に供する屋外の場所から容易に見える場所に、ピンクビラ等をはり付けその他の方法により掲示し、又は配置すること。
三 みだりに人の住居等にピンクビラ等を配り、又は差し入れること。
2 何人も、前項各号のいずれかに掲げる行為を行う目的で、ピンクビラ等を所持してはならない。
3 何人も、対償を供与し、又はその供与の約束をして、他人に第一項の規定に違反する行為を行わせてはならない。
(平一六条例一七九・全改)
(罰則)
第八条 次の各号の一に該当する者は、六月以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
2 前項第二号(第五条第一項に係る部分に限る。)の罪を犯した者が、人の通常衣服で隠されている下着又は身体を撮影した者であるときは、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。
3 次の各号の一に該当する者は、百万円以下の罰金に処する。
二 前条第三項の規定に違反した者
4 次の各号の一に該当する者は、五十万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。
六 前条第一項の規定に違反した者
5 前条第二項の規定に違反した者は、三十万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。
6 第七条第四項の規定による警察官の命令に違反した者は、二十万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。
7 常習として第二項の違反行為をした者は、二年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。
8 常習として第一項の違反行為をした者は、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。
9 常習として第三項の違反行為をした者は、六月以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。
10 常習として第四項の違反行為をした者は、六月以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
(平一三条例九六・全改、平一四条例一三二・平一五条例一三七・平一六条例一七九・一部改正)
(両罰規定)
第九条 法人の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者が、その法人又は人の業務に関し、前条第三項、第四項第五号若しくは第六号、第五項又は第六項の違反行為をしたときは、その行為者を罰するほか、その法人又は人に対し、同条の罰金刑を科する。
(平一六条例一七九・追加)
付 則
この条例は、公布の日から起算して三十日を経過した日から施行する。
(施行期日)
(罰則に関する経過措置)
2 この条例の施行前にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例による。
(施行期日)
2 この条例の施行前にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例による。
2 この条例の施行前にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例による。