はてなキーワード: 池沼とは
なので付き添いのババアはそうならないように常に気を遣ってるし、万が一そうなった場合にどうにもならない可能性がある上でああやってる
お前はパワー系池沼の恐ろしさを知らないだけ
私は礼儀を守って発言しましたし、嫌なことを言ったつもりはないです。
むしろ相手が「池沼」「キチガイ」「頭が悪い」「馬鹿」と言ってきましたし、なりすましたりもしてきましたし。
私の発言の何が嫌だったのですか?
職場にバイトに来てる高校生と話したら凄まじいほどドギツイ差別用語とか発してたし
マジ驚いたよおじさん
まったくその通りで、奴らと来たらなんの抵抗もなく「ガイジ」「池沼」「ホモ」を連発する。聞いたこっちは面食らうのだが、当人らは気づいている素振りすらねえ。ひょっとして意味を理解していないのか?それとも俺が勘違いしているのか?ガイジではなくカイジであり、池沼ではなくちきしょうであり、ホモでなはなくオホホなのか?いくら文脈をたどってみても水源からは「ガイジ」「池沼」「ホモ」という言葉が流れ出てくる。狂ってやがる。
だが、「差別用語を乱発する若者が狂っており、かつての我々は紛れもなく真っ当であった」と断言できるかは疑わしい。
かつての俺たちは公の場でそういった言葉を発しなかった(と信じている)わけだが、狗巻先輩の呪術よろしく「やべえ事は口にするな」という原則を守っていたにすぎない。つまり、関わりたくなかったのである。知的障害者もゲイも何もかもを虎杖悠仁の胃の中にぶち込んでしゃんしゃんにしていたのだ。そんなもん邪悪さで言えばこっちの方が上じゃねえかとすら思う。
ある種、社会全体としてそういった属性に向き合わざるを得なくなったからこそ、若者の口からナチュラルに「ガイジ」「池沼」「ホモ」という言葉が出てくるようになったのかもしれない。
そんな事を考えながらも、「それは差別用語であり当人らが聞いたら不快に思うからやめろ」てな具合にビシッとお説教をかますわけだが、一方で「正面切って向き合わなかった世代の癖にノー天気ですね」というような目で見られてんじゃねえかと怯えている。
元の話を辿っていただきたいのですが、「池沼は会話に参加するな」と仰っている方がいますよね?どの会話にどう参加するかは自由なのですが、特定の人の会話の自由を制限するのは中華思想ではないかと思ったのです。