邪馬台国の場所論争がしばしばあるが、そもそも魏志倭人伝の「陸行○日水行○日」は、とんでもない数字を書いてる
つまり邪馬台国が帯方郡以外と貿易しはじめるのは脅威だったか、あるいは他国に奪われたくなかったということ
邪馬台国の需要はそのくらい高かった、文字や商船や武力があればもっと可能性があった
と思えば、帯方郡とともに滅びた国とはいえ、少しは元気にならんかね(無責任)
Permalink | 記事への反応(1) | 18:04
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