はてなキーワード: ボキャブラリーとは
その昔「ももち独1000」のパターンで1000取り荒らしを行っていたニート1000ゲッター
引き篭もりなので1日中パターンを変えて粘着寄生荒らしを行う困り者
自称「横綱」だが頭脳戦や駆け引きが苦手で過疎タイムや連投でしか1000取れない雑魚
人のいない時間を狙って自演連投で1000付近まで埋めて1000取りをする
自分が1000取るためなら相手を傷つける事も構わず誰かが1000取ると次スレで必ず報復として連投1000取りをする
悪質な荒らし行為で憎まれているだけなのに嫉妬されていると勘違いする自惚れ屋
某1000ゲッターにとても適わないと見るや様々な案件で通報して亡き者にしようと画策するも
わけのわからないテンプレのためうまく規制できず歯がゆい思いをしている
ネタが無い時はテンプレには無い例の通報や少数報告保守荒らしの卑怯な手を使う
運営に通報やめるように言われても無視して私怨通報を続行して嫌われて通報を断念
運営公認通称「ぼけなすのおっさん」 通報時の名前は◆v65mg1lVj.・◆JtIOuDLcAg
売りスレでは必要のない次スレ誘導と辻語「のんは~れす」のセリフ
緑スレではスレ違いの荒らしで住民を攻撃するし昔から住人だと主張するも
「ブル○○」のついた蔑称を平気で使って身分詐称がばれる
あまりにもボキャブラリーに乏しく語学力もなく自分の意思を持たないため
人の発言の受け売りや鸚鵡返しの単純文句で1000取り荒らしを行う
softbank全規制の際に取得したp2やお試し●を使って同タイム連投1000取り荒らしや自演連投固定叩きを行う
「石川には興味がない」と一旦石川顔文字1000取り荒らしをやめた振りをして
その後も毎日朝と昼はヲタ役、夜はアンチとして1000取り荒らしを続けている困り者
推しメンは嗣永桃子・真野恵里菜などでロリコンだがファンスレでは決して1000取らない無能雑魚
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/tubo/1219501275/
増田が書いた事は、ボキャブラリーのない人とは増田自身が合わない、
コミュニケーション取りたくないってことだろう。
それを一括して大卒・非大卒と括るのはいささか早計だし乱暴すぎる。
大卒同士でも話が噛み合わなかったりうまく意思疎通できなかったりする人もいれば、
たかだか自分自身の経験を、大卒非大卒で括って定義付けするのはどうかと思う。
ビジネスシーンや、ボキャブラリー数・学歴が関わってくる現場に限定して語っているのであれば、
煽る通りそれらが必要だし、有利に働くのだろう。
しかしただの趣味繋がり、恋愛繋がりなどプライベートの交流の中では関係なくなる。
もちろん個人個人によって違う。
学歴低く、ボキャブラリー数が貧しくても幅広い人付き合いが出来る者もいれば
高学歴で知識やボキャブラリー数は豊富でも、人付き合いとなればてんで駄目になる者もいる。
増田は自分と合わない人間を、学歴やボキャブラリー数を盾にして言い訳にしてるだけじゃないだろうか。
そもそも、高学歴の人間でも低学歴の人間の分かる言葉で話してあげることこそが真の「コミュニケーション力」じゃないだろうか。
わかる。すごくよくわかる。私は高校中退してるんで更に低学歴。
中卒としては、大卒の人は知性にあふれていて欲しいんだけどね。
こっちは高校も卒業してないから、基礎的な教養すら持っていないというコンプレックスはかなりある。
自分より高学歴の人間と話していて、悪い意味でボキャブラリーの違いを感じると、かなりがっかりするのよ。そっち大学行っててどうして分からんのよ、と。(本来の意味でのFラン大学出身とかならまだしもさー)
http://anond.hatelabo.jp/20110728145323にある
・相対的
・既視感
・盲信
・懐疑的
これらが通じない大卒ってなんなの?
実際このなかの数個が通じなくて会話の中で説明したことあるんだけど大学でなにしてたの?
(抜かしたやつは意味を知りませんでした。中卒なので勘弁してください)
今の世代は大学生もたいして本読んでないよ。
どこかにそんな統計が出てるの?
普通は単位取得するためにレポート書いたり試験で論述したりゼミで発表したりするわけで、
そのためには教科書や参考文献の参照は必須だし、そういう文献に触れるだけでも随分非大卒とはボキャブラリーが違ってくるはず。
ブックマークって、自分が気に入ったページにすぐにアクセスできるように記録しておく機能だとかつては思っていたんだけど、
最近は
こういう人たちが憂さ晴らしをするため便所になっている気がする。
コメント付のブックマークをして、その後自分のコメントにいくつ星がついているかを確認する以外の理由で、そのページを再度開く人間が何人いるのか。
星がつけばうれしいが、自分の出したウンチのとぐろがきれいな形だと皆が褒めているだけ。それに気を良くするとか、よく考えたら頭がおかしい。
斯く言う自分もそんな風になりつつある。
自分と違う人の考えを酌んで、成長することは出来ない。
ただ脊髄反射で100文字の吐き捨てをし、ネットスラングや知ったかぶりのボキャブラリーが増えるだけ。
呟きたければツイッターでもやれ。ツイッターはチラシの裏としては最適だ。
フォロワーに見られたくない呟きがあるなら、そんなものどこにも書くな。
人に見られたくないとあなたの心が感じたなら、それはつまり、ネットや匿名の関係を通じて出さえ、
人前で公開すべきでない考えだということだ。
悪いことを書くとネットでみんなから嫌われるぞと脅しているのではない。ネットに書くなとは言っていない。
反骨的な考えを書く人としてネットでの自分のキャラクターを確立し、いくらでも書けばいい。
ただどんな考えも、「私はこう考えています」と文章をしっかり推敲して発信すると、
いやでもソースを集めたり本を引用したりするから、読解力もつき立体的な思考力もつく。
そして、読んでくれた相手の心に良きにつけ悪しきにつけ何かを残したりあわよくば真摯な意見や反発が得られるんだ。
ネットは急速にジャンク化した。ほかならぬユーザーつまり私たちのせいだ。
でもそれを質の良いものに変えることもできるはずだ。それが出来るのも私たちだ。
これか
http://www.evesta.jp/lyric/artists/a312764/lyrics/l115522.html
確かに酷いな。ボキャブラリーも壊滅的だし、経済のことなんもわかってない感丸出しだし。
「お父さん」のキャラクターも頭悪そう(「ネオン街の誘惑」とか)だし。
http://ja.wikipedia.org/wiki/FUNKY_MONKEY_BABYS
ハタチそこそこの頭悪い系の子達のバンドかと思ったら違った…。
にひひひwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
音楽の力を借りながら、俺は進むぜどこまでも。
いくぜ。力のかぎり踏ん張るぜ。
やってくれてもいいんだぜ。
どんなことしてくれたっていいんだぜ。
それがお前のためになるのならばなぁ!!
愛してるってことさぁ!いっぱいいっぱいなのさ!
構うことはねぇ、構うことはねぇよ、
叫べ。ただ嘶け。さきがけミュージック。
やばいくらいにこの声が君の元へと届くぜ。
このなんとでもいえる世界がやだ。
本当に自由だもんな。
このなんとでもいえる世界なのに
なんとも言えない想いは何
(ゝω・)vキャピ☆
中身がなんにもねぇwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
くっだらねぇwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
つまんねぇことに現を抜かす所だったwwwwwwwww
笑えてくるくらいダイナミックだぜwwwwww
最高潮の気分だぜぇ。
このまま突っ走っていくぜええええええええええええええええ
頭の善し悪しは関係ねぇ!!!!!!!!ここから一歩でも踏み出した奴が勝者だ!!
もうフォロワーリセットだ!!一度つくり直すぞ!!!!!!!!!!!
TWITTERはいわば戦争なんだ!!!!!!容赦はできねぇよ!!!!!!!!
いああああああああああああああああああああああああああ
さて、どうするかな。
ちょっくら弁当箱でも食ってくるかな。
もなちゃとにでもいってこようかな。憂さ晴らし。
その為に犠牲になってこようかな。
眠気が俺を包み込む。
あっえーっとそうなんですかそうですねはいわかりましたありがとうございます以外の言葉のボキャブラリーが無い。
二行以上言葉が出てこない。何か詳しいこと聞かれるともうあうあうあー状態。
必死で言葉を作ろうにも俺が何言ってるか分からないみたいではあ?みたいな顔されたり、時間がかかりすぎてその間に相手がどこかへ行ってしまったり。
口下手なら喋る側じゃなくて聞く側に回ればいいとかよくいうけどこれじゃ相手が話かけてきてもくれない。
今まではひきこもってたらそれでも何とかなってたけどバイト、しかも接客業始めたから何とかしなくちゃいけない。
というか何とかしたかったから接客業のバイト始めたのだけれども。
でも世の中は俺より三倍も四倍も時計の針が早く進んでる気がしてとてもついていけない。
最初は「随分腰が低い人だなー」くらいに思ってたんだけど段々印象が変わった。
だって書類をコピーしてホチキス閉じる仕事(?)でさえ「申し訳ない」って頼んでくるんだもん。
「申し訳ない」けど1分で終わるよ、それ。
あと回数が尋常じゃなかった。
一作業終わるたびに、それこそ10分に1回くらい言われてた。
もう相槌のボキャブラリーが無いよってくらい。
そんなことが何度も続くから「この人はなんでこんなに謝るんだろう」って疑問に思ってたんだけど
ある時、「あぁ、この人は謝ってる自分が好きなんだ。」って思ったら何か分かった気がした。
とりあえず謝っておけば、仕事を振ることを正当化できてると思ってるんだ
この人にとって謝る事は自分のためであって、別に誰かに許してもらう事じゃないんだ、って思ったら
一緒に仕事する気にならなくなった。
おにーちゃんみたいな子にボキャブラリーと運とカリスマが伴うと
トム・ウェイツとかチャールズ・ブコウスキーとかポール・オースターとかリチャード・ブローディガンとか
ヘルマン・ヘッセとかになれるんだろーなぁと思うけど。
残念ながら片鱗は見えないから
とりあえず働いた方がいいんじゃないか。さもなければ詩でも書いたらいい。
痛いほどストレートな、ケータイ世代の「泣ける失恋ソングランキング」
http://music.jp.msn.com/news/article.aspx?articleid=387153
これで泣けるならこっちのが泣けるはず。
J-POPの歌詞における「何か」の探され率は異常
http://404nots.blog88.fc2.com/blog-entry-1039.html
全曲わからないのでわざわざ歌詞だけググった。
「痛いほどストレート」じゃなくて「語彙が無いのが痛い」の間違いだろ。
ほぼ同じ単語の組み換えで構成されてるじゃねーか。
どうやったらこれで泣けるんだよ別の涙が出てくるわ。
第一愛とか恋とかクドいんだよ。
おまえらそれしか歌えないのかと。
忘れもしない今年の5月18日。武蔵野赤十字病院、循環器科の医師から次のような宣告を受けた。「膵臓ガン末期、骨の随所に転移あり。余命長くて半年」妻と二人で聞いた。二人の腕だけでは受け止められないほど、唐突で理不尽な運命だった。普段から心底思ってはいた。「いつ死んでも仕方ない」とはいえあまりに突然だった。
確かに兆候はあったと言えるかもしれない。その2~3ヶ月前から背中の各所、脚の付け根などに強い痛みを感じ、右脚には力が入らなくなり、歩行にも大きく困難を生じ、鍼灸師やカイロプラクティックなどに通っていたのだが、改善されることはなく、MRIやPET-CTなどの精密機器で検査した結果、いきなりの余命宣告となった次第である。気がつけば死がすぐ背後にいたようなもので、私にはどうにも手の打ちようもなかったのだ。
宣告の後、生き延びるための方法を妻と模索してきた。それこそ必死だ。頼もしい友人や強力この上ない方の支援も得てきた。抗ガン剤は拒否し、世間一般とは少々異なる世界観を信じて生きようとした。「普通」を拒否するあたりが私らしくていいような気がした。どうせいつだって多数派に身の置き所なんかなかったように思う。医療についてだって同じだ。現代医療の主流派の裏にどんなカラクリがあるのかもあれこれ思い知った。「自分の選んだ世界観で生き延びてやろうじゃないか!」しかし。気力だけではままならないのは作品制作とご同様。病状は確実に進行する日々だった。
一方私だって一社会人として世間一般の世界観も、半分くらいは受け入れて生きている。ちゃんと税金だって払ってるんだから。立派には縁遠いが歴とした日本社会のフルメンバーの1人だ。だから生き延びるための私的世界観の準備とは別に、「ちゃんと死ぬための用意」にも手を回してきたつもりだ。全然ちゃんと出来なかったけど。その一つが、信頼のおける二人の友人に協力してもらい、今 敏の持つ儚いとはいえ著作権などの管理を任せる会社を作ること。もう一つは、たくさんはないが財産を円滑に家内に譲り渡せるように遺言書を作ることだった。無論遺産争いがこじれるようなことはないが、この世に残る妻の不安を一つでも取り除いてやりたいし、それがちょいと向こうに旅立つ私の安心に繋がるというもの。
手続きにまつわる、私や家内の苦手な事務処理や、下調べなどは素晴らしき友人の手によってスピーディに進めてもらった。後日、肺炎による危篤状態の中で、朦朧としつつ遺言書に最後のサインをしたときは、とりあえず、これで死ぬのも仕方ないと思ったくらいだった。「はぁ…やっと死ねる」なにしろ、その二日前に救急で武蔵野赤十字に運ばれ、一日おいてまた救急で同じ病院へ運ばれた。さすがにここで入院して細かい検査となったわけだ。結果は肺炎の併発、胸水も相当溜まっている。医師にはっきり聞いたところ、答えは大変事務的で、ある意味ありがたかった。「持って…一日二日……これを越えても今月いっぱいくらいでしょう」聞きながら「天気予報みたいだな」と思ったが事態は切迫していた。それが7月7日のこと。なかなか過酷な七夕だったことだよ。
ということで早速腹はきまった。私は自宅で死にたい。周囲の人間に対して最後の大迷惑になるかもしれないが、なんとしてでも自宅へ脱出する方法をあたってもらった。妻の頑張りと、病院のあきらめたかのような態度でありつつも実は実に助かる協力、外部医院の甚大な支援、そして多くの天恵としか思えぬ偶然の数々。あんなに上手く偶然や必然が隙間なくはまった様が現実にあるとは信じられないくらいだ。「東京ゴッドファーザーズ」じゃあるまいし。
妻が脱出の段取りに走り回る一方、私はと言えば、医師に対して「半日でも一日でも家にいられればまだ出来ることがあるんです!」と訴えた後は、陰気な病室で一人死を待ち受けていた。寂しくはあったが考えていたのはこんなこと。「死ぬってのも悪くないかもな」理由が特にあるわけもなく、そうとでも思わないといられなかったのかもしれないが、気持ちは自分でもびっくりするほど穏やかだった。ただ、一つだけどうしても気に入らない。「この場所で死ぬのだけは嫌だなぁ…」と、見ると壁のカレンダーから何か動き出して部屋に広がり始めるし。「やれやれ…カレンダーから行列とはな。私の幻覚はちっとも個性的じゃないなぁ」こんな時だって職業意識が働くものだと微笑ましく感じたが、全くこの時が一番死の世界に近寄っていたのかもしれない。本当に死を間近に感じた。死の世界とシーツにくるまれながら、多くの人の尽力のおかげで奇跡的に武蔵野赤十字を脱出して、自宅に辿り付いた。死ぬのもツライよ。断っておくが、別に武蔵野赤十字への批判や嫌悪はないので、誤解なきよう。ただ、私は自分の家に帰りたかっただけなのだ。私が暮らしているあの家へ。
少しばかり驚いたのは、自宅の茶の間に運びこまれるとき、臨死体験でおなじみの「高所から自分が部屋に運ばれる姿を見る」なんていうオマケがついたことだった。自分と自分を含む風景を、地上数メートルくらいからだろうか、ワイド気味のレンズで真俯瞰で見ていた。部屋中央のベッドの四角がやけに大きく印象的で、シーツにくるまれた自分がその四角に下ろされる。あんまり丁寧な感じじゃなかったが、文句は言うまい。
さて、あとは自宅で死を待つばかりのはずだった。ところが。肺炎の山を難なく越えてしまったらしい。ありゃ?ある意味、こう思った。「死にそびれたか(笑)」その後、死のことしか考えられなかった私は一度たしかに死んだように思う。朦朧とした意識の奥の方で「reborn」という言葉が何度か揺れた。不思議なことに、その翌日再び気力が再起動した。妻を始め、見舞いに来て気力を分け与えてくれた方々、応援してくれた友人、医師や看護師、ケアマネージャなど携わってくれている人すべてのおかげだと思う。本当に素直に心の底から。
生きる気力が再起動したからには、ぼんやりしているわけにはいかない。エクストラで与えられたような命だと肝に命じて、大事に使わねばならない。そこで現世に残した不義理を一つでも減らしたいと思った。実はガンのことはごくごく身の回りの人間にしか伝えていなかった。両親にも知らせていなかったくらいだ。特に仕事上においては色々なしがらみがあり、言うに言えなかった。インターネット上でガンの宣言をして、残りの人生を日々報告したい気持ちもあったのだが、今 敏の死が予定されることは、小さいとはいえ諸々影響が懸念されると思えたし、それがゆえに身近な知り合いにも不義理を重ねてしまっていた。まことに申し訳ない。
死ぬ前にせめて一度会って、一言でも挨拶したい人はたくさんいる。家族や親戚、古くは小中学校からの友人や高校の同級生、大学で知り合った仲間、漫画の世界で出会い多くの刺激を交換した人たち、アニメの世界で机を並べ、一緒に酒を飲み、同じ作品で腕前を刺激しあい、楽しみも苦しみも分け合った多くの仲間たち、監督という立場のおかげで知り会えた数知れないほどたくさんの人びと、日本のみならず世界各地でファンだといってくれる人たちにも出会うことが出来た。ウェブを通じて知り合った友人もいる。
出来れば一目会いたい人はたくさんいるが(会いたくないのもいるけれど)、会えば「この人ともう会えなくなるんだな」という思いばかりが溜まっていきそうで、上手く死を迎えられなくなってしまいそうな気がした。回復されたとはいえ私に残る気力はわずかで、会うにはよほどの覚悟がいる。会いたい人ほど会うのがつらい。皮肉な話だ。それに、骨への転移への影響で下半身が麻痺してほぼ寝たきりになり、痩せ細った姿を見られたくもなかった。多くの知り合いの中で元気な頃の今 敏を覚えていて欲しいと思った。病状を知らせなかった親戚、あらゆる友人、すべての知人の皆さん、この場を借りて不義理をお詫びします。でも、今 敏のわがままも理解してやっていただきたい。だって、「そういうやつ」だったでしょ、今 敏って。顔を思い出せば、いい思い出と笑顔が思い起こされます。みんな、本当にいい思い出をたくさんありがとう。自分の生きた世界を愛している。そう思えることそのものが幸せだ。
私の人生で出会った少なからぬ人たちは、肯定的否定的どちらであっても、やっぱり今 敏という人間の形成にはどこか必要だっただろうし、全ての出会いに感謝している。その結果が四十代半ばの早い死であったとしても、これはこれとして他ならぬ私の運命と受け止めている。いい思いだって随分させてもらったのだ。いま死について思うのはこういうこと。「残念としかいいようがないな」本当に。
しかし、多くの不義理は仕方ないと諦めるにせよ、私がどうしても気に病んで仕方なかったことがある。両親とマッドハウス丸山さんだ。今 敏の本当の親と、アニメ監督の親。遅くなったとはいえ、洗いざらい本当のことを告げる以外にない。許しを乞いたいような気持ちだった。
自宅に見舞いに来てくれた丸山さんの顔を見た途端、流れ出る涙と情けない気持ちが止めどなかった。「すいません、こんな姿になってしまいました…」丸山さんは何も言わず、顔を振り両手を握ってくれた。感謝の気持ちでいっぱいになった。怒涛のように、この人と仕事が出来たことへの感謝なんて言葉ではいえないほどの歓喜が押し寄せた。大袈裟な表現に聞こえるかもしれないが、そうとしか言いようがない。勝手かもしれないが一挙に赦された思いがした。
一番の心残りは映画「夢みる機械」のことだ。映画そのものも勿論、参加してくれているスタッフのことも気がかりで仕方ない。だって、下手をすればこれまでに血道をあげて描いて来たカットたちが誰の目にも触れない可能性が十分以上にあるのだ。何せ今 敏が原作、脚本、キャラクターと世界観設定、絵コンテ、音楽イメージ…ありとあらゆるイメージソースを抱え込んでいるのだ。もちろん、作画監督、美術監督はじめ、多くのスタッフと共有していることもたくさんあるが、基本的には今 敏でなければ分からない、作れないことばかりの内容だ。そう仕向けたのは私の責任と言われればそれまでだが、私の方から世界観を共有するために少なからぬ努力はして来たつもりだ。だが、こうとなっては不徳のいたすところだけが骨に響いて軋んだ痛みを上げる。スタッフのみんなにはまことに申し訳ないと思う。けれど少しは理解もしてやって欲しい。だって、今 敏って「そういうやつ」で、だからこそ多少なりとも他とはちょっと違うヘンナモノを凝縮したアニメを作り得てきたとも言えるんだから。かなり傲慢な物言いかもしれないが、ガンに免じて許してやってくれ。
私も漫然と死を待っていたわけでなく、今 敏亡き後も何とか作品が存続するべく、ない頭を捻って来た。しかしそれも浅知恵。丸山さんに「夢みる機械」の懸念を伝えると、「大丈夫。なんとでもするから心配ない」とのこと。泣けた。もう号泣。これまでの映画制作においても予算においても不義理ばかり重ねて来て、でも結局はいつだって丸山さんに何とかしてもらって来た。今回も同じだ。私も進歩がない。丸山さんとはたっぷり話をする時間が持てた。おかげで、今 敏の才能や技術がいまの業界においてかなり貴重なものであることを少しだけ実感させてもらった。才能が惜しい。何とかおいていってもらいたい。何しろザ・マッドハウス丸山さんが仰るのだから多少の自信を土産に冥途に行けるというものだ。確かに他人に言われるまでもなく、変な発想や細かい描写の技術がこのまま失われるのは単純に勿体ないと思うが、いた仕方ない。それらを世間に出す機会を与えてくれた丸山さんには心から感謝している。本当ににありがとうございました。今 敏はアニメーション監督としても幸せ者でした。
両親に告げるのは本当に切なかった。本当なら、まだ身体の自由がきくうちに札幌に住む両親にガンの報告に行くつもりだったが、病気の進行は悔しいほど韋駄天で、結局、死に一番近づいた病室から唐突極まりない電話をすることになってしまった。「オレ、膵臓ガン末期でもうすぐ死ぬから。お父さんとお母さんの子供に生まれて来て本当に良かった。ありがとう」突然聞かされた方は溜まったものではないだろうが、何せその時はもう死ぬという予感に包まれていたのだ。
それが自宅に帰り、肺炎の危篤を何とか越えて来た頃。一大決心をして親に会うことにした。両親だって会いたがっていた。しかし会えば辛いし、会う気力もなかったのだが、どうしても一目親の顔を見たくなった。直接、この世に産んでもらった感謝を伝えたかった。私は本当に幸せだった。ちょっと他の人より生き急いでしまったのは、妻にも両親にも、私が好きな人たちみんなに申し訳ないけれど。私のわがままにすぐ対応してくれて、翌日には札幌から両親が自宅についた。寝たきりとなった私を一目見るなり母が言った言葉が忘れられない。「ごめんねぇ!丈夫に産んでやれなくて!」何も言えなかった。
両親とは短い間しか過ごさなかったが、それで十分だった。顔を見れば、それですべてわかるような気がしたし、実際そうだった。
ありがとう、お父さん、お母さん。二人の間の子供としてこの世に生を受けたことが何よりの幸せでした。数えきれないほどの思い出と感謝で胸がいっぱいになります。幸せそのものも大事だけれど、幸せを感じる力を育ててもらったことに感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。
親に先立つのはあまりに親不孝だが、この十数年の間、アニメーション監督として自分の好きに腕を振るい、目標を達成し、評価もそれなりに得た。あまり売れなかったのはちょいと残念だが、分相応だと思っている。特にこの十数年、他人の何倍かの密度で生きていたように思うし、両親も私の胸のうちを分かってくれていたことだろう。
両親と丸山さんに直接話が出来たことで、肩の荷が下りたように思う。
最後に、誰よりも気がかりで、けれど最後まで頼りになってくれた妻へ。あの余命宣告以来何度も二人で涙にくれた。お互い、身体的にも精神的にも過酷な毎日だった。言葉にすることなんて出来ないくらい。でも、そんなしんどくも切ない日々を何とか越えて来られたのは、あの宣告後すぐに言ってくれた力強い言葉のおかげだと私は思っている。「私、最後までちゃんと伴走するからね」その言葉の通り、私の心配など追い越すかのように、怒濤のごとく押し寄せるあちらこちらからの要求や請求を交通整理し、亭主の介護を見よう見まねですぐに覚え、テキパキとこなす姿に私は感動を覚えた。「私の妻はすごいぞ」今さらながら言うな?って。いやいや、今まで思っていた以上なんだと実感した次第だ。私が死んだ後も、きっと上手いこと今 敏を送り出してくれると信じている。思い起こせば、結婚以来「仕事仕事」の毎日で、自宅でゆっくり出来る時間が出来たと思えばガンだった、ではあんまりだ。けれど、仕事に没頭する人であること、そこに才能があることを間近にいてよく理解してくれていたね。私は幸せだったよ、本当に。生きることについても死を迎えるにあたっても、どれほど感謝してもしきれない。ありがとう。
気がかりなことはもちろんまだまだあるが、数え上げればキリがない。物事にも終わりが必要だ。最後に、今どきはなかなか受け入れてもらいにくいであろう、自宅での終末ケアを引き受けてくれた主治医のH先生、そしてその奥様で看護師のKさんに深い感謝の気持ちをお伝えしたい。自宅という医療には不便きわまりない状況のなか、ガンの疼痛をあれやこれやの方法で粘り強く取り除いていただき、死というゴールまでの間を少しでも快適に過ごせるようご尽力いただき、どれほど助けられたことでしょう。しかも、ただでさえ面倒くさく図体と態度の大きな患者に、単なる仕事の枠組みをはるかに越え、何より人間的に接していただいたことにどれほど私たち夫婦が支えられ、救われたか分かりません。先生方御夫婦のお人柄にも励まされることも多々ありました。深く深く感謝いたしております。
そして、いよいよ最後になりますが、5月半ばに余命宣告を受けてすぐの頃から、公私に渡って尋常ではないほどの協力と尽力、精神的な支えにもなってくれた二人の友人。株式会社KON’STONEのメンバーでもある高校時代からの友人Tと、プロデューサーHに心からの感謝を送ります。本当にありがとう。私の貧相なボキャブラリーから、適切な感謝の言葉を探すのも難しいほど、夫婦揃って世話になった。 2人がいなければ死はもっとつらい形で私や、そばで看取る家内を呑み込んでいたことでしょう。何から何まで、本当に世話になった。で。世話になりついでですまんのだが、死んだあとの送り出しまで、家内に協力してやってくれぬか。そうすりゃ、私も安心してフライトに乗れる。心から頼む。
さて、ここまで長々とこの文章におつき合いしてくれた皆さん、どうもありがとう。世界中に存する善きものすべてに感謝したい気持ちと共に、筆をおくことにしよう。
じゃ、お先に。
------------------------------------------------------------
http://konstone.s-kon.net/modules/notebook/archives/565
無断転載しました。ごめんなさい。
旦那のことを主人というのをやめろ
あなたは奴隷なんですか?だったら別にいいけど。
はい
気の効いたこと言ってるつもりの低学歴が来ましたよ
左翼ブームやリベラルブームの何が悪かったってこういう馬鹿をひきつけたところですね
馬鹿でもリベラルサイドっぽいこと言ってる限り発言内容の程度の低さを問われず褒められたりした
この甘やかしが馬鹿にはたまらないから左翼に馬鹿が集まるわけです
「自分は一般人より知性や感性が優れてる」と思ってるとこです、馬鹿の癖に
で
この低学歴クンが今思いついて
「感心してもらえるかも!」とワクワクしながら書き込んだこのしょーもないエントリですが
低学歴クンの貧困なボキャブラリーの中では「主人」が「奴隷」に対応する言葉だったせいでこうなったんですねw
どうしてこんなボキャブラリーが涵養されるのか、普段変な本やゲームでも楽しんでるのか、それは定かじゃないですが
実際には「主人」は「一家のあるじ」と言う意味ですw
他にも「人を貴んで言う語」、「妻が夫を指す称」などの用法がありますが
こんなことはまともな国語力持ってる一般人はみんな知ってます。
低学歴クンの中では旦那はオーケー、と言うより正しい名称みたいですが
むしろ「旦那」の方が
召使とか妾とかが使う言葉であって
程度も品も下がる良くない言葉であり封建的色合いも濃いんですけどね
教養も知能も足りないのに世人に抜きん出たフリをしたがる人というのは悲しいですね
馬鹿の書き込みを見ると改めて痛感します
http://anond.hatelabo.jp/20090716175613
このエントリに
http://anond.hatelabo.jp/20090716181156
あのエントリを読んで実践したわけじゃないですけど。
当然今でもボキャブラリーは苦手です。
http://www.alc.co.jp/eng/vocab/svl/list.html
これのLevel3くらいでもわからない単語がちらほらあります。
http://www.hbs.ne.jp/home/saso/skill-toeic-correlation.htm
これで言うとちょうど2級くらいの段階で、TOEICとかのノンネイティブ向けの英語ならあまり問題無いんだけど、CNNなんかのネイティブ向けニュースだったり講義・スピーチビデオなんかを見るとかなり厳しい。3割~良くて5割くらいしかわからない。
ここから次の段階へ行けるイメージが全く湧かないし、トレーニングしても伸びてる気があまりしない。やり方が間違ってるような気もして、どうしたらいいのか分からなくなってきた。
ボキャブラリーが足りないのは明らかなんだけど、それだけじゃないように感じる。
音は聴きとれても意味がするっと入ってこないのが常で、(レポーターのようなハッキリした発音じゃなく)日常会話のように話されると音も聴き取れないことが結構ある。
この文章を見る限り「頭が悪い」という感じはしないけどな。
君はネット上での「立派な議論」とかを見てちゃんと理解できるんだろ?
だとすれば、君がその「立派な議論」とやらを書けないのは、単純にボキャブラリーの問題が9割だと思うよ。単純な知識だけの話かと。
ボキャブラリーが豊富だと、確かに言ってる内容まで「立派っぽく」見える。ただ、それって大半は見かけ倒しで、確かに語彙が多ければ、持ってる概念も多いことになるから思考のショートカットが出来て頭の回転は数%くらいは速くなるかもしらんけど、所詮は数%の世界でしかない。しかも回転の速さなんて頭の良さのごく一部だわな。そんなのに戦く必要はないよ。
まあ、小説でいいから、ひたすら本読め、本。ネットの文章だけだと意外に文体限られてるから、語彙を増やすにはまだまだ活字本には敵わない。気がつけば立派な文章が書けるようになってるさ。
駅弁大学の信金内々定もらっている者。就活を終えたわけではないけど内々定をもらってるとこの返事の期限が近いので、振り返りがてら自分が今後どうすべきか考えをまとめる。
まず日本の現状から。日本経済が停滞して20年、毎年首相が変わるなど政治がリーダーシップをとって国を導く見込みはないので、今後も低迷は続くだろう。海外に目を向けると中国やインドがめざましい発展を遂げていて、次はベトナムやタイがくるのではと言われている。こうした背景から将来グローバル化、ITによる国を超えた繋がりが緊密になり続けている世界で、日本の競争力が相対的に低くなるのは確実だ。
就活でわかったけど、地方の中小企業はいまも建前上は終身雇用が前提となっているので、就活っていうのは退職者によって空いた席を奪い合う現象。崩れゆく国の社会に生まれる限りある新たな席を奪い合っているのが就活。いくら建前で終身雇用を目指していても、現実に目を向けるとその競争に勝ったところで将来が保証されたわけではない。何故なら倒産もあり得るし、その席は雇用規制によって守られているだけなので企業が本当に耐えられなくなりリストラに向かう、あるいは国が規制を外したらすぐになくなる。そんなことを考えたら、自分で変化を起こせるほどの「チカラ・情熱」のある人以外の現実は就活で内定を得ても、いつ職を失うかビクビクしながら働くしかないのだ。
ところで、ぼくにとって就職っていうのはあくまで収入を得る手段のひとつであって、他に収入を得る手段があるなら必要ない。やりがいなんかはボランティアでも満たせる。最低限生きていく上で大切なのは収入を得る手段があるということ。その能力があるということ。やっぱり「チカラ・情熱」がないと何もできないんだ。ぼくは頭がいい方ではないから、よく考えないといけない。そして人に負けない社会にとっての価値を生み出せる能力を身につけたい。
具体的にどんな方法か見つかっていないけど、ここまではわかっている。そんな風に考えてる。
具体的にどんな方法で能力を身につけるか見当を付けていることを書く。やるべきは自分の内面を見つめ周りからの評価を参考に自分の適性と志向性から、鍛える能力に見当をつけて具体的なアクションプランを作り行動する。試し続ける。自分のできること、できないこと。やれること、やれないこと。社会で必要とされていること、必要とされていないこと。明確にわかれば誰も苦労しないけど、キチンと考えを積み上げて言語化できるくらい明確に把握する。そして試した結果を振り返る。反省を通して次に活かす。
たとえば、僕は自分にできないことと社会での必要性に焦点を当てて、まず言語化能力で発展的に会話力を鍛えたいと考えている。
僕は自分の考えを相手にうまく伝えることが出来ない。それは考えを詰めることなく曖昧にごまかしてきたために厳密に言葉を使う必要がなかった、というよりもあえて曖昧に言葉を使って相手の都合のいいように解釈できるように仕組み、相手の反応に合わせることで本当に理解できてなくても自分が理解できているように振舞っていたから。賢い人にはバレバレだったと思うけど、僕はそうやって無知な自分を隠し誤魔化せるとおもっていた。その結果、気づいたら汎用性の高い簡単な言葉しか身につかず、微妙なニュアンスの違いを伝える形容詞や動詞は漠然と理解できるだけ。文法もままならず、ボキャブラリーも貧弱。当然自分で使うには至らず自分の想い・考えを伝えようとしても、文章をうまく組み立てることができない。
だからアクションプランとして日記を始めた。この場も、そうした文章能力を鍛えるための訓練の場だ。ぼくは社会人にとって大切な能力はコミュニケーション能力だと考えている。言語化能力や会話力はコミュニケーションの基礎だ。この先どうなるかわからない。でも今のぼくにできるのはこれだと思っている。
やっぱり考えを文章に起こすのは大変だ。相手にどれだけ伝わるのかもわからない。