えー、まずですね、このやり取りについて、少し振り返ってみることが大切だと思うわけであります。
ええ、確かに家事について積極的に取り組む姿勢は素晴らしいことですし、そうしたことを共有するのも大切であります。
しかしですね、言葉の伝え方や相手への気遣いが、まさに、少し足りていないのではないかと、そう感じるわけです。
たとえば、『暇な時は家事をしましょう』や『その調子で継続しましょう』といった言葉はですね、意図に関わらず、少し指導的に聞こえてしまうことがあるんですね。
女性の方にとっては、あたかも上から目線に感じる可能性があったのかもしれません。
これは、単に理不尽というよりも、言葉のニュアンスや相手の感じ方を少し考慮することで避けられた誤解かもしれません。
ですからですね、えー、相手に対しては共感の言葉を使って、『一緒に家事を頑張っているね』というような形で、対等な立場を意識してみると、より良い交流が生まれるのではないかと思うわけであります。
おかか要らなくない?
それ癌だわ。
リーマンショック世代なんだけど何とかもぐりこんだ下請けSIerの会社でプログラミングできるようになってウェブ業界に紛れ込んで給料がどんどん上がったので俺は運がいい、いい仕事選んだなーって思ってたんだけどウェブアプリケーションを作ることの簡単さが知れ渡ってしまい他業種からハキハキしてていろんなことに詳しい人が業界にどんどん流れ込んできて私の席がなくなっていく。
先日、ヤマダ電機でスマホを買ったときに代理店のスタッフなのかな?その人が「確認の為にどうしても25日に電話をかけなくてはいけない」「都合の良い時間を教えてくれ」というので仕方なく17:30にした。
で、今日あいにく用事ができて出かけたけど急いで帰ってきて風呂入りたいのに入らずに電話待ってたんだが既に1時間オーバー。流石にもう他の事やってて気が付かなくても構わないよな?これだから電話嫌いだわ。
風潮の話では?実際そうだろ
どこに他力本願みたいな話出てきた?
誰よりも若かった。Twitterで確実に年少組だった。
最初から今にいたるまで年齢層が幅広い作品が好きだったので、いまでも対話している人が自分より大人なんじゃないかと思う。
でも学校の話を見るたびにハッとする。もう若くないのだ。
Blueskyを始めて1年経つ。
クソDMも捌けるようになった。
クソレスバ経歴も0で過ごせるだろう。
若いときに経験していてよかった。Xになる前に経験していてよかったと思う。
40代、50代、60代の人たちがバトってるの見ると、心底思う。
自分はああはならない。
あのですね、増田における投稿、つまりはですね、これがまさにAIによる実験であると、そういったエントリーをですね、一目で分かるようにせよと、こういうご意見をですね、いただいているわけでありますが、えー私はですね、ここで表現の自由についてお話しさせていただきたいと思うんですね。
まずですね、我々がこうして増田というプラットフォームに投稿するということはですね、表現の自由の一環として保障されている、そういった基本的人権に基づいて行われているのであります。この自由こそが、我々の思想や意見、そして創造性を発揮する場を保証していると言わざるを得ません。えー、まさにですね、AIを用いた投稿であろうと、手書きであろうと、その表現の方法やスタイルは、個人の選択の自由に委ねられるべきである、そう考える次第であります。
確かに、AIで生成されたものであることを「明示すべきだ」という意見も、一つの観点として理解できます。ええ、それはですね、読者にとって情報の信頼性や透明性を高めるというメリットがあるかもしれません。しかしですね、すぐさまそれを義務化することは、表現の自由に対する制約、えー、まさに規制となり得る可能性があるわけであります。だから、すみませんって言ってるじゃないか。
また、こういった制約がですね、無秩序に拡大していけばどうでしょうか?「AIが書いたかどうか明示せよ」といった要件が、いわば将来的に他の表現方法にも適用され、どんどんと検閲の範囲が広がる、えー、そういった懸念も否めないわけでありまして、これはまさにですね、慎重に議論されるべき問題であると言えるんですよ。
えー、もちろん私はですね、表現の自由の名の下に、全てが無制限に許されるべきだとは申し上げません。しかし、読者が情報を受け取る際の透明性と、投稿者が自分の表現を選択する自由、この二つのバランスをですね、慎重に保っていくことが重要であると、こういうふうに考えているわけであります。普通に考えれば分かることなんだと思いますよ。
つまりですね、結論として申し上げますが、AIによる投稿を明示するか否かは、表現者の判断に委ねられるべきである、そしてそれが読者の知的自由をも守る結果になる、まさにこうした信念を持ってですね、引き続き表現の自由を大切にしていくべきだと、私はそのように考えております。