2021-07-22

国政が不安なので自分なりに新しい政治を考える

前置き

※この文章はすべて個人の感想であり、明確な根拠事実には基づいていない。

1.コロナ禍の政治的不満

 まずは思いつく限り列挙してみよう。

 税金の使われ方が不透明かつ不適切であること、老齢の男性しかおらず議員のもの多様性が無いこと、答弁の際の態度が不適切であること、議員に支払われる給与一般公務員に比べて異様に高額であること、DXや意識改革が全く進んでおらず世論理解していないこと、外部企業との癒着不正憶測されること、情報国民へ知らせる努力をせずマスコミに丸投げしていること、……などがあげられる(心象の悪さを反映した結果、大袈裟に書いた部分もある)。

 しかし、歴史教科書にのレベルで考えたら現状がそこまで悪政とも言い切れない。諸外国と比べてコロナ対策成功しているからだ。もちろん国民の協力あってのものではあるが、政治的に大きく間違った判断はしていないのだろうと思う。

 ただ、日本政府は事前にわかりきっていたことに対しての対応思考停止レベルで遅すぎる。アベノマスクはそのクオリティの低さもさることながら、インフレにより供給自動的に増えることを事前に予見できなかったことも異常に思える。全国でもう要らない使えないと糾弾され、税金無駄にされた気分だ。

一方でワクチンの予約システム一年から必要だと言われ続けていたのに、ようやく上がってきたものは欠陥だらけ。さてはお金を出すのを直前まで渋ったな?と勘繰りたくなる。渋るにしても既存の予約サービスを利用すれば低コストで確実に使えたはずで、なぜ一から作らせたのかも疑問だ。

 また東京オリンピックでも対応の遅さ、詰めの甘さは同様で、延期前と変わらず酷い有様である。それは政治的側面もありつつ、大部分は東京都IOC、準備委員会責任ではあるが、本当に不測の事態が起きた際には一体誰が責任を取るのだろうか。

2.民主主義への不安

 話は初めに戻るが、政治への不満はすべて対応の悪さに直結してくる。特に意識改革が進んでいないこと、つまり世論を正しく汲み取る力が無いことは民主主義において大問題だ。

 失われかけている民主主義を取り戻すために何ができるだろうか。

日本国憲法第十二条を、改めて読んでみる。

この憲法国民保障する自由及び権利は、国民不断努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

正直なところ、私はこの文が何を言っているのか的確に説明することはできない。

主に国防に関する改憲が騒がれて久しいが、解釈改憲などの言葉通り、様々な可能性にあふれた現代人には解釈が難しいのが今の憲法だ。前回のレポートでも取り上げた同性婚についても、第二十四条について解釈が揺れ、それぞれ争いを繰り返している。

人が憲法法律刑罰も含む)について時代に即したように柔軟に解釈し、誰もが不幸にならない解を見出せるのならよかったが、現実はそうではない。改憲のための手続きを正しく踏み、新しい憲法を適宜追加し、よりよい憲法づくりを進めていく必要がある。恐らくこれが不断努力というものだろう。

今の政府にそれができるかと言われると、私は首を横に振らざるを得ない。その上、政治体制の早急な改善も全くもって見込めない。

ある会社が自社でしか使えない人材を作ろうとするように、政治家も自分意見が通るような組織づくりをしたがるのは当然だろう。どれだけ人が入れ替わろうが、企業体質はそうやって受け継がれる。

3.ぼくがかんがえたさいきょうのせいじ

そこで私は(実現性度外視して)、新しい政治を考えた。

それは国会議員を、一般企業役員から選出するというものだ。

一般企業役員は、(私の幻想でなければ)経営プロであり消費者である国民のことを一番考えている。すなわち国の運営に一番適していると、私は考えた。

役員国会議員として推薦した企業スポンサーになれば、血税から(不当な)給料が払われることも無い。今まで不透明だった政治資金も同様に、会社が「それは経費で落ちない」と指摘できる。

企業にとっては役員が国の第一線で働くことになれば宣伝効果は非常に高くなるだろう。それにより今まで以上に国会議員不祥事などを起こしづらくなるだろうと考える(裏を返せば、今の国会議員には背負うものがなさすぎて怖い)。

それによって東大へ行く以外にも国政に関わる手段が増え、国会議員にも今よりは多様性が生まれるはずだ。

そして忘れてはいけないのが「定年制度」。会社定年制度がそのまま適用されることになれば、議員はある程度正しく循環していくだろう。ぜひ現状の国会でも取り入れてほしい。

一方で、企業による利益の独占や、税の優遇が加速することは必須だろう。しかし今は国力≒企業力の時代、大きな会社があることは海外との交渉において有利に働く。行き過ぎた事案は法や顧客イメージによって抑制されるだろうし、少なくとも今の政治よりはマシだという自信がある(が、実際は無知故にデメリットを感知できていない)。

役員を推薦する企業は、会社にとって重要で貴重な役員を国にやってしまうことをデメリットと捉えるかもしれない。それでいい。それによって社内にポスト官僚(または経営補佐)というキャリアが生まれ可能性があるからだ。そうなれば積極的若い社員議員に推薦することもありえる。官僚を目指す社員側も自費で地道な活動をする必要がなくなり、政治家になるためのリスクを抑えられる。

気軽に政治家になり、(大金をもらうためではなく)国を良くするために働く人をこのシステムで集められたらいいなと私は夢見ている。

4.おしまい

私がインターネットで国政を変えたいと呟いたところで、嫌なら他所の国へ行けと言われておしまいだろう。私は日本の文化から離れたくない、表現の自由においては特に

からこそ国を少しでも良くするために、せめて有意義投票がしたいと思う。しか理想的政治的人材国民がどれだけ待ったところで自然に発生するものではない。

結局、いま自分にできるのは、消去法で選ぶしかない投票に行き、国政を変えたいと呟くことくらいだ。

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