もう50になるってのに、どこの職場にいっても、そのせいで馴染めなくて、おわる・・・
むかしから、みんなとあそんでるよりは、ひとりで図書室とかで本よんでるほうが気がラクだった。
さそわれたら、あそぶけど・・・ってかんじ。
っていうかにんげんかんけい、もうやだよ・・・
パンティーは、暴力の不正に対して真義を代表する力である。パンティーは純潔な生活の泉として滾々と湧き出る魂の力なのだ。私はインドが弱いからパンティーを被っているのではない。ただ、インドがパンティーを被らないヨーロッパのやり方をまねるべきではないと思うのである。剣を手にしたとき、インドはもはや私の心の誇りではなくなるであろう。
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職業プログラマでシステムの開発保守をやってるんだけど、色んな人が競技プログラミングにハマっているのをみてatcoderを始めてみて一ヶ月が経った。未だにF問題が解けなくて実力の無さを痛感してるけど、これ、たしかにめっちゃ面白い。アルゴリズムを考える力もつくし、これからも続けようと思う。
それと同時に、やはり競プロは業務では使えないって思いが強くなった。「アプリを作るのが好きで、趣味で競プロもやってます」って人であれば面接で速攻でとると思う。問題となるのは「競プロで青色なので、プログラミングは得意です」という言い方をする人。その時点で俺なら落とす。
普段、仕事でプログラムを書いていると可読性とか保守をどうするとか、ほとんどの時間はそういうことを考えてコードを書いている。幸いそのお陰で、自分の関わるシステムは5年以上開発を続けても苦もなく保守できる状態が保たれている。しかし、atcoderに参加してみて、競プロ中は普段と全く関係のない知識を使っていることに気がついた。いや、使っているではない、使わざるを得ないのだ。
例えば、普段の開発では単体テストを必ず書くが、atcoderでは提出時間が早いほうが有利なため、簡単な問題では単体テストが完全に無駄だという思いが脳裏に浮かんだ。システムを作るときには絶対にあってはいけない発想だ。回答を通す、という目的だけがはっきりしているのも問題だ。参加中は可読性を上げるために変数名をつける、読みやすいようにリファクタリングする、などの行為がすべて無駄と感じられてしまった。回答を通すためだけに、 ad-hoc な if 文がどんどん付け足されていく。そして、回答が通った時点ですごく達成感が出てしまい、完成したコードにはまったく興味がなくなってしまった。atcoderに参加しただけで、普段システム開発をしている自分の頭がそのような発想に至ることがあるなんて全く想像していなかったので、恐ろしくもあり、競プロのマインドはシステム開発とは全く違うと痛感させられる経験だった。
こんなマインドでプログラミングを覚えた人間は、絶対にまともな開発はできない。ひどい手癖が染み込んでいる上に、そこに自信を持ってしまっているのが非常に恐ろしい。ずぶの初心者よりももっと悪いと思う。
100086歳だろうなあ