直訳すれば「政治的正しさ」になるが、一般人には何のことだかさっぱりわからない。
言葉から民族や人種、性別といった差異を取り除き中立的な表現を目指すこと、らしい。
具体的には"chairman"を"chairperson"という風に置き換えた言葉を使うことを指す。
高校生や大学生の時、何してたんだろうとふと思い返したときに、思い出にあまりにも手触り感が無くてびっくりした。
自転車通学で、晴れの日も雨が降っててもあんなにも自転車を必死に漕いでたのに、何を感じてたとか憶えてない。
15年も経ったらそんなもんなのかな。
拠って立つものがいきなりなくなったみたいに感じて、すごく怖い感じがした。
この年の瀬だけで、2次と3次の区別がつかないロリコンや、何も考えずに共産党を叩きまくるガルパンファンが出現しましたね。
もはや現実と創作世界の区別はつく、影響はないなんて言説はマボロシです。
GATEを読んで自衛隊が好きになったという人、永遠の0を読んで朝日新聞が嫌いになったという人。
そして今回のこれだ。あれほど”戦車道”を強調し、一応現実の戦車との関わりを少なくしていたガルパンで、よりによって作中唯一”戦車”として登場した10式戦車の展示に何も感じない。
彼ら彼女らはただ「すきな作品に水がさされたらしい」というだけで攻撃をはじめる。疑問の声をあげた仲間さえ封殺しはじめ、「共産党の手先」と罵る始末。
そうして社民共産を攻撃して「奴らは表現の自由を侵している!」と叫び、なぜか自民党はアニメに優しくオタクの味方だと信じている。
自分たちへの”攻撃”には敏感で、自分たちの攻撃には無頓着かつそれらをたしなめられても”攻撃”されたと騒ぐ。自分たちの立ち位置がマジョリティかつ時には体制側であることすら理解しない。
もう彼らの意見はくみ上げなくて良いのではなかろうか。反表現規制はオタク抜きで行い、ただオタクたちには結果のみを与える。
それでオタクは満足だろうし、足も引っ張られないだろう。
ポリティカルコレクトネスを振りかざせばオタク文化が潰れるってことは無い
何故ならポリコレ信望派を見てみれば
知り合いに増田みたいな奴がいたわ。
普通なら見捨てて終わるようなどうしようもない人間や案件を抱え込んで、そこからストレスためてたりしてたな。
そういう奴、もうそれが原因で大損害でも食らわんと難しいのでは。