子供時代に、余りにも現実離れした高校生活だのを見せられたために、現実に挫折してしまう人が多い。
特に女。勘違いしたままオトナになって、リアル男がクソだクソだと言い募るやつ多いね。
これ、ちょっといかんと思うわ。
最初から。「この漫画やゲームの登場人物とは、ロボットです」みたいな注意文入れるのを義務化しようや。
幼稚園、小学校のころから、「このゲームの登場人物は、ロボットって設定ですよ」って言われていれば、「現実と違うロボットだよね」ってなるかも。
いや、特にそういうのをやめろとか言う話ではない。
どうにもマブラブやGate、SAOや魔法科などそうだが全体的な傾向として設定面の批判に行き着くことがそこかしこで見られる。
これはなにかそういう伝統的側面があるんだろうか?
元増田の言うような蛸壺屋路線も企画には上がったんじゃないかな?
いろいろ意見が出尽くした中であえて奇をてらわない、特に引っ掛かりがない娯楽路線でしっかりやろう、って風に感じたなあ>劇場版
ま、無難な方が結局受けるという結果が積み重なって、誰も冒険しなくなってしまうことを恐れているというのならわかる。
でもまあ世の中ガルパンだけじゃないし、ガルパンは安心して見られる作品として定着するのはそれはそれでいいじゃないか。
ゆきぼうとかいうidだとpotatostudioだったかの寒いブログのほうが問題だろ
これは本当に終わりかけてると思う
かつてのはてなとは違う連中が持ち上げてる感じ
いわゆる感動ポルノが大好きな連中だよね
泣ける映画とかみて泣いてるやつらって感じ
創作でもいい話ならOKOKって感じのやつら
わかる。そう思って30になる前に辞めた。1センチくらいチンコ伸びた。子宮に当たる子が増えた。太くもなったと思うけど、円周は測ってない。
嘘にまみれていきるのも一興さ。相手はてめーのことなんて愛しちゃいないがね。財布の中身は愛されてるもんな
アホくせーが好きに生きることだな
おりゃー走ったよ、もう汗もでねえや
ああそう、これこれ。仕事と関係ないところでもそういうラベルでアイデンティファイする人、日本人にやっぱり多いかなと思う。
しかし、終身雇用が崩れ非正規が増えて企業への所属が自己認識のラベルとして機能する機会はどんどん減ってきて、そういうアイデンティファイの仕方は日本でも役に立たなりつつあるだろう。もちろん仕事の打ち合わせで、◯◯社××課の立場で山田さんが出てきたら「◯◯社××課の山田さん」と紹介されるけど、それは「その仕事のコンテキスト」という文脈依存のラベルになる。3年後に山田さんが◯◯社にいるとは限らないから、その特定の仕事を離れた場所では所属を除いた「あのプロジェクトを一緒にした山田さん」として認識するしかない。この変化はとうに起きていて、自分が過去仕事上のつながりを持った人の多くは転職してたり独立してたりするんで、所属企業は本人同定の役には立ってない。不便? 別に。
他者の家族についても、既に例を出したように日常的なコンテキストでは多くの人は文脈依存で他者を認識してきたのであり、そこまで強固な機能が「統一した姓」にあったとは思えない、というのが俺の感覚だ。ただ、それは単に自分がそういう認識をしていなかっただけかもしれず、統一姓によるラベルを認識に使っていた人がいることは理解できる。(ちょうど、かつての日本社会(昭和的?)なモデルで、「◯◯社の山田さん」が仕事を離れた本人同定に使えていたように)。
なるほど、これまで家族の統一名称を認識の手がかりにしていた人は、そのツールが使えなくなったら困るだろう、とういう理屈はわかった。
一体どのくらいの人が家族の統一名称を認識の手がかりにしていたか、に関してはピンと来ないんだが、それはもはや個人の経験に依存するからここでは結論が出ないかなと思う。俺からは、昭和の時代の複数姓同居が、統一姓は日常的な他者認識で重要な役割を演じていなかったことを端的に示しているように感じられるんだが、それも解釈の問題かもしれぬ。
男の3桁は大したもんだと思うけど、女の3桁は依存症か安売りしすぎかって感じがするね