ああそう、これこれ。仕事と関係ないところでもそういうラベルでアイデンティファイする人、日本人にやっぱり多いかなと思う。
しかし、終身雇用が崩れ非正規が増えて企業への所属が自己認識のラベルとして機能する機会はどんどん減ってきて、そういうアイデンティファイの仕方は日本でも役に立たなりつつあるだろう。もちろん仕事の打ち合わせで、◯◯社××課の立場で山田さんが出てきたら「◯◯社××課の山田さん」と紹介されるけど、それは「その仕事のコンテキスト」という文脈依存のラベルになる。3年後に山田さんが◯◯社にいるとは限らないから、その特定の仕事を離れた場所では所属を除いた「あのプロジェクトを一緒にした山田さん」として認識するしかない。この変化はとうに起きていて、自分が過去仕事上のつながりを持った人の多くは転職してたり独立してたりするんで、所属企業は本人同定の役には立ってない。不便? 別に。
他者の家族についても、既に例を出したように日常的なコンテキストでは多くの人は文脈依存で他者を認識してきたのであり、そこまで強固な機能が「統一した姓」にあったとは思えない、というのが俺の感覚だ。ただ、それは単に自分がそういう認識をしていなかっただけかもしれず、統一姓によるラベルを認識に使っていた人がいることは理解できる。(ちょうど、かつての日本社会(昭和的?)なモデルで、「◯◯社の山田さん」が仕事を離れた本人同定に使えていたように)。
なるほど、これまで家族の統一名称を認識の手がかりにしていた人は、そのツールが使えなくなったら困るだろう、とういう理屈はわかった。
一体どのくらいの人が家族の統一名称を認識の手がかりにしていたか、に関してはピンと来ないんだが、それはもはや個人の経験に依存するからここでは結論が出ないかなと思う。俺からは、昭和の時代の複数姓同居が、統一姓は日常的な他者認識で重要な役割を演じていなかったことを端的に示しているように感じられるんだが、それも解釈の問題かもしれぬ。
この感覚的な話が通るならわりと話が早い。 そうしなくても良い人が別姓を選ぶわけだから、議論すべきはあくまで他人をどう認識するかってことじゃないのかな。 子供は? という...
子供は?望んでその機能を捨てたわけではないのに、使えないの? いや、「日本人が所属により自己をアイデンティファイする傾向」というのは育ちにより刷り込まれる単なる習慣で...
君がそのレスで言っているのは「統一的な呼称がなくても、何とかやっていけるよ!」って話じゃん。 君の言うとおり、これは習慣であり最初から習慣をもってなければ何が失われるわ...
自己認識の話と、他者認識に必要という話は理屈でもつながってないので、そこんとこもうちょい突っ込んで説明してくれるとうれしい。 おそらく君は、そういう概念を持たずに過ご...
自己認識の話と、他者認識に必要という話は理屈でもつながってないので、そこんとこもうちょい突っ込んで説明してくれるとうれしい。 追記で書いたけど、こちらに移す。 自分がど...
自分がどういう人間であるかを説明するためには、一般的に所属とポジションで言うわな。 同時に他人について説明するためにも「こちら○○社の△△課の課長の山田さん」という所...
一体どのくらいの人が家族の統一名称を認識の手がかりにしていたか、に関してはピンと来ないんだが、それはもはや個人の経験に依存するからここでは結論が出ないかなと思う うー...