この考え方が変わらない限り一生独身だろうと思うのだが、皆はどう考えているのだろか。
こんな事を友人の前で面と向かって話したらその場の全員を敵に回し、空気が凍り付きそうなので話をした事がない。
この記事で↓
http://michsuzuki.hatenablog.com/entry/2015/04/21/143718 「すき家の店員がワンオペで倒れた」というツイートがデマだと思って、調べに行ったらマジだった
「それみたことか!」
とばかりに嘲ってて、すごく気分が悪い。
「根拠がないのに決めつける行為は、それがたまたま正解だったからといって事後的に正当化されない。
というこんな単純なことが理解できない知能の人に語る言葉がなくて途方にくれてしまう。
あと逆に、客観的に判別できる根拠が得られないから「デマかもしれない」と合理的疑いを仮定して裏取りをしたことに対して
オフィスワークから落ちぶれて、日雇いのみじめな仕事にしか入れなくなってきた。思考の必要はないから、というかあると発狂しそうだから、フリーズさせてる。たまたま、派遣会社の内勤に空きが出たとかで、久しぶりにデスクに座った。電話が鳴る。受話器の向こうから飛んでくる情報を処理するのが難しい。データ入力のスピードや把握能力が落ちてることに愕然とする。
ちっちゃくて、おっきいんだ。
わかるか? 片方だけじゃダメなんだ。
おっぱいに釣られるんじゃあない! 釣られるんじゃあないよ!
一つよろしくお願いします。
以上便乗でした。
そこがPHPの魅力でもあるんだ。
雑感。「祭」についての民俗学的考察をしてもおもしろいかもしれないね。
多くの祭りは実は外部者は「おまけ」でしかなくて、あくまで共同体の中での祝祭として行われる。
強いて言えば古来は「神」が、もてなすべき「外部者」であって、それを満足させられる出来であることが求められた。
現代において生き残っている祭典でも、特に日本の中で行われる各種の祭りはだいたいが共同体が主役。外来者はただの観客。
※しかし例外もある。オリンピックなどは最もたるもの。ただし、古今東西問わずコミュニティーには祭りが必要とされているには何らかの理由があるし、オリンピックはコミュニティーを超えて行われているからこそ例外として成立しているのかもしれない。前者はゲマインシャフトから生まれ出るもの。後者は外交上の理由というゲゼルシャフト的要素から派生したもの。
共同体の中で共同体の構成員が最大限弾けた結果、ものすごいおもしろいものができて、そして外からも人を呼び寄せる。
そんな祭りが、今も残っているんだろうけれどね。
嫁ぴっぴ
射精の気持ちよさわかるの?
また消すんだろwwww
書いてる途中で人が来た。こえー。
んで、帰り道、ほんとにすーーーっと風を感じた。囲まれていた。サングラス&黒コートの3,4人。娘は、すっと目をそらしていた。っと見る間もなく走った、3mで地下鉄の入口。服を掴まれた。テフロン系のコートで手が滑った?? 下り階段を転がり落ちつつ、叫ぶ。人がちょうど2人居た。リーマンとOL。行ける、、、っとさらに走って改札を飛び越えて、地下鉄に乗った。お金は出口で払った。
いや、気の毒なのは俺の頭だった。狩りとか、まったく想定外。違和感を、相手がバカ っとしか思ってなかった。死ぬとこだったなーって思った。ちょっとだけ、そっち方面での活動限界を下げた。
あとで思うと、娘との距離は非常に近く、娘に掴まれてたら逃げ出せなかった。おそらく、ギリギリの狩りのサボタージュだったんだなと、思った。SEXうまくやれて助かった、、と思った。ちょっとでも冷たくしてたら、たぶん死んでたんだな。